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第7話 5 十年目 冬 Property right

5 十年目 冬 Property right


 街の片隅、かつては、八号館の三分の一程度の規模で細々と運営されていた小さな劇場であったはずの場所だ。今回の変化に巻き込まれてクローズしたらしい。その跡地をオルヴァーが、どういう手段を用いてなのかは分からないけれど確保し、クサカが人員を集め、ミカミはどれぐらいの数の市民が反攻に出たいと考えているのかを調べ、ダー君とトシオ君は必要な備品なんかを集めるために奔走したそうだ。俺はそんなことは何も知らず、ミカミの勧めで彼の家に居候していた。ミカミは殆ど家にいなかったから、俺は一人で、考え事をしたり、街のあちらこちらでミイを探したりして過ごした。

 探しがてら、一度だけ例の、〝中枢〟の入口に行って、入ろうとしてみた。もし入れたならこの仕打ちへのクレームをありったけぶつけてやろうと思ったのだ。結果、当たり前のように入れなかった。承認が云々の声すら無かった。そこはただの倉庫で、黴と埃の棲み家で、俺がいるべき場所ではなかった。

 連中の強襲、そしてミイの消失から三週間あまり。その間、箱によって市民の持っていた自由の殆どは剥奪され、街の施設はほぼ全てが強制的に閉鎖させられた。これからは市民にも仕事を割り振る旨が通達され、施設は割り振りが終わるまでの一時的な閉鎖、ということらしい。

多くの市民はそれをやむなし、と考えている。これはミカミ調べ。反攻勢力は全市民の一割程度だった。俺たちの側、その殆どは、その自由を好き勝手に謳歌しながらも、心の何処かでは彼ら、街の構造たちを不憫に思っていたということなのだろう。俺だって本当のところはそうだ。アオ、八号館のニイサン、他にも好きな連中は沢山いるし、彼らが彼らであるというだけで虐げられるのはおかしい。これは今でも変わらず思っている。だから、彼らの持つ不自由を俺達がいくらか受け入れるというのは、それほど悪くない案だと思うのだ。街の変化云々、戦いがどうこうとオルヴァーが騒いでいても、本来それは俺にとってあまり関係のない話で、もしミイがきちんと今でも俺の近くにいたなら、俺はどれだけ担がれようとも反攻勢力の中心になんかならなかったはずだ。そう、ミイさえ傍にいたのなら。

 探せるところは全部探したけれど、ミイは何処にもいない。それが現状だ。唯一の望みは、箱連中のボスなのか何なのかは定かではないが、メガネに帽子のあの男が言っていた〝回収〟という言葉のみ。その言葉を文字通り捉えるのなら、ミイは今も何処かにいる。消滅したり死んでしまったわけじゃない。その希望にすがるしかない。そして、それはそのまま、箱連中をどうにかしてミイを取り返す、という目的の発生を意味する。反攻勢力との利害の一致、というわけだ。俺は、上手いこと仕組まれたと思っている。思っているけれど、どうでもいい。やることが一緒なら、そんなの大した問題じゃない。箱の連中は絶対に許さない。俺の何より大切なものを奪った。俺は奪い返す。とても、とても単純な話なのだ、こんなの。

 ミカミの家で一人で考えているところにクサカとミカミが二人して俺を呼びにきたのが一時間ぐらい前だ。全部準備が整った、だと。街の隅、劇場跡地、今、俺の座っている椅子の前には百五十人あまりの自由市民崩れが勢ぞろいしている。俺が来た時にはもうこの状態で、俺が椅子に座るなり、歓声が上がった。リーダー! だの、待ってました、だの、そんなのが場を埋め尽くした。何もかも全部セッティング済みで、最後の部品として俺がはめこまれた。そういう状況。上手く仕組まれた。

「お前は長いこと街にいるから名が通っているしな。他に適任者もいないだろう」

 横にいるクサカはいかにも真面目ぶった口調でそう言った。笑いだしたくて仕方がないくせに。ヒクついている口元を見ればすぐ分かる。

「タケさん、難しい部分は箱の奴らを再起不能にしてから考えましょう。正直、俺もあんまり自由がなんちゃらとか殆ど興味無いんで。とりあえず皆に、何か一言」

 逆隣に控えていたミカミがそう言った。どうやら、クサカとミカミがサブリーダーのようなポジションらしい。

「一言、しなきゃ駄目か?」

「ライブのMCだと思って、軽く頼みます。お披露目ってことで皆を集めたんで」

 こんなにも気が重いM Cは初めてだ。

「あー……皆、聞いてくれ。お前らもさ、いろんなもの箱にぶっ壊されたんだろう? 俺もだ。考えなきゃいけないことも、皆それぞれで、いろいろあると思うけど、まずは連中に礼をたっぷりしてやろう。俺はそうしたい。それで構わないって奴は手を貸してくれ。いいか?」

