「タンマ! それってつまり退学ってことですか⁉」
校長室に悲鳴にも近い声が響き渡る。
狭間学園一年生の
校長は呆れてしまったのか溜息をついてハンカチで汗を拭う。
季節的に考えれば当然のことだ。
なにせ今は夏だからだ。
朝比も汗を拭いながら荒ぶる心臓の鼓動を落ち着かせようとする。
「最後まで話は聞くものだよ」
「え? だって連絡船に乗れって……」
確かにそう言われた。つまりこれは学園から出て行けということではないのか。朝比はそう思いながら話の続きを聞く。
「君は普通科からパイロット科に転科してもらう」
朝比はキョトンとした表情で校長を見る。
太陽光が不毛地帯になってしまった校長の頭に反射して正直ちょっと眩しい。だから直視するのは嫌だ。しかし、退学では無いという事実で落ち着きを取り戻すことが出来た。だが、なぜ自分がパイロット科に転科しなければならないのだ。確かに前から先生達に素質はあると言われていた。
それでも朝比には絶対的な欠点がある。そのせいでパイロットとして不良品、あるいは欠陥品になってしまった。
「校長は僕の発作のこと知っていますよね?」
「ああ。すまないと思っている。だが、君のその力が必要なのだ」
なんだこの臭いセリフ。朝比はそう思うより外ならない。
「僕はこの発作があるからパイロットを諦めたんです。なのにどうして……」
十年前に起きた『ある出来事』が切っ掛けで世界中の何百何千と数えきれない程の人々が亡くなり、朝比の身体には発作と言うべき重い後遺症が残った。それを校長に知られたのは体育の授業があったとある日のことだ。
その日はバスケットボールをしていた。朝比のチームは危機的状況に陥っていた。それもそのはず。朝比のチームには虐められている生徒や友達のいない生徒ばかりで運動神経もお世辞でもいいとは言えなかった。
ただ一人、朝比だけは運動神経もよく追いつこうとしていた。滑稽に思えるその姿が女子たちには良かったらしい。いつも以上にうるさかった。
そんな時だった。急に朝比にパスが回らなくなった。簡単な話だ。
裏切られたのだ。
そのせいで点差は開き精神的にも限界がきていた。そして逆転が不可能だと思われたその時、発作が起きてしまった。
朝比の目には全てが止まって見えた。ただ自分だけが動くだけの世界。
たった数分で、朝比一人の力でチームは勝った。勝ってしまった。
そして気絶した。
目を開ければ病院にいた。聞けば発作の最中に朝比はほとんど呼吸をしていなかったらしい。つまり数分間ほとんど呼吸をせず常人を超えた動きでバスケットボールをし続け、酸欠で倒れたのだ。
「こんな僕がパイロットなんて無理ですよ」
「ならこの学園を去りたまえ」
理不尽極まりない校長の言葉に朝比は怒りを覚えた。
「君に選択肢は無い」
絶望に似た感情が込み上げてくる。
話はそこで終わった。
☆☆☆☆☆☆
「話ってなんだったの?」
「ねえ、お昼一緒に食べよ?」
「ああ! 私が言おうとしたのに」
「残念でしたー。私が先ですぅ」
教室に帰ればこれだ。
女子達は朝比の話なんてまるで聞こうとせず、勝手に話を進めていく。面倒だと思いながらも、話を聞いてしまうところが朝比の悪い癖だ。
今はこんな話を聞いている場合では無いのに。
「転科しなくちゃいけないみたいなんだ、僕」
朝比がそう言った途端に女子生徒並びに男子生徒までもが静かになり、そして当たり前のように朝比に視線が集まる。
「一週間後には夏休みが始まるから丁度いいみたいだからだって」
「また、いきなりだな」
「まあね」
朝比は苦笑しながら応える。すでに決まってしまったことだ。それに断ったら退学とまで言われた。理不尽極まりない。いつしか、周りの声は朝比の耳に入らなくなっていた。
☆☆☆☆☆☆
大気圏突入後、すぐにMCとの交戦に入ってしまったため、時間に余裕が無くなっていた。
コックピット内は慌ただしく、健は黒い機構人『
合流地点までまだ距離はある。
「くそッ!」
悪態をつきながら機体の速度上げていく。
目的地は健が在籍する狭間学園の本校舎だ。そこで機体を引き渡すことになっている。
