青平は歴史の授業を受けていた。
もちろんそれは比喩表現であり、正確には中方統括管理局──奈緒の職場の一室を借りて、特殊災害対策省──通称ダンジョン省の職員及び浩一郎の秘書のひとりと向かい合い、彼が異世界に転移していた間の情報のギャップを埋めていた。
「超自然災害構造体、通称ダンジョンの誕生には地震が伴います。これは通常の地震と異なり、大陸プレートの摩擦などといった震源が存在せず、発生したダンジョンを震源地として周囲に伝播します。そのため事前の予測や、発生から到達までの猶予などがなく、発生場所や震度によっては大きな損害を被ることとなります……」
主に話しているのはダンジョン省の職員であり、
彼女が話す内容は、探索者資格を取得する際に受講する内容であり、青平は既にネットで概要を予習済みであった。
元々はダンジョン登場初期に内閣府直属として緊急的に組織された特殊災害対策省──いわゆるダンジョン省だが、現在は通常省庁となっている。
そのダンジョン省の下に地方統括管理局、さらに下にダンジョンゲートごとに設置された支部が存在している。
国際組織としてのダンジョン対策組織は存在するが、その設立経緯の関係上、各国に設置されたダンジョン対策組織は独立独歩の気風が強く、強制力を持たない互助組織としての立ち位置に留まっている。
「……以上のことからダンジョン災害対策の一環として、広く人員を募集しこの調査に当たることを目的とし、超自然災害構造体調査従事者、つまり探索者が誕生しました……」
探索者は国が定めた資格を保有しなければならないが、決して公務員ではない。
関連職種で公務員なのは、各支部の職員が特別防災公務員という区分で地方自治体に属するが、ダンジョン省との連携を前提とした特別な職務を遂行するため法的に独自の地位を持つ。
他の地方公務員と同様、地方自治体の予算で運営されるが、職務の一部は「特殊災害対策省」の管轄下に置かれるため、一部では摩擦が起こっているが、ここでは割愛する。
なお各支部の支部長はダンジョン省から派遣される職員、つまりは官僚である。
「ちょっと話が逸れるかもしれないんですけど、戦略自衛隊っていうのはダンジョン出現と関係があるんですか?」
青平の質問に答えたのは白紙ではなくもうひとり、浩一郎の秘書である
彼女は多忙な浩一郎の代理としてこの場に来ている。
「そちらは私からお答えします。まず、ダンジョン災害が起こり各所で混乱をきたしている最中、関東近郊にミサイルが着弾しました」
「はい?」
「諸々の事情から、正式に名前を出すことはできかねますが、おそらく想像したであろう内のどれかです」
「あーなるほど。なんでまたそんな時にミサイルなんて撃ってきたんですかね?」
「不明です」
「そんなことあります???」
「なにせその国家はダンジョン災害によって消滅してしまいましたので」
「oh」
「侵蝕領域に沈んだ跡地を調査すれば何かしらわかるかもしれませんが、コストに見合いませんので」
ダンジョンに繋がるゲート周辺および、ダンジョンからの魔物の氾濫を放置した地域では、ダンジョン内と同じくスキルを使用することができる。
この領域を侵食領域と呼ぶ。
「まあ既にミサイルは落ちてるし、追求先もないんじゃしょうがないですよね。それで、危機感が高まって自衛隊を改編したということですか」
ちなみに、戦略自衛隊という名称を決める際にもひと悶着あり、国防軍という当初の案は退けられ、あくまでも自衛のための組織であると強調された。
そしてその流れには左派の政党が関わっていると、後日この辺りの話を浩一郎から聞かされた青平はさもありなんといったところであった。
「探索者として主に関わるところでは、自衛隊の探索チームが存在しているというくらいのものですので、そこまで影響はないかと思われます」
「わかりました。ありがとうございます。話を戻しましょうか」
青平に水を向けられた白紙が講義を再開する。
「……というわけで、ダンジョンに探索者の誕生によって従来の法令ではカバーしきれないことが増えてきたため、超自然災害構造体特別措置法、いわゆるダンジョン特措法が制定されました。全文は各々で確認していただくとして、特に普段の探索で関わる部分をピックアップして紹介します……」