 拍手と歓声が広がって、俺は、〝何かがズレている〟、なんて違和感を感じつつも、全員の前で頭を下げ、協力を願った。横でクサカの笑い声。別に、何も面白がられるようなことはしていないのに。笑うクサカから紙片が尽き出された。書かれていたのは、どうやらこの場所に与えられた名前と、それを俺が皆に伝えるための文言。誰が考えたのやら。やけに気取った台詞だ。少し躊躇っていたら、クサカに足を踏まれた。

「今日からこの場所は俺達が自由を取り返すための拠点で、その日まで俺達の家だ。ここを〝自由の家〟と名付ける。皆の、俺達の家だ」

 部屋中を、〝家中〟を、拍手が包んだ。

 こうして俺は、反抗勢力の中心になった。



「何にしても住むところは必要だからね。人にはどうしても、帰るべき場所が必要なんだ。そうでないと、その力の半分だって発揮できやしない。そう思ってね、此処は君達のために僕が用意したんだよ」

 俺の前に座り、ダー君が淹れてくれた茶をすすりながらオルヴァーはそう言った。

 オルヴァーが言うところの〝住むところ〟、どこぞの劇場跡地には、司令室、などというふざけた名前がつけられた俺の個室が用意されていて、俺はどうもこの部屋で、各メンバーがとるべき行動を決めて、指示を出したりしなければいけないらしい。俺の家が丸々ワンセット収まりそうなぐらいの、無駄に広い部屋だ。どっしりとした、毛足の深いカーペットが敷かれていて、部屋の中央にはソファーとテーブル。その奥に、俺の座るデスク。広すぎて、かえって息が詰まりそうになる。何処に吸うべき空気があるのか見当たらない。クサカとミカミに伴われてその、司令室に移動するなりノックもなく開いた扉。オルヴァーは顔を覗かせるなり「気に入ってもらえたかな?」なんて言いながら人好きのする笑顔を見せ、ソファーセットに着席。座ってすぐに茶を要求し、それを啜り、そのあとで、クサカとミカミに退室要求。騒ぐクサカをミカミが宥めて外へ出ていき、俺とオルヴァーだけになったところでようやく口にした言葉が、住居の必要性についてだった。俺はそんなに我慢強いほうではないんだけど。

「そんなことはどうでもいい。ミイが誘拐されるなんて、そんな可能性、あんたは一つも口にしていなかったな。訊きたいことが山ほどある」

「言わなかったっけ?」

「聞いていない」

「そうじゃない。登場人物一人一人の行く末までは僕の知るところじゃない……そう伝えたと思うんだけど。それに、君だって分かっているんだろう? 取り返せる可能性がある。奴らはおそらくこう言ったはずだ。〝回収〟……」

「近くにいたのか?」

「いなかった。けれど、連中の考えは分かっている。連中はね、君の絶望を待っているんだ。君が全てを投げ出した時、連中の仕事は最後の仕上げ……つまり、反攻勢力の吸収に移行するわけだ。君が負けを認め、全てを諦め、このグループが瓦解する時、箱の勝利は確定する。ミイくんをおそらくは交渉カード、或いは君を脅迫する道具にするつもりなんだろう。もうちょっと穏やかな方法もあるだろうし、僕としてもあまり事を大きくしないよう奴らに警告もしたんだがね。まあ、その場で消滅させずに君の出方を見る形をとってくれたのは幸いだった……。おそらく連中としては反対勢力に対して力を見せつけるデモンストレーションの場を求めてこういう形にしたんだろうけど、それが、君にとってはチャンスになっているわけだ」

「本当だろうな……いや、それよりも、そこまで考えが及んでいたのなら、どうして言わなかった?」

「結果からの推測だよ、こんなのは。何も、あらかじめ予測していたわけじゃない」

「まあいい……やってやるさ。こうなったら俺だって手段は選ばない。ミイは必ず取り返す。箱は潰す」

「好戦的だね。悪くない傾向だと思うよ。じゃ、説明しておこう。この施設を運営していくための費用だが、とりあえず一年分を用意してある。生活費用、食糧なんかも一年分だ。おそらくはそこまで長期化することも無いと思うが、あとは君達の力でどうにかしてくれ」

