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29勝手目 お金で買えないけれど(1)


「へっくしゅん!」

「なんだ、秀喜。風邪か?」

「いえ……誰かに噂されてるんですかね」


 父親の会社の定例会議。18時になるときっかり終了する。大勢の役員達が会議室を出て行くのを見送り、社長である父親と2人になる。

 毎月この時間が憂鬱だったのに、今日は気が重くない。

 先月のオレなら、くしゃみに対して反応されても、無視していただろう。


「秀喜、ちゃんと話してくれるようになったな」


 父親は笑顔だ。

 洋に普通だと言われた日の夜に過去、オレがどう思っていたのかをメールで綴った。猟奇的な作品は見なくなった事、そして子供のような態度を取って申し訳なかったと謝った。


 今思うと、親は親なりに必死だったのだと思う。こんな大企業のトップともなれば、息子であるオレ1人の事を優先するより、何千といる従業員の生活や家族を守りたいと思うのは普通だ。

 会長や社長の身内が事件を起こしてしまい、企業が無くなるようなことがあれば、災害規模に人々を路頭に迷わせる。


 その事も父親から来た電話で話し、その日以来少しずつ話すことが出来ている。

 洋は「金持ちの父親いいなぁ。アタシのは家すら掻っ攫う養父だったもんな」とコメントしにくい事を言う。

 住み慣れた家の話をされ、売れたところでマンションここがあるからいいでしょうと遮った。


 洋と関わってから少しは普通の人間らしくなったのだと、父親の反応を見てもわかる。


「神霊庁の職員に聞いたよ。最近明るくなったとね。家政婦を雇ったみたいだが、本当か?」

「家政婦……というか、居候ですかね。住まわせてる代わりに、色々やってもらってるんです」

「父さんですら入ったことのない家に居候ねぇ……」


 これ以上詮索されるのは嫌だ。洋が家にいる事がバレたら面倒になる。神霊庁の連中は洋に敏感だからなんとしても隠したい。


 荷物をまとめ、ジャケットを羽織ると帰り支度は完璧だ。


「私は帰ります。社長、お疲れ様です」

「……ご苦労様」


 父親は何か聞きたそうな顔をしながら、あくまで社長として挨拶を返してきた。


 会社から家は神霊庁よりも距離がある。途中、何か目ぼしいもをお土産にして帰ったら喜んでくれるだろうか。



「……何故」


 家に帰り、玄関には男物の革靴があった。勿論オレのではない。

 誰のものかはすぐわかる。リビングから聞こえる笑い声からの中年特有のタンの絡んだ咳。


「何故!」

「おかえり」

「息ぴったり……」


 洋と父親がキッチンのダイニングテーブルに腰をかけながら出迎える。すでに食事が並び、父親は少し手をつけている様だ。


「秀喜も手を洗ってきなさい。麻婆焼きそば、美味いぞ」


 知ってますけど。折角の麻婆焼きそばの量が減ったと思うとイラっとした。


「何しに来たんですか!? 洋も、どうして!」

「伊東のお父さんだって言うから上げたぞ。拒否ってなんかの金請求されたら困るし」

「秀喜が居候と暮らしてるって言うから気になった感じ?」

「そうそう。これは不可抗力だぞ、伊東」

「洋ちゃん、おじさんも伊東だから紛らわしいかも」

「あ、マジ?」


 意気投合してるのも腹立たしい。父親と最近話し始めて距離感がわからないのに、こちらの気も知らずにギャルっぽい口調なのが癪に触る。


 洋は父親の事を伊東父と呼ぶと宣言すると、食事が冷めるからさっさと食べようと皿を並べた。違和感しかない食卓を早めに済ませ、買って来た2人分のケーキも父親が食べてしまう。


