●
このクニには、いくつかの伝説の魔法使いがいる。クニに産まれた最初の民と言われるハク、心情氷結を創り出したディーサ・クリエル。その中で、多くの人が真っ先に思い浮かぶであろう、エテルノ・マールとアサナト・パデラだ。
このクニ史上最も優秀とされる、遊戯戦闘魔法使い。その実力は神たる暗竜ですら認めた程であり、二人が力を合わせれば暗竜とも対等に渡り合えるのではないかと語られる程だ。それに、単なる実力だけではなく、所謂魅せる魔法と言うのにも長けている。多くの遊戯戦闘魔法使いを目指すものにとって、憧れて然るべき存在なのだ。
純粋に、最も強いという理由で語り継がれる魔法使い……しかし、彼等が伝説の魔法使いとされる由縁は、他にもある。彼等は、仕事関係者に「暗竜様に会いに行く」と報告したのを最後に、一切の消息を絶っているのだ。この話は、現在言い伝えられる伝説の多くにおいて触れられていない。しかし、彼等が伝説に名を残した理由は、本来これが最も大きかっただろう。
今や誰も知らぬ、最も有名な伝説の本当の最後。二人はどうして消えてしまったのか、なぜ最後が語られなくなったのか……知らなければ、そんな疑問も生まれない。
しかし、彼等が子を遺さずに消えてしまい、両家共に存続しなかった事は皆が知っている事。だが、幸い彼等の姉妹が子を遺し、その血は未だ存続している。それが、ルキラとエレズの二家だ。
かつてはルキラとエレズの両家のみ、伝説の本当の最後を言い伝えられていた。子孫には知る権利があると、暗竜が昔々の民にそうするようお願いしたのだ。しかし、今その二家の当主はその事を教えられておらず、当然、その息子達も知る由もない。
――寮の一室、313号室。伝説の子孫である少年二人が、ベッドの上に荷物を広げ、昨日の休みで用意した荷物の最終確認をしていた。
とは言え、持っていくのは大した物はない。携帯食料と水くらいだ。
「っと、これで完璧だな!」
私服姿のパデラは、用意したリュックがパンパンになる程の食料を詰め、それを軽々しく背負う。勿論、学校から支給された詳細が書かれたプリントと、レポートを書くためのノートとバインダー、暗竜に会う時に着る制服も忘れてない。
しかし、水の入ったペットボトルはやたらめったら重いのだ。マールはパンパンになった彼のリュックを目に、自分が背負う訳でもないのに嫌そうな顔をする。
「水なんて、飲みたくなったら自分で出せばいいだろうが……」
そういうマールのリュックは、非常に軽い。それでこそレポートを書くのに必要なやつくらいだ。食料も水も、必要になれば自分で出せばいいし、最悪森でいくらでも調達できるだろうと。
「そりゃそうだけど、なんかあった時マズいだろー? 森は魔力が不安定になるって言うだろ、まともに魔法が使えるって思わない方がいいぜ! 安心しろ、こん中にお前の分も入ってるから!」
『主、自給自足の水は結局自身の魔力を削っているから、喉は潤うが体的にはマイナスだぞ。まぁ、主は大丈夫なのかもしれないが……』
マールの魔力量はそれでこそ体に収まりきらず溢れ出てしまう程だ。寧ろ常時発動しているくらいが今は体にいいのかもしれない、なんて、そんな憶測は言わないでおいた。
『ま、オレ森の中にある水源しってっから! いざって時は取って来てやるぜ! んな事はいいから、早く行こうぜー!』
待ちきれないと言わんばかりに足にとっついてくるピピルに笑い、パデラはマールを確認する。
「はいはい。マール、そっちは準備大丈夫か?」
「あぁ。問題ない」
ひょいとリュックを背負い、こちらも準備は万端。後は、サフィラに出発の挨拶をするだけだ。
しかし、パデラはどうしても気になってしまっていた。そう、無地の白いティーシャツに簡単なズボンという、彼の私服がだ。
「にしてもマール。服、本当にそれでいいんか?」
「体温調節なんか魔力でやればいい」
「いや、それはそうだけどよ。お前、服に無頓着なんだな……」
一方、パデラの私服はオレンジ色の春用パーカーだ。彼も服にこだわりがあると言った訳ではなく着易さ重視で、何より温感に関してはマールと同じく魔力でどうにかすればいいと思っている質である。しかしだ、それでもただの白ティーはいかがなモノか。暗竜に会いに行くタイミングでは制服を着る予定ではあるから、その面においては問題ないのだが。そういう問題ではなくてだ。
「ま、マールらしくていいと思うぜ」
服は今度買いに行くとしよう。この話は閉めとして、二人と二匹はサフィラに挨拶しに職員室に向かう事にした。
