8 十一年目 初夏 Awakening
「悪いな。付き合わせて」
俺がそう言うと、クサカはいかにもわざとらしく鼻で笑った。
「意味もないようなくだらないことなら付き合わないさ。だけど、お前は街の中心で、お前のやることには意味がある。付き合わない理由はないだろう?」
五番通りの中央、夜には付近の商店が一斉に開いて騒々しさを極める一帯にある一番会館の中にある待合室。建物の本来の用途は俺達市民の〝オクリバナ〟で、部屋は、送られる側の人間が儀式前に待機するためのものだ。扉が二つついていて、一つは通りに面していない裏口からそのまま直行出来る扉で、もう一つは、オクリバナの儀式が行われる、広間にそのまま繋がっている。部屋に入った時誰もいなかったから、裏口通路用の扉を確認。しっかり施錠されていた。
俺達は、呼ばれて此処へ来た。一番会館。今は、箱の本拠地だ。ミカミが一団を率いて攻め込んで、負けた場所。三百人ぐらいが入れる面積を持つ広間は幾つものパーティションで区切られて、様々な用途を持つ小部屋にされている。メインエントランスから入って、強引に作られた細い通路を何度も曲がって〝応接室〝なんて名前が与えられた小部屋。元、控室。友人のオクリバナで何度も来た事がある場所だったけれど、懐かしさなんか一つだって感じなかった。ただの、箱の連中の巣窟だ。
招待は、連中からアリシア、オルヴァーを経由して俺達のところへやってきた。
「彼らは恐れているんだ。君のこれから取ろうとしている行動の危険性に気付いている」
「成功するかどうかも分からないのにか」
「街の、彼らの側についている思考がアリシアを使って警告させたんだろうね。せっかく手にした勝利が台無しになるかもしれない、となれば彼らがなりふり構わず、こうして交渉の席を用意したことも十分に頷ける」
応じるべきかどうかは、トシオ君のパン屋に集まっている全員から意見を集めた。俺のことを嫌っている奴は「行くな」と言い、俺を気に入ってくれている奴は口を揃えて「行け」だった。トシオ君は賛成も反対もせずにただ頷いていた。長年パンだけを相手にしてきている頑固な職人のような素振りだ。ダー君は、双方の意見を聞いているうちによく分からなくなったらしい。最後には「タケさんがやりたいようにやればいいと思います」だと。サガミザワとジョウノのコンビが行くべきだと強硬に主張すれば、元ミカミ助手で未だに俺のことをつま先ほども信用していない彼女は、頑なにNO、ダメ、馬鹿、無駄、無意味、と言葉を並べ立てた。まとまりそうもない話し合いが小一時間続いた。多分、そんな様子が鬱陶しくて仕方なかったのだろう。酒瓶をどん、とトシオ君が普段パンをこねている作業台に叩きつけたクサカが、一言で強引に決定した。
「行けよ。別にその場でとっつかまったりはしないだろう? それに、もしあっさりと捕まって終わるんなら、どの道お前の案は上手くいかないだろうな。タケシタヒロシ。どうだ? あたしも同行しようじゃないか。一人じゃ怖くて動けまい?」
以上、こういうわけで、俺とクサカは待合室。まだ五番通り沿いも静まり返っている昼下がりにやって来て、既に一時間近く待たされている。しびれを切らしたクサカは持ち込んでいた酒をちびちびとやり始めていた。
「少しくれ」
「駄目だな。これはあたしの命だ。命は削れん」
「ケチだなお前」
「酒に関してはな……ふむ、だが気が変わったぞ。ほら。全部飲むなよ。少しだぞ……横に物欲しげな奴がいるまま飲んでも美味くないからな」
「ありがたくいただくよ」
「そろそろ備蓄の残りもなくなる。この交渉だか何だかが終わったらまた探しにいくぞ」
「治安維持部隊とやらに捕まるんじゃねえか?」
「そんなもの、ぶん殴ってしまえばそれまでだ」
それから、待合室で二人して酒瓶を傾けること、さて、どれぐらい経ったのか。程よく酔って、気が大きくなり始めた頃、ようやくだ。部屋に入ってきたのは前に俺の家に来た箱のボス、ドウザワと、アリシアの二人だった。
「ようこそ、きっと来てくださると思っていましたよ。先ごろいきなりやって来られた彼らと違い、貴方は思慮深い方のようですから。まずは、お待たせして申し訳ない。貴方がたとの交渉内容について、少し我々の側でも揉めましてね」
前に俺の家に来た時と同じ、スーツに、ハット、小さな眼鏡。狡猾そうな目が相変わらず、落ち着きなく動いている。それに対してアリシアは、上から下までを白で統一して、凶暴そうな目つきで俺とクサカを交互に見て、それから「失くすべくものを失くして、いくらかは改心したのかと思ったが、飲酒か。事の大きさにも気付かずに」だと。クサカがその言葉を受けるように舌打ちを一つ飛ばすと、部屋の中の酒臭い空気が一気に収縮していって、少し息苦しさを感じるほどになった。
