6月中旬の山中、僕らは汗だくで歩を進めていた。さっきまであんなに寒いと体を震わせていたのに。体がおかしくなりそうだ。
そして1ミリも変わらない景色。木、木、木、時々、岩。
どこを歩いているのかさっぱりわからない。方位磁石、地図、全く役に立たなくて荷物に感じるよ。
「マジでどこだよココ……山えぐいって」
「鏡を抜けた先が全く同じ場所とは限らないですからね
「ミイラ取りがミイラになるってこういう事か?」
「そうですね。僕達はミイラです」
誰か笑っておくれよ。あんなにカッコつけて新撰組だとか、新部署だとか言っていたのにこのザマだよ。絶賛遭難中。
一方、洋はフラフラと歩く。息使いも聞こえなければ、言葉も発さない。あんまり体とかジロジロ見ちゃいけないってわかってるんだけど、痩せたなぁと思う。
膝の後ろとか骨がくっきり浮き出ているし、太もも肉感が無くなった。
僕って最低だよね。飢えた獣みたいに思われたらどうしようか。だから思っても絶対口に出しちゃいけない。立場が出来たから尚更ね。洋にセクハラだって言われたらお終いだ。
時々よろける洋を支えながら途方もなく歩く。そして突然、学さんが閃いた! と、見えない豆電球を頭上に明るく点けた。
「アイツらに掛けたら今居る場所わかんじゃね? おれってば頭いい!」
学さんは意気揚々と掛け時計のダイヤルを回した。僕も少しは希望があるんじゃないかと期待する。
「ガラケーちゃんの出番ですよぉっと…………おっ、祈か?」
僕らのガラケーも音を出して鳴る。着信音は三味線が弦を熱く弾き、幕末の戦いを思わせるような物。伊東さんが設定したんだと思うと面白い反面、あの人に絶対なんかあったよねと思ってしまう。
『なんで私に掛けてくんのよ。怪我でもしたの?』
「守以外にも掛かんのか試したかったんだよ。で、他の奴はこの会話聞こえてんの?」
くっきり、はっきり聞こえる。学さんと祈がすぐそばで話しているようだ。
「聞こえるよ! すごいや、コレ! さすが伊東さん、参謀だよ!」
『お褒めに預かり光栄です。近藤局長』
学さん発信じゃないと過去からの通話は出来ないかもしれないけど、まさか複数にで会話が出来るなんて!
これを提案して実現したのが彼だ。お金持ちってだけじゃなくて、頭もキレるなんて羨ましいよ。
勿論、露骨なアピールは除いてね。それとこれとは別だから。守も気付いたっぽいけど、伊東さんからは僕と守を足して割った様な匂いがする。
意識がそれたけど、祈の声で現実に戻る。
『じゃあ繋がるか試すために掛けたのね。そっちはどう?』
「おう。遭難した! だからここどこか教えてくれよ。守のパソコンでさぁ」
『……はあ』
遭難したとは思えない、朗らかで能天気な質問。電話越しの守のため息も納得だ。
それでも、キーボードを叩く音が聞こえるから守は優しい。
『何か目印になりそうな物は?』
僕らは目につくものを口々にする。
「木!」
「岩!」
「空……」
洋は小さく、消え入るような声で確かに空と言った。僕と学さんは明らかにふざけていたので、それに乗って来てくれたんだ。
守は少し間をおいてため息をつき、冷静ながらも呆れを含んだ正論を叩きつけてくる。
『あのなぁ……遭難してるなら危機感持てよ。そんな情報では衛生写真じゃどうにもならん。というか、お前らが今持っている物で位置情報くらいわかるだろう。えらい昔に行ってるわけじゃないんだぞ』
その言葉に僕らはハッとする。ガラケーでも位置情報はわかる。そしてGPSもしっかり作動、ナビ機能もお手のもの。
僕は苦笑いしながら、今までの事はなかった事にしてさっさと目的地を目指す。
暑い山の中だけど、木々の作る木陰で休みながら歩いていくと大きな鉄鋼の橋にぶつかった。
橋を見つけただけで声を出して喜ぶのは、人の気配が近くにあるとわかるからだ。
きっと永倉夫婦の居た旅館もすぐな筈。洋もそろそろ体力が限界だろうし、早く見つけて帰りたい。
洋が1人先に橋へと身を乗せる。
「早く行こ。この先でしょ」
「うん。洋、体調良くないんだからあんまり離れないで――」
突然、足元から低い唸り声のような音が聞こえた。耳元で強風が吹くような、いや、地面が生き物のように動き出す前兆のような"地鳴り"。
その音に心臓が跳ね上がる。地面が裂ける、地球が壊れる、いろんな事が頭に過ぎる。
そして今更、緊急地震速報が携帯からけたたましい音を立てて危険を知らせた。
その音に勝ろうとするかのように、大地がその存在を主張する。唸りは体中に響き渡り、立っていられない程の揺れで僕達に自然の厳しさを突きつけてくる。そこから更なる激しい揺れが襲う。
「やべぇ! 洋!」
学さんの悲鳴のような叫びが、橋の上に居る洋をどうにかして掴もうとする。
橋は大きな鉄の曲がる音を立てながらプレスされるように曲がっていく。
「晴太ぐんっ」
涙ぐんだ洋の怯える声が僕を呼ぶ。その恐怖から救ってあげたいけれど、揺れが治らないから立つも出来ない。そして希望だった橋は僕らの脅威となる。
橋は大蛇のようは形へと変貌を遂げ、洋の体を小石を蹴飛ばすかの如く橋の下へと投げ出した。
心臓がなくなった気がした。血の気が引いた。僕らが洋の名前を呼ぶより前に、橋の上から大量の土砂が大津波のように雪崩れてくる。
土煙を立て、怒号のような地鳴りは治らない。僕らの頭上にあった木がミシミシと音を立てて倒れて来る。僕は反応が遅くて、まずいと思った時には木が横たわっていた。
そして僕を庇うようにして覆い被さった学さんの背中に、枝というには太過ぎる木の一部が押さえつけるようにしてのしかかる。
「学さん……! 学さん!?」
「で、電話……聞いて……」
学さんは受話器を手に持ったまま、すっと気を失ってしまった。
僕はガラケーと学さんの電話の受話器をそれぞれの耳に当てた。
『まっ、待って! すごい揺れてる!』
『ひぃい! 怖いッ!』
握ったままで居るガラケーの向こう側も同じく大きな揺れに襲われているらしい。
――待っておくれよ。何だい? 何が起きてるんだい?
やっと揺れが治ろうと、僕の思考はめちゃくちゃだ。過去と現代がリンクしてるっていうのかい?
学さんは? 洋は? 僕はどうしたらいい?
僕は局長、皆のリーダーなんだ。落ち着け、きっとなんとかなる。なんとかしなきゃ。大丈夫、大丈夫。
そうやって自分に言い聞かせているのに、新撰組の誰の声でもない女性の声が学さんの電話から聞こえて来た。
『早く助けに来て! 早く、早く――じゃないと』
ごくりと、生唾を飲む。
『全部壊してしまいそうなの……』
震える女性の声を合図に、また大地が動き出す。僕は自然の脅威と、慣れたはずの霊的な感覚に背筋を凍らせた。