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課外学習が終わった次の日からマールとパデラはごく普通の学校生活に戻り、日々を暮らしていた。
そうして迎えた、五月の第一土曜日。今日は学園内の闘技場にて試合が行われる事もあり、学園内には浮ついた雰囲気が漂っていた。
それもそのはず、今日行われる試合、「伝説の再来戦」の大トリは伝説の魔法使いと謳われるエテルノ・マールとアサナト・パデラで、前座の試合も名のある遊戯戦闘魔法使いの揃ったかなり豪華な試合となっているのだ。これ程のメンツが集まると、最早記念祭のレベルだ。
なんの前触れもなしに突如公開された情報とチケット抽選。抽選はとんでもない倍率を叩き出し、また別途販売された配信チケットもかなりの数が売れた事だろう。
そんな試合の関係者席に、マールとパデラは座っていた。二人だけではない、関係者席には彼等の家族も招待されている。
「もう、マヤちゃん! こんな日くらいむすっとしてないで笑うの! 私のマネをしてっ。ほら、ニコニコ~って!」
「そうね、アル。努力するわ」
「しっかしまぁ、俺等の子どもが揃ってご先祖様の生き写しになるなんてなぁ。感慨深いぜ。まぁ? あの優等生のリクザくんを説教するくらいだもんなぁ、俺の子は!」
「パルデ、今すぐ黙れ。その事は散々笑っただろ、いい加減飽きろ」
すぐそばの席には、二人の両親がいて、それぞれ男同士女同士で話している。マール側の二人は一見冷たい対応だが、その雰囲気から仲はいいのだろうと伝わる。
息子達は知らないが、親同士は学園時代の相棒だったよう。そりゃ、仲がいい訳だ。
一方で、使い魔達も親交を深めているようだ。
『お前が、マールくんの使い魔か。吾輩はカクル、幻獣芸使い魔だ』
『私はチェレー、同じく幻獣系使い魔よ。主の息子の使い魔なら、アナタも家族同然よ。よろしくね、ディータくん』
『あ、あぁ。よろしく頼む』
ディータは人見知りな所があるのかもしれない。自分より大きい鹿の幻獣と猫の幻獣に、少し挙動不審気味になっている。
『おれはワンル! パデラのとーさんの使い魔で、見ての通り犬だ! よろしくだワンっ、つって!』
『ウチはトリハ。雀型なんよー。こんなでっかい雀始めて見ますやろ? 食べんといてな。アナタの主の母親の使い魔やて、よろしゅうに~』
『僕はアレル! 君の主の兄ちゃんの使い魔、見た通り狐型だぞっ! よろしくな兄弟っ!』
『おう! オレ、ピピル! 爬虫類系! つえぇんだぞ!』
打って変わって、この四匹は直ぐ打ち解けたようだ。
そして、見事に打ち解けているのは、真後ろの席にいる彼等もそうだろう。
「すごーい! さすがですねっ、将来の義兄さん!」
「ははっ、かわいい奴だなぁ。いいぞいいぞぉ、好きなだけ義兄さんと呼ぶと良い!」
後ろの席で盛り上がっているのは、リールと、パデラの兄であるアデラだ。彼等は初対面だと言うのにあっという間に打ち解けている。彼等の会話に色々と突っ込みたいのは山々だが、リールに絡まれるのも面倒だ。
「ねぇ兄さん、兄さんもアデラさんを見習ってよぉ。僕、こういう兄さんが良かったなぁ」
あぁ忘れていた。こいつはこちらから触れなくとも近くにいる限り突っかかって来るんだった。
マールは背後から回された腕を払う。
「パデラ。確かお前弟ほしいって言ったな。やるよ」
「兄さんひどいっ! こんなにも可愛い弟をそんな扱いするなんてっ」
わざとらしくぷっくりと頬を膨らませるリール。そんな兄弟に、アデラは小さく笑った。
「リールくんとは別の意味でカワイイなぁ、お前の相棒は。俺知ってるぞ、これはツンデレってんだ。素直じゃないのは魔力見りゃ分かる」
「ははっ、さすが兄ちゃんだぜ!」