健はメインモニター越しに港が見えてきたところでゆっくりと玄赫を減速させて潜水させる。いくら学校近くの港と言ってもその周辺の海には警報装置や見回り用の巡回艇が四六時中動き回っているからだ。そのいくつかは地球軍に所属している物もある。
健はそのことを知っているからか、限界まで玄赫を潜行させるとコックピット内で潜水用の小型酸素ボンベを取り出す。
「ったく、もっとマシな方法を思いつかなかったのか」
文句を言いながらも、次はパイロットである健自身が潜水の準備を始める。機構人が探知されるならパイロットが潜行すればいい。これが健に転科を告げた者が与えた潜入方法だ。こんな馬鹿げた方法で潜入するとは健も予想していなかったのか、折角大気圏突入時に出ていた冷汗が治まったのに、またしても額や背中から噴き出してくる。それらを拭いながら銀色の髪をまとめる。
「ん?」
一瞬だけだがセンサーに反応があった。しかし直ぐに消えてしまった。少し気掛かりだったが時間に追いやられているため、無視してしまった。
「行くか」
深呼吸した後に明らかに目立つ場所に設置されている赤いボタンを押す。
次の瞬間、健の身体がまるでワープしたかのように海中に転送され、機体は黒く発光しパソコンに繋げる黒いUSBメモリーのような形状になり、健の手に握られる。
一度気付かれていないか確認してから水中を泳ぐ。と言っても、指定された海中ポイントに行くと黄色い金具のような物がその場に置かれていた。いや、浮いていた、のほうが正しいのか。そして、それにはワイヤーが取り付けられており、ベルトの金具に引っ掛けてボタンを押すと、物凄いスピードで引き寄せられた。
話しには聞いていたがそれ以上だ。余りの速さに腕がもげそうになり、呼吸もしづらくなる。
一瞬の出来事だった。目的地である港から離れた岩場に到着すると、女性が立っていた。狭間学園パイロット科の制服を着ていることから学園の関係者であることが分かる。
健はすぐに着替えて『玄赫』が入っている黒いUSBメモリーを手渡す。
「ありがとう、南雲健くん」
「いえいえ。地球軍にはばれていないんで安心して下さい」
「了解。それじゃあパイロット科への転科の件ですが明日の連絡船に乗船してもらいます。手続きはすでにこちらで済ませているのでご安心下さい」
「丁寧にどうも」
「それでは今日泊まる場所ですが、学生寮の一室が空いているのでそこでお過ごし下さい。それではお気を付けて」
健は適当に手を振ると今日一日だけ泊まる学生寮に向かった。
頬に当たる風が少し湿っていて、なんだか生臭い。これが潮風と言うものか。
久しぶりの地球に海に潮風。好奇心がくすぐられない訳がない。
「部屋は確か203だったよな」
健は青空を見上げながらフラフラと歩く。すると「あの!」と突然背後から声を掛けられた。そのせいか条件反射でつい身構えてしまう。
振り返ればそこに居たのは自分と同い年くらいの男か女か判別できないくらい中性的な顔立ちの少女だった。
「これ、落としましたよ」
声のトーンで分かった。少女じゃなく少年だ。
少年が渡してきたのは学生なら肌身離さず持っておかなければならないもの――学生証だ。
健はお礼を言い受け取る。するとどうしてだか目の前の少年から熱い視線を感じた。そして、健もまたその視線に答えるように少年の可愛らしい顔を見つめる。
「……ん?」
「あ……っ!」
「朝比!「健くん!」」
「久しぶりだな! 俺が月に上がったとき以来だから……」
「相変わらず計算は苦手みたいだね」
「ちげーよ。細かいことが苦手なだけだ」
目の前の少年が東雲朝比と分かった途端、健の中で地球で過ごしていた時間が脳裏に過ぎる。
「朝比がここにいるってことはお前も狭間学園の生徒だったんだな」
「お前もってことは健くんもなんだ。ん、月にいたんだよね? じゃあ、宇宙科にいたってこと! めちゃくちゃ頭いいじゃん」
「ンなことねェよ。ガリ勉ばっかでつまんなかったよ」
「なんで地球にいるの? もしかして早めの夏休み?」
「違ェよ。パイロット科に転科することになったんだ。宇宙科にもパイロット科みたいなところがあったけど、なんか月軍の口出しが凄くて面倒臭そうだった」
「本校舎が地球にあるからか地球軍はあまり口出ししてこないから丁度いいかもね」