 父親は腹を満たしながら、洋の呪いやそれまでの禁忌の内容について興味深く質問していた。

 洋は最初こそ不機嫌だったものの、父親のおだてるような返答に気分が良くなって誇らしげに話す。


「禁忌のやり方は土方が考えたんだ。土方は過去に戻れないけど、ずっと待ってんだよ。土方さ、待ってる時1人で本読んだりして待ってんだぞ!」


 土方、土方と喧嘩をしているのも忘れて守の名前を連呼する。それを穏やかな顔で相槌を打つ父親。

 もう縁を切ったと連絡も絶っているのに、お次は武勇伝とばかりに守と神霊庁に乗り込んできた話をするんだ。


 空気を壊したい訳じゃ無い。胃がチクチクする。場所を移動したくなって席を立った。

 会話が止まり、血の繋がりで考えている事を察したのか父親も席を立つ。


「さ、おじさんは帰ろうかなぁ。洋ちゃんご馳走様ね」

「なんだこれ」


 父親は懐から紙幣を取り出して洋に手渡した。洋はそれを証明に透かし偽物かと疑いながら問いかけると、父親は腹の底から大笑い。


「チップだよ。麻婆焼きそばが美味しかったからね」

「すげぇ! 1万円貰った!」


 いいバイトだと頭から花を飛ばしているのが見える。これで何買おうと鼻歌を歌う。

 必要な物は買ってるけれど、やっぱり守のように我儘を言ってもらえるような距離感では無いみたいだ。

 それがわかるとまた胃がチクチクする。


「秀喜、送ってくれないか」

「タクシーで帰ってくださいよ」

「今洋ちゃんにお金渡しちゃったんだし」


 中年が目をぱちぱちさせ、顎の辺りで拳を擦り合わせる。気持ち悪い……父親ってこんな人でしたっけ……それでも日本有数のグループ企業の長なんだから、それそうの振る舞いをして欲しい。


 胃痛と頭痛が同時に襲い、諦めて車で父親を送る事にした。

 車内の気まずさはあるだろうと思ったが、父親はよく喋る。


「洋ちゃんかぁ。呪われてるのさえなけりゃあねぇ」

「何がです」

「うーん」


 悩むふりをして、体をくねくねしながら顔はニヤニヤとニヤけている。助手席でも気持ち悪い。運転に支障が出るんでやめてもらいたいんですが?


「秀喜が突然謝って来たのが不思議だったんだよ。洋ちゃんに人生のペース乱されて、知らない間に惚れちゃったのね。わかるわかる。周りにいない人種だもんなぁ。無防備なのに隙がないというか……いいねぇくすぐられるねぇ」


 ぐうの音も出ない。照れ臭いけれど素直に、おっしゃる通りですと小さく言う。

 ハンドルを握る手は汗ばむ。否定したら洋自体を否定するようで嫌だったから素直に答えただけなのに。


「呪われてるさえなければ、というのは?」


 意味深な発言について言及すると、大したことじゃないけどもさと続けた。


「永遠に生きるって事は、秀喜が死んだ後も他の誰かと一緒にいる可能性もあるんだもんなぁ。父さんはやだな。父さんが死んだ後に母さんが他の男とイチャイチャしてんの。な? 嫌だと思わない?」

「まあ……多少は……」


 死んだ後の事なんて考える程、まだ一緒に居ない。いつの間にか家に帰るのが楽しみで、自分を受け入れてもらえて、帰ってほしくないと強く思い始めたからそういう気持ちなのと気付いた。


 死んだ後のことよりも、仙台へ帰って守や晴太とそういう風になられる不安の方が勝る。

 顔の知らない未来の男にまで気を向ける余裕はない。


「秀喜が生きてる時間はそばに居てもらうか、呪いを解くか、秀喜も呪いを受けるか――これしかない。秀喜はどうするんだ」

「どうって……そばに居てもらうと呪いを解く、ですよ。解き方については神霊庁でも調査してますし、本人も実践済み。自分1人でもやれる事はやりますよ」

「頼もしいねぇ」


 座席シートを緩く倒し、横になる。父親の言葉は褒める意味ではなく、まあそうかというよりよ予想通り過ぎてつまらなさそうなニュアンスだ。


「にしても秀喜、いくら好きだからって夜はちゃんと寝かせてやらないとだぞ。洋ちゃんの目の下のクマがすごいじゃん。歩く時もフラフラしてたし、ガッつかないで優しくしてやんなさいよ」


 父親の爆弾発言に思わず急ブレーキをかけてしまう。親からそういう事言われるのが1番キツいんですが!?


 助手席で前のめりになり、胸を押さえてわざとらしく息を荒あげる。


「危ないぞ! 明日の新聞の見出しが父さんになっちゃうぞ!」

「じゃあ変な事言うのやめてもらえます!? 確かに洋は寝れてませんよ! でも父さんが考えているようないかがわしい事はしてません。アレも呪いの影響です」

「と、言うと?」


 一カ月以上禁忌を犯さずいる洋は、少し前から耳鳴りがすると言って不快感を訴えていた。日に日に耳鳴りは声に変わり、声は大きくなっていき、ここ数日は眠れないと言って夜通し起きている。


 禁忌を犯さなければ死者は救えない。救えないと言うことは、先祖の要望に背いている事になる。禁忌を犯せればいいものの、洋1人では心配だし、かと言ってあの4人との関係は拗れたまま。


 少なくとも、晴太かいなければ禁忌の実行は難しい。山崎学の能力もあるに越した事はない。手当や見張りは自分にも出来るとして、あの2人が居てくれた方が不安は軽減される。


 呪われていても健康的に過ごすには、洋1人では生きられない。それを理解していても、意地があるから頼れない。

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