他の付け合わせを考えるパデラを横目に、マールは本棚に入っている本を一冊手元に持ってくる。ここに入っているのは、基本的に学校側が初期で入れている書籍かパデラが買ってきたレシピ本だ。特に何も見ずに引き寄せたから、そのうちのどちらが出てくるかは分からない。
そして、魔力に引き寄せられ手元に入ったその本は「心理魔法の達人が教える! ツンデレをデレさせる方法」。その時のマールの中に沸いた心情は、「は?」だ。
「パデラ。これはなんだ」
問うと、パデラは冷蔵庫を閉じてからそれを確認する。
「ん? あぁー、それ。お前の弟からもらったやつ! この前買い物行った時、偶然リールと会ってよ。きっと役に立ちますって渡されたんだ」
この前、と言うと夕飯がチキン南蛮だった時だろうか。自分が図書館で本を読んでいる間、夕飯の買い出しに出かけていたのかもしれない。そこでバッタリとリールに会っていたのなら、その光景は想像に難くなかった。
それにしてもだ、何なんだこの本は。何を暗示しているのか、兄を馬鹿にしたいのか。全くもって可愛くない弟だ。顔を顰めながら、マールはその本を読まずに本棚に戻す。
「あ、そういやそん時リール言ってたぞ。『今度、父さんと母さんと一緒に会いに来るね!』って」
その時、彼はパデラから言われた言葉で動きを止めた。
今、何と言ったか。聞き間違えじゃなければ、父さんと母さんを連れてまた会いに来ると言わなかったか? 考えて、マールはたった一言を告げる。
「来るな」
「いや、俺に言われてもよ」
あからさまな拒絶に苦笑いする。パデラに言った所でだ、リールの連絡先を知っている訳ではないから伝えようがない。ちらと伺ってみれば、マールは明らかに嫌そうで。これまで表情に、と言うより、オーラに出ているマールは初めて見た。
「ったく。リールの奴、余計な事しやがって……」
「ははっ、カワイイ弟じゃねぇか。俺、下の兄弟はいねえからよ、羨ましいぜ」
「お望みなら譲ってやるよ。全く可愛くないからな」
苦虫でも噛んだような顔をして、本当にかわいくないと思っているのだろう。まぁ、言わんとしている事は分かるが。リールの如何にも末っ子らしい可愛らしさは計算して出された演出、つまり彼は、ぶりっ子という訳だ。パデラでもそれはなんとなく分かったが、傍から見れば「お兄ちゃん大好きな可愛らしい弟くん」である事には変わりないのだ。
「昔から、愛想だけは無駄に良い。愛嬌振りまいとければいい思い出来るって分かってやってんだ、本当に可愛くない」
頬杖を突いた顔をフイっと逸らして吐き捨てる。その仕草が、どことなく拗ねているように見えたパデラは、わざとらしい表情で「ははーん」と口にする。
「さてはお前、皆が愛想のいい弟ばっか構うから拗ねてるんだろぉ?」
「違う」
「嘘つけぇ! マールぅ、求めない者には与えられないんだぜぇ?」
ひょいひょいと頬を突き、マールを煽る。わざわざテーブルの方まで歩いてきて、それが愉しいのかと言いたげな目が向けられたが、パデラは気にしない。そもそもその目の意味に気付いていない。
「だから、違うっての」
ペシンと軽く手を弾き、ため息を突く。
そんな主を見たディータは、聞こえない声でこそっと囁いた。
『違くなさそうだな……』
『難儀な性格だぜ』
『お前、難儀なんて語彙持っていたのだな』
ピピルの口からそんな言葉が出てくるものだから、思わず口に出してしまった。
意外に思われたのが不服だったようで、ピピルは心底心外そうな顔でディータを見た。
そんな二匹のやりとりは知らず、パデラはマールの向かい側に座る。
「ま、今度来るつっても今すぐに来る訳じゃねぇだろ。今日とかまだ三時だし時間はあるけど、リールは時間割り知らないだろうしな」