「随分気前がいいな」

「但し、僕が協力出来るのはここまでだ。同様に、向こう側も、こういったお膳立ての部分でアリシアが動いている。実際に戦いが始まったらあいつも手出しはしない。そういうルールになっているんだ」

「街の求めで?」

「そういうことだ。僕達は街の意思に基づいて動いている、とても例外的な存在なんだ。今回の一件のため〝だけに〟用意された。全てが済めば、いなくなる。争いごとをスムーズに進行するためだけに僕とアリシアはこの街にいる。街は出来る限り早く調和を手にしたいと願っている。前にも言ったかもしれないが、その形は問題としていない」

 そう言って、自らの言葉を確認するかのように頷くオルヴァーと、何処か釈然としない俺。向き合って話を聴いているうち、何が釈然としないのかが分からなくなってくる。オルヴァーの言葉や喋り方には、どうもそういう、おかしな力がある。

「一つ確認したい。本当にそのやり方は守られているのか?」

「どういうことかな?」

「奴らが俺達のところにミイを誘拐しに来た時、おかしな力を使って、それまでは何処にもいなかった男を俺達の背後に回したり、家の中に入りもしないでミイのことを〝回収〟と言って連れて行ったりした。どうも、あんたの言葉じゃ随分、フェアプレーを心掛けているみたいだが、それにしては俺達と奴らには随分、力や知識の差がある」

「全ては街の意思のバランスによるものだ。前にアリシアが言っていたように、中枢の五割は既に掌握されている。向こう側が有利であるのは当たり前の話だよ。僕達の側は現状、差を少しずつ縮めていく段階にある。僕が敢えて伝えるべきことを隠していたり、君達の側に不利になるように向こうと内通していたりとか、そういうことはないよ。安心してくれていい。僕は完全に君達の味方だ」

 言いきられてしまえばもう、信じるしかなかった。どれだけ追求したところでオルヴァーは表情ひとつ変えずにそれを否定するだろうし、そんなのが時間の無駄であるのは明らかだった。



 司令室の隣が俺の寝室として用意されていて、生活に必要なものはあらかじめそこに用意されていた。オルヴァーの配慮なのだろう。暖房器具は火鉢で、窓には小ぶりながら障子がはめられていた。開いたら鉄格子と分厚いガラスで固められていたから、感謝まではしない。部屋の隅に布団がひと組と、アコースティックギターが一本。家で使っていたような小ぶりなテーブルもちゃんとあった。慣れればそれなりに住めそうではあったけれど、この部屋で一人でいるとミイを思い出して仕方がなかった。落ち着けば落ち着くほどに、思考はクリアなものになっていく。ミイの声が聞こえてくる。眠るたびにミイの夢を見る。夢の中でミイは、捕まっていて、泣いていて、俺の事を呼んでいた。笑っていることもたまにあった。俺の家に来たばかりの時のような、諦めの表情でじっと俯いていることも。ミイがそうして夢に現れるたびに俺は跳ね起きる。そうして起きるたびに、箱への恨みが増していく。憎悪がつもっていく。憎悪……これまで殆ど抱いてこなかった感情だ。処理に慣れるのには時間がかかる。何度か壁を殴った。手が痛いだけだった。ギターを片手に大声で歌いもした。何を唄っても同じだ。ミイにその曲を聴かせた時のことが思い出されて余計にしんどくなった。そのしんどさを、日々増していく無力感が更に倍加させる。

中心だのなんだの、と言われても、出すべき指示なんか殆ど無かった。オルヴァーがこれ以上協力してくれない以上、俺達でどう箱に対処するかを考えないといけないことは明らかだったけれど、具体的な方法なんか、とりあえず俺には思いつかなかったのだ。だから何度も会議を開いた。ひとまずは、街で箱側に属している奴を見つけたら捕まえてきて向こうの動きや陣容を少しずつでも把握していく、なんていう乱暴な作戦が決まった。そんなわけで時々、箱側の奴が拠点に引きずりこまれてくるようになった。分かったことは、箱が俺達の十倍以上の規模――一つの拠点に百五十人ぐらいがいて、そんな拠点が十か所ぐらいに分かれているらしいーーで、今のところ、俺達の側は放置されているだけに過ぎないということぐらいだ。何でも、街を大きく作り換えるその準備で忙しいらしい。分かったところで殆ど何も出来ない。俺達は無力だ。