聞こえた会話にマールは一瞬嗾けてやろうかとも考えたが、相手がパデラの兄だ。殴りたくても殴れない。
「兄さん、魔力を根拠にされたら否定出来ないねっ」
「一先ずお前は黙れ。お前は容赦なく殴るぞ」
分かっていて煽るようにウィンクするリールは、最早怒られに行ってるとしか思えない。
「マぁジでリクザの子だな。愛想のなさと言い、直ぐ黙れって言うのもマジでお前! 頭いいくせに、動揺すると直ぐ語彙なくなんだよなぁ」
「逆に、リールくんは誰に似たのかが不思議ねぇ~。マヤちゃんの甘えん坊な一面が似たのかしらぁ?」
どうしてこう、この一家は煽って来るのか。わざとなのか天然なのか。どちらにせよだ。
リクザとマヤが同時に手を出しかけた時、開会を告げるラッパの音が鳴り響く。
「皆さんお待たせしました! 本日も始まりまります遊戯試合! ご観劇中の皆さまに、忘れられない戦闘遊戯をお見せしましょう!」
司会の挨拶と共に、会場から熱狂の声が沸き上がる。
熱が冷めぬうちに最初の戦闘が始まり、その試合に皆が夢中になっていた。
魔力による盛大なショーは、一つに試合ごとに短い休憩を挟みながら続く。そして時間はあっという間に経ち、プログラムは最終段階に移った。
その頃には日が暮れ、空は暗くなっている。闘技場の明かりは消され、これから起こる事を予感させていた。
その時、一気にBGMが盛り上がる。
「それでは皆さん、最後の最後まで楽しんで行きましょう! ラストを飾るはかの有名なあの『伝説の魔法使い』! さぁ、皆さんで伝説の再来の目撃者となりましょう!」
歓声が湧き出て、会場が一気に熱くなった。汗がでそうな程熱気立つ中、司会は更に場を盛り上げた。
「右に出る者はいない、絶対王者と謳われた北風の王子、エテルノ・マール!」
「対するはぁ! 『最強』と渡り合う唯一無二の相棒、太陽の王子、アサナト・パデラ!」
司会の紹介と共に、魔力に巻かれ派手に登場した二人の魔法使い。
「なんだろう、凄い、共感性羞恥が……」
『そういやエテルノ、王子呼びは止めて欲しいって恥ずかしがってたなぁ』
「俺は好きだぜ? 太陽の王子だって! ひゅー、アサナトぉー! かっけーぞー!」
この大声援の中、本人に届いているかどうかは危うい。
「この時代でも、王子呼ばわりか……」
「いいじゃんいいじゃん! 俺は結構好きだぜ、その二つ名!」
軽く言葉を交わし、グラウンドの二人は互いに魔力を向ける。
「久しぶりの試合だが。拍子抜けさせるなよ、アサナト」
「おうよ!」
互いに嗾けた魔法がぶつかり、爆発を起こす。それが試合の開始の宣言となり、二人は一斉に仕掛けていく。
単純に「強い」だけではない。観客を楽しませるよう、魔法一つ一つに「魅せる」工夫が施されている。これが、最強が最強たる所以だ。
威力や魅せ方において、風は難しいとされているが、エテルノの魔法は風だからこそ活かせる魔法と言えるだろう。強風は、一種の刃にもなるのだ。それに、風には拡散の力がある。複数個の魔法を風で交え、威力と見栄えの両立を成しているのだ。
しかし、アサナトも負けていない。最強と渡り合う唯一無二の相棒と紹介されただけある、エテルノの魔法展開のスピードについて行き、見事に応えている。
息を突く間もなく繰り出され続ける魔法。まさに彼等は、プロだ。
「ははっ、久しぶりに本気のお前と戦えて嬉しいぜ! エテルノ!」
「そうだな。僕もだ」
一連の連発を終え、地に足を付けた二人がお互いに視線を向ける。
試合も終盤、しかしまだ、フィナーレを済ませていない。
「そろそろでっかいの見せないとな! なぁエテルノ、応えてみろ!」
「あぁ、いいだろう!」
活性化した魔力を薙ぎ払い、彼等の背後に展開された巨大な魔法陣。