あははと軽く笑う。そういう発言を世間ではフラグと呼ばれているのだが、彼は知っているはずだ。
「パデラ。そういう事言うな」
「ぅえ?」
間抜けな声を漏らしたその直ぐ後、コンコンと扉がノックされる音が響く。
「兄さーん。僕だよ僕。兄さんの可愛い弟が遊びに来たよー」
まだ声変わりの気配を感じない幼めの声、聞き覚えのあるそれは「可愛い弟」を自称した。これだけで答えを物語っている。見事なフラグ回収だ。余りにも鮮やかで、見る人が見れば感動モンだろう。
「……恨むぞ」
「いやいやいや! 俺のせいじゃねぇって!」
理不尽にも恨まれたパデラ。出るか出まいか思考していると、先んじてマールがため息を突きながら立ち上がり、玄関に赴く。
片手をドアノブにかけ、もう片方の手には、活性化させた魔力が浮かんでいる。
「まーてまてまて! マールっ、気持ちは分かるけど攻撃はするな! もっと面倒な事になるぞ!」
「安心しろ。僕の可愛い弟は、この程度でどうにかなるもんじゃない」
慌てたパデラの制止も聞かず、彼は扉を開けた早々に魔力の塊を飛ばす。
扉の直ぐ向こうにいたリールは分かっていたかのようにその弾を片手で受け止め、自身の中に吸収してしまった。
その瞬間、余裕だと言いたげにニヤッとした彼だったが、すぐさま傷ついたような表情に切り替え、わざとらしくも抗議してくる。
「兄さん、酷いじゃないかぁ! こんなに可愛い僕に攻撃するなんてっ。母さん、なんとか言ってやってよ!」
リールが同意を求めたのは、彼の隣にいた母だった。リールの母なら、必然マールの母でもある。となれば、反対側にいる男は父だろう。どうやら、マールの金髪は父親譲りのようだ。
「あぁ……そうね。攻撃は、良くないわ」
母は戸惑っているようにしながらも、息子に同意してあげた。リールと同じような顔のお陰で一見愛想のいい人に見えるが、マールと同じように静かな人のようだ。そして静かな性格なのは、父の方も同じのようだ。
「父さん、何か言った方がいいよ! せっかく兄さんに会えたんだからさっ」
「あ、そうだな。えっと……久しぶり?」
促され、ようやっと拙い久しぶりを口にする。両親揃って、その態度が「息子に」と言うには不自然で、距離感を掴み損ねている印象だった。
そんな両親に、リールは不満げに頬を膨らませる。
「もうっ、下手くそ! とりあえず兄さん、中に入れてほしいな。ほら、ここで話すと目立つでしょ? 兄さんもそれは不本意だよね」
「……入れ」
一考した末、リールの言う事も最もだと思ったのだろう。クラスメイトに見られて後でとやかく話しかけられても面倒だ、であれば中で話してとっとと帰ってもらうのが良い。この自称可愛い弟は、そうでもしないと引かないだろう。
二人部屋で設計されている部屋には、机を囲う椅子が二つしかない。しかし、そんなのは魔力でどうとでもできる事だ。すぐさまパデラが気をきかせ、人数分の椅子を追加で用意し「どうぞー」と座るよう促した。
両親は最初こそ遠慮したが、リールが遠慮の欠片もなく「ありがとうございます~」と座ったのを見て、おずおずと腰を下ろす。
そうして母は、そんな愛想のいい少年を控えめな視線で見詰める。
「貴方は……マールの、相棒?」
「そうだぜ! 俺はパデラ。マールのルームメイトで、相棒なんだ」
『そんでもってオレがマールの相棒のパデラの使い魔! ピピルだぜ!』
『挨拶が遅れ申し訳ない。お宅の息子さんの使い魔となった、ディータだ。よろしく頼む』
続けて二匹も名乗り、二人は何を考えているのか分かりづらい無に近しい表情で名乗り返す。
「僕はリクザ。息子が世話になっているようで、ありがとう」
「マールの母の、マヤと言います。これからも、息子と仲良くしてやってね」
簡単な挨拶を済ませると、再び口を噤んでしまう。