 俺の仕事は今のところ、作戦の進行状況や、それら、知ったところでどうしようもないような事実に対して、単なる感想でしかないコメントを述べることだ。空疎だと自分でも思う。そんな仕事の後、毎夜、部屋で思考を重ねて、箱を憎んで、勝手にしんどくなる。俺は、此処で何をしている? 誰も答えやしないから自分で答えるのだ。いろ、と言われたからいるだけだ、と。まだ〝家〟で暮らし始めて三週間なのに、どうして俺はこんなに、どうしようもなくなっているんだ? 仕方が無いから、これにも自分で答えよう。

 ミイが、何処にもいないからだ。



「タケシタヒロシ、今日も順調に腐敗中、と」

 毎晩、夜遅くなってからクサカが俺の寝室に来るようになった。何をすると言うほどのこともない。クサカは相変わらず、何処からか酒を調達し、拠点のあちこちの部屋で飲み続けている。俺の部屋も、奴の巡回ルートの一つに過ぎない。

「お前はな、自分で考えている以上に皆から信頼されているんだよ」

 こんな事を言って俺のことを励まそうとしてくれたこともあった。

「このままじゃお前は何処までも駄目になっていって、あたしら皆からも見捨てられて野垂れ死にだな」

 励ましが二割、こういう挑発が八割だ。

「此処にいる連中は皆、箱をぶっ潰して、自分らの暮らしを元通りにしようとしてる。お前はそれを完全には受け入れることが出来ていないわけだ。合ってる?」

「大体合ってる。なんか、ズレを感じる」

「仕方ない。お前も飲め」

「飲んでるよ、もう十分」

「なら、もっとだ。脳みそが溶けだすまで飲め。何も考えるな。くたばったように眠れ。そのほうが、朝が来るのは早い」

 多分、俺は何だかんだと文句を言いながらも、クサカと酒を飲むのが好きなんだろう。最近、そう感じるようになった。クサカの、力強い、折れることなんか知らなそうな意思が、俺も巻き込んでくれる。ミイの説教が聞こえてきそうだ。「そういう時は〝俺が守ってやる〟ぐらい言わないとダメー」なんて。実際には守られているのが俺だ。情けなくて、逆に笑えてくる。

 今日も、いつも通りの流れだった。日中をぼんやりと司令室で過ごし、時々やってくる報告なんかを聞き流し、クサカがほぼ独断で決めた〝定時〟である午後六時をもって寝室に撤収。ギターを弾いたり酒を飲んだりしているうちに真夜中と呼ぶべき時間になって、クサカがやってきた。

「あたしは飽きてきているぞ、タケシタヒロシ」

「捕まえてきた箱の連中は何も喋らねえみたいだな」

「酒をやっても駄目だし、適当な餌をくれてやっても駄目だね。喋らない。もう閉じ込めておく部屋も足りなくなってきてたから、あたしと緑髪の兄ちゃんで話して、五人かな? 今日、ボコボコに殴ってから外に放り捨てた」

「恐ろしい奴だな、お前はいつでも」

「当たり前だろう? ただで返したらこっちの損だ。与えてやった分は殴るさ。奪うほどのモノを持っていない以上、な」

「まあ、そこらへんは任せるよ。お前やミカミ、得意だろ、そういう乱暴なのは」

「お前のみじめったらしいこの姿、ミイちゃんに見せてやりたいよ、本当に」

「勘弁してくれ。嫌われる」

「そろそろ箱ぶっ潰しに乗り込まないか? って誘ってるんだ、あたしは。このまま同じこと続けててもミイちゃんは戻って来ない。他の連中にしたって、それは同じ事だな、タケシタヒロシ。それにな、あたしの酒だってそのうちになくなるんだぞ」

「本音が分かりやすい奴だな、お前は。オルヴァーが用意した食糧やらの中にかなりの量、酒があっただろ? 俺の部屋にもまだ瓶で五本ぐらいある」

「それで? それを飲みつくして、終わりか? いいか? 行き詰ってる時に〝まだ大丈夫〟なんて考え方する奴は絶対に事をしくじるぞ?」

「攻めて、勝てるか? 少なくとも人数は俺達よりも多い。どういう手を隠し持ってるかも分からねえ。それに……奴らをただ単純に潰したとこで、それで終わるとも思えない。すぐに報復が来る。連中はもう、自由がどういうものなのか知っちまったんだ。大人しく元通りになんかならねえだろ。それで、仕返しされた俺達はまたやり返す。繰り返しだ。それじゃ、何も変わらねえ。手を考えないといけないんだ、何か、手を」

