『甲種機密情報第三〇九八号 『特別保管』 『機密』』
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そもそも、僕が人類サイドに協力する理由ってないんですよね。
だって、いきなり拉致されて『私たちを助けてください!』って、それでなんで助けようって思うと思えるのかが不思議ですよね。
僕が転移するまで、人類サイドと魔王サイドのパワーバランスはかなり傾いてたみたいです。
魔王サイドにね。
まあ要するに人類滅亡のランプが点滅してる状態って感じです。
それで切羽詰まった人類サイドが、怪しい文献から拾ってきた『勇者召喚の儀式』を行ったってわけで、それで僕が転移したんですよ。
とはいえ、平和な日本から連れてきた高校卒業したばかりの人間が、大分傾ききった盤面をいきなりひっくり返すなんてできるわけがないじゃないですか。
最初の1年から2年は地獄でしたよ。
訓練と呼ぶのも烏滸がましいような、拷問みたいな時間でしたね。
回復魔法ってあるじゃないですか。
こっちでもそうですけど、向こうでも使い手が多くないんですよ。
その数少ない回復魔法の使い手を何人も僕につけて、傷ついたら回復、疲れたら回復、精神的に追い詰められたら回復ってね。
武器術、魔法、全部叩き込まれましたよ。
いや、叩き込むってレベルじゃないな。
殴られ、折られ、潰される。
それで終わりならまだ良かったんですが、死にかけても無理やり回復されて、また同じ地獄に戻るんです。
回復魔法ってかけられたことあります?
たとえば骨が折れたり砕けたりしたとき、肉の中で骨が勝手に動いて元の位置に戻ろうとするんですよ。
痛みを麻痺させて、傷つけた肉を回復しながら骨を移動させてるんですよ。
それなのに前線の兵士からは『お前が回復魔法使いを取らなければ仲間たちは……』って恨み言を吐かれて、一時は回復魔法がトラウマになりましたよ。
それで、ある程度戦えるようになったらひたすらに実戦です。
最初は小さい戦場で、護衛に囲まれながら移動して。
そこで『とにかく殺せ』とだけ言われて放りだされて。
あれだけ苦しい訓練をしてきたのに、いざ戦争となると全然空気が違って、動けなくて。
でも向こうも必死で、目を血走らせながら襲いかかってくるんですよ。
もうやるしかないじゃないですか。
それでなんとか乗り切ったと思ったら、敵軍ですらなかった時の気持ち、わかります?
先ほど言ったとおり、人類サイドはかなり負け越していたんです。
当然、各地から物資をかき集めて前線に送っていました。
そんな厳しい情勢下にあるのに、贅沢な暮らしを手放せないクソみたいな上流階級に対する反乱軍だったって。
そりゃ向こうも必死になりますよね。
戦っても戦わなくても死ぬなら、戦うしかないですから。
要するに僕が初めて殺したのは、敵国の軍人ですらない、自国の一般人だったんです。
それを知ったのもだいぶ後で、その頃にはその指示を出した人間は死んでいましたけどね。
そうやって段々と戦場の規模が大きくなっていって、ついには最前線で転戦に次ぐ転戦です。
しかも気づけば戦場に自軍は僕ひとり。
……ああ、レベルはもうわかりません。
あの感覚は忘れられないって、最初の内は思いましたけどね。
異世界でもステータスを視覚化する方法はありませんでした、少なくとも僕の知る範囲では。
だけどあのレベルアップの全能感というか、力が湧き上がってくるような感覚は忘れがたいから、みんな最悪思い出して数えればわかるって言いますけどね。
戦場で、生きるか死ぬかという状況を、ずううううううううっと続けていれば、そんな余裕すらないんですよね。
それに意識を割く間がないですから。
だから数えてはないんですけど、少なくとも向こうで聞いた誰のレベルよりも高かったんじゃないですかね。
あ、魔王さんのは聞いてないから、もしかしたらって感じです。
えーとそれで、どこまで話したかな。
……ああ、だから僕ひとりで戦場に出て、毎回勝つって状況になって来たんです。
僕が出る戦場は必ず勝つ、本来その戦場に割くはずだったリソースを他に振り分けたことで、人類サイドもやや盛り返し、戦場によっては勝ったり負けたりって感じです。
それでようやく五分くらいかな。
ただ、相手も馬鹿じゃないので、そういう状況が少し続いたら対応するようになってきました。
僕が戦場に出てきたら、たったひとりを相手にしていても軍を退くようになって来たんです。
そこの前線を放棄してでも、退いた方が良いって判断したわけですね。
散り散りになって逃げていくのを追いかけるのも面倒ですし、そもそも僕だって殺したいわけじゃなかったので。
そうして多少盛り返したから勘違いしたのかわかりませんけど、僕は中央に呼び戻されました。
何かと思ったら、勲章の授与ですって。
笑えますよね。
あまりに馬鹿らしすぎて。
贅を凝らしたパーティ会場で、前線では見たこともないほど豪華な食事、太った貴族。
僕を取り込もうというのか、娘をやるぞ、領地をやるぞって。
こいつらは一体何を言っているんだろうと思いましたよ。
まだ勝ってもいないのに。
僕が居てようやく五分になっただけなのに。
大体、僕は最初からずっと帰還する方法を、それだけを望んでいたのに。
そうだ、逆に僕に張り合ってきた人もいましたよ。
『お前が目立ちすぎるせいで、他の将が冷遇される』とか『お前一人だけが戦争を終わらせるつもりか』とか。
じゃあ変わってくれって話ですし、終わらせられるならとっくに終わらせてるって話ですよね。
パーティが終わって白けた気分でいたら、魔王サイドから接触があったんです。
何でも人類サイドに放たれているスパイみたいなものだそうで。
はい?