「おい白い女。口のききかたに気をつけろ。あたしらは呼ばれて来てやったんだ」
「これは失礼。呼ぶべき相手を間違えたらしい」
「おいタケシタヒロシ、この馬鹿そうな女、本当にオルヴァーの身内なのか? 殴ってもいいのか?」
「そうらしいけどな。とりあえず、話し合う前から喧嘩はよせ」
「……まあいい。ドウザワ、早く話を進めろ」
俺達のことを睨みつけたままアリシアはそう言うと、それっきり、椅子にふんぞりかえって目を閉じてしまった。クサカが忌々しそうに酒瓶をあおる。空になったらしい。それを、俺達が挟んで座っているテーブルに叩きつけた。
「やれやれ、うちの姐さんは本当に仕方が無いな。そちらの姐さんも結構荒々しい感じみたいだけど。それより、すぐに話をはじめましょう、お待たせいたしました……そうですね、まずはこれを……」
いくらか早口にドウザワはそう言い、テーブルの上、俺とクサカの前にそれぞれ、幾つかの項目が箇条書きになっている紙を置いた。それは、箱側から俺達への〝譲歩案〟だった。
*
「早い話が、この条件で折り合いつけろって事か」
クサカがそんな感想を述べると、ドウザワはかすかに笑みを浮かべ「まあ、仰る通りです」だと。並べられていたのは、こんな条件だった。
俺達、つまり”家”の中で幹部として動いていたメンバーに限り、職業を自由選択。但し、街の安定を乱さないこと。一定期間大人しくしていれば、一般の元市民よりも緩い条件で生活することを特別に許可。常時、箱側からの監視を受けることを素直に受け入れなければならない。俺、タケシタヒロシの口から街全体に向かって、何もかもが終わり、街は箱によって運営されていくことを宣言しなければならない。
「あたしは何も言わん。タケシタヒロシよ、お前が決めろ。その決定が気に入らなければ、あたしらはお前と無関係に、潰されるその日まで好きにするだけだ」
「率直に申し上げて、我々は貴方がこれからやろうとしていることをとても危険視しています。街は落ち着きを取り戻しつつある。元市民の方々も、その多くが新しい生活を受け入れつつある。その大切な時期に余計な騒ぎは避けたい。だからこそ、本来特別扱いすべきではないのですが、その点に敢えて目をつぶり、貴方に妥協を求めています」
「…………」
クサカにドウザワがそれぞれ好き勝手なことを言う。アリシアが無言のまま、閉じていた目を開き、俺の方を睨みつけている。俺は、どうするのが街にとって良いのかを少し考え、そして、すぐにそんな考えが何の意味も持っていないことに気付く。俺の出発点はそこじゃない。かつてはそうだったかもしれないけれど、そんな道、とうの昔に途絶えたのだ。もう一度、自分に確認してみる。本当に、これで良いのかどうか。数十秒を要した。結論。今の俺は、街のために動いてはいない。
「拒否する。俺は、どうすれば俺にとって一番良いか、そのために動いてるんだ。それに、聞いてくれ、俺がこれからやろうとしてることは、お前らを潰すようなことじゃない」
「内容に関してはこちらのアリシア姐さんからおおよそ聞いています。確かに、そうかもしれない。だけど、そんなことは問題じゃない。騒ぎを起こすな、と言っているんです」
「断る」
「では、こちらは最後のカードを切りましょう。姐さん、構いませんね?」
「仕方ない。だが、この小僧を喜ばせるだけだとも思うが?」
「それでも、総合的に見れば一番被害の少ない方法かと」
「構わん。やれ」
俺の拒否の後で、アリシアとドウザワの、何やら打ち合わせ。ドウザワの言う〝最後の手段〟とやらがアリシアによって承認されると、ドウザワはその場で手を二回叩いた。それに合わせ、鍵のかけられていない方の扉から、誰かが入って来る。誰か? クサカにつつかれるまでもなく、俺だってそれが誰かぐらい、すぐに分かった。身長。足音。全部、知っている。匂いすら懐かしく感じられる。やってきたのは、ミイだった。
「以前に回収させていただいた個体です。今は、街の都合上、殆ど記憶を失っているが、もし貴方が全ての条件を飲むのなら貴方にお返ししますよ。記憶もきちんと戻した上でね。貴方は、彼女との生活を再開出来る。何なら、貴方だけは特例で仕事をしなくても良い。彼女とひっそりと、自由に、永遠に暮らしていくのはいかがですか? 街がその安全と永続性を保障しましょう」
