僕の故郷は、津軽半島の最北端にある風の岬で有名な街だ。
よく晴れた日には海の向こうに北海道の松前半島や函館山が見える。小さい頃から、この津軽海峡の海を見ながら思うことがあった。
北海道には、大事な人と行きたいなって。まだ踏み入れたことのない北の大地を一緒に歩いてくれる人を見つけたいと願ってた。
その人と会うことを願って、励んで、出会って、離れて、呪われて、そしてまた離れてしまった。
洋の事だけじゃない。守も、祈も、学さんも、伊東さんだってそうだ。僕は禁忌を犯し始めてから、いつか夢見た青春が手に入ったと浮かれていた。
仕事も上手くいって、歳の近い後輩が現れて、小学生の頃に憧れていた2人の隣に居れる。
少し前まではヤキモチを妬くことも出来なかった。近頃はそれすら楽しいと思っていた。
痛いのも青春なんだ――って。
けれど、青春は脆かった。僕が病院に行っている間に心はバラバラになってたや。皆口数は少なくてかなり落ち込んでいる様子だったけど、僕は怒りを持った。
そして1ヶ月半が経った今でも、自分の感情がうまく掴めぬまま青森の実家へ帰り、療養している。
リハビリも兼ねて毎日自宅近くの竜飛岬にある灯台へと通い、強く吹き荒れる海風に髪を靡かせながら考える。
楽しかった青春が、また思い出に変わるのを見るように、近くて遠い北の大地を陽が沈むまで眺めてるんだ。
10月半ばともなると風が少し肌寒くって、なんだか心細くなるや。
他の観光客がちらほらと岬を訪れる。僕はそれを横目で見ながら、楽しそうな彼らを羨んだ。
青森に帰れば僕はひとりに戻る。家族は居るけど、友達はいないからね。
そんな僕の思考が神様に読まれたのか、隣に見覚えのある顔が僕を見て微笑む。見間違えかと思ったけど、やっぱり知ってる顔だ。
「お久しぶりですね。ご自宅に伺ったら、こちらに居ると」
「……伊東さん?」
以前とだいぶ印象は違う。黒スーツに黒シャツ、全てが黒だった彼の服装は、白シャツに黄色の線が入った柄入りの黒ネクタイへと変貌を遂げている。
なんだか健康的になってないかい? 前はもう少し不健康そうっていうか、お金のことしか頭になさそうでちょっぴり怖いイメージがあったんだけど。
表情も柔らかいし、他にも変わったよなぁ……ちょっと見ないうちに、人が変わったみたいだ。
それにしても、何故伊東さんがこんなところに来たのかと尋ねてみた。
いくら僕と顔見知りだからって、東京の人が青森の端っこにわざわざ出向くのは何かあるよね。
強く吹く風が、向かい合う僕らの間を通り抜けるのを待ってから、伊東さんは言う。
「貴方にお願いがあって。洋のこと、好きでしょう?」
「唐突だなぁ……」
お願いってなんだろう。けれどその後のセリフの方がパンチが強い。病院に連れて行ってくれた事とか忘れてるのかな。腕と足の具合はどうですかじゃないんだもの。
それがどうしたのかと言えば、海を眺めながら言葉を吐く。
「禁忌を犯して欲しいんです。もう1ヶ月は眠れてないようなので、そろそろ限界かと」
「……でしょうね。遠野のいく子ちゃんだって、精神的に救いはしたけれど成仏させたわけじゃないですし。それが救いのカウントにされてたとしても、もう眠れてないだろうな、とは思ってましたよ」
禁忌の事も、洋の呪いの事も僕は良く知っている。最初は、どのくらいのペースで事を犯したらいいのかわからなくて、寝れないと苦しんでいる姿を目の前で見ているだけだった。
1ヶ月以上寝ていない。それは常人では耐えられない、想像を超えた苦しみに違いない。
伊東さんは実際に眠れていない洋を見たから、わざわざ此処へ来て、僕に頼んでるんだろうな。
「貴方なら助けてあげれるでしょう。いざこざがあった時もあの場に居なかった。大好きな洋へ、株を上げるチャンスでは?」
「けど、僕にも怒ってたって」
「貴方は直接言われたわけじゃないんです。知らないふりして会えばいいじゃないですか」
言ってる事はわかるけど。伊東さんの言い方は棘があって、ちょっと投げやりだ。
折角協力してくれると言ってくれた矢先、バラバラになった僕らに腹が立っているのかもしれない。
「伊東さんの言う事、確かに僕にとっては好都合なんですけど」
「……」
このまま僕1人、洋と一緒に禁忌を冒し続ければいつかは自分が望むような結果になるかもしれない。
でもそれが1番の幸せだとは思ってないんだ。痛みや苦しみを乗り越えてこその幸せ。弱ったところに漬け込むような独り占めは、幸せだと思えない。
僕は体を伊東さんに向け、両手に力を込めた。
