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八 海の向こう側

 その日、パデラはまたもや夢を見た。

 昨日と同じような夢、マールによく似た大人が机を挟んだ向かい側の椅子に座っている光景だ。しかし今回は、その音もしっかりと聞こえた。

「しかし、深海に土地があるとは……これは大発見だぞ、アサナト。本当なら今すぐにでも暗竜様に確認しに行きたい所だが……明日は試合がある」

 目の前の彼が少し残念そうに言った。

「明日、試合が終わったら海に行くぞ。深海に土地があるのなら、海の向こうにあっても可笑しくない……って、おい。なんで笑ってんだよ」

 どうやら、「自分」は笑っていたみたいだ。彼は頬杖を突いた顔を不服そうに顰める。

 そんな彼に、夢の中の自分は軽やかに笑った。

「ははっ、そりゃまぁ? お前がそんなキラキラした目するなんて、滅多に見れないからよぉ!」

 それは、なんだかとても懐かしいと感じる夢だった。


「海の向こう、かぁ……」

 夜中、目が覚めたパデラは呟いた。

 そう言えば、マールも夢の中の彼と同じようにその事を言っていた。海の向こうに興味はないかと、少年の好奇心は深海の延長線として向こう側にも赴いたのだ。

 興味がない、訳がないだろう。

 寝返りをうち、すやすやと寝ているマールと背を合わせる。

(俺も、眺眼は出来るし……)

 覚めた目をもう一度瞑り、魔法を発動させる。海まで真っ直ぐと視界を進め、潜る事はせずに水面の上を歩いた。

 海の上の景色は一切変わらず、ただ月明りだけが照らしていた。それはとても綺麗だが、見ていて楽しいモノではない。穏やかな光景を流していると、なんだか眠気が湧いてくる。

 起きてしまったが、それでもまだ眠たい夜中だ。そりゃそうなるだろう。しかしこの眠気は、何だか少し感覚が違う。何だろうか、これは。意識がこれ以上動く事を拒否しているかのようだ。

 そう思った途端、体から魔力が抜け落ちるような感覚に陥った。

(っ……魔力切れか……?)

 術が途切れ、開いた目に自身の手を写す。だが、魔力は以前と体にあって切れる気配はない。

(なんだったんだ、今の……魔力は残ってんのに、無くなったみたいな感じだった……)

 不思議な感覚に目を丸くしていると、一連の事でマールを起こしてしまったようで、背後から不機嫌そうな低い声が呼びかけてくる。

「パデラ」

「っと、すまねぇ。起こしたか?」

「うん。起きた……」

 あれ程の実力者なのだから、魔力にも敏感なのだろう。この体をくっつけた状態で魔法を使うのは良くなかったかもしれない。パデラはもぞりと体の向きを変え、彼と向き合う。そうしてから布団から手を出して、彼の頭を撫でた。

「起こしちゃったなぁ。まだ寝てていいぞ?」

「何歳扱いだ、それ」

 何も子ども扱いをしたくてやった訳ではないのだが、今のはそう思われても無理はないだろう。

 パデラは「わりぃわりぃ」と小さく笑い、手を引っ込める。それでも彼は依然と膨れているが、それ以上文句は言わずに問いかける。

「何見てた? 眺眼だろ」

「ん? あぁ。海の向こう側だぜ。起きちゃったから、少し見てみよっかなーって思ってさ。だけど、無理だったぜ」

 そうして、つい先ほどの現象を話した。魔力は残っているのに魔力切れと同じような感覚になる、そんな不思議な現象を興味深げに聞き、マールは思考していた。そして、一つ思い当たる物が出てきたようだ。

「それ、結界じゃないか?」

「……ありえるな、それ!」

 彼が何を思い浮かべたかが分かったようで、パデラは目を輝かせて頷いた。

 結界魔法は空間を区切り侵入を防ぐための術で、代表的な例で言えば美術館の展示品を盗難等から保護するために使われている魔法だ。それ等は単純に、それ以上先に近づけないように、もしくは作品に触れられないように張り巡らされており、結界のある場所が透明な壁のようになっているだけ。しかし、他の魔法と同じように、結界魔法にも種類がある。その一種が、パデラが体感した魔力異常の現象が起こるモノだ。

 体に魔力が切れたと勘違いさせてそれ以上の進行を阻止する、そう言った所だろうか。応用で、遊戯戦闘魔法使いが試合において使ったりするという知識がマールの中にあるが、もしパデラが遭遇した現象がこの結界によるものであれば……想像できる事は沢山ある。

