「あれ、ショウミのアボジが建てたビルだよね?」
「ん?ああ、そうね」
「?あんま興味なさそうね」
パクエイヒは、キムショウミの反応が意外という表情をした。
キムショウミの父・キムスイケンは、明大前でキム建設を営んでおり、1964年の東京五輪の時には、日本の大手ゼネコンと共(対等)に様々なスタジアムや道路を建設してきた人物であった。また、在日の中でも有名な人物であり、いつの間にか日本人や在日たちから「明大前のキムさん」と呼ばれるようになっていった。
キムショウミは、そういう日本社会や在日社会で活躍する父を幼いころから見ていたので、父の事で褒められることが当たり前になっており、周囲から父を称賛する声を聞いてももう慣れっこなので、態度もいつもと同じになってしまうのはしょうがない事であった。
「でも、凄いよね。ショウミのアボジ。朝鮮総連や学校、同じ在日達の為に家建ててあげたりしてさ」
キムナオミが言った。
キムナオミは、元々九州出身で父親が朝鮮人ということで日本人が経営する会社をクビになり、路頭に迷っていたのを、ショウミのアボジ・キムスイケンが自身の会社で雇い、会社の寮に家族全員を住まわせてあげていたのだ。
キム・スイケンは、在日同胞たちの為に一軒家を無償で購入したり建てたりするだけでなく、お金に困っている在日や、貧乏暮らしをしている在日の為に、無償でお金をその人たちに寄付。
あげたりしていた。
それだけでなく、朝鮮総連・学校にも多大な寄付をしていたキム・スイケンは、その寄付の多さから、毎月朝鮮学校の掲示板に張り出される「寄付者ランキング」で常に1位を独占していた。
ちなみに2位は、某有名パチンコチェーンである。
キム・ナオミが続ける。
「最近、キムさん、ウリハッキョ(私たちの学校)にマイクロバス寄付したんだって?」
「ええ、そうみたい」
「あれ、教師たちみんな移動とかで使うから助かった~って喜んでたわ」
「そう?それなら嬉しいわ」
「相変わらずクールね~あんた」
キム・ナオミがあきれ顔で言った。
普通自分の父親が褒められたら喜ぶようなものだが、キムショウミは元来クールな性格で我関せずなタイプであった。
なので、アボジがほめられても嬉しいとかどうとかどうでもよかったのである。
「ナオミが作る辛子明太子はめちゃうまいのよね~」
カン・セイカが2人の会話に割って入るようにおだてるように言った。
キム・ナオミは、九州出身という事もあり、辛子明太子を作るのが非常にうまかった。
なので、ショウミや友人たちによく振る舞っていたのだ。
「明日日曜で休みでしょ?今日、ショウミのアボジの会社のビルの屋上で又花火やりたい~!」
喧嘩でボサボサになった髪を整えながらチョ・ユリカが提案した。
「キム建設」の8階建てのビルの屋上は、キム・ショウミ達はじめ、ショウミの弟・友人たちのたまり場になっていたのだ。
だから、よくそこで焼肉パーティーや花火にこうじたりしていた。
ユリカの提案が採用され、夜、「キム建設」に集合する運びになった。