「私としては、貴様のような堕落しきった男にこのような特例を認めるのは不愉快だ。しかし、最終的な方針の決定権を私は持っていない。貴様のところのオルヴァーがそうであるようにな」
アリシアがいかにも忌々しそうに言ったけれど、そんなの、どうでも良かった。横でクサカが「おいタケシタヒロシ」と何度も呼んでいた。目の前で、ミイがぼんやりとした顔で俺の方を見ていた。何もかもを忘れているけれど、元に戻る? 俺はミイと暮らしていても良い? ミイと何もせずに暮らす日々のことなんか、想像しただけでおかしくなりそうだった。そんなこと、絶対に、絶対にあってはならないことなのだ。ミイはそれを望むだろうか。想像してみる。
「ひろくん、本当にこれでよかったの?」
想像の奥、ミイの声が聞こえる。俺は、その声に返事をする。
「ミイと一緒に暮らせれば、それで良かった」
「ほんとうに? ほんとうにそれは、ひろくんが望んだことなの?」
想像の世界が、いとも簡単に崩れていく。俺は言葉を失う。何が正しいのか、何が誤りなのか。判断基準が猛烈に狂っていく。世界が重さを失う。俺は、言葉を失う。横でクサカの呼ぶ声が聞こえる。そこにミイの声が重なっていく。
「ひろくん、嫌だよ、ずっと一緒にいたいよ」
想像の声ではない。目の前のミイが、そう喋っていた。
「記憶を少しだけ戻してやればこの通りだ。貴様のような奴でも、こうして求められている。それで十分なのではないか?」
「おいタケシタヒロシ、しっかりしろ、大丈夫か?」
アリシアとクサカが交互に騒ぐ。ドウザワはじっと俺の様子を窺っている。そして俺は、確かな落ち着きを取り戻しつつある。
「ずっと、ずっと一緒だよ、ずっと」
またミイが喋る。俺の落ち着きに、一本の、くっきりとした輪郭が与えられる。
「クサカ、帰ろう」
席を立てば、もう何も迷うことはなかった。目の前の、同じような内容を繰り返し言い募るミイらしき誰かが泣き出したけれど、そんなの何の意味も、重さも持っていない。
「もし本当に余計なことをするのならどちらにしろ潰す。我々の案を受け入れておくべきだったと後悔することになる」
そんなドウザワの声を背中に聞いた。アリシアがそれを受けて、「このまま帰らせる気か?」と不愉快そうな声をあげていた。相手にする必要なんか何処にもなかったから、クサカの腕を引っ張って立たせ、そのまま、早足で出口へ向かった。追いかけてきたり、俺達のことを捕まえようとする動きを連中が見せることは無かった。夕焼けで橙色になった外。道。色々な商店が店を開く準備を始める時間帯。少しずつ騒がしくなっていく街。トシオ君のパン屋に早く戻って、トイレの中でも、何処でも良いから、少しでも早く、一人になりたい気分だった。
「……おいタケシタヒロシ、良かったのか?」
「あんなの、ミイじゃねえ」
「あんなのって……良く似た偽物か何かなのか?」
「そうじゃねえんだろうけど……悪い、そのうち話す」
俺達は、俺とミイは、もう会えないのだ。抱きしめあって、言葉を交わして、さよならをした。俺はミイに誓ったのだ。それを果たさなければいけない。もう一度やってきて、記憶も戻してこれまで通り? そんな簡単な話ではないのだ。俺とミイも、俺と街も、そんなに簡単じゃない。
*
俺達がかつて〝家〟と呼んでいた場所、オルヴァーが確保し、俺達が拠点として使っていたその場所で、決行前最後のバカ騒ぎが始まろうとしていた。
よくこんな都合の良い場所が空き家のままで残っていたものだ、と俺は最初思ったけれど、オルヴァーに言わせれば、そうではないらしい。
「つまり、街の中、君を応援する意識がこの場所だけをかろうじて残しているんだ。君のために。君には、事を起こすための広いステージが必要だからね」
〝家〟の三階、街の中心部側を遠く見渡せる巨大ベランダ。そこをステージとして使うことに決めて、俺達は準備を進めた。箱側の治安維持部隊が四六時中俺達のことを見張っていたし、機材の調達やら何やらで外出するたびに追いかけ回されたりもした。実際に殴り合いになったことも数回あった。俺達に協力してくれている奴らが何人か捕まって、何処かへと連れ去られもした。街宣車も連日、街中を走りまわって〝元自由の家の不穏分子に協力をした場合は厳罰〟だの、〝立ち上がれ、平穏を愛する新たなる市民達〟だのとと大騒ぎを繰り返していた。
機材の殆どは元市民が店主となった音楽スタジオから。ダー君やサガミザワ、ジョウノが交渉にあたり、上手くいかない場合は俺、それでも駄目ならクサカ。全員相手にされなかった場合は、強奪した。幸い、全体の調達量の三分の二は、穏便な形で入手出来た。奪ったのは小さなものばかりだ。ギターとか、スネアドラムとか、その程度。とにかく、機材は用意出来た。