「『不滅晩火(ふめつばんか)』だ!」
「『不変染風(ふへんへんふう)』!」
同時に声を上げた号令を合図に、それぞれの陣が光り、活性化させた魔力を魔法に変える。
陣から飛び出したのは、まるで不死鳥を思わせるような巨大な鳥。
「ん? あの鳥……」
授業外、闘技場でマールと手合わせした時に出てきたあの鳥と同じだ。
パデラは分かっていなかったが、マールは何となくその訳を察していた。ほぼ同じ魔力で、同じく「大きい魔法を」と意識すれば、自然と同じようなのが出てくるだろう。あの時自分は、そしてパデラも、とにかくデカいのをかましてやろうとしか考えていなかったのだ。
しかし、あれと違うのは鳥の動きだ。術者が魅せる事を意識しているのに合わせ、二羽で舞い踊るように互いを蹴散らしているのだ。
しかし、決着は直ぐについた。風の不死鳥が炎をまき散らしながら消える。残った風の魔力はすぐさま主の下へ戻り、次の一発へと繋げる。
地面を蹴り飛び、宙から魔力で生成した五本の槍をそれぞれの魔力に変換しながら連続で投げ飛ばす。
アサナトは直ぐに防いだが咄嗟に作った結界では五本分は耐えられず割れ、エテルノはそこで生じた怯みを見逃さず斬りかかった。直撃する直前の所で、アサナトは引き出し魔力を前に出し、衝突した魔力は爆発を巻き起こした。
爆風はアサナトの体を強く押し、尻餅をつかせる。
これで、勝負ありだ。
「決まりましたーーっ!!」
司会のその言葉を合図に、会場は更なる熱狂の渦に巻き込まれる。
「たたたぁ……お前久しぶりだってのに容赦ねぇなぁ」
「お前に手加減して何になるってんだ。ほら、立て。まだ終わってないぞ」
「そーだなぁ」
差し伸べられた手を握り、ひょいと立ち上がる。遊戯試合では、最終戦の後に大トリとして戦った選手からの挨拶があるのだ。
スタッフから渡されたマイクを手に取り、音が入らないようエテルノは一つ息を吐く。
試合中は気にならないカメラだが、この時だけはいつも撮られている事を意識して緊張してしまう。久しぶりの事だから猶更。だが、ここまでが仕事だ。
「皆さま、ご観戦ありがとうございます。今回最終試合を務めさせていただきました、遊戯戦闘魔法使い、エテルノ・マールと」
「アサナト・パデラだぜ! 皆、ひっさしぶりー!」
「まぁ多くの方にとって久しぶりではないでしょうが。どうやら今では、伝説だなんて大それた呼び名が付いているようで。少々気恥ずかしいですが。光栄です」
「なぁエテルノ、ちなみに『北風の王子』とどっちが恥ずかしいかぁ? 絶対王者サマー」
「はい、無視しますね」
お笑いのような会話に、会場から笑い声が上がる。アサナトがこれを狙っているのかはエテルノも知らないが、王子呼び弄りは心底ムカつく。後で殴ろう。そう決めつつ、相棒を肘で突く。
「アサナト、お前も一言」
「おうよ。よぉ皆ぁ! この俺、太陽の王子サマだぜっ。今日は歓声ありがとなっ! 久しぶりの試合、サイコーに楽しかったぜ!」
ニコニコで観客席に手を振り、エテルノの
肩をグイッと引き寄せる。
「これからもエテルノと俺をよろしく頼むぜ! お姫様?」
ウィンクを飛ばし、女子の黄色い歓声が上がった。
ちなみにその時のカメラには、エテルノが非常に何か言いたそうな訝しげな顔をしているのもしっかりと映っている。
「ほら、お前も王子だろ? ちょっとはそれらしく、ほら、お前等だって見たいだろー?」
問いかけに、主に女子達の「みたーい!」の声が響いた。
「ほら! 俺も見たーい!」
「っ……ぅ、だから、僕はそういう営業は出来ないと……っ」
客の声に答えるのが遊戯戦闘魔法使いとは言うが、流石に管轄外のようだ。
マールは、そんな先祖に若干いたたまれなくなってきて、誤魔化すように呟く。