この様子、気まずさを感じる。一番話を回しやすいはずのマールは、不機嫌そうに頬杖を突き、一切何も言わない。ここにリールとパデラがいなければ、修羅場にすら感じただろう。
「ねぇ兄さん、学校はどうなの 楽しい? 僕も三年後には入学するから、もっと頻繁に会えるようになるね!」
その修羅場感も、このグイグイ来るリールのお陰で大分緩和されている。が、これはこれで一種の険悪さを際立てているような気もするが。
「いらない」
「酷いなぁ兄さん。可愛い弟に会いたくないっていうのかい!」
「あ、ねぇねぇ母さん父さん。兄さんはね、パデラさんには大分デレてるんだよ。この前なんて、実力だけは認めているって言っててさぁ。妬ましいよ、兄さんにそんな事言ってもらえるなんてさ!」
マールを横目に一見した後、何を思ったのか突如そんな報告をわざわざ父と母にする。これは、色々な意味でわざとだろう。マヤの腕を軽く引き、見るからに可愛らしい仕草で話している。
「それは、凄いね。パデラくん、強いんだね」
「マールと同室なんだもんな……良かったな。渡り合える相手がいると、大分違うはず」
お互いに素直に感心しているようで、彼等のパデラを見る目からは好感度上々である事が伺える。
「はは、そうでもないぜ! 俺はこれでも常識レベルの強さだけど、マールはマジで桁外れだからなぁ。魔力覚醒が三か月って、マジで初めて聞いたぜ。ちなみに、リールはいつなんだ?」
「リールは、一歳の時だった」
「正確に言えば、十一か月ね」
三か月を聞いた後だと見劣りするが、十一か月も大概桁外れだ。パデラの二歳ですら大層驚かれるレベルなのに、一年を切っているこの兄弟は本当にとんでもない。
驚愕したピピルは、その流れで問いかける。
『すっげぇ……え、じゃあ二人は? どうだったんだ?』
「覚えてない」
「うん。如何せん、昔の事だから……」
『けど、きっと早い方なんだろうな! ルキラって、結構つえー家系だもん!』
『あ、なぁなぁ! 二人も学園出身か? んだったら使い魔もいる!? 何系? 爬虫類系だったりする? 爬虫類系だったらオレの友達だと思うんだ! なんてヤツ?』
「あ、えっと、僕のは、幻獣系かな。基本は鹿」
異様にグイグイくるピピルに、リクザは押され気味に答える。彼はマヤに助けを求めるような視線を控えめに送ったが、妻もまた彼と同じタイプである為に、助け舟を出してやる事は出来ない。そういう意を込めて、弱く首を振る。
そんな彼等に気付いたディータが、尻尾の先でピピルを制止した。
『ピピル、食いつき過ぎだ。困っておられるだろう』
「そうだよー。父さんと母さんはね、コミュ障の人見知りもいい所だからね! 最初に押し過ぎるとその分引いちゃって逆効果だよ。兄さんと同じ、最初が一番難しいんだ。仲良くなったら簡単なんだけどね! 父さんの相棒さんがそう言ってた」
「ちょっと、リール……」
「だって、事実じゃん?」
悪戯っ子のような笑みでこてんと首を傾げる。「事実だから言っていいという訳じゃない」と、リクザが小さく文句を垂れるが、リールはちっとも気にしていなかった。
珍しくはない親と子の会話だ。しかし、どうもパデラの中で突っかかってしまっていた。それは、マヤとリクザから、本人の意に拘らず溢れた魔力が原因だ。
以前リールからもらったあの本にはこんな事が書かれていた、「目は口程に物を言う、それと同じように、魔力は目以上に物を言ってしまうものです」と。心理魔法は齧ってすらいないが、魔力の扱いには自信があるパデラ。だからこそ彼は、溢れる魔力から後ろめたさを感じ取っている。
何かあったのだろう。そのくらいの予測は、いくらバカと言われるパデラでも付いた。