演奏メンバーは、俺、トシオ君、ダー君。治安維持部隊につけ回されながら街中、ミカミを捜して回ったけれど奴は何処にもいなかった。どうしようかと思っていたら、トシオ君が何処からかギタリストを一人連れてきた。名前はホシノ。元自由市民で、バンドをやっていて、今はタクシー運転手らしい。何処かで見たことのある顔だ、と思ったらかつて練習の帰りに見たライブでギターをまるごと観客席に放り投げていた、あのギタリストだった。
「タクシー転がすのにも馴れてきてたんだけど……」
どうやら、有無を言わさずに連れてきたらしい。ホシノは事情を説明してもしばらくの間は渋面をつくっていた。
「大丈夫」
トシオ君がそう言って、二回頷いた。
「……仕方ねえなあ」
ホシノは顔つきを変え、「久しぶりの音楽だな」だと。この二人がどういう力関係なのかは、いよいよ決行直前となった今でもよく分からないままだ。訊いてもトシオ君は無言のまま、かすかに笑って頷くだけだし、ホシノは「あんまり喋りたくないんで、その話は勘弁」と言って苦笑いするだけだった。謎は残ったままだけれど、メンバーもこうして集まった。
〝家〟の一番広い部屋、俺が最初に挨拶させられた部屋に、百人ぐらいが集まっている。トシオ君のパン屋に集っていた連中はそれぞれに友達を引きこみ、その友達がまた別の奴を引きこんだ。俺も、もう一度街中にやるべきことを説明して回った。ミカミの助手だった例の女の子や、その賛同者らしい数人はいなくなったけれど、その事実に気がつくのにしばらく時間がかかるぐらい協力者の数は膨れ上がって、現在、決行前夜に百人あまり。ステージ設営、照明やPA担当、炊き出し、警備、更なる仲間集め。皆がそれぞれ、出来ることで手を貸してくれた。撹乱がてら箱側に乗り込んで、捕まったら大嘘の自白してきます、なんて奴までいた。
もう、ステージの工事も、機材の設営も全て終わっている。バンドのリハーサルも、俺が閉じ込められていた離れを急造の練習スタジオに改造して、全員が腹の底からうんざりするまでやり尽くした。絶対に上手くいく。少なくとも俺達は、出来ることの全てをやり切れる。そう信じることが出来た。もしかしたら、それだけでも、もう十分なのかもしれない。
*
交代で、箱側の妨害に備えてステージや機材の見張りをすることにしていた。ステージ上に一人、機材が積み上げられているブースに一人。〝家“の入口に二人。
あらかじめ決めていた交代時間が来て見張りのために三階のステージへ上がった。夜の街が、ずっと遠くまで見渡せる。ところどころに、オレンジ色の光。治安維持部隊が見回っている光だ。俺には分かる。今夜、奴らが急襲してきて全てが瓦解する、なんてことにはまずならない。街の意思の一部は、結果はどうあれライブが開かれることを望んでいる。もしかしたら、他の意思の流れたちも、賛同まではいかずとも容認しているのかもしれない。ライブは開催される。街がそれを望んでいる以上は、間違いなく。
階下では、今でもまだバカ騒ぎが続いている。クサカに、挨拶しろ、しろと強要されたけれど、やめておいた。今更何かを言う必要なんか無い。やるべきことは皆分かっている。ライブをひとつ完成させる。それだけだ。俺は、自由市民も雑民も関係なく全員に向けて歌う。その全てが一つになることを願いながら、セットリストを順番に消化するだけだ。やるべきことは全部やった。だからもう、挨拶なんか必要ない。結果がどうなったって、もう俺に出来ることなんか何も無いのだ。
「退屈だからな。見張り、付き合ってやる」
背後から声をかけてきたのはクサカだった。他の誰よりもバカ騒ぎが似合う奴なのに。
「飲んでなくていいのか?」
「馬鹿だなお前は。酒なら、此処でも飲めるだろうが」
馬鹿なわけではない。俺は反論する。ただ、暗くてよく見えなかっただけだ。よく見れば、クサカの少し後ろに無言のまま付き従うトシオ君。その腕に、三本の酒瓶。どうやら、見張りを手伝うためではなく、妨害しにきたらしかった。
「下で飲んでろよ」
「何処で飲もうがあたしらの勝手だ。じき、丸い兄さんもあがってくる……色々あったけどな、それなりに楽しめたのはお前のおかげの部分もある。ありがとうな」
「いきなりなんだよ、お別れみたいな事を」
「お別れだろ、多分」
「そんなの、誰にも分からねえ」
見張り用に点けている照明のあたる位置まで出てきたトシオ君がその場に座り込み、頷いた。