職員室まで行くと、パデラがその扉をノックをしてから開ける。
「失礼しますー。一年のパデラですけど、サフィラ先生いますかー?」
職員室を見渡せば、十数名の教師がそれぞれの仕事をしていた。まだどの学年も授業が始まっていないのだろう、学年を取り持つ十名も全員そこにいる。訊かずともその中にサフィラがいた事は一目瞭然だが、そういうマナーだ。
「えぇ、入ってください」
サフィラは今後の授業についての構成を考えていたようだ。ペンを持っていたその手を止め、やってきた生徒二人を見やる。
「これから出かけるのでしょう。今朝はよく眠れましたか?」
「はい。比較的」
「忘れ物は大丈夫ですか? 記録を残す為のノートや筆記用具、水や食料なども忘れないように。魔力でどうにかなるとは言え、森は魔力が上手い事使えるかどうか危うい所ですので、用心するに越した事はありませんよ。まぁ、パデラのリュックを見る限り、大丈夫なのでしょうが」
「おう! 準備バッチリだぜ!」
荷物の準備も元気さも問題なしのようだ。顔色も魔力も好調、これなら森に出かけるのに問題ないだろう。その事を確認できたサフィラは、課外学習を目前として生き生きしている少年になんとも美しい微笑みを見せる。
「この課外学習がお二人にとって良き学びと思い出になる事を願います。気を付けて、楽しんできてくださいね。では、行ってらっしゃい。帰ってくるのを楽しみにしていますよ」
「おうよ、行ってきます!」
「行ってきます」
手を振ると、サフィラは小さく振り返してくれる。パデラはそんな事をほんの少しだけ嬉しく思いつつも、「行くぞ!」とマールの手を取った。
それでも、失礼しましたの言葉は忘れずに告げ、職員室を去った二人の生徒。そんな彼等の何気ない行動が、一人の先生の妄想を捗らせていたのだが、そんな事は知る由もないだろう。
職員室を出ると、外で待っていた二匹の使い魔が、それぞれの主の下に付いて歩き出す。
『なぁなぁパデラー! とりあえず、森ついたら散策しようぜ! 宝探しだ、何かあるかもしれんぜ!』
「お、いいな! 折角だしな!」
まだ出発してて全く時間の経っていない道中、早速はしゃぎだすピピル。パデラもそれに大層乗り気で、本気で宝探しでもし始めそうな気配すらある。
『これは課外学習だ、遊びに行くのではないのだぞ。相応に気を引き締めてだな』
『んだけど、楽しまないと損だぜ! なっ、マール!』
「なぜ僕にふる……好きなようにしろ」
『ほら! お前の主もこう言ってる!』
どうやら、マールの同意を得られればディータも丸め込めると思ったらしい。マールは基本、好きにしろと返答するのだから、安直ながら中々勘のいい発想だ。しかし、表情と尻尾からその意が見え透き過ぎている。しかしピピルは、呆れ半分に思われていそうな目も気にせずルンルンと歩いていた。そもそも同意を得られるかどうかはさして関係ないのだろう。
学園がある場所が森に近いと言ったこともあり、森の入り口までは十分程も歩けば辿り着いた。道なりに現れた生い茂る木々の集団の中には、しっかりと整備されて歩きやすくなっている道が見える。その道に足を踏み入れれば、なんだか澄んだ朝日のような力を感じるような気がする。
しかし、些細な事だ。彼等は気付かず、平穏な森を進む。
「正直、暗竜様に会いに行くまでに何か起こるとは思えねぇよなぁ。レポート書く事あるかなぁ」
『恐らくだが、先生は森の魔力が不安定になる中でどう魔力を活用できたかを知りたいのだろう。その事について書くと良い』
「おっ、なるほどな!」
パデラは納得できたようだが、今この状態、森に入ったのに魔力の流れがごく普通である事を不思議がっているようで、表情にその疑問が出ていた。
それについては、マールが知っている。昔に聞いた話ではあるが、魔力が扱いづらくなるのは森の中盤辺りだそうだ。ある地点に近寄ると現象が起こり、離れると徐々に戻り、暗竜の所にたどり着く頃には問題なく使えるようになるのだ。だから、今はなんともないのだろう。
同時に、マールは思っていた。サフィラが求めてる道中のレポートは大方ディータの言う通りの物だろう。魔力が潤滑じゃなくなる地点で、自分達が……主に自分が、どうやってやり過ごしたかの記録だ。教師である彼女にはとっくにバレているはずだ、魔力がなければ何も出来ない事を。
「まぁ。レポートに関しては、暗竜様に教えて貰った事が本題だろ。道中の事を書くなら、夜をどう過ごしたかになるだろうな」
