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12 日常/牽制

「お兄ちゃん、家を出ていくの?」


奈緒が青平に尋ねる。

場所は同居中のアパートメントの一室である。

広々としたリビングにて、コーヒーを片手に問いかける。


「え、なんで?」


「お金貯めてるじゃん?」


「そんなんもわかるんだ?」


「そりゃ所属してる探索者の実績は確認できるよ」


具体的な収益や、税務情報まではわからないまでも、探索による成果物を確認することはできる。

奈緒ほど探索者としての経験を積んだギルド職員であれば、ある程度は──ほぼ正確に推し量ることができるのも当然と言えた。


「まあ、妹に生活の世話してもらうのもアレじゃん?」


「別に気にしなくても良いのに……」


「それに、結局行けなかったキャンパスライフも楽しみたいし」


「ああ……。でも、もう普通の大学生にはなれないんじゃない?」


「ま、それはそうだろうけどさ。その辺を含めて、どうするにせよまずは金が要るじゃん?」


小首を傾げ、肩を竦めながらそう答える青平に、似たような動作をしながら奈緒も言う。


「大学生ねえ……アタシなんか中卒だよ」


「草」


「草ってなに?」


「知らないの? おっくれってる~」


「うぜー」


じゃれ合い、笑いながら過ごす兄妹。


「若作りやめなー?」


「若いんだが???」


「ずるい」


「お前も美魔女(笑)じゃん」


「『(笑)』つけて言うのやめてね」


ふたりの間には50年の隔たりがないかのように。


「そういえば、俺の時給が800万だった件。高校の頃の一万倍」


「え。高校の時、バイトなんかやってたっけ?」


「内緒でやってたんだよ。男子高校生がお小遣いだけでやってけるかっての」


「そうだったんだ。何やってたの?」


「派遣。工場のスポット」


「へー」


「俺らみたいな派遣を担当してるおじさんが、上司っぽい人にガチで怒鳴られててさ。大人もこんなに怒られることあるんだってビビったよ」


「草」


「早速使ってて草」


まるであの頃のまま、ともに過ごしてきたかのように。


「でも時給800万はやり過ぎじゃない?」


「かなー?」


「しかも、階層更新でしょ。その報奨金と動画の情報料、結構すると思うよ」


 ダンジョンの到達階層更新には、特に関連する企業から報奨金が出されることがある。

 階層が進み新たな資源を得られるようになれば、それだけ利益も望めるからだ。


「マ?」


「マだよ。6くらいは行くでしょ」


「ほえー」


「税金とか大丈夫?」


「それはマッチがなんとかしてくれるって」


「マッチくんも変わんないよね」


「そうか? 普通にジジイじゃん」


「親戚の子どもは成長して見えるやつかな」


「あーまあ俺からしたら5年……50年ぶりみたいなもんだしな」


「ね」


まるで、何でもないことのように言えた。

奈緒もまた、なんでもない事のように受け止める。


「じゃ、明日も早いから。おやすみ」


「うん。おやすみ」


「お兄ちゃん、これから潜るの?」


「いや。今日はやめとく」


「じゃあ何で着替えないの?」


「ちょっとコンビニでも行こうかなって」


「配達してもらえば?」


奈緒は近年流行している宅配サービスを勧める。

ちなみに、ダンジョン外ではかなり低下するとはいえ、元よりは確実に肉体能力が上昇している探索者が副業として選択していることもある。


「いや、歩いていくよ。高いじゃんアレ」


「わかった。気をつけてね」


「何に?」


今の青平を害せる存在など、どれほどいるのだろうか。

向こうでの能力がそのまま使えることは、未だ奈緒にも伝えてはいない。

とはいえそれでも深層級単独撃破や、この前の探索記録を確認している奈緒ならば、低下したステータスでも相当のものであろうことは理解しているだろう。


「ストーカーとか?」


「……それはマジで気をつける」


げんなりとした思いを抱えつつ、玄関に向かう。

そのまま廊下に出て、エレベーターに乗り込む。