 我ながら、物凄くまともな事を言った自信がある。まあ、〝家〟で開かれるあらゆる会議で俺は似たようなことを言っているのだが。〝家〟内では、はっきり言って少数派の意見だ。多くの連中は、いきなり自分の掌からこぼれ落ちた自由を取り返そうと必死だ。さっさと箱の本拠地を確認して乗り込んで潰そう、と殆どの連中は大騒ぎをしている。それを、俺達、〝幹部〟が押さえているのが現状だ。

「慎重なのも結構だがね……ちっと表に顔、貸しな」

「夜間は外に出るなってことにしただろ、先週の会議で」

 向こう側も現状では俺達と似たような作戦を敷いているらしく、俺達の仲間も何人かが姿を消していた。それで、慌てて夜間外出禁止、日中も単独行動は禁止、なんていう物々しいルールを取り決めたのだ。

「いいんだよ。あたしやお前に文句を言うような奴、いないだろ」

「だからって率先して幹部が規則違反はなあ、まずいだろ」

「これ以上ガタガタぬかすならこの瓶で脳天割るぞ。おいタケシタヒロシ、女が男にツラ貸せってのは、お前ら男にとっては名誉なことなんだぞ?」

 今致命傷になりかねない怪我を負うわけにはいかないことは明らかだったから、大人しく従って、外に出た。見張りに立っていた守衛が怪訝な顔をして俺達を呼びとめてきた。

「臨時幹部会議だ。明日にでも報告をあげる。見なかったことにしてもらおう」

 クサカが、じとっとした目つきでそう言うと、守衛は「やれやれ、またですか」だと。どうやら、クサカは日常的に抜け出しているらしい。

「何せ、オルヴァーが用意した酒なあ、全部同じなんだ。飽きる。そんで、飽きたからこうして出るようになった」

「どっかに酒の置いてある場所を見つけたってことか」

「あたしらのたまってたバーの跡地。一度様子を見に行ったらマスターはどこぞに消えうせてたがストックの酒はそのままになっていてな。三日に一度行って、酒を保護している」

「ただの盗みだろそれ」

「マスターがもういないんだ。誰の物でもないだろう? 箱側の連中がいつ施設を再開し出すかも分からんからな。早急に全部を保護することが急務だ」

「本当にお前はさ……酔いが醒めてることってあるのか? 会議中もお茶のフリして酒飲んでるだろ」

「タケシタヒロシよ。どうだ、この街の静かさ。ここが十番通り界隈だって言われて、すさまじい違和感を覚えないか?」

 俺の質問なんか無視したかのようにクサカがそう呟いた。言われるまでもないことだ。街は、死に絶えている。誰も歩いていない。何処からの声も聞こえない。灯りなんかひとつも見えない。冬の冷たい風が時々通りすぎていくその音、俺達二人分の足音。それだけが街の静寂を切り開いていく。立ち止まって息をひそめ、耳を済ませれば星のまたたきすら聞こえてきそうだ。

「この街は怖いところだ。あたしはずうっとそう思っていた」

「……どういうことだ?」

「いつ、自分の周りのいろんな物がぶっ壊れて消えるかも分からない。分からないけど、それはいつか、必ず来る。植木鉢を見るたびにぶっ壊したい気持ちに駆られて、それも上手くいかなくて、怖くて、怖くてたまらなかった。一体、あたしらって、なんだ? 花を咲かせて消える、それだけの存在なのか?」

「クサカ、酔いすぎだ」

「関係ないね……毎夜毎夜何処かしらで遊んでてもなあ、こういうのって考えだすと止まらないだろ? 分からんかね?」

 どうしてだ? どうして、こんな話になった? 星も月も明るい夜。その青く透き通った光の中で、クサカは泣きだしそうな顔をしていた。いつの間にか。けれど、その表情やその言葉が酔っぱらいの冗談なんかじゃないことは見てすぐに分かった。あの喫茶店跡地の時と同じだ。俺の知っているクサカよりも少し内側、普段は塞がれている部分。

「酔ってても、いくらかはこんなことを考える。これで酔いが醒めたらどうなる? 決まってる。怖くなる。どうしようもなくなる。お前の部屋に駆け込んで大泣きするかもしれない」

「……酔ってても泣きたきゃ来いよ。最後まで話、聞いてやるから」

 ミイに怒られたくないから、なんてちょっとした言い訳だ。言うべき言葉だったから言った。クサカが俺を助けてくれるように、俺だって、クサカを助けてやりたい。恐怖から救い出してやることは出来なくても、それを忘れられる場所の一つにぐらい、なってやりたい。

「抱きしめてくれ。言っておくが、別にお前とどうこうなりたいわけじゃないぞ? だけど、あたしには酒は別として、他にすがれるもんが何も無いんだよ……だから、頼む、五秒ぐらいでいい」