「仮にお別れにならないんならめでたいことなんだ。いいだろう、別に」
「……そうだな」
トシオ君から一瓶受け取り、三人で、瓶のまま乾杯した。
「ダー君の分、あるのか?」
「持ってくるように言ってある」
夏の始まり。やわらかな肌触りの夜風が吹いてくる。遠くで揺れていたオレンジ色の光がひとつ、消えた。また一つ。夜が少しずつ深まっていく。その分だけ、朝が近づいてくる。夜明けと同時に最後のリハーサルを始めて、夕方までには開始。全員でそう決めていた。ライブハウスではないから入場を待つ必要はない。聴きたい奴が聞こえる範囲に来てくれればそれでいいのだ。始まったら、もう絶対に引き返せない。何が起ころうと、目を閉じることも出来ない。全部を受け入れて、それが最悪の結果でも諦めて、それに飲みこまれるしかない。クサカすらも黙って瓶を傾ける、静かで印象的な夜。当たり前のことをやけにしみじみと考えたくなる雰囲気を持った決行前夜。ダー君は階下で酔いつぶれたらしい。それを伝えるためにホシノがあがってきて、「明日、お願いします」と挨拶を残してすぐに降りていった。一緒に、トシオ君も。「寝るのか?」と訊いたら、いつも通り、無言の頷きが戻ってきた。トシオ君は最後までトシオ君だ。
「どいつもこいつも軟弱だ」
クサカが降りていくトシオ君を見ながら毒づいた。
「お前が化け物なだけだ。俺も見張りが終わったら寝るぞ。声が出なくなっても困る」
「つまらん奴だな……まあ、仕方ないか。お前がやりたいようにやる。街もそうしてほしいと思ってる。せっかく何かが起きるかもしれないのに酒焼けに後悔するのも可哀想だからな。見逃してやる」
「クサカ、……いろいろありがとうな」
「気にするな。よし、先にあたしが戻ろう。お前はそこで、これまでのことでも思い出しながら泣きそうになっているといい」
「なんだそれ」
「……またな」
「ああ」
返事をするだけでは物足りなかった。だから、もう一言。それが実現可能かどうかなんて、もう、どうでもいい。
「また飲むぞ」
振りむいたクサカは笑っていた。笑いながら「馬鹿だなお前は」と口を動かすのが暗い中でもちゃんと分かった。
夜が更けていく。朝が近づいてくる。もうすぐ、始まる。
*
結局、〝家〟中が殆ど眠らずに夜通し騒いだ。見張りが終わって階下に下ったら、すぐに大騒ぎの輪の中に閉じ込められた。クサカに「タイミングが悪い奴だ」と笑われた。サガミザワとジョウノにせがまれてギターを弾いていたホシノのバッキングにのせて、ライブではやらない予定の曲を、数曲。歌った分だけ気分も前向きになって、俺も好き放題、アカペラで歌った。頷きでもって眠ることを宣言していた筈のトシオ君が幾つものグラスに水をそれぞれ異なる量を入れたグラスハープでその中に入ってくると、酔い潰れていたダー君も起きてきて、何処からともなく持ってきた小型のアンプとベースで曲の根底を優しく支えた。まだ酔っているらしく、何度もミスをしていたけれど、それも次第に収まって、ちゃんとバンド演奏になった。飽きるほどリハーサルを繰り返してきた成果だ。
全員のコンディションが演奏に不自由無い状態になったところで、一曲、本気で演奏する流れになった。俺達が自由市民で、ミカミもいて、グロウリーだった頃に割と人気のあった曲。タイトルは、『この歌、君に捧ぐ』。
街に夜が来て 俺達はまた、昨日の続きを始める
お前がそこで笑ってくれている それだけで十分
此処にいる理由がある。歌える。明日に夢を見れる。
いつか、君がいなくなる、その日には
これまで誰にも聴かせなかった とっておきを唄うよ
もしも先に僕がいなくなるのなら、その日には
僕の全部を君にあげる。全部を長い歌にのせて
君にあげるよ。
今、目の前にある全てにこの歌を
明日、やってくる何かにこの歌を
僕らが、ただ僕らのために奏でる響き
怖くない、大丈夫、明日がもう、そこまで来ている。
今、目の前にある全てにこの歌を
開かれたあらゆる扉にこの歌を
僕がいる。君がいる。歌と明日がある
怖くない、大丈夫、僕はちゃんと、此処にいる。
〝家〟の中にいた連中の半分ぐらいは歌詞まで覚えていてくれて、合唱になった。歌いながら泣きそうになった。声が集まって、その響きが、俺の身体の奥の方から、熱くて強い何かをこみあげさせる。大規模なライブの終了間際にも似た、〝もう何もかも、どうにでもなっちまえ〟の気分。その気分を維持したまま、迎えた朝。俺達の〝これまで〟が終わる一日の、始まり。
*