……ああ、そうです。
別に魔王サイドといっても、別に肌の色が緑や紫というわけじゃないです。
人類サイドは魔族だなんだって呼んで、蔑みたいみたいでしたけど。
いわゆる亜人って言うんですかね。
こっちでもファンタジー作品とかで見かけるじゃないですか、エルフとかドワーフとか獣人とか。
そういう普人──ああ、人類サイドが言ってる人類種のことで、まあこっちのホモ・サピエンスみたいなヒト種のことです。
普人以外のすべてを差別し、虐げる世界だったんですよ。
それでそういう亜人が寄り集まって、さらに社会から弾き出された普人も加わって、勢力を築いていったみたいです。
だから普人社会にも紛れ込める、スパイになれる人材もいたみたいで。
そんな人が僕に接触してきたわけです。
そこで言われたのが『人類サイドを裏切って魔王サイドにつけば、元の世界に戻る方法を教える』ってことだったんですね。
そんなこといきなり言われても、本当かどうかわからないですよ。
でも僕は聞きました『もう戦わなくて良いのか』と。
すぐに城を抜け出し、中央から前線へと向かい、前線を抜けて魔王サイドの軍勢を抜けて、ひとつの街にたどり着きました。
そこは元々人類サイドのなんとかって国の王都だったらしいんですけど、その時は魔王サイドの本拠地という扱いでした。
いや、よくわからないですけど、前線本部みたいなものだったのかも。
ともあれそこには魔王って呼ばれる人がいて、僕を迎えてくれました。
その段階になって初めて『本当に戻れるのか』と聞きました。
まあ、正直なところ、そこはもうあまり重要じゃなかったのかもしれません。
ただ人を殺して回るのが嫌だった。
それで増していく力が疎ましかった。
戦わない理由を、戦わなくて済む理由を、探していたのかもしれません。
それでも戻れるなら戻りたいですから、詳しい話を聞いてみると『ダンジョンの向こうは異世界に繋がっている』、そして『お前がここにいるということは、どこかのダンジョンはお前の世界に繋がっている』ということでした。
ダンジョンのことは知っていました。
訓練の後半はダンジョンに籠もることも多かったですしね。
ただあくまでも訓練の一環という感じで捉えていましたし、結局は人を殺す力を身につけてほしいからか、あまり詳しくは教えてもらえませんでしたし、僕自身もいっぱいいっぱいで、ダンジョンの最深部には何があるのかなんて、考えもしませんでした。
でも、後から聞いた話によると、ダンジョンがどこかに繋がっているというのは、民間でもまことしやかに囁かれている噂らしくて、おそらく僕が一か八かでもそこから帰還しようとするのを防ぐために、情報を絞っていたんだろうということでした。
それでどこのダンジョンが僕の故郷──この地球世界に繋がっているかを調査するために時間がかかるから、しばらくはその都市に滞在してほしいと言われました。
そうして暮らし始めたんですけど、びっくりしましたね。
人類サイドはどこも、一部の上層部を除いてみんな貧しく、その日の食料にも困るような状態で、しかも労働力になるような人は前線に送られてるので、残っているのは老人と子どもばかりでした。
ああ、女性も少なかったですね。
向こうは小さい頃からレベルを上げる機会がありますから、男女の肉体能力における性差はこっちほど大きくないんです。
まあ最初に召喚された、前線からしたら後方の都市とかだとまだそこまでではなかったんですけど。
とにかくそういう人類サイドの都市を見慣れていただけに、魔王サイドの暮らしぶりには驚きました。
人類サイドは、魔王サイドのことを魔族だなんだと散々罵っていました。
野蛮で、理性がなくて、滅ぼすべき存在だって。
でも実際に暮らしてみれば、よっぽど人間らしい生活をしていました。
むしろ、魔王サイドの方がずっと進歩的でしたよ。
街は活気に溢れて、種族なんか関係なしに子どもたちが走り回って、それを微笑ましそうに眺めて。
彼らは孤児らしいんですけど、街全体で育てているとのことで、子どもたちは元気で明るかったです。