 結界は、その中に守るべき何かがあるから張られているのだ。

「本当に、何かあるのかもな」

 マールの声は、何とはなしに弾んでいるように聞こえた。見えた彼の表情は、なんだか年相応と言った感じがして、パデラは心の中で「よかった」と安堵する。しかし、彼自身なぜそこで安心したのかがよく分からない。マールがこうして心を持っている事に対して、どうしてか嬉しくて、達成感に似たような気持ちになるのだ。

 パデラはそんな事を感じながら、マールの好奇心に同意する。

「そうだなぁ」

「なぁマール。なんならお前も見てみれ……って、」

 その時、腕の中に抱いた相棒が寝息を立てているのに気付いた。ついさっき喋っていたのだから、丁度今寝落ちたのだろうが。

「寝たん、このタイミングでぇ?」

 話している途中だったのにと微苦笑を浮かべるが、既に寝てしまったマールには聞こえていない。

(まぁ、寝る事は良い事だな)

 少なくとも、悪夢に魘されるより余程健康にいい。

 時刻はまだ三時。時計を確認すると、パデラもまた一眠りしようと目を閉じ、ほんの少し冷たいマールの魔力を感じながら再び眠りについた。


 次の日、今日は土曜だが授業がある日だ。そのの為教室に行けば、教壇に先んじて立っている一人の講師がいた。

 サフィラ、ではない。サフィラより頭一個分身長が低く、肩に掛けられた三つ編みにされた髪は、薄めの茶色に白いグラデーションが掛かっている。その講師は、生徒からすればあまり馴染みはないが、存在自体は皆が知っているであろう。

「おや、おはようございますパデラくん。それに、マールくんも。朝がはやくていいこですね! 一番乗りですよ~」

 ニコニコと幼子のように笑う、学園長のハクだ。

「おはようございます。学園長、どうしたのですか?」

「そうですねぇ。すこし『経過観察』というのをしてみようかと思ったのです」

 ハクは教壇からマールに歩み寄り、その頬に手を添える。じっと目を見てくる学園長にほんの少しだけたじろぎそうになるが、いつもの動かない表情は依然とそのままで、傍から見れば動じているようには一切思えないだろう。

「……うん。よかった、元通りですね」

「え、っと……?」

「こちらのおはなしです。気にしないでください」

「それでは、今日もおべんきょうがんばってくださいね」

 ぽんぽんとマールの頭を撫で、教室から去っていく。

「学園長、ふしぎな人だってのは聞いてたけど、マジでそうなんだなぁ……なんだったんだ?」

 首を傾げるパデラだったが、どうやらやられた本人は何だか分かっていそうだ。尋ねようかとも思ったが、固まっている相棒には触れない方が良いかと取りやめた。


 ハクは、屋上で空を眺めていた。学園長としての制服もとっくの昔に慣れているが、やはりこうして空を眺めていると、確かに自分は「人間」ではないのだなと実感出来る。

「ひさしぶりに、とんで行きしょうかね……」

 吹いた風に目を細めると、彼女の体が魔力と化し、姿を元の物に戻す。青い空に翼を広げたのは、小さな白竜だった。これだけ強くなれたと言うのに、元のこの体は小さいままのようだ。まぁ仕方ないだろう。この体は、元は造形物に過ぎないのだから。

 白竜は翼を動かし、真っ直ぐと森の方面に向かう。その先にある所と言えば、暗竜の住む屋敷だ。

 小さな体では多少時間がかかるが、足で歩くよりかは幾分か早いだろう。森の奥に佇む屋敷の前に降り立つと、姿を人型に変え、ノックをする。

「暗竜さん。わたしです、ハクです~」

『おはようだ、ハク。今日はどっちとしての用事だ?』

 出迎えた暗竜は、微笑みを見せて彼女に問いかける。

「学園長としてのおしごとでもありますし、わたし個人のおはなしでもあります。暗竜さん、中にはいってもいいですか?」

『あぁ勿論、良いぞ。中でゆっくり話そうか』

 ハクが来た時に通す部屋は決まっている。暗竜はハクと一緒に真っ直ぐとその部屋に向かった。

「暗竜さん。ここ最近、さらに『神様』らしくなってきましたよねぇ。入学式のときもそうですけど、式典のときの暗竜さん、とてもかっこいいです!」

『そ、そうか? 挨拶はもう何回もやってるからな、慣れたものだ。それを言うならハク、お前も学園長らしく出来てて、カッコいいぞ』

「ほんとうですか! ふふっ、うれしいですぅ」

 歩いた廊下の先、ころころと笑うハクはたどり着いたいつもの部屋の扉を上げる。

 井草の香りを感じる、座敷の部屋だった。遊びに来た民をここに通す事はあまりないが、相手がハクの場合はこの一択だろう。ここにいると、ほんの少しでも「昔」を懐かしめるのだから。