「アイドルでもやってんのか、アイツ等は……」
『まぁ似たようなモンですわ。アイドルも遊戯戦闘魔法使いも、客商売さかい』
トリハは翼でくちばしを隠しながら小さく笑っている。
「なぁエテルノー、締めが長くなるといけないんだろ? 早く早くー、王子さまー?」
「お前、後で覚えてろよ……」
エテルノが小さく漏らした時、以心伝心か何かの、マールもパデラを殴りたくなっていた。
しかし、エテルノもこの手の下りは、何回か経験済み。やりたくない訳は、一度これで客を沸かせると委員会が王子営業に味をしめるからだ。
だがここまでが仕事。エテルノは息を吸い、始めて見る爽やかな笑みを浮かべる。
「それでは。またお会いしましょう、僕のお姫様」
それでこそ、王子様のようなそんな振る舞いに、再び黄色い歓声が上がる。
そんな中、マールは色々な感情から息を吸い、顔を塞いでいた。
「マールも、あの顔出来るのかしら……」
「想像出来ないな」
両親のそんな言葉がやけに耳に付く。
「兄さぁーん。兄さんもあの顔やってよ!」
「出来るかんなの」
その時、子孫と先祖の思考がほぼ一緒になっていたっが、観客はそんな事知る由もない。
ほんのりと赤くなっているエテルノに、一部の女性客が盛り上がっている。
「戻るぞアサナト!」
「おう、そうだな。じゃあなー!」
エテルノが先に姿を消し、続いてアサナトも退場する。そうして、今回の遊戯試合は終了となる。
司会の忘れ物に注意しろといった事のアナウンスを聞きながら、荷物をまとめる。
観客がぞろぞろと帰る中、楽屋では――
「お前、マジであれ止めろ。僕はそういうキャラでやってないし無理なんだよ、恥ずかしい」
エテルノが文句を相棒に言いつけていた。
「えー、北風の王子良いと思うけどなぁ。カッコよくね?」
「何が王子だ……大体あれは、委員会がふざけてつけた肩書だろ、なんで引き継がれてんだ」
他の人がいないのを良い事に、不機嫌さ隠す事無く椅子に座り、つい数秒前の王子様スマイルから考えられない程顔を顰める。
「まぁ、お前はどっちかってと、俺のお姫様だもんなぁ。王子が出来ねぇのも無理はねぇよな」
アサナトもその前の椅子に腰を掛け、小さく笑う。そうして相棒に顔を向け、おちょくるように口角を上げた。
「今からでも委員長に言って変えてもらうか?」
「ふざけるな、誰が公言していいつった」
即答も良い所だ。
「ははっ、やっぱお前は、そう言うツンケンした態度の方が可愛いぜ」
「言っとくが、今日は相手してやらないぞ。僕は疲れてるんだ」
頬に触れてきた手を払い、立ち上がる。
「帰るぞ」
自分を置いて先に帰ってしまった。本当に、ツンケンした奴だ。
「ははっ、可愛い奴め」
小さな声で笑うと、机の陰にいたアレックが顔を出す。
『お前等、私もいる事を忘れるでないぞ。いちゃつくのは構わんが、誰かが入室してきた事には気付け。気配を消して入った私も私だが』
「すまんなぁ、アレック。俺達も帰ろっか」
これ程大きい蛇をひょいと抱え上げる。アレックは慣れたようにそれを受け入れ、大人しく抱っこされていた。
アサナトが家に転移すると、エテルノは先に風呂に入っているようだ。きっとこの後直ぐに寝るだろう。アレックを降ろしてやってから、風呂場に突入する。
「お疲れぇいエテルノっと」
「あぁ、お疲れ様」
広い湯船に浸かっているエテルノ。少し端に詰めてスペースを開けると、アサナトはそこに入る。
「なぁエテルノ。今日俺めちゃ頑張ったと思わん? 楽しませてやっただろ。だからぁ、ご褒美くれよ」
「『疲れてるから今日はダメ』、なんてよ。それ言ってマジでダメだった事ねぇだろ?」
肩に触れた手は柔らかに体を撫で、腰を引き寄せる。ただでさえ近かった彼等の距離が縮まり、エテルノが顔を上げると目と鼻の先に相棒の顏があった。
