時は少し遡る。
浩一郎が老眼鏡をかけて書類を読んでいると、秘書が入室してきた。
「先生。守月様の件でご報告があります」
「聞こう」
書類から目線だけを上げ、眼鏡越しではなく裸眼で見やる。
「昨夜、守月様が米国の諜報員と接触されました」
「……どうしてそうなった?」
「情報部の調査によりますと、守月様宅に仕掛けられた各種機材を撤去する旨を伝えたそうです」
「なるほど……?」
我が国がスパイ天国と呼ばれたのも今は昔だ。
それこそ自分も成立に関わったスパイ防止法と、併せて内調を拡張した情報部によって、好き勝手されていた過去とは決別した。
監視社会化だの情報統制だの言論の自由侵害だのと、うるさい連中を軒並み黙らせてきた。
そんなこと言っている場合かと、なんど怒鳴りつけそうになったことか。
だが、どんなに対策を講じたところでスパイが撲滅できるわけではない。
やつらはあの嫌われ者の昆虫よりも、どこにでも湧いてくるのだ。
であれば、完全な対策を目指すのではなく、絶対に知られてはならないところを重点的に守れば良い。
ある程度はその存在を認め、向こうからも情報を提供させる。
ある意味では共生関係に近い。
それに、今回のような同盟国相手では、そこまで強く出ることもできない。
「その際に、あちらの諜報員が奇妙なことを言っていたとかで……」
「なんだ?」
「『我々は力を知った』だそうです」
「そうか」
果たして自分はいま、顔色を変えずにいられただろうか。
青平に関係して力といえばひとつしかない。
ダンジョン外でのスキルの行使だ。
────
浩一郎が老眼鏡をかけて書類を読んでいると、秘書が入室してきた。
「先生。米国からの要請が来ています」
「聞こう」
「『詳細について連絡されたし』とのことです」
「そうか」
件の諜報員と直接接触し、どこまで掴んでいるのかを確認した。
あのジョン・スミスとかいうふざけた名前の諜報員曰く、まだ本国には連絡していないとのことだったが、どうやら時間切れのようだ。
国内においてすら、まだそこまで知る人間が居ない状況だというのに。
現在、この件について知っているのは首相を始めとした特設チームのメンバーだけだ。
対策を練ろうにも、情報を与える相手の選別からしなければならず、遅々として進まないのだ。
それでも、すでに米国には知られている前提で何度か話し合えているおかげで、いくらかマシであろう。
寝耳に水状態で今の秘書の言葉を聞いていたら、流石に顔に出さなかった自信はない。
「首相の元に向かう」
「承知いたしました」
さて、どこまで伝えたものか。
────
浩一郎が老眼鏡をかけて書類を読んでいると、秘書が入室してきた。
「先生。守月様の件でご報告があります」
「……聞こう」
またか、という思いがあるのは否めない。
ここ最近の押し寄せる仕事の発端はすべて青平絡みだった。
「守月様が配信上で、北海道奪還について言及されたそうで、一部が騒いでおります」
「なんと言ったんだ?」
「参加する予定はないと」
国も、ギルドも、探索者に対して直接的な命令権は持たない。
あくまで仕事──指名して依頼するのが限度だ。
日本人的な気質か、実質的に断れないというのは別として。
だからこそ現状で北海道前線に張り付いてくれている探索者には感謝しかない。
彼らからすれば己が故郷を守ろうというのが第一なのかもしれないが、指名依頼として処理──報酬を割増し続けている。
現状、青平にはその依頼をしていない。
友人として彼が語った経緯に同情したのもあるが、そもそも国家として彼の自由を拘束する手段がない。
昔からあまり欲のない人間ではあったが、帰還後はより顕著だ。
欲深い人間は浅慮だが、扱いやすい。
「情報部を使って暴発しないよう調整しておきなさい」
「承知いたしました」
こちらは色々と配慮しているというのに、次から次へと。
────
浩一郎が老眼鏡をかけて書類を読んでいると、秘書が入室してきた。
「先生。守月様が到着されました」
「会おう」
秘書が退室し、青平を伴い再度入室する。
そのままこちらが何も言わずとも、一礼して出ていく。
優秀な秘書だ。
それにしても、青平は何度見てもあの頃のままだ。
探索者は若い状態が維持されるなどと言われているが、これから数十年はこの姿なのだろうか。
「よう、マッチ」
「よう、じゃねーよお前」
プライベートでもなかなか出さない素の口調、思わず口をついて出てしまった。
──というのが、普通なのだろうな。
他人から見た姿を常に意識し、自身の態度・声音・口調などを完全に制御下に置くようになって久しい。
たとえ肉親であってもそれは変わらない。
むしろ親しい仲である時ほど、意識した。
優秀な敵は、こちらと親しくなろうとしてくるものだからだ。