『それでハク、今日は学園長としての仕事でもあるのだろう? 伝達はなんだ?』

「はい。うれしいお知らせです! マールくんのことなんですが、今朝みたら『心情氷結』がとけてなくなっていたのです。目と首にあった文様もなくなっていました」

『それは本当か! あぁ、良かった……。ディーサの二の舞にならずに済んだのだな……』

「えぇ!」

 身を乗り出し問い返すと、安堵の息を突く。ハクもまた喜ばしそうに笑顔を浮かべ、彼の言葉に同意した。

 その後、彼女は呟いた。

「……それにしても。心は、そんなにもくるしいモノなのでしょうか。たのしいと感じることも、かなしいと感じることも、とてもめぐまれていることなのに」

『生物にとっては、それが当たり前だからな。恵まれているとは思わないのだろうな。実際、余だって一度も心の存在を疎いと思わなかった訳ではない』

 それは、本来生きていない「物」であった彼女にとっては理解しがたい事だったのかもしれない。だが一つ確実なのは、何も感じない人生に良い所などないと言った所だ。

『何はともあれ、マールの氷が融けたのなら安心だ。報告ありがとう、ハク』

「はい!」

「これも、パデラくんのおかげですね。太陽の光、いいものですね……パデラくんの力は、なんだか昔をおもいだします」

『あぁ。そうだな』

 ハクの微笑みにつられ、暗竜も目を細めた。昔懐かしい暖かさを思い出して――

 差し込んだ陽光が、今も世界に健在する太陽の存在を示していた。

 そうして、ハクが屋上から飛び立っていたその一方。マールとパデラは席に着き、授業の開始を話しながら待った。正確に言えば、パデラがほぼ一方的に喋っているのをマールがあまり興味なさそうに返事をしている、と言った感じなのだが。それでもパデラは楽しそうだ。

「あ、そうだマール。昨日の結界についてだけどよ」

「なんだ?」

 先ほどまで全くこちらを見なかったくせに、興味のある話題になった途端にこの食いつきよう。案外分かりやすい。

「俺、思ったんだよ。本当にあれが結界だとしてさ、あれがこっちを守ってるもんなのか、あっちを守ってるもんなのかで、意味変ってこね?」

「まぁ、そうだな」

 そう問われたマールは、こう見えて驚いていた。パデラがその事に着眼出来るとは思っていなかったのだ。しかし、そこで勝つのは好奇心の方。昨夜海を渡ろうとした話を聞いた時、マールも同じような事を朧気ながら考えた。その時、思考は眠気に散ったのだが。

「それで、お前はどっちだと思う?」

「んなのわからねぇよ。だけど、暗竜様なら知ってたりすんのかなって」

 考えているパデラは、ほんの少し真剣な表情をしていた。

「知っていると思う」

「やっぱり?」

 気になりだしたら止まらないのが好奇心と言うモノだ。いくら考察しようと答えは出てこない、答えを知るには、知っている者から聞くしかないだろう。

 とは言え、知っている可能性が高い暗竜に会いに行くには、森の奥に行く必要がある。あの森に何か危険がある森ではないが、純粋に歩いて行くには時間がかかる。では転移魔法を、と行きたい所だが、森は転移魔法の照準が上手い事定まらないのだ。一説によれば「景色の問題だ」とか「暗竜様の魔力に色濃く影響を受けているから」と言われているが、解明されていない。とにかくそれは出来ないのだ。

 となれば、暗竜が学園に顔を出した時に訊けばいいだろうか。それは後で考えるとしよう。

「皆さん、お揃いですね。それでは、本日の授業を開始したいと思います」

 やってきたサフィラは、生徒が全員揃っている事を確認して、授業を開始した。

「これまで五大属性の魔法についてやって来ましたが、ここで一旦趣旨を変えましょう」

「五大属性に属さない、無属性の魔法もある事は皆さんもご存じかと思います。例えば、先日お見せしました魔力を固め個体を作り出す魔法もそれです。実の所、属性に変換しない、魔力そのモノを使った魔法の方が多く存在します。そのような無属性の魔法は、日常生活においての応用がよりよく効きます。覚えておいて尚の事損はありません。ですから、よく聞いて覚えるのですよ」

 これは少し意外だ。マールはそんな事を思いつつ、まぁそうかと納得した。五大属性の内残る三つは「炎」と「雷」と「氷」だ。扱いを間違えた途端大きな事故に繋がる可能性だってある。得意な奴はまだしも、まだ魔力の制御は今一といった生徒もいる中でそれらを使わせたくはない。故に失敗しても害の少ない水と風である程度の制御と操作を身に着けさせ、無属性の魔法でどれ程かを確認する、と言った所なのだろう。