 言われた通り、きっかり五秒。俺はクサカを強く抱きしめた。普段見ているクサカからは想像出来ないほどに華奢な身体で、これ以上の力をこめたら折れてしまいそうなほどだった。強く、しっかりと、互いのしんどさが溶け合うように。

「箱に攻め込むにしてももう少し様子を見るにしても、あたしらいつまでやり合うと思う?」

「分からねえよ、そんなの。でも俺はミイを取り戻さないといけない。それに、仲間連中皆が取り戻そうとしてる自由も……過程は別にしても中心らしいからな、俺は。だから、結果は出さないといけないと思う……少しでも早く、ちゃんとした形で」

 多分、俺とクサカ、それぞれのしんどさが溶けて、何処かに消えうせた結果だ。言葉が、俺自身も驚くほどにするするとこぼれ出ていった。

「お前は真面目だな、タケシタヒロシ」

 そう言うなりクサカに後頭部を引っ叩かれた。どうやら、いつものクサカに戻ったらしい。俺が「いてえ」と言うと、いかにも可笑しそうな笑い声で辺り一帯の静けさを吹き飛ばした。

「ま、期待してるさ」

「悪い、もう少し時間もらうぞ」

「構わん。それより、酒だ。今日はお供がいるからな。いつもの倍、保護出来るじゃないか」

 バー〝十五番〟の見慣れた看板までその距離、十メートル。見慣れ過ぎている場所だ。ドアノブは誰もいなくなっても、ちゃんと湿っているのだろうか。

 クサカがわざとらしく「酒だ!」と嬌声をあげて駆け出し、扉を開いた。俺も、中へ。当たり前のように誰もいない。静まり返っている。此処はもう、俺の知っているバーではない。棚の酒瓶は、半分ぐらいが無くなっていた。どうも、他にも〝保護活動〟を行っている輩がいるらしい。めぼしい酒瓶を抱えながら、クサカがぶつくさと文句を言っていた。

「あたしが目をつけてたのを持っていくやつがいるんだな、どうも……良い度胸だ」

「別にお前の物じゃないだろ」

「あたしが試しに入ってきた時にはまだ手つかずだったんだ。あたしに優先権があるに決まってるだろ。お前、こっち。五本ぐらいなら抱えられるだろ?」

 俺の返事も待たないで、カウンターの上に酒瓶が並べられていく。五本どころか、ざっと見ただけでも十本以上で、つまり、数える気がなくなるぐらいの量だ。

「全部は無理だ」

「お前だって飲むだろ? 好きなの選びなよ。全部、タダだ」

 静かな、誰もいない店内。かつては通い詰めた、バー〝十五番〟。クサカが騒げば、実際のところ、当時とそんなに差がないような気もする。

「マスター、悪い。盗人に加担する俺を許してくれ」

 敢えて声に出し、クサカのじろりとした一瞥を受けつつ、俺も酒選び。マスター、本当に申し訳ない。



 司令室の椅子に腰かけると頭がずきりと痛んだ。自分でも酒が抜けていないことが分かる。昨夜は、ひどい、としか言えない有様だった。

 クサカと酒を盗みに行った、そこまでは、良くはないけれど、仕方ないから良しとする。その後だ。家に戻り、俺の部屋。クサカは普段の三倍ぐらいタチの悪い酔っぱらいと化し、俺がほんの少しグラスを置くことすら許さなかった。飲め、さもなければ歌え、と大声を出し、しまいには、殆ど酔いつぶれている俺の口に酒瓶を押し付け、中身を流し込もうとしやがった。家に、クサカ被害を専門で扱う部署でも作って、俺が被害届第一号を出してやろうか。きっと、日々迷惑を被っているであろう守衛たちも、そんな部署が新設されたらさぞ喜ぶだろう。

「失礼します。幹部会議が三十分後から予定されて……中止にしますか?」

 声をかけられて、自分が机にだらしなく突っ伏していたことに気がついた。机の天板に跳ね返る自分の息が極めて不快だ。

 部屋に入ってきたのは、ミカミについている助手だったか秘書だったか、若い女の子だ。活発そうな顔立ちにとてもよく似合う、短い黒髪で、背が小さい。暇にしているのが苦手そうな子で、実際、忙しいのが好きらしい。ミカミの使いで、こうしてしょっちゅう司令室に来る。ミカミが自分で言うには、「俺、結構忙しいんで」ということだが、実際、何をしているのか俺は知らない。多分、俺が、ただ居るだけのリーダーだから、あれやこれやとやることがあるのだろう。

