目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第44話 韓国学園とチョーコー、血の同盟 その1

1950年(昭和25年)6月25日の朝鮮戦争勃発以来、朝鮮人は韓国側と北朝鮮側に分かれ、それぞれ在日韓国人・在日朝鮮人という名称で呼ばれるようになる。

お互いの団体は、それぞれ「在日本大韓民国民団」「在日本朝鮮人総聯合会」と名乗り、日本の各地で激しい勢力争いが起こるようになった。

その過程で、それぞれの組織による在日コリアンへの自組織への勧誘合戦も起こる。

特に、活発に活動していたのは朝鮮総連で、韓国民団は、そういう勧誘活動には消極的だった。

朝鮮戦争により、韓国側の土地は荒廃。

世界最貧国へと転落した。

大韓民国は、その荒廃からの自国の立て直しを優先した為、海外にいる「キョッポ(同胞)」への支援などで手を差し伸べる余裕がなかったのである。

一方、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)は、朝鮮戦争でほとんど自国が被害を被らなかったこともあり、経済的な余裕があった。

その為、日本で差別や貧困に苦しんでいた在日コリアンに手を差し伸べる余裕があったのである。

北朝鮮から経済等での支援を受けた朝鮮総連・在日コリアンは、北朝鮮側に愛着を持つようになるのは必然で、朝鮮総連に所属する在日コリアンは多くなっていった。

1950年代後半の時点での在日韓国・朝鮮人の合計は約60万人だったが、その内の50万人は在日朝鮮人で朝鮮総連側についていた。

韓国民団・在日韓国人側は、たった10万人程度で、数で言えば朝鮮総連側に圧倒的な差をつけられていた。

その所属人数の差は、日本各地にある在日韓国・朝鮮人子息の学校、「韓国学園」「朝鮮学校」にも、学校数・経営・生徒数などで影響を与えていた。

不良全盛期の1970年代、韓国学園は全国にたったの4校。

一方、朝鮮学校は、初・中・高・大の課程別で全国に161校、4万6000人の生徒が在籍するマンモス組織であった。

エピソード9でも軽く触れたとおり、韓国学園と比べ、圧倒的な生徒数を誇る朝鮮学校は、不良の数もそれに比例して多く、その分喧嘩に強い男の割合も韓国学園よりも当然多かった。

そんな背景を持つ、二つの組織の傘下である「韓国学園」と「朝鮮学校」。

敵対している組織同士、やはり生徒たちも仲はあまりよくはなく、出会ったら衝突。

という事も何度か起こっていた。


そんな1970年代。

都内韓国学園の生徒たちは、「チョーコーvs国士館高・大 新宿・高田馬場決戦」のニュースに騒然となり、学校内や在日韓国人コミュニティの中は、その話題で持ちきりになっていた。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?