「嫌だったら、はっきり言って。それなら私も、諦めがつくから」
笑理から言われ、梢は十年前と同じような結末にはしたくないと思った。
「いえ……私も、笑理先輩のことが好きです」
先ほどまでの緊張がいつの間に無くなっており、梢は己の気持ちを素直に笑理に伝えることができた。
「梢ちゃん……」
「今日は挨拶で伺いました。この続きは、またゆっくりと」
これ以上いるのが恥ずかしくなり、梢は出ていこうとした。
「ねえ」
と、笑理に呼び止められた。
「次、いつ会える?」
「今晩、また会えますか?」
「うん。お酒飲める?」
「はい」
「じゃあ、用意しとく」
梢は一礼するとマンションを去っていった。
一人になった途端、急に胸の鼓動が激しくなった。自分で笑理の告白を受け入れたのに、やはり憧れの先輩のこととなると、ドキドキが止まらなくなってしまう。十年も経ったが、このドキドキは卒業式の時に笑理に抱きしめられた時と全く同じだった。
告白を受け入れたということは、形式的には笑理と交際したということになる。が、まだ梢にはその実感が湧いていなかった。
『ひかり書房』に帰社した梢は、高梨に「三田村先生にご挨拶に伺ってきました」と、形式的な報告をしたのち、高校時代の部活の先輩であることだけは打ち明けた。
「そうか。世間ってのは狭いもんだな。けど、三田村先生からすれば、気心の知れた後輩が担当編集者になってくれたら心強いだろう」
呑気そうに高梨は答えたが、さすがに笑理に交際を申し込まれたことは告げることができなかった。
「三田村先生が、より良い作品を書けるように全力でフォローします」
その言葉に嘘はなかったが、それと同時に公私にわたって笑理をフォローしたいと梢は思っていた。
この日、梢は夕方まで仕事をしていたが、集中力がやたら途切れてしまった。未だに面と向かって笑理を見ると、少なからず緊張してしまう自分だが、それでも笑理のことを考えてしまうと仕事に身が入らない。これが俗にいう『恋煩い』なのかもしれない、と梢は身をもって感じていた。
同じ頃、買い物を済ませた笑理は、食事の支度をしていた。普段使うことのない、来客用の食器を食器棚から出して、ローストビーフやシーザーサラダ、ビーフシチューなど、腕によりをかけたごちそうを作っていた。
美味しそうに自分の手料理を食べてくれる梢のことを思い浮かべ、笑理は鼻歌を歌いながら、梢の来訪を首を長くして待ちかねていた。