「いや、予定通りで大丈夫。悪いけど此処でやるから集まってくれってミカミに伝えて。そんで、ミカミから他のメンツにも伝えるように」

「かしこまりました」

 ミカミの助手が一礼して帰っていく。冷たい声の〝かしこまりました〟だった。朝からこんな有様の俺を軽蔑したのかもしれない。また頭が痛んだ。全員揃ったら、とりあえずは昨夜のクサカの暴れっぷりについて語り聞かせてやることにしようと思う。あと、夜間の外出禁止の徹底もだ。クサカは物凄い剣幕で怒るだろうけれど、昨夜、奴は帰り際に「次、また来週にでも行くから、また保護協力を宜しく」なんて言っていたのだ。こんなのを日常の一部にされてたまるか。阻止しなければ。

 ミカミの助手はきちんと役割を果たしてくれたらしく、彼女が去ってから大体三十分、頭痛がいくらかマシになった頃に、ミカミ、ダー君、トシオ君と、二日酔いではないことが明らかな、現在進行形で酔っぱらいのクサカが揃ってやってきた。

「タケさん、ひどいザマっすね今日は……」

「クサカに言ってくれ」

「うちの助手がぶうぶう言ってましたよ。あんなのがリーダーで大丈夫なのかって」

 そう言って笑うミカミと、笑えない俺。きっと、俺があの助手の立場だったら同じことを思うだろうなあ、なんて。あくまでも想像だ。この街に来てからこちら、俺は誰かの下で動いたことが一度も無いのだ。俺だけじゃない。多くの自由市民はみんなそうだ。手に余るほどの自由を使うのに忙しくて、ボスになったり、誰かの手下になったりしている暇なんか殆ど誰も持っていなかったのだ。

「まあ、タケさんらしいですけどね。そういう適当な感じも」

 幹部会議、だなんて言っても、メンバーが俺達それぞれにとってのいつものメンツだから、適当なものだ。俺も椅子から立ち上がって、全員、床に座る。ダー君が全員の前に「どうぞ」とグラスに入った水を置いてくれる。トシオ君が無言のままそれに口をつけるのが会議はじまりの合図だ。

「何かしら変わったことは?」

 俺が言うと、即座にミカミが答える。

「なし」

「変わったことが起きないようにしてるのはお前だろ、タケシタヒロシ」

 そう言ってケラケラと笑うクサカを見てトシオ君がため息をひとつ。無口なだけでなく、トシオ君はこの手の騒がしさがあまり好きではないのだ。

「ねえ、タケさん、そろそろマズイっすよ?」

 ミカミが声を潜めて言った。マズイ?

「家の半分以上が現状に飽きてます。で、そのまた半分が、タケさんじゃ駄目だって思い始めてる。何にしても、上が駄目だっておおっぴらに言っちゃうような空気なんで、マズイっす。現状を変える必要があるかと」

「そうは言ってもな。難しいだろ、実際」

「連中の本拠地の規模なんかが特定できていない。連中がどう動くか分からない。下手に動けばこちらが危険……もうこの際、危険なんてどうでもよくないですか? 消えたらどうせそれまでってことで。消えようと消されようと捕まろうと、どれも似たようなもんじゃないすか」

「攻めこめってことか?」

「街で派手に騒いで、奴らおびき出してから囲む、とかやりようはあるんじゃないかと。と言うか俺にやらせて下さい」

「なんだ、結局、一番飽きてるのは緑髪の兄さんか」

 ダー君もミカミ案に賛成らしい。街中でバンド演奏でもしますか、だと。トシオ君が頷いていた。制止を無視されたクサカが不愉快そうに酒を煽った。

「駄目だ」

 街がこんなになる前の俺だったらきっとミカミ案に乗って、いそいそと演奏する曲のセットリストを考えていたけれど、駄目だ。今の俺は、ちゃんとその無謀な企みを制止しなければいけない。

「お前ら揃ってバンド演奏する。それで、全員捕まる。その後、どうする気だ」

「演奏は例えですよ。何らか、囮使うでもなんでもいいから、奴らが何処を拠点にしてるのか調べるべきだって話ですよ。こっちだって、何人か連れていかれてるんだから、こっちの家がバレるのも時間の問題じゃないすか」

「まあ……もし俺が捕まったら、白状しそうだけどよ」

「大体が、俺達側は軟弱な集まりなんだから、待つとか、不利ですよ」

 ミカミが熱弁をふるう。俺は、自分の気持ちがぐらついていることをはっきりと感じる。囮はまずいとしても、待つのが不利だという意見には同意出来る。問題は、どちらがより不利か、だ。