一例としては以下のようなものがある。
超自然災害構造体特別措置法(第9条)
第1項:本条は、超自然災害構造体内での犯罪行為の抑制及び調査従事者の安全確保を目的とするものである。
第2項:超自然災害構造体内において、調査従事者は互いの同意なく故意に接触しようとする者に対して、警告なしで自衛のために先制攻撃を行うことが認められる。
第3項: ただし、出会い頭など、接近を回避できない状況下においてはこの限りではない。
ダンジョン内では一定の時間が経過すると死体が消え去る。
俗に食われると呼ばれる現象は生物の死体およびその所持品にまで及ぶ。
したがって、ダンジョン内で殺人を犯しても簡単に証拠を隠滅できるというわけである。
そういった犯罪への対策や探索者が用いる武具の取り扱い、要は銃刀法に関する事柄などを広く対応するために制定された法令である。
ダンジョン省が通常省庁になった現在であっても未だに特措法であるのは、議論が紛糾して先に進まないため、現状維持を続けているからである。
ネット上などでは、ダンジョン災害当初にこの条文をまとめた時の総理大臣を称える声も散見される。
閑話休題。
さて、今さらながら青平がこうして歴史の授業を受けているのには、ひとつ明確な目的が存在している。
それは探索者資格の取得である。
たとえ異世界帰りで隔絶した戦闘力を持とうとも、官房長官の同級生であろうとも、中方統括管理局長──要はダンジョン省の高官の兄であろうとも、法で定められた正規の手続きを無視することはできない。
それが一般人からすれば、身近な個人が武力を持つということを意味する探索者に関することであればなおさらであった。
そうして彼は探索者資格を取得し、龍ヶ崎ティアの配信に出演することになる。
ここで改めてになるが探索者について説明しなければなるまい。
経済構造的に語るなら探索者とは鉱夫である。
国という運営企業に現地採用され、ダンジョンという鉱山で汗を流す。
魔石という新時代の燃料を獲得することと、石炭という旧時代的な燃料を獲得することの対比にもなっている。
違うのは成果によるインセンティブ、つまりは結果を出せば出した分だけ稼ぐことができるということである。
ダンジョンを農場に見立て、探索者は小作人であるとする意見もある。
防衛・防災的に見れば、魔物の氾濫などのダンジョン災害を事前に防ぐためには、魔物の定期的な討伐──俗に間引きなどとも呼ばれる──をする必要があるのだが、探索者たちの主要な業務はこれだとする者もいる。
そんな探索者の扱いは、国家による違いが大きい。
国際的なダンジョン対策組織は、人類にとって未曾有の危機であるダンジョンに対し立ち向かう貴重な人材として扱うようにというような要請を出してはいるが、先述したように強制力を持たないため、現地当局の判断に委ねられているのが現状である。
いくつかの国──多くは小国だが──の中にはいち早く探索者を保護し、厚く支援して一気に後進国を脱した国もあった。
逆もまたしかりで、探索者を粗略に扱いダンジョン災害を凌ぎきれなかった国もあった。
そしてその背後には大国の影があった。
資本注入や産業育成のための継続的な支援と比べれば、資源がなくても教育が行き届いてなくても国力を増す機会があるのは大きい。
大国は自身の下につく国家にダンジョン開発のノウハウを提供することで、自勢力の拡大を目指した。
その結果として隆盛した国もあれば、滅亡した国もある。
そうした大国のパワーゲームの影響もあり、人類の生存圏は確実に狭まった。
日本国内でいえば、北海道北部などは侵略領域に飲まれている。
これは単純にリソース不足である。
世界が初めて直面するのだから当たり前ではあるが、この頃はまだダンジョン災害に対処するためのノウハウもなく、国内法の整備も間に合わっていなかった。
先のミサイル着弾もそれに拍車をかけた。
そんな混乱の最中、それぞれがそれぞれの立場でできる限り動いた結果、北海道北部だけで済んだともいえる。
日本国内のダンジョンに関連するトピックの中で、北海道奪還は常に上位に入るほど注目度が高い。
その期待が青平に向かうのを、誰も止められなかった。