青平はなぜか1階ではなく、最上階のボタンを押す。

再びドアが開き、外界の音を浴びつつ迷いなく進む。

エレベーターから一番遠い角部屋の前に立ち、チャイムを鳴らす。


「…………」


返事はない。

再度鳴らす。

返事はない。

再度鳴らす──鍵を外す音。

僅かに開くドア。

そこから顔を覗かせるのは、明らかに日本人とは違う、コーカソイド系の男性。


「こんな時間に、何の用ですか?」


その容姿からは想像ができない、流暢な、キレイ過ぎる日本語が溢れる。

まず誰かを問うわけでもなく、かといって青平を知っている様子を見せるでもなく。

ただひたすらに、この部屋へと一直線に向かってきたことに対する困惑と恐怖が、ほんの僅かにその瞳の奥に滲んでいる。


「やめてもらえますか?」


そんな様子を一切斟酌する素振りもなく、簡潔に用件を伝える。


「……何をですか?」


「やめてもらえますか?」


男が問い返すのにも構わず、そのまま繰り返す。


「……警察呼びますよ?」


「…………はあ」


ため息を吐いた青平は、無造作にドアガード──U字型のバータイプに手を伸ばす。

男は警戒しつつも反応できなかった。

そのままドアガードを握り、潰し、ドアを開け放つ。


唖然とした様子の男を、襟首を掴んで持ち上げ、そのまま室内へと入っていく。

自分の部屋とほぼ同じ構造の室内を、迷う様子も見せずに進みリビングまで侵入する。

そこには怪しげな機材に向かう数人の男たちがいた。

その全員が引きつった表情で青平を見ている。


「全員手を挙げて。その拳銃は無駄なので使わないでくださいね」


男たち──某国の諜報エージェントは慄然とした。

探索者としてレベルを上げ、様々な修羅場を潜り抜けて来た自分たちが、身震いするしかできない威圧感。

本来であれば、玄関に出てきた男が対応している間に、部屋の各所に散らばり、射線が被らないように通しつつ待ち伏せる状況である。

しかし、まるで空気が重くなったかのような感覚で、身体はまったく言うことを利かない。


「えーと。あなたたちも仕事でしょうから、国に帰れとは言いませんけど。カメラとか仕込むのはやめてもらえますか?」


青平のその言葉を聞いて、ひとりの男に視線が集まる。

眼前の恐怖と、国家への忠誠に挟まれ、ついその場の最高責任者を見てしまったのだ。

それをわかっていたかのように、青平の視線は初めからその男に固定されていた。

その男、ジョン=スミスは僅かな沈黙を挟んで答える。


「……わかった。明日、不在の間にすべての機器を回収しておこう」


「いえ。気持ち悪いのでこちらで破壊しておきます」


その返答にジョンは面食らった。

もしかすると、この男の手を逃れ、生き残る機材があるかもしれない。

それをわざわざ回収する必要はないだろうと、恐怖に痺れた頭でそこまで考える程度には優秀なエージェントである。


「わかった。申し訳ない」


「いえ」


短く返答し、部屋を出ていく青平。

その背中を見送り、玄関からドアの閉まる音を聞いてようやく──まるで今まで息のしかたを忘れていたかのように、酸素を求めて喘ぐ男たち。

青平と最初に接触した──彼に胸ぐらを掴まれてリビングまで運ばれてきた男などは、その足元を濡らしている。

あの圧力を真正面から受けていたのである、さもありなん。


「日本は土足厳禁じゃなかったのか」


そんな冗談を口にできる程度、ほんの僅かに彼らの間に緩んだ空気が流れた時、すべての機器が反応をロストした。

青平が去って数分、まるでちょうど部屋に帰り着いて、その瞬間にすべての機器を破壊したかのように。

──そんなことが可能なのか?

ジョンの脳裏には先ほどの異様な雰囲気が鮮明に焼き付いている。

間違いなく可能だろう。

そう思わせる何かが彼にはあった。

──そして、それはつまり……。


ジョンは本国へ報告するのを一時保留とし、継続的に様子を見ることを即決した。

もしこのことを報告するにしても、絶対に、絶対に敵対することなどないようには申し伝えねばならない。


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