「僕、結構怒ってるんですよね」
「誰にです?」
「洋に、です」
眉を動かし、驚いた顔で僕を見る。そりゃそうだろうね。きっと僕は、洋のする事ならなんでも許してしまう、恋に盲目な晴太くんに見えるだろうし。
勝手に居なくなったから怒っていると言われたらそうだし、そうじゃないとも言える。
伊東さんが何故と聞くから、整理のできない頭の中に思い付いた事をそのまま伝えることにした。
「僕ら6人の共通点ってなんだかわかります?」
「苗字が新撰組……ですかね」
「そうですよ。僕達は新撰組なんです。それは洋が最も拘ってることじゃないですか」
忌み名になっても、そうでなくても。沖田という苗字に執着するのは、きっと新撰組が好きだからって理由だけじゃない。
守と苗字でセット扱いされたのから始まってるんだ。僕が転校した時に声をかけてくれたのも、僕が近藤だったから。
人に興味がない洋だ。祈も学さんも、伊東さんだって、新撰組の隊士と同じ苗字だから受け入れてくれた。その証拠に、星くんは今だに名前を覚えられていないみたいだし。
部屋は新撰組のグッズだらけ、来ているパーカーも浅葱色だし、携帯ケースはデカデカと「誠」と書かれている。
皆で集まったら新撰組みたいだとはしゃいだのも、洋が最初だ。
「新撰組の禁令ってあるでしょ。局中法度って呼ばれてる奴。洋はその中の2つも破ってるんだよ?」
「洋が破ったというより、全員で破ったと思いますけどね。もしくは破らされた、でしょうか」
伊東さんはやけに洋を庇う。でも、僕は
ごっこ遊びのように思われて、伊東さんに痛々しいと思われてもいい。
でもね、僕は本気さ。
1、士道に背きまじきこと。
2、局を脱するを許さず。
3、勝手に金策いたしべからず。
4、勝手に訴訟取り扱うべからず。
5、私の闘争を許さず――
洋はね、この五箇条の中の2つを犯した。犯したのは2と5だ。勝手に僕らの中から抜けて、勝手に仲間同士で喧嘩した。
本物の新撰組なら切腹ものなんだ。
君が僕らが集まれば新撰組だって言うから、祈も学さんの事も神霊庁に留めておけるようにしたんじゃないか。
個々の能力や献身の程度、神霊庁にとって如何に必要な人間であるかっていろんなところにアピールして回ってたの、知らないでしょう。
学さんなんかね、入庁させるの大変だったんだよ。だって、下半身で失敗したからね。
神霊庁のイメージが崩れるとか、岩手支部の人に熱湯までかけられてね。天才のイタコと言われた近藤晴太が、呪われて頭がおかしくなったって、怒鳴られたりした。
まあ、年齢に見合わない地位まで与えられちゃってたしね。そう言われるのは仕方ない。
青森支部飛び越えて、北東北地域の統括部長になっちゃってた。それで嫌われる。もう、プレッシャーだよ。
僕の苦労を伊東さんに話しても、僕が勝手にやった事で片付けられそうだけど。ちっとも相槌も打ってくれないし、僕はなんだか怒りが増してきた。
思えば、洋に僕の苦労を話しても、似たような反応だろうな。へぇで終わらせてね、携帯でゲームとかし始めちゃうんだ。
洋に、誰のためにやってると思うの? 君のためだよって言って抱きしめても、動揺すらしてくれないんだからね。
「僕はね、洋と両思いになれなくても構わないんだ。洋が独りにならないように、皆で一緒に支えて行きたいんだよ」
言っていて寂しい気持ちにはなる。時々僕にだけ笑いかけてくれたり、思わせぶりな態度で惑わしてきたり、我儘で身勝手に皆を振り回す洋が大好きなんだ。
でもね、今回は我儘が過ぎるよ。洋。
だから僕は新撰組に拘る君が作った、偶然が重なって集まった"名ばかりの新撰組"。
わざわざ青森の端っこまで来てくれた伊東さんには申し訳ないけど、僕は近藤として、沖田からのアクションを待ってるんだ。
「洋から新撰組に戻ってこないなら、禁忌は冒さない。僕1人では協力出来ないよ」
伊東さんに一言謝って、僕はまた海を見た。風は珍しく穏やかになると、伊東さんは鼻で笑いながら口角を上げていた。
ごっこ遊びが過ぎるって呆れられたかなと思ったけど、その横顔はホッとしているような柔らかな表情だった。
「やはり貴方の所に来てよかった」
そして今度はオレの番ですね、って喜んで――あれ、伊東さんってオッドアイだったっけ。
僕は彼の瞳に目を奪われながら、この人に何の変化があったのだろうと聞きたくてたまらなくなった。
「
悪戯な笑みを浮かべる。風が大きく吹くと、伊東さんもこのごっこ遊びに乗るんだと少し照れ臭くなった。