しかし、それらの事は濁して話した。面倒なくだりになるのは容易く想像できたからだ。
「そういや、野宿だもんなぁ。マール大丈夫かぁ?」
「得意分野だ。魔力さえあれば」
マールは湯で出来た球体を手の上に浮かべ、「風呂は余裕だ」と言う。パデラは好奇心からその湯に指を突っ込んでみたが、丁度いいお湯加減だった。
湯船となる物体を形成し、そこに魔力から生み出した湯を注ぐ。原理は簡単だ。が、同時に二つの魔法を使っているような物だろう、それなりの魔力量が必要だ。
しかし、先に野宿で考えるべきなのは風呂より寝床だろう。
「んだけど、寝る場所はどうするんだ? 流石によ、ベッドは厳しいだろ」
「寝る所は、テントを出してたが。今ならベッドでも行ける気がする。試すか?」
「いや、どーせならテントにしようぜ! キャンプみたいでめっちゃいいじゃん! てか、そんくらいなら俺も出せるかも。やってみて良いか?」
「好きにしろ」
マールの返答は言葉だけだと素っ気ないようだが、見てみれば彼もどこか楽し気だ。主達の弾む会話を聞きながら足元に歩くその使い魔は、彼等がまだ子どもである事を実感している。そして同時に、
『ん? テントを出してた……え? マール、野宿したことあんの?』
そんな疑問を抱いていた。
しかし、呟かれた言葉は当人の耳には届かず、唯一聞こえていたディータに小さく『触れるな』と注意されてしまった。
そのようにして彼等は遠足気分で歩き、昼頃に木陰に座って持ってきた食料を食べた。
魔力で保存が効くようにされたパックにはそれぞれ中に入っている物の写真が印刷されており、パックにごく少量の魔力を当てる事で食べられるようになる仕組みだ。保存が効き、尚且つコンパクトで持ち運びにも便利と大変人気な商品だ。年々と種類も増え更に好評となりつつ品物だが、パデラがこれを持ってきたのは少し意外に思う。
「お前は、こういう保存食は好きじゃないと思っていた」
「んまぁ、普段の食事に使うのはアレだけどなぁ。料理出来ない時には最適だぜ? 味は落ちるけど、そんな気になる程じゃないしなぁ」
パデラは解凍したハンバーガーを食べながら笑った。何も彼は、こういった食材が絶対に嫌と言う訳ではないのだ。
『その魔力で味落ちるっての、オレよくわかんねぇ。舌がバカなのかなぁ』
そう言うピピルは、主と同じハンバーガーを頬張っていた。ピピルからしてみれば、これもとても美味しく感じるのだ。勿論、魔力に触れてない物と比較して味が落ちてるとは一切思わない。恐らく、食べ比べても違いが分からないだろう。
『舌も馬鹿なのだろうな。まぁ、貧乏舌はある意味幸せな事であるぞ』
「気にならないならそれに越した事はねぇしなぁ。魔力使用ありの食材は安いし! 安上りだぜ」
彼が推す点はなによりそこだった。
生産途中で魔力が使われた食品は安い、これに限る。逆に言えば魔力完全未使用食品はまぁお察し、何せ全ての過程において一切魔力を使わずに人の手でやっているのだから、高くなるのも必然。生徒には食材を無料提供してくれる学園敷地内のヤマコウですら、完全未使用食品はお金を支払わないと買えないくらいだ。そんな中で、パデラが良く使う魔力未使用食品はその中間辺りの値段で、少し高めだが普段使いで買えない値段ではない。また、嬉しい事にヤマコウでは無償提供の対応商品だ。
が、これは学生だから得をしているに過ぎない。魔力の未使用に拘るには相応に金がかかる。要するに貧乏舌は安い食材でも満足できる舌と言う事だ、それはそれで幸せだろう。
言われて、ピピルもそれが案外良い事かもと思い始め、残りのハンバーガーを飲み込む。そして同時に、ディータに言われた言葉が頭に過り、ハッとした。
『そうだなぁ……っておい待て、ディータお前、舌「も」つったー!』
『ふっ、気付くのが遅かったな。そういった所が馬鹿なのだ』
ディータは、今更気付いて勢いよく首を上げたピピルに一笑する。そうしてピピルはぷっくりと頬を膨らませ、『まーたそうやってバカにするぅー』と、ばしんばしんとディータを叩いた。
そんな彼がなんだか面白くて、ディータは笑いを堪えながら彼を尻尾の先で押し返す。
『ちょっとした戯れだろう。大体お前は、馬鹿を嫌がる時と受け入れる時の違いはなんなのだ』
少し気になって問うてみれば、彼はニパァっと笑みを見せる。
『気分!』
つい先ほどバカと言われて怒った奴とは思えないその清々しい笑顔に、思わずこちらも力が抜けてしまいそうになる。そう言った面で、彼は太陽の光の使い魔に相応しいのだろう。褒め言葉で表すなら、無邪気やら明るいやら元気やら色々思い当たるが……ディータは敢えてそれ等を使わなかった。褒めたら負けな気がしたから。