午後四時、ライブは予定通りに始まった。三十分もしないうちに〝家〟の周りは完全に人で取り囲まれた。俺達を見に来てくれた元自由市民。平穏を願い、騒ぎに賛成している奴らを止めようとやってきた、同じく、元市民。双方の間では、既に、盛大な大喧嘩が始まっている。治安維持部隊も、二つの人だかりに遅れること数分で到着し、更に騒ぎを拡大し始めている。〝鎮圧〟だとか〝確保〟だとか物騒な叫び声が繰り返し聞こえるが、俺達には関係無い。治安維持部隊、などと言ってもその殆どが元市民だ。組織立って動いた経験なんか殆どないはずだった。俺達は、ステージ下のそんな騒ぎが漏れなく吹き飛ばされるように、出せる限りの音量をぶつけ続けるだけだ。
俺は、歌いながら街の全てを感じていた。何がそうさせているのか。多分、街だ。街がそれを望んだ。街中で起こっている全てのことがそれぞれに俺の中へ入ってくる。それら一つずつを受け取りながら、俺は理解し始めている。もうすぐ、俺は街から消える。街にとって、俺は用済みの存在になる、その事を。
新たに街の中で自由を得た新品たちは皆、この騒ぎをどう受け止めようか悩んでいる。一度消え、また出された奴も、そうではない奴も、皆。アオによく似た女、八号館のニイサンによく似た男。マスターみたいな奴もいるし、俺が顔を覚えるにいたらなかった奴らも。皆、悩み、困惑している。俺は、こいつらにはただ謝ることしか出来ない。俺が知る中では一番街に、俺達に翻弄されてきた奴らだ。街の部品。街の一部。それだけならまだ良かったかもしれないのに、皆ちゃんと考えていて、およそ部品らしくなかった奴ら。俺はただ、謝ることしか出来ない。街がそう作った。街にそう作られた。きっとそうなのだろう。けれど、だからと行ってそれが正しいわけではない。
〝家〟前の人だかりの片隅に、詩人サカダと絵描きのスズなんちゃらがいた。二人とも興奮していて、周囲にいる治安維持部隊と喧嘩していた。
「おお、溢れる音よ、街を包み、そして全てを消し去りたまえ! おお!」
俺はそこまで望んじゃいない。そう思って、すぐに自分で思い返した。本当に、そうだろうか。俺は本当にそれを望んでいないのか? 街の形を変えたいと思った。街の全てが一つになることを願った。自由と不自由を奪い合ったところで何の意味もないから。これまでの街を否定し、変われと願い歌う。けれど、それと、街の全ての消滅とどれほどの差があるのだろう。やりたいことをやれ、と言われた。そうすることを、ミイの前で誓った。だから俺は此処で歌っている。それを嫌がっている奴がいることも承知の上で。全てを消し去る? それは間違っているのか? 考えたところで仕方が無いのに、こんな事。
クサカは、じっとステージを見ている。手に持っている酒瓶は相変わらずだ。クサカは、何か起これと願いながらも、同時に、何も起こらないことを願っている。俺にはそれが分かる。結局、俺を此処まで運んできたのは、クサカだったのかもしれない。そんな事を思った。俺の一番の友達で、多分、この街で俺のことを一番知っている奴。例えば次の曲の前に〝この曲は親友のクサカに捧げます〟とでも言ってやったら、どんな顔をするだろう。ホシノの弾くギターソロの合間に、そんな想像。気分が更に前向きになった。是非、実行してやろう。そう思った時に、クサカの言葉が飛んできた。まるで、俺の企みを見透かしたかのようなタイミングで、刺さるような一言。
「この街はお前のものだ。タケシタヒロシ」
「案外、本当にそうかもな」
自分でも笑えてくるぐらいにはっきりと、俺も今、それを感じている。街の全てが、今此処に集まりつつある。それが分かる。肌に、空気に感じる。そして、街の全てを手にした俺が出来ることは、そう多くない。最後のライブを、最後の一音まで。音を、出来る限り遠くまで響かせる。皆の気持ちを受け取って、受け取った分だけ返す。
今、この街は俺のものだ。
*
何処かの屋内、いつの間にかいなくなったミカミの元助手。彼女は俯いていた。けれど、顔に、優しい微笑み。何かを、誰かに語りかけている。小さな口から、やわらかそうな、優しい声。その向かう先は、この場にいて欲しくて、ぎりぎりまで捜しまわったけれど結局最後まで見つからなかった奴。ミカミ。
「行きたそうですね」
「もう俺に出来ることなんか何もねえんだよ」
「ギターとか、もう全部捨てちゃったんですか?」
「どうだったかな」
「……いいんですよ? 行っても」
「行って何すんだよ、俺が」
「私はあの、タケシタは大嫌いですけど、でも、ミカミさんは違い……ますよね。だから、言うべきことや、やれることあると思うんです」
「…………」