「ねえタケさん、どうしてそんなに無傷にこだわるんです? 危ないとか何とか言って、危なくない方法なんかないですよ、この状況で」

「少しでも安全な方を選びたいだけだよ」

「もしかして、びびってます?」

 ミカミの手は分かっているのだ。こいつは、俺をイラつかせて、その勢いで攻めに転じさせようとしているだけだ。クサカが、「おい、喧嘩になるような事あんまり言うなよ。兄さん」と、珍しくまともなことを言う。

「だらしねえなあ。そう言えば昨日、なんか二人で抜け出したらしいですけど、そこで腰ぬけ方針の確認でもしたんですかねえ?」

「なんだと貴様!」

 クサカが怒鳴って立ち上がった。手には酒瓶。中身がたっぷりと入っている。重そうなそれは、十分に、人を再起不能に出来るだけの力を持っていることだろう。

「おいタケシタヒロシ。どうするんだ。あたしは激怒しているんだぞ? おいこら!」

「待て、とにかく落ち着け。クサカには昨日言ったばっかりじゃねえか。乗せられるな。それに、ミカミは俺の事を言ってるんだろ。お前が怒るとこじゃねえ」

「それでお前は大人しく腰ぬけ扱いされて文句も無いのか! 何か反論しろ、何でもいいだろ!」

「必要ないですよ。もう、分かりましたから」

 そう言って、ミカミが立ちあがった。それに合わせて、ずっと黙っていたダー君、トシオ君も。

「遊びは終わりってことで。このままじゃ、いつまで経っても終わりが見えない。ああ、勘違いはしないでくださいね。何も俺はね、タケさんのこと、嫌いになったとかそういうわけじゃないんです。むしろ、流れに任せて無理矢理トップにして悪かったなあ、って反省してるんですよ」

「なんだよ、いきなり……」

「おい、おめえら入れ!」

 司令室の扉がノックもなしに開かれて、部屋に入ってきた十数人。全員、拠点で普段から見ている顔だ。ミカミの助手の女の子もいる。全員がそれぞれ、怖い顔をして俺の方を見ていた。

「タケさん、すんませんね。暫く、拘束します。反省して、俺達と同じようにやる気が出たら教えてください。すぐ出すんで。残念なんですけど、今のタケさんはリーダーとしての資質に欠ける。それが俺達の総意です」

「てめえらで担いでおきながらふざけた事言うんじゃねえよ……何が総意だ。で? どうするつもりだ」

「さっき言ったでしょう。希望者集めて街で連中をおびき出します。連中の拠点が分かり次第、総力戦で攻め込みます。作戦はそれだけ。タケさん、あんたちょっと難しく考え過ぎなんだよ。我が身かわいさなのも分かるし、それに、あんたがビビってるのは、向こうがミイちゃんを確保してる可能性だ。俺達が派手に動けば連中はミイちゃんを本当に消すかもしれない。あんたはそれを怖がってるんだろ? 大体がよお、付き合ってられねえんだよ、そんな個人的事情になんかな。どうせとっくに消えちまってるだろう。あんたもそれを分かってるくせに認めたくねえんだろ?」

「…………」

 否定は出来なかった。けれど、それは恐怖とは違う。俺は、違うつもりでいる。結局、何も言い返せないまま、俺とクサカは後ろ手に縛られた。

「おい、お前ら、今に見てろ。その口に原酒そのまま流し込んでやるからな」

 クサカの変な脅しなんか全員無視だ。俺は、こんな状況なのに少し笑いそうだった。相変わらずクサカは恐ろしい奴だ。

「とりあえず適当な部屋に押し込んどけ。これから此処の指揮は当面俺だ。二人の処遇は追って通達する」

 ミカミがそう宣言すると、俺、クサカを除く一同から拍手が起こった。なんだ、これ。何がどうして、こんなおかしなことになった?

 俺は分からなかった。クサカも分からなかったのだろう。黙って俯いていた。なんだこれ、なんだこれ、と呟いてみると「静かにしろ」と、俺を縛った縄を持っていた、名前も知らない〝仲間〟がその縄を強く引いて、それから俺を突き飛ばした。されるがままに横倒しにされる俺の上を、ミカミの「何も取って食おうってわけじゃねえから、そんなびくびくするなよ」なんてふざけた声が通り過ぎていった。

「俺は怖がってなんかいねえ」

ようやく言い返せたけれど、誰も聞いていなかった。


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