やけに兄に構う弟、長男に対し後ろめたさを持つ両親。そんな家族に、やけに冷たいマール。この条件が揃えば、何かはあろう。が、頼まれていないのに構う事はするべきじゃないだろう。少なくとも、リールは両親を連れて会いに来た、家族で仲良くしたがっているのは確かだ。
「僕は出るぞ。パデラ、相手してやれ」
「ぅえ? お前が出てどうすんだよ、お前の家族だろ」
「……知ったこっちゃない」
パデラは吐き捨てるように言う彼を呼び止めようとしたが、言葉が出るより先に部屋から出て行ってしまった。
少しの沈黙が流れる。その後に、目を伏せたマヤがぽつりと呟いた。
「やっぱりこうなる」
「当たり前だ」
平坦な言葉だった。彼は表情を変える事もせずに立ち上がり、「帰るぞ」と告げた。マヤもたった一言「そうね」とだけ答えた。
「待ってよ! だけど」
立ち上がった勢いで、リールの座っていた椅子がガタンと大きな音を立てた。パデラは予想外にも響いたその音にビクっと肩を震わせ、家族を見やる。
焦っているようなリールの表情からは、可愛い狙いのあざとさが見当たらず、ただここで引きたくないと言った必死さがあった。
しかし、リールがそうして意地になっているように、リクザもまた譲る気配は無かった。
「マールが嫌がってる、それなら関わらないのが良い」
「そうやって父さんも母さんも一歩引くからこうなったんじゃないか! せっかく、会える所まで来てくれたのに、また同じ事をするの? 変わるかもしれないじゃん!」
「理想論は理想に過ぎないの。私達がどうしようと、悪化するだけだよ」
親子喧嘩だ。あの空気感、少し間違えたらこうなると予感していたが、やっぱりなってしまった。一気に乱れた魔力の調和に勘付き、パデラは反射で親子の間に割って入る。
「分かったケンカするな! 一旦落ち着け、深呼吸だ。暴発するぞ!」
『そーだぜ! 危ないぜ』
その声に、大人はハッと今の場を思いだした。
息子の友人の前で見せていいモノではなかっただろう。リクザは自身の中で魔力を沈め、止めてくれた少年に目を移す。
「すまない。パデラくん」
「いいのいいの。ほら、もう一回座ってくれ。このまま帰しても家でまた続きやるだけだろ。仲裁してやるから、今ここで話し合えって」
飽く迄も優しく提案してみる。これはきっと、彼等だけで言い合っても解決出来ない事だ。どちらも頑固になっている状態で、放ってはいけないと判断したのだ。
マヤは口を小さく開いたが言葉が出される事はなく、大人しく同じ椅子に座り直した。
「とりあえず、深くは聞かないぜ。話せる範囲で話してくれ」
問うてはみるが、両親は何も答えられなかった。葛藤があるのだろう。大人として築かれたプライドがあり、この状況を作り上げた過程どう表現したらいいのか分からないと言うのもあった。
末に、リールが口を開く。
「……パデラさん。知ってると思いますけど、兄さんは心情氷結をしていたんです」
「え?」
その告白に、パデラからあまりにも間抜けな声が出た。
「え?」
そして、思いも寄らぬ反応に、またリールも同じ声を漏らす。
「え、心情氷結? マジ……? あれ、俺の思い違いじゃなかったの?」
「ほんと……バカラさんですね」
その回答に、小さく笑って言い捨てる。
「こら、リール」
流れるかのような罵倒をリクザが注意をするが、パデラは気にしていない。バカなのは事実だ。そんな事よりも、心情氷結がされていた事実の方だ。
驚いているパデラに、リールは呆れたような顔をして説明する。
「パデラさん。貴方は太陽の光なんです。いくら強固な氷でも、太陽の近くに置けばあっという間にとけるでしょう? 兄さんの魔法は、貴方と出会った時点で五割はとけたんです。覚えていませんか、兄さんの目に、魔法陣が浮かんでたでしょう。あと首元にもありましたね。今はないんです、貴方が魔法をといたから」