「行くとこなかったあたしを拾ってくれてありがとうございました……考えるのに邪魔だろうから、ちょっと、何処か行ってますね、その、本当にありがとうございました」
室内に残されたミカミと、窓から差し込む、夜の近付く外の光。俺は、座ったままで動かないミカミに、精いっぱいのメッセージを飛ばす。来い、此処に来い。最後に、一緒にやろう。そんな思いを、繰り返し、何度も飛ばした。
*
「いいのか? このままやらせておいても。今ならまだ、打てる手もあるはずだ」
アリシアがそう言うと、ドウザワはただ黙って頷いた。
「少しずつだが、確実に街に影響が及び始めている。街全体が、少しずつ奴らを容認し始めている。本当にいいのか?」
「だって、この街はそもそもがそういう場所だろう?」
「そう結論付けるのは早計だ。それに、例えそうであったとしても、最後まで抗い続けるのが我々のすべきことではないか」
「あとはもう、終わることを待つだけだよ。その時に、初めて分かる。この街が、誰のものなのか」
「どちらにしても、私の仕事はもう終わりか……世話になったな」
*
人だかりは増え続けた。夜になり、ステージ上は明るすぎるほどの照明で埋め尽くされた。人々の蠢きはもう、黒い塊にしか見えない。小競り合いはもう殆ど収まっていた。
街の、沢山の人の沢山の思いが俺の中で明滅している。俺はその一つずつを受け取りながら、歌う。もう、十五曲目。始めた頃よりも聴いている人が多いことを感じる。もう少しだ。もう少しで、俺は俺の出来ることの全てをやり切る。
「街は、ずっと争い続けてる。皆も知ってるだろ? 誰が自由なのか、そんなことでずっとだ。誰かが自由になるために、誰かが不自由にならないといけない。それって、本当に正しいのか? そう思って……違うな。それが正しくないと思ったから俺達は今日、こうして歌ってるんだ。聴いてくれ、新曲作ったんだ。今日のために、お前ら皆に聴いてほしくて……「Awakening」
狭すぎる世界で 狭すぎる空を見上げて僕は 思いを巡らす
半径3メートル 僕の周り
そこにあるものと、そこにいる誰か
夜が近づいてくる。明かりはいらないさ。
目を閉じて僕は 口笛をひとつ
半径3メートル 僕の周り
目には見えない思いが揺らめく
きっと 僕らは等しく出来損ないだ
見つけた恐怖から目を背けて
強がって 勝ったふり
それも今日までだ 今、今
あらゆるものがその意味をなくす
もうすぐ飛べるようになるだろう
半信半疑でステップに立って
見下ろした〝これまで〟
これからの重みを両肩で支えながら
明日は何かがあるだろう 真実が今地平線で輝く
もうすぐ始まる 両手広げて
羽ばたくんだ
動いていく世界で、広がりゆく空を見上げて僕は光に指先重ねる。
半径三メートル 僕のすぐ傍
そこにあるもの、そこにいる君
きっと僕らは遠い昔に約束していた
強く握った手と手
お互いを感じた体温
絶対、絶対、忘れないと
絶対、絶対、また会おうと
今、この場所にはほんとうの輝きがある
もうすぐ飛べるだろう 胸をはってステップに立って
大切な〝これまで〟 守るべき明日を
この目にうつして
明日はもうすぐそこにある 伸ばした手に触れる約束
もうすぐ始まる 出せる限りの声で歌うんだ
いまなら飛べるはずだ 己を信じてステップに立って
イメージするんだ あの雲の上 手つかずの空へ
もう明日を待つことはない 真実は至る所に満ちている
言い切れるよ 両手を広げて
羽ばたいてみようじゃないか
この狭い世界の外れ
終わり、始まる。またLoop
何処にだって行けるし、何だって出来る。
この空よりも高い何処かへ
羽ばたいてみようじゃないか
*
トシオ君のスネア連打で曲が終わり、同時に照明が一度落ちる。最後の挨拶は、真っ暗の中でやりたい。俺がそれを望み、あらかじめ照明担当のスタッフに伝えておいたから。
あと、一曲でライブは終わりだ。別に、無理に終わらせる必要は無い。借りている場所ではないから誰かにつまみ出されるわけでもないし、続けたら続けただけ、聴いてくれる人はいるだろう。けれど、終わりだ。始まって、あるべき場所に終わりがあるからこそ意味があるのだ。俺はそう思う。そのために、曲の並びも悩み抜いて決めたし、何度も繰り返したリハーサルの中、全員で幕切れを考えた。もうすぐ終わる。そのあと、どうなるだろう。そのあと、俺は何処で、何をする? 俺だけではない。ダー君やトシオ君、クサカ、ホシノ、サガミザワにジョウノ。ミカミ。みんな、何処で、何をする? 街はこのままの街であり続けるのか? 今日から明日へ、ちゃんと繋がるのか?
