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第11話『復讐の連鎖』

夜明け前、カンガエロたちは出発の準備を整えていた。荷馬車には、丁寧に梱包された薬草の束や、塩、布、油といった生活必需品が積まれている。オリーブの丘の村への定期的な物資運搬。それは、ギルドの中でも最も基本的な任務の一つだった。


「今回は私が地図を確認します」リュシアが羊皮紙を広げる。「この街道を北上し、川を渡って...あと半日ほどで、オリーブの丘の村に着くはずです」


カンガエロは黙って頷きながら、荷台に積まれた物資の状態を再度確認する。箱の隙間から、乾燥させた薬草の香りが漂ってくる。傷薬の原料となるものや、熱病に効く珍しい花も含まれている。どれも村人たちの生活に欠かせないものばかりだ。


「この地域は、最近モンスターの活動が活発化しているそうですね」アウローラが周囲を警戒しながら言う。いつでも構えられるように、彼女の手には弓が準備されている。


朝靄の中を進むにつれ、街道は次第に上り坂となっていく。馬車を引く馬も、時折荷物の重みに息を切らせながら、それでも着実に前に進んでいく。街道の両側には、まだ若いオリーブの木々が並んでいる。その葉は朝露に濡れ、銀色に輝いていた。


「少し休憩を取りましょうか」カンガエロが提案する。「馬も休ませる必要がありますし」


一行が木陰で小休止を取っていると、遠くから鐘の音が聞こえてきた。


「あれは...警鐘?」リュシアが耳を澄ます。


アウローラの表情が険しくなる。「この方角...オリーブの丘の村の方角です」


三人は視線を交わし、すぐに出発の準備を始める。しかし、丘を登りきった時、彼らの目に映った光景は、想像をはるかに超えていた。


村が、跡形もなく消え去っていたのだ。


建物は焼け落ち、畑は荒らされている。かつて実りをもたらしていたオリーブの木々は、無残にも引き裂かれ、黒く焦げていた。生活の痕跡は、灰と化して風に舞っていた。空気には、まだ生々しい焦げ臭さが漂っている。


「これは...」リュシアの声が震える。手に持っていた地図が、風に揺られる。


カンガエロは慎重に生命の解析を開始する。データが次々と浮かび上がってくる。この破壊は、わずか数日前のことだった。地面に残された足跡や、建物の倒壊パターンから、これが通常以上に大規模な個体によるものだと分かる。


その時、瓦礫の陰から人影が現れる。村の生存者たちだ。十名ほどの男女が、おずおずと姿を見せる。その目には、深い絶望と、それを超える何かが宿っていた。カンガエロは、その感情の正体を理解していた。


「御免なさい...」一人の老人が、かすれた声で語り始める。「せっかく運んでくださった物資も、もう...この村には必要ありません」


「いいえ」カンガエロは静かに答える。「むしろ今こそ、必要なはずです」


物資を降ろし始める中、村人たちの話を聞く。事態は想像以上に深刻だった。


「あのモンスターたちを放っておくことはできない」壮年の男が、拳を握りしめる。「奴らは、他の村も狙っているはずだ」


「私たちにも、戦う力がある」若い女性が折れた農具を手に取る。「この村で起きたことを、二度と繰り返させない」


カンガエロは村人たちの顔を見つめる。彼らの目に宿る決意は、既に還れない地点まで達している。しかし、その先に待つものを、カンガエロは見通していた。


その時、『英知の反響』が発動する。無数の光の粒子の中から、一つの魂が近づいてくる。それは極限的な暴力を経験しながら、なお人間性を失わなかった者の記憶だった。


その魂が語りかける。「復讐は確かに甘美な誘惑だ。しかし、それは私たちを加害者と同じ水準に引きずり下ろす」


その言葉には、単なる教訓を超えた重みがあった。それは机上の理論ではない。想像を絶する苦痛を経験しながら、なお復讐という誘惑に打ち勝った者の、魂の証なのだ。


カンガエロは、その魂の記憶に触れる。そこには深い悲しみがあった。しかし、それ以上に強く存在していたのは、人間の尊厳を守ろうとする揺るぎない意志。復讐という行為が持つ本質的な問題は、相手を傷つけることではない。自らの人間性を、自らの手で否定してしまうことなのだ。


「皆さん」カンガエロは静かに語り始める。「あなたたちの怒りは、正当なものです。しかし、復讐は新たな暴力を生み出すだけではありません。それは、あなたたち自身の魂をも変えてしまう」


「ならば、私たちはただ耐えろというのですか?」男の声が怒りに震える。瓦礫の間から拾い上げた農具を、その手が強く握りしめる。


カンガエロは、男の手の震えを見つめる。その震えは怒りだけのものではない。深い悲しみと絶望、そして何より、人間としての尊厳を踏みにじられた者だけが知る痛みがそこにはある。


「私がもし、あなたたちの立場だったなら」カンガエロは静かに告げる。「おそらく、迷わず復讐の道を選んでいたでしょう」


その言葉に、村人たちの表情が僅かに変わる。


「あなたたちの心に渦巻く感情は、当然のものです。それを否定する権利は、誰にもない」カンガエロは一人一人の目を見つめながら言葉を続ける。「モンスターたちへの怒り、大切なものを失った悲しみ、無力さへの苦しみ。その全てが、あなたたちの中で燃えている」


「分かったような口を」若い女性が噛みつくように言う。「あなたに、私たちの痛みが分かるというの?」


「いいえ」カンガエロは率直に答える。「私には、あなたたちの痛みを完全に理解することはできません。だからこそ、安易な慰めの言葉を投げかけることもできない」


焼け跡を風が吹き抜ける。灰が舞い上がり、夕陽に照らされて儚く光を放つ。


「ただ、一つだけ」カンガエロは言葉を選びながら続ける。「復讐という行為の本質について、お伝えしておきたいことがある」


老人が、かすれた声で問う。「本質、ですか?」


「復讐は、確かに一つの答えです。それは間違いなく、現実を変える力を持っている。あなたたちの心を一時的に満たすかもしれない」カンガエロは静かに告げる。「しかし同時に、その行為は極めて残酷な結末をもたらす」


「どういう意味だ?」壮年の男が問う。その声には、僅かな揺らぎが感じられた。


「復讐を遂行した瞬間に、あなたたちは気づくでしょう。その行為に、何の正当性も見出せなくなることに」カンガエロの声が、夕暮れの空気を震わせる。「復讐は、それを行使すると同時に、自らの大義を否定する行為なのです」


「それでも」若い女性が叫ぶ。「それでも、私たちは...」


「ええ」カンガエロは頷く。「私には、あなたたちを止める資格も、その意図もありません。ただ、その先に待っているものを、あなたたち自身の目で確かめてほしい」


村人たちの手から、一本、また一本と武器が落ちていく。しかし、その目に宿る炎は消えていない。ただ、その色が変わっていた。激しい怒りから、より深い、そして重い何かへと。

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