そう言われ、パデラは思いだした。リールの言う通り、確かに魔法陣があった。大して気にしなかったが、今考えればあれが術をかけている証拠だったのだ。
思い返して、気付かなかった自分に頭を抱える。ただの感情表現の乏しい奴じゃなかった。いや、元よりそれもあるのだろうが。本当に、凍っていたのだ。
じゃあ何で? なんで心情氷結なんてしていたのだ? パデラのその疑問は、口にされずとも表情の動きで伝わったようだ。
リールは一つ息を吐き、そんな疑問に答える。
「感情がうっとうしいからですよ。心情氷結をする理由なんて一つしかないでしょう。かのディーサ・クリエルが、その魔法を造術したのも同じ理由だったはずです」
ディータは微かに頭を上げ、話す彼を見る。繕わない素の彼は、マールとはまた別の系統の、歳に似合わない空気感を持っていた。
「ルキラもクリエルも、人付き合いが得意な家系じゃありません。見てわかるでしょう、父さんも母さんも、息子に対するそれらしい構い方なんてわかってないんです。兄さんも兄さんで、息子らしい甘え方も知らない。父さんも母さんも、こっちから求めなきゃ愛情の与え方すら察せないというのに。そのくせ心底では人並みに甘えたがる、その結果ですよ」
「それに、称賛すら素直に受け取れないような奴なんです。『天性の才能』なんて大層な呼ばれ方をして、一回もそれをよろこんだ事がない。むしろ、自分自体には価値がない、なんてひねくれた解釈をするんです」
浮かべた嘲笑の対象は、一体誰だったのだろうか。ねだる事が出来ずに望む人から欲しいモノは与えられず、知らぬ大人達から与えられた望まぬ称賛をまともに喜べなかった兄か。そんな息子の事を知っていても尚、上手いやり様が分からずに与えられなかった両親か。将又、何も出来なかった自分にか。どれにせよそれは十歳の少年が見せる表情ではなく、パデラの心に何かが刺さったような痛みが走った。
『……我が思うに、後は時の問題だろう』
『魔力が多いのなら猶更、幼ければ幼い程感情の統治が人一倍難しい。主がそのようになったのは、主が魔力に恵まれている故だ。しかし、原因がどうあれ氷は融けた。主の魔力量に体が追い付けば、魔力による精神的弊害も減るだろう。そうすれば、それらの感情もいずれ消化出来るようになる』
『感情を疎ましく思うのも、若さ故だ』
ディータはそう締めくくり、再び顔を伏せる。彼の言い方は少し小難しくもあったが、要は彼が最初に言った通り、時の問題だ。
「あれだろ。結局、お父さんもお母さんも、家族で仲良くしたいんだろ? それなら大丈夫だ。そう難しく考えなくたっていい、思ってる事を言えばいいんだ。リール程にとは言わないぜ、だけど、言わなきゃ伝わらないからな」
それが出来ているのならこうはなっていない。しかし実際、それしかないのだ。
「不甲斐ないな。子どもにそんな事言われるなんて」
リクザは弱く笑った。
長男と同い年の子どもに道理を説かれてしまった、相棒に知られたらどれ程笑われる事だろうか。数時間笑い通した挙句、恐らく三日三晩は思い出し笑いをしやがるだろう。その光景が鮮明に思い浮かび、微かに顔を顰める。
パデラから見た時、彼が何を考えてその表情をしたかは分からなかったが、ムッとした彼の表情がマールと似ている事だけは分かり、「やっぱ父親似かぁ……」と呟く。
「ま、きっとどうにかなるぜ。多分な」
最後に一つ軽いも良い所な適当な事を告げ、笑みを浮かべる。しかし、そんな適当さが、彼等に必要な物なのかもしれない。
「うん。ありがとう、パデラくん」
マヤは礼を告げ、目を細めた。そうした後、最初に出した一杯のお茶が飲み干され、そのタイミングで彼等は帰って行った。