そんな使い魔達の戯れを眺めながら、マールはデザートにカスタードプリンを食べている。
そんなマールだが、違いは分かるが全く気にしない派だ。このプリンだって、前にパデラが作ってくれた奴の方が美味しいが、それは意地でも言わない。なぜか? 褒めたら負けだからだ。
空になった容器は、魔力に変えて宙に放る。ゴミが出ないのもこの商品の良い所だ。
ハンバーガーとプリン一個じゃ少し足りないような気もするが、これもまた言えばパデラに癪な反応をされそうな気がして口にはしない。
「マールもごちそうさまか? んじゃ、少し休んだらまた進むかぁ」
「あぁ」
空腹も埋まった事だ、彼等はまた先に進んだ。
あまり歩き続けると足に負担がかかってしまう。程よいタイミングで休憩を挟みながら歩いていたのだが、三時間も経った頃には、マールの中では疲れより退屈さが勝っていた。
聞いていた通り、魔力の流れが悪くなっているのを感じる。魔力を使って歩くのには支障ないが、魔法を使おうとすれば制限が掛かりそうだ。もしこの状態で戦ったら……そんな好奇心と、ただ歩き続ける事の退屈さで、マールはついに思い立った。
「パデラ」
立ち止まったマールに呼ばれ、パデラも足を止める。
「ん? なんだ?」
「戦わせろ」
端的なそのお誘いだった。
パデラは一考した後に同じ思考に至ったようで、、挑発的な笑みを浮かべて返答する。
「おうよ!」
本来、この状況下で戦闘はすべきではないが、ここで止めるのも野暮だろう。ディータはそう思い、彼等の好奇心を止める事はしなかった。
森の一角、少年達は道から外れた場所で手合わせを始めた。木々の合間、整備された一本道とは違い根っこや落ちた石で不安定な地面の上を駆け、互いに嗾けあっていた。
しかし、魔力が制限されている中で魔法を使うのはそれなりにキツイ様で、以前見た戦闘より勢いが劣っているように見える。
こういった時こそ、使い魔の出番だ。
『パデラ! 援助するぜー!』
『だからっ、主達はまだ共闘について学んでいないのだと……!』
咄嗟に援助魔法を投げようとしたピピル。案の定ディータには叱られそうになるが、彼は気にせず自身の魔力を固めた弾を投げ飛ばす。
そんな時だ。ピピルの飛ばした魔力が、妙な軌道を見せたのだ。
本来なら真っ直ぐとパデラに向かい、彼の戦闘を援助しただろう。しかし、それは行く先を迷うかのように宙を行ったり来たりをしている。
可笑しい挙動に気付いたのは、戦っていた二人もだった。
それぞれ木の上で次の戦闘態勢を取っていた彼等だったが、手を止めて迷う魔力を見る。
「なんだ、どうしたんだあれ?」
「僕が知るか」
魔力は行く先を見つけられないまま散乱していった。
不思議な現象に、ピピルが首を捻る。森の影響か。しかし、あの挙動はまるで、主がもう一人そこにいたかのような――
途端に、ピピルの尻尾が反応を示すようにピンと立ち上がる。
『おい待て! ピピルっ!』
突如駆けだしたピピルを呼び止めるが、彼の耳には届かず、道の続かないない木々の奥へと進んでしまった。
「なんだかわかんねぇけど追うぞ!」
『あぁ』
見失ってしまう前に、薄黄色の鱗の背を追う。彼が何に気付いたのかを問うのはそこからだ。
すっかり元の道から外れた獣道。何かを探すようにキョロキョロしながら駆け抜けるピピルは、とある一角に立ち止まる。
『ここだ……!』
『パデラ、マール! 魔力出して!』
何かの魔法を使ってほしいとかではなく、ただ単に魔力を出せと。不思議な要求だが、そうお願いしてくるピピルがとても必死に見え、やってやらなければと思えた。
マールが自身の魔力を引き出そうとした。そこで気が付いた。体を巡るそれに先程のような扱いづらさがなく、寧ろ体内の魔力が何かに共鳴するかのように活発化しているのだ。
パデラに目をやれば、彼もそれを感じたようで、これは何だと言いたげにこちらを見ている。
考えられるのは、この場所に何かがあると言った事か。それを判明させる為にも、ピピルの願いを果たさなければならない。二人は、手の平に自身の魔力を浮かべる。
途端に彼等の魔力が力を増し、強風が吹き荒れた。
たった数秒の短い時間の風が引き、瞑った目を開く。
目の前に立っていた二人の人物が目を開いたのも、また同時の事だった。
「「ぅえええええええええええ!」」
そして、互いのコンビの赤髪の方が叫び声を上げたのも同時だ。