「ミカミさん来ました!」
警備のスタッフの一人がそう伝えてきた。それを伝えてきた警備スタッフに、次の曲をミカミに伝えてくれるよう指示する。ミカミには曲名を言えば分かるから、と。機材スタッフに、あらかじめ用意しておいたミカミ用の機材をすぐに動かせるように準備させる。舞台が、完璧な〝調和〟へと近づいていく。
「次がラストナンバーです」
俺はマイクに向かい、言う。ミカミの準備のために、少し間を置いて、ゆっくり。ステージの上に、新しい気配。小さな、〝悪い、最後だけになっちまって〟なんて囁き声が聞こえた。
「この街で、いろんなことやって、多分それももうすぐ終わりで、俺はきっといなくなる……けど、皆に会えて本当に良かったです、どうもありがとう!」
声に答えてくれる人々が、ステージを取り囲んでいる。きっと俺は今、この街の誰よりも幸せだ。俺が此処にいる、その事にちゃんと意味がある。俺の言葉を拾ってくれる人がいる。俺の歌を聴いてくれる人がいる。感謝をこめて、正しく終わらせよう。
照明が再び、全て灯される。
「『Glorious City』!またな、皆!」
ホシノがディストーションの効いたギターリフを鳴らし、トシオ君とダー君が十六小節後に加わる。ミカミは、ステージの端で、まだチューニングをしていた。その姿に気付いたらしい客の一部から歓声が飛んだ。チューニングを終えたらしいミカミが、バッキングを演奏しながら俺のマイクの方まで来て、一言。
「遅れました、ごめん。最後まで楽しんでいってください」
最後の曲、『Glorious City』。俺達がバンドを組んで、初めて作った曲。素直で前向きなエイトビートナンバーで、大した事も考えずに、街や友達のことを書いた、俺達の、一番大事な曲。
ダー君のベースがうねり、トシオ君のドラムがそこに絡んでいく。ホシノは丁寧にリードパートを奏で、それをミカミのバッキングががっしりと支える。俺はマイクに向けて、出せる限りの声を出す。もう、何一つ、残しておく必要なんかないのだ。何もかもが無くなったって問題なんか何処にもない。誓いは今、無事に果たされようとしている。全てが、正しく終わろうとしている。
「君は、間違っていない。街は、ちゃんと君の歌を聴いている」
オルヴァーの声が聞こえた。少し前の俺なら、その言葉に何らか、しなくても良いような反応をしたことだろうと思う。〝そんなの言われるまでもねえ〟とか、その手の。今はもう、それがいかに無駄なことなのかを俺はちゃんと理解している。
街は、一つになれるのだろうか。その結果を、俺は見ることが出来るのか? その答えは、何処にも見当たらない。けれど、俺は思う。俺の今の気持ちが、あらゆる疑問の答えの代わりになる。つまり、俺はそれら疑問の答えなんか、もはやどうでもいいのだ。知る必要もない。そういう、最高の気分だ。
まず、ミイへ。
クサカへ。ミカミへ。ダー君、トシオ君、ホシノ。サガミザワ、ジョウノ、オルヴァー、ニイサン、アオ、マスター。それに街、皆へ。
「本当に、本当にありがとう!」
音楽が、歓声が、街のあらゆるもの全てがその勢いを増していく。街が、その意思にあわせて蠢く。ミイの声が聞こえる。もう何処にもいない筈のミイ。街から俺への手向けなのかもしれない。目を閉じ、ミカミ達が奏でる音に身をまかせながら、俺は頷き、それを噛みしめる。
「良かったね、ひろくん。ありがとう、大好きだよ」
そして、終わりが加速し、近づいてくる。
*
「出来た? やるべきこと」
足元一面に花の咲く、名もなき場所。何処か別の場所と、街の中間。髪の長い、花束を持つ少女と、俺しかいない場所。
「なあ、街って、結局何だったんだ?」
「貴方のために用意された場所。貴方が全てを決める場所。貴方が行くか、留まるかを選べた場所。貴方の理想。貴方が作り上げた世界。貴方にとっては、だけど。だから街はこれからも在り続ける。貴方が、そこにいないだけ」
「よく分からねえ。だけど、やれるだけやったし、楽しかった」
息を深く吸い込み伸びをすると、背後から強い風。ライブが終わった後の、汗で湿ったシャツが冷やされて心地よかった。
「貴方にとっての街は、終わったわ。これからも、街は何処かに在り続けるかもしれないけれど、それは貴方には関係のない事。貴方は、本来あるべき場所へ還る」
「なあ、俺ってさ……これから何処へ行くんだ? なんて……訊く必要ねえか、別に」
「行けば分かるわ。これ、あげる。お別れのしるし……餞別」
渡されたのは、少女がずっと持っていた花束だった。赤い花。咲いている。数本が紐で束ねられている。花弁に触れると、湿り気と、少しだけ、ぬくもり。
「Glorious City……声を音楽にのせて、夢の続きを俺達は今、歌にする」
一番大切な歌を口ずさむと、背中に優しい追い風を感じた。