帰り際、リールは両親に待っててと告げ、パデラに駆け寄る。
「今日はありがとうございます。引き続き兄さんをお願いします」
「が、忘れないでください。兄さんは、僕だけの兄さんですからね」
微かな敵意を持ったリール。パデラは、そんな嫉妬にも似た彼の感情を可愛らしく思い、笑いながら頭にポンと手を置く。
「おう、分かってるぜ」
そんなパデラの反応に、リールはなにか言いたげだったが、それだけだった。ぺこりと頭を下げ、親元へと駆ける。
玄関で三人を見送り、パデラはふうと息を吐く。
話しているうちに、すっかり夕飯の準備を始める頃合いになっていた。マールが戻ってくる前に済ませてしまおうか。どこでへそを曲げてるか知らないが、お腹がすいたら帰ってくるだろう。
パデラのそんな予測通り、マールは煮込み終わった頃会いに帰って来た。
「お、お帰りマール。丁度ご飯が出来上がった所だぜ」
「うん」
たった一言で返事だった。思い悩んでいる様子だが、美味しいご飯を食べれば気が晴れるだろうか。
出来立てホカホカのご飯を出してやると、マールはお腹がすいていたようで直ぐに箸を取った。どうしても表情はあまり動かないが、それでも、彼が美味しいと思ってくれている事は見て分かる。微かな表情の変化と、魔力の動きがそれを示しているのだ。
「どうだ、美味いか?」
「うん。美味しい」
もぐもぐしながら、彼は答える。
意地でも言わなかったその一言を、昨日は言い直しまでした美味しいの感想を、やっと言ってくれた。
パデラは、ゆっくりと輝いた目を見開く。そんな彼の表情に気が付き、マールは軽くたじろいだ。
「な、なんだその反応。別に、たまには、言ってやってもいいかなって、思って……」
「ふふっ。そうか、美味しいか。そりゃ良かった」
笑みを漏らす彼のそんな反応がなんか癪で、マールはふいっと顔を逸らして食べ続けた。
その日の夜、マールはいつもと同じ時間に眠りに付いた。布団に潜って目を瞑った時、ふと魔力の気配を感じた。
勿論自分のではない。また、パデラのではない。少し冷たいが、その奥に温もりがあるように感じる、そんな魔力だ。ふと目を開ければ、そこは見知らぬ草原で、風に揺られる草原の音が耳に届く。
夢だろう。しかし、こんな夢は知らない。悪夢じゃない夢なんて、そうそう見た覚えがない。
立ち尽くしていると、魔力で出来た二羽の小鳥が飛んでくる。小鳥は、それぞれ違う魔力から形成されていた。なんだか、馴染みのある小鳥だ。この気配、どこで感じた物だっただろうか。
手のひらに乗った片方の小鳥を目に、マールは昔の事を思いだした。
幼い頃、嫌な事があった時に必ずと言っていい程現れ、こうして飛び交っていたあの小鳥と同じ。昔は気づけなかったが、今ならハッキリと感じ取れる。この小鳥を生成する魔力は、両親のモノだ。
気付いた時、マールの心に沸いたその感情は一体何だったか、本人ですら分からないその心を、どう形容できようか。
しかし、一つ確実な事があった。
「やり方が、回りくどいんだよ……っ」
体の横で握りこまれた彼の手。そこにあった感情は、彼の心を苛める事はなかったのだ。
同じ布団の中、パデラは安らかに寝ているマールの背を撫でている。
この時間、パデラはまだ眠くならないのだが。悪夢に魘されないように、こうして明日の朝の献立でも考えているのだ。
触れた体から伝わるマールの魔力は相変わらず少し冷たい。しかし、今日はそれとは他の力も感じられた。その魔力は、まるで子をあやしているかのように彼に漂っている。いや、「まるで」という比喩を使うべきではないだろう。実際、そうなのだから。
「不器用だなぁ……」
橙の電気に照らされる部屋の中、パデラはただ小さく呟き、相棒の年相応のあどけない寝顔を見た。