わかりやすく対立し、敵対的に振る舞う敵のなんと優しいことか。
私は敵ですよと喧伝してくれているようなものだ。
そんなくだらない政治の底なし沼どっぷりと浸かって、身体に染み付いてしまった。
「なんか怒ってんの?」
「そりゃそうだろ。なんであのことアメリカに知らせたんだ」
「ああ、やっぱあの人たちアメリカだったんだ。そりゃジョン・スミスなんつっといて、アジア圏ってことはないか」
名前まで知っているのか。
まさか名刺交換したわけでもないだろうに。
交換するまでもなく青平の名前は知っているだろうが。
「言うなっつったろ。せめて事前に相談してくれ。最悪報告だけでもよお」
「なんでだよ」
「あん?」
「なんで俺がマッチに報連相しなきゃなんないんだっての」
「なんでってお前……」
「俺はマッチの部下か何かか?」
「そんなん抜きにしても友だちだろうが」
「良い大人が、いちいちやることなすこと友だちに話すかっての」
その言葉に気付かされる。
確かに青平は23歳だ。
国家としてそう扱うことを決めたのも自分だ。
しかし、それ以前に彼は同年の幼馴染なのだ。
彼は5年、自分は50年と、過ごした月日に差はできてしまった。
それでも、奈緒は当たり前のように兄として扱った。
まるで普通の兄妹のように接していた。
彼と再会した時の自分もそうだった。
政治家として半世紀近く過ごしてきて分厚くなった面の皮を、被り忘れるくらい自然に。
ただひとりの気の置けない友人に対する態度で話していた。
それがいつの間にか、若い友人に話しかけるように、教え諭すようなことを。
「……これじゃまるで、説教くさいジジイじゃねーか」
「まるっきりそうだよ」
青平は斜めを向いて鼻を鳴らす。
まるで拗ねた子どものようではあるが、その態度もむべなるかな。
自分は対等な友人だと思っている相手から、まるで下に見るかのように説教を垂れられて、何も思わない人間などおるまい。
「ツッキー、すまん」
「…………良いけどよ、別に」
「良いなら良いか」
「調子乗んな」
ニッと笑って拳を突き出してくる青平。
「いや、そのノリは寒いわ」
「マジかよ、時代が変わったんだな~」
「あの頃から思ってたわ」
「は?」
「お前とかタカヤンがよくやってたけど、アメリカ被れっぽくって見てられなかったわ」
「なんだよ、言えよお前~!」
久しぶりに、心の底からゲラゲラ笑った気がする。
そうしてひとしきり笑った後、本題に入る。
「それで、お前はどうしたいわけ。アメリカにつくのか?」
「いや別に、どこにつくとかそんなんじゃない。単にリスクを分散してるだけ」
「ふむ」
「ぶっちゃけ、こんなのいつかバレるし、その時に守ってくれるのが日本だけじゃない方が良いかなって」
「まあ、それは否定できんな」
「それに、色々と気になることもあるんだよな」
「気になること?」
「うん。戻ってきた時はそんなもんかと思ってスルーしてたけど、俺だけがどこでもスキルを使えるのっておかしくね?」
「そりゃおかしいけど」
「そうだけど、そうじゃなくって。世界にたったひとり、俺だけが外れ値だって考えるよりも、そもそもどっかの解釈が間違ってて、実は同じルール上に存在しているって考えた方が自然じゃね?」
「…………たしかにな」
言われてみればそのとおりである。
異世界転移だのダンジョン踏破だののインパクトで思考停止していたが、それとスキルが使えることの因果関係など、何も証明されていないのだ。
「スキルは制限されるけど、身体能力はある程度そのままだったりもするしさ。その辺の検証も含めて、色々と試してみたいこともあったから。人体実験じゃないけど、向こうなら調べられるかな、とか思ってたわけ」
「なるほどな。それで言うなら、日本でも試せば良いだろ」
「モルモッ……信頼できる人材とかいるわけ?」
「いるだろ。すぐそばに」
「うーん?」
「奈緒ちゃんだよ」
「奈緒?」
「そうだよ。彼女なら口も堅いし、探索者としての実力も申し分ないだろ」
「まあそうだけど……」
「検証はともかくとして、秘密を共有する相手としては間違いないだろ?」
「それはたしかに?」
「それか、尾ノ崎玲那か。なんか弟子にするとかなんとかって言ってただろ」
「マッチ、配信とか見るんだ?」
「俺は見ないけど、お前の動向は逐一入ってくるんだよ」
「ストーカーじゃん」
「お前が目立ってるだけだから。それに、実際のところ彼女ならかなり信頼度は高いぞ。ペラペラと人の秘密を話す人間じゃないし、何よりソーシャルメディアのアカウントも非活性だし、友人関係も狭く浅くだからそもそも話す相手がいない」
「…………ストーカーじゃん!!」
「A級が目立ってるだけだから」
このようなやり取りがあり、青平は奈緒と玲那にはスキルのことを打ち明けることにしたのであった。