普段バカみたいに何も考えていなさそうな笑顔とは違う。勝ちを確信したかのように目を細めたその表情が、誤魔化しようのない至近距離に迫る。
「……好きにしろ。バカ」
ただ顔を逸らし言い捨てた。赤くなっている事を指摘しても、きっと彼は湯のせいだと言うだろう。そんな所も含めてだ。
「可愛いなぁお前は。俺の事好きだもんな!」
「別に、好きじゃない」
「じゃあまた試してみるかぁ? 淫魔法」
アサナトはニッと笑い、彼の臍の下あたりを指先で触れる
「黙れ。やったらしばらく相手してやんないぞ」
「んー、それお前がツライだけだと思うけどなぁ。あ、もしかしてまたアレやりたい? お前のオネダリ可愛くて好きなんだよなぁ!」
「誰がやるかこのバカナトっ!!」
エテルノの柄にもない大声は、脱衣所をも超えて部屋にまで届き、
『まぁた、風呂でイチャつきよって……これが若さか……』
使い魔は様々な感情交じりにため息を突いたのだった。
さてそんな頃、寮の313号室では、風呂も既に済ませた二人が寝る準備をしている所だった。
明日も休みだ、早く寝る必要はないが、やはりマールは早寝のようだ。
「パデラ。早く来い……眠い」
「はいはーい、ちょっと待ってくれよ。炊飯器の時間設定だけするからよ」
布団から早く来いと呼んでくるマールに軽く返答しながら、炊飯器の操作盤に触れる。
「そういや、俺等の親ってあんな仲良かったんだな。んだったら俺等もちびっ子の頃一回くらい会っててもおかしくねぇのに。もしかして、記憶にないだけで会ってたりしたんかなぁ?」
パデラが首を傾げた時、炊飯器からピピっと音が鳴る。
「さぁな」
眠気からか最早聞いていたのかも分からないように言葉を返すマール。良いから早く来いと言いたげだ。パデラは微苦笑を浮かべながら、ベッドの横まで歩く。
「っと、お待たせなぁマール。寝ようか」
「ん」
同じ布団の中、マールは暖かい魔力を感じながら目を閉じる。
最初とは大違いだ。あの時は今日だけだとか言われたが、あれからずっとこうしている。今ではこうして自らすり寄って来るくらいだ、これは無意識なのだろうが。
(ま、怖い夢は見たくないもんなぁ)
しかし、パデラはそこで少しの違和感に気付いた。
心情氷結をしていた状態で、怖いと思えるものなのか? そんなちょっとした疑問を抱く。
だが、そういう物かもしれない。実際、ディーサという魔法使いは自ら造術した心情氷結により感情を凍らせ、結果的に心を病んで自殺したとされている。
そこまで考えたが、導き出された結果は「バカだから分かんない」だ、とても便利な言葉だ。
『バカっ、ピピル。どこ触ってる?!』
『んぇ? しっぽの付け根の裏側ー。面白れぇさわり心地ぃ』
そんな時使い魔達のひそひそ話が聞こえる。
『お前っ、そこに何があるか知ってるのか?!』
『わかんねぇよ? オレバカだから!』
『それで全ての無知が許されると思うな!』
どうやらこれで全て許される訳ではないようだ。ところでトカゲの尻尾の付け根の裏側には何があるのだろうか? バカだから知らない。
ちなみに答えを言えば、要約すればチソチソなるものなのだが。
それは大して気にせず、パデラは彼等のひそひそ話を聞きながら睡魔を待っていた。
さて、二人がそうして過ごしていたこの時間はまだ寝ようとしていない者の方が多く、特に大人は、逆にこれからが本番だったりする。
そして、この学園一美しい教師、サフィラも後者の類の人間だ。
「はぁ……今日の試合は素晴らしかったわ」
サフィラはだぼっとした部屋着で柔らかい椅子に座り、気の抜けた声を漏らす。
『そうねぇ。やっぱり伝説の魔法使いは違うわね、魔法の使い方が美しかったわ。輝く才能がある上に努力を重ねた者しか達せない領域よ』