「って言うかお前は何科なんだ? 昔っから器用だったからもしかしてファッション科か? それか料理科か?」
「残念。パイロット科でした。と言っても普通科から転科する形になってるからまだ普通科の生徒だけど」
「じゃあ、お前も明日の連絡船で学園島に行くのか?」
「うん。もしかして健くんも?」
健が頷くと朝比は嬉しくなったのか満面の笑みを浮かべる。その姿はまるで美少女だ。
「相変わらず可愛らしいことで」
「からかわないでよ。って言うか今日泊まる場所あるの? 僕、この近くの学生寮に住んでるから泊まる所がなかったら来る?」
健は少し考えてから了承すると、寮に向けて歩を進める。
朝比もあとを追うようにして歩き出す。
「学校ってこんなに早く終わるものなのか?」
「いや、僕は色々と準備しなくちゃいけないことがあって、それで……にしても相変わらず綺麗な銀髪だね」
「良いだろう」
朝比はパチパチと手を叩く。その仕草が妙に可愛く見えてしまい健は顔を背ける。
しかし、朝比は鈍感なのか「どうしたの?」と言って顔を覗かせてくる。
「なんでもない。それよりパイロット科に通うための船って一隻だけなのか?」
「軍事機密とかあるからねェ」
健は視界に入る海を気に掛けながらそこを通る船を見る。
おそらく、連絡船か何かだろう。
「不思議だよね」
朝比が言う。
「MCのことか?」
「うん」
十年前に突如として南極や北極、いや、全世界に同時に現れた怪物。
その怪物が放つ強力な妨害電波によって電波障害が発生し、今では電話やメールなどの通信機が使えなくなり手紙と言った原始的なことでしか連絡手段がなくなってしまっている。地球上にある衛星も全てMCによって制御不能になってしまい、挙句の果てには地球に落下してきた物や人間が自ら破壊しなくてはならない状況に陥ってしまった物がいくつも存在する。
現在この怪物に対抗できる唯一の兵器は特殊な鉱物を動力源とし、鋼の鎧を身に纏った巨人。人型ロボット。
その名も『機構人』。
人類の最後の希望だ。
「武器を持たない飛行機や船には危害を加えない、って話か?」
そう。断言はできないが、今までに武装をしていない船が襲われたという報告は一切上がっていないのだ。だからこそ人間が生きるために必要な物資は今も海路や陸路、そして空路を通して運ばれている。
「本当に襲わないのなら月にいる奴等も地球に降りてくればいいのにな」
月。
健が移住した地であり、過去に地球と何度も戦いを繰り広げた敵でもある。
元々この世界は科学が進歩し過ぎた世界だった。しかし、同時に戦争と言った争い事の絶えない世界でもあり、人間が月に移住するようになってからは地球対月という形になってしまった。最終的には核を使うところまで事態が深刻化したのだが、その直後にMCが現れた。いや、現れてくれた。
当時の朝比と健にとって戦争が終わって平和になる。もう怖い思いをしなくて済む。そんなことを思うだけでMCに対しては何も思わなかった。
だが、成長していくことで考え方が変わってしまった。
「俺は死にたくない。もちろんMCのお蔭で戦争は終わった。それでも地球と月はいがみ合っているのには変わらない」
だから、と冷たい声で付け加える。
「人間もMCも襲ってくる敵は倒さないと駄目だ」
健の学生とは思えない言葉と心情に朝比は少し考えさせられる。
朝比の知っている健ではなくなっていた。昔の健は正義感の強い少年でいつも弱い者を助けていた。
「僕も争い事は嫌いだ。多分、それは皆も思っていることだと思う。でも、だからって敵を倒して平和にするって言うのも違うと思う」
「綺麗事だな」
朝比は一度微笑んでから続ける。
「僕もそう思う。けど、綺麗事が一番いいんだと思う。解決策が争うだけって、なんか悲しいじゃん?」
二人の間の空気が夏だと言うのに冷たくなる。
二人ともそれを感じている上で言ったのだ。喧嘩を売っている訳でもなく、ただ言った。もう幼き日の自分とは違う。そう自分に言い聞かせるように、友人を出汁にして覚悟を決めるために。
「この話は止めようか」
「この話は止めようぜ」
二人は合図もなく同時に言った言葉にクスッと笑い学生寮の門をくぐった。