市場には物が多くて、やっぱり種族が多いから食べられないものもあるということでしたけど、それ対応した専門の商店があったんですよ。
そりゃ人類サイドは勝てないだろうなと思いましたよ。
これだけの多様性を受け容れる豊かさがあるんですから。
あと、思ったよりも普人が多かったんですよ。
聞いてみると、魔王サイドが前線を押し上げて占領していった街でも、住民の皆殺しや追放なんかは行わなかったそうです。
むしろ、多種族共生が受け容れられるならそのまま生活してほしいと勧誘、って言うんですかね、をしていたらしいです。
もちろん受け容れられずに出ていった人も多かったそうですし、魔王サイドに何かしらの害をなそうとして敢えて残った人も居たみたいです。
でもそういう人たちもまとめて受け入れて、国家としてまとめていったらしいです。
みんなそれをなした魔王さんのことを尊敬していました。
いや、初めて見ましたけど、ああいうのを敬愛と言うのかもしれません。
そうした街並みを眺めたり、僕のお世話係としてついてくれた方、まあ監視も含まれてたんでしょうけど、その方と話したりしながら生活をする内に、段々と節くれ立った心が癒やされていくように感じました。
人類サイドでは兵器として扱われ、魔王サイドで人間に戻れたんです。
彼らに絆されたとか、何か見返りを求めてというわけじゃないです。
ただ、なんとなくそうしようと思ったからなんですけど、今思えば、復讐だったのかもしれませんね。
僕は、自主的に人類サイドの情報を、知っている限りのことを話しました。
別に彼らはそれを求めたりはして来てません。
そもそも僕が召喚されるまで、彼らは自分たちで情報を集め、かなり優勢に戦いを進めていたんですから。
あってもなくても、勝てるのは変わらなかったでしょうね。
それでも何かの役には立ったみたいで、魔王サイドは快勝を続けていきました。
そうしてしばらく暮らしていたんですが、最後まで馴染むことはできませんでした。
彼らとの間には、見えない壁ありました。
いえ、彼らは僕を受け入れてくれました。
誰もが僕を勇者だと知っているわけではないでしょうけど、他の普人族の人間と同じように扱ってくれましたよ。
街の子どもたちも、毎日のようにふらふらしてる僕をニートか何かだと思ったのか、よく遊びに誘ってくれました。
でもダメでした。
僕の方が、彼らに馴染んでしまうことを認められなかったんです。
だって、こうして懐いてくれる子どもたちの、彼らの両親を殺したのは、僕かもしれないんですから。
果物をおまけしてくれたおばさんも、酒場で陽気に絡んできたおじさんも、そしてお世話係のお姉さんも、みんな誰かしらこの戦争で大切な人を失っていました。
それまで明るく話していたのに、どうしようもない苦痛を堪えるような、無理をした笑顔に変わる瞬間。
そんな顔を僕がさせているのかもしれないと思ったら……。
すみません……。
…………
それで、おそらくここが僕の世界と繋がっているだろうというダンジョンが見つかりました。
色々と準備をして、お世話になった人に別れを告げて、ダンジョン攻略を開始しました。
そこからは特に言うことはないです。
向こうのダンジョンを抜けて、こっちのダンジョンに来て、もし違ったらという可能性を考慮してダンジョンコアは破壊せずに踏破して、今に至る感じです。
向こうの世界と交流ですか……。
おそらく可能ではあると思いますよ。
魔王サイドが勝利していたら、ですけど。
でも、僕はもうあの世界にはいけません。
あそこに僕の居場所はないから。
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この機密扱いの音声データが流出した。
これにより世間の彼に対する評価・印象は複雑化していく。
彼に同情的な声が主流ではあるが、中には殺人者だと罵る者もいる。
流出させた犯人はダンジョン省職員のひとりで、なんとかという自称市民団体に属していたという。