「えぇ。素晴らしいわ……あのカップリング!」
輝く顔で振り返った主に、エーベネは隠す気のない呆れ顔を浮かべ毒を吐く。
『だと思ったわよ、この腐れ主』
しかしそんな毒が効くならサフィラは腐女子をやっていない。
「貴女も見たでしょう、あの明らかなボディータッチ! あれは友情以上の好意があるから出てくる行為よ! 読めたわ読めたわぁ。王子の二つ名を持つエテルノは、夜は太陽の王子だけのお姫様なのよ!」
なんとも楽しそうな事だろうか。幸せそうで何よりだ。しかし、そういう問題ではない。
『貴女ねぇ……まぁ別に良いわ。貴女が何を趣味としようと私は一向に構わないわ。ただ、子孫だけは遺しなさい! 貴女の年齢だと十になる子供がいたって可笑しくないのよ!』
「それは早くに結婚して早くに産んだ場合じゃない。五歳くらいが妥当よ」
こう言うのを、世ではマジレスと言う。
『五歳でも十歳でもいいのよ。いいサフィラ、貴女はたった一家だけあるルージュの一人娘なのよ? 貴女がそのまま子供も残さずに死んだら、ルージュの血が途絶えるのよ、分かってる?』
「分かってるわよ。お母さまみたいな事言わないで頂戴。大丈夫よ、当てがない訳じゃないわ」
『ほう? 告白してきた男子に全員に「私じゃなくて相棒とくっつきなさい!」とか言った貴女にねぇ? どこの誰よ。ワタシがルージュの婿に相応しいかどうか見定めてあげるわ』
エーベネは主の横にふよふよと飛び、人型であれば口角を上げて笑っていただろう。
そんな己の使い魔を見る事すらせず、サフィラは言葉を返す。
「そうねぇ、今私の横にいる蝶々よ」
「貴女、人型出来るでしょう? 前例はそれなりにあるから、問題はないわ。実際貴女、やったことあるんでしょ」
間接的に、男、もしくは女を探す気はないと言っているようなものだ。
『貴女ねぇ……。それは最終手段よ。それに……』
『孕むのは貴女だから。そこは間違えるんじゃないわよ』
そう告げながらサフィラの前に立った、彼女と同じくらいに美しい顔立ちの女――人型のエーベネだ。
「そうなると、仕事休まなきゃいけないわねぇ。それは惜しいわ。貴女が孕んで頂戴よ」
『嫌よ』
とても清々しい拒否に、サフィラは小さく笑う。
「ま、何せよまだ少し後で良いじゃない。安心なさい、どんなに歳をとっても美しい。それがルージュ家じゃないの」
普段生徒には見せない笑い方。そんな彼女も人一倍美しくて、
「そんな事よりエーベネ! 問題はパデマルと違ってアサエテは供給が少ない事よ!」
しかしやっぱり主は主で、エーベネはいくつもの感情を混ぜてため息を突いた。
『どうせ生き写しじゃないの……』
「いいやっ、得られるものが違うわ! いい、パデマルはまだ子どもらしい純粋で可愛らしい愛情なのよ、それに対してアサエテは愛情にドロッとしたものがあってっ」
主の饒舌な語りを聞き流し、エーベネは彼女が摘まんでいたナッツを横取りしている。
そんな風に、夜は皆が様々な時を過ごしながら進んで行った。
「暗竜さん。お手紙よんでるのですか?」
森の奥、その屋敷の一室では机の上に箱が開けられ、机の上には手紙が丁寧に並べられていた。
直ぐに見てしまうのは勿体ない気がして読んでいなかったのだが。なんだか、試合を見ていたら急にその気になったのだ。
『そうだ。ハク宛てでもあるのだぞ、読むか?』
「じゃあ……オオクニヌシ様の、よんでいいですか?」
『良いぞ』
ハクはニコニコと笑いながら手紙を受け取り、中を見る。
――暗竜。ハクちゃん。
僕だよ、オオクニヌシ。久しぶりだね。とは言え、顔を合わせられた訳じゃないけど。どうかな? 元気してる? たまーに君の国観察させてもらってるけど、君、中々やれるじゃないか。この僕を二番師匠に選んだだけあるよ!
僕なんだけど、黄泉にはもう新顔が来ないから女の子不足でさ。君の国の娘と遊びたいけど、まぁ難しいし。出来れば、ハクちゃんにも会いたいんだけどなぁ。ハクちゃん、立派な女の子になっちゃって。小さかったハクちゃんが恋しいよ。
ハクちゃん、もう会える機会はないだろうけど。たまには、僕の事も思いだしてほしいな。そうしたらきっと、夢の中で会えるだろうからさ。
暗竜も、困ったら僕の事も思いだして参考にするといい! 何せこの僕は、国づくりで有名なあの大国主様だからね!
なんだか、この文を書いている彼の顔が浮かんでくるようだ。
「うふふ、オオクニヌシ様らしいですね」
『あぁ、そうだな』
同じ意見で笑い合う二人。
一口に手紙と言っても個性が出るもの。例えば、ツクヨミの物は丁寧かつよく考えてから書いたのだろうと伝わる。暗竜やハクの体の事や国の事を案じ、アドバイスをくれるような手紙だ。一方スサノオからの物は、何を書くのか悩んだ挙句に思いつかなかったのだろう。「頑張れ、応援してるぞ」の一言が書かれていた。
「あれ。暗竜さん、スサノオ様からの手紙におまけがついていますよ」
『本当だ。何か封じてありそうだな。開けるか』
添えられていた紙の包を開けると、力が溢れだし、封じられていた剣が形を成す。
「これは……」
『草薙じゃないか! え、くれるのか、これ……』
開けた包み紙の裏側をよく見ればここにも文が書かれている、「回りまわって俺に渡されたが、もう使う事もないだろう。好きに使え」と。
『ははっ、これまた、らしいと言えばらしいか』
とはいえ自分にも使い道はないのだが。これは記念にでも飾っておくのが良いだろう。
その他にも、イザナギやイザナミからや、関わった事のある者ほとんど全てからの手紙があった。
ハクはそれを見るだけでなんだかとても嬉しくて。丁寧に並べられたそれらを見渡していると、その中に何も書かれていない紙があるのに気付いた。
「ん。暗竜さん、おなまえのないお手紙がありますよ?」
手に取って暗竜に見せる。
『本当だ。書き忘れたのか? 誰だろう……』
気になってしまった暗竜は直ぐに封筒から取り出し、その中を確認する。
それは、とても丁寧で綺麗な文字だった。手紙のお手本と言うべきだろうか、それは拝啓という書き出しの後、時候の挨拶から始まった。
とは言え、向こうもどの事項を使うべきか分からなかったのだろう。黄泉には場所によって四季が切り替わるから、一番好きな春の時候を使いましたと言った事が書かれていた。
内容を要約すれば、それは暗竜の国の発展を祈ると言った内容で、他の神と同じような事だ。
しかしその最後に、こう添えられている。
私の記憶を、貴方の国の最期の時まで、どうか忘れないでいてください。
綺麗な文字で綴られた最後の一文。
『……なるほど』
暗竜は一つ頷き、紙を丁寧にたたみ直す。
『流石、八百万の神々が住まう国だ』
「ですねぇ。国その者の存在……いるなら、お会いしてみたかったです」
かの「国」がそれを望むなら、猶更、歩みを止める訳にいかない。
しかし、犠牲を得てして成ったこの魔力の国を――自分が神でいられるこの国を、今更手放すなんて事はしない。この手に収めて置く為にも、忘れる事はしないだろう。
『あぁ』
小さく頷き、暗竜は目を細める。
『ハク。余はな、とても嬉しいのだ。ずっと、本当に姉上のような神になれているのか不安だった。しかし、余は成せていたのだ』
『自分の夢の為に多大な犠牲を払った余は、「奴等」の言う通り邪神なのかもしれない。だが、余の民は余を神として慕ってくれていた。思っていた以上にだ。余は、「神様」になれていた』
暗竜が浮かべていた表情は、正に夢を叶えられた少年だ。そんな彼を目にして、ハクは顔を柔らかく綻ばせる。
「だから、昔からそう言ってるじゃないですか! 暗竜さん」
そう言った彼女も、なんだかとても嬉しそうだったのだ。
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