 とは言え、試験に合格している時点である一定は使える奴等のはずなのだが。そこらはマールには分からない。弱い奴等がどれ程出来るのが普通だとか、そもそも興味がない。

 しかしまぁ、そこらの理由は教師陣だけ知っていればいい事だ。マールは相変わらず、サフィラの解説を聞き流していた。

「今回は、今説明しましたモノを動かす念力魔法を練習しましょう。今からお配りしますこちらのボールに手をかざし、魔力を注いでみましょう。勿論、『浮かせるぞ』という意識をするのを忘れずに」

 初級編と言った感じだろうか。手をかざして物を浮かせるなんて練習、マールは一切したことなかったが。本来はこういった段階を踏んで覚える物なのだろう。サフィラは今から練習する念力魔法を使い、手の平ほどの小さなボールを各席に配る。

 彼女の開始の合図の後、各自で試みる。制化はまちまちと言った所だろう。属性に変換しない分、魔力そのものの操作力が問われる。

「マールマール! 見ろよほら!」

 隣には、はしゃぎながら見事に浮かんだボールを見せてくるパデラがいた。分かっているだろうに、何故そんなにも得意げになっているのだろうか。

「あぁ、よかったなー」

 心のこもっていない返答をしながら、とりあえず授業には参加しておくように念力魔法を使う。

 浮かんだ。が、特になんとも思わない。

 何せ彼はこの念力魔法を赤ちゃんの時からよく使っていたのだ。お腹がすいたらミルクを作り哺乳瓶に入れ、自分の手元まで運んで飲んでいたのだ。用意した覚えのないミルクを飲む息子に、両親は珍しくも驚いた顔をしていたのだが。まぁ、本人はそんな事は覚えていない。

 今回の授業も退屈になりそうだと、マールは小さく息を突きパデラを見る。

「やっぱりパデラくんとマールくんはすごいね! そんな簡単に出来ちゃうなんて。私、なんかうまく出来なくて……なにかコツとかあるの?」

「コツか? んー……要に、魔力をうまく操れるかって話なんだろうけど。コツって言われるとなぁ……こう、グッとさ!」

 説明が下手くそだ。マールは出来るから何を言わんとしているかは伝わるが、問うた彼女はどう見たって理解していない。

 マールは女子の机にある球に魔力を向かわせ、自分の手元に持ってくる。

「簡単な話、魔力で『持ち上げる』だけだ。大体、そういう事は先生に訊いた方が良い」

 一見冷たい態度で言い捨てると、マールは彼女の所にボールを返してやる。

 女子は「それもそっかぁ」と言い、相棒と共にボールを手にサフィラに駆け寄った。

「ははっ、マールはつめてぇ男だなぁ。教えてやってもいいじゃんかよ」

「僕もお前も、出来るのが普通だ。感覚は、教えられるもんじゃない」

 なんとなくで出来るそれを、感覚で出来ない人に教えられるものか。二人のこれは努力をして得た実力ではなく、元より備わっていた実力だ。嫌味とかではなく、実際そうだから、マールはあぁ言ったのだ。

 加えて、パデラが人に物を教えられるような頭をしていない。念力魔法の説明をしようとして、最初にグッという擬音が出てくる時点でダメだ。

 先程の女子生徒は、サフィラに個別でアドバイスを貰ったようで、向こうでほんの少しだが浮かせられる事が出来ていた。本人は大層喜び、彼女の相棒である女子が「やったじゃん!」と肩を叩いている。一度感覚を掴めれば出来たようなものだろう、上手く出来なかった奴等も、それぞれアドバイスを貰い、無事クリアしていく。

 こうして見ていると、やはりサフィラはプロの講師のようだ。マール達が例外なだけで、魔力は個々の癖があり、それを理解し完全に制御するのは少々困難な事なのだ。サフィラは生徒たちが魔法を使う様子から癖を見出し、どうすれば課題をクリア出来るか導き出している。それをただ伝えるのではなく、本人で気付けるように誘導しているのだ。これが、魔力への理解に繋がる。

 こうして出来なかった魔法が出来るようになる達成感は、きっと良いものなのだろう。まぁ、マールには少し縁遠い事なのだが。

 退屈しのぎにパデラにちょっかいを出してみる。見えない魔力が彼の肩を叩き、呼ばれたと勘違いした彼は誰もいない後ろを振り向いて首を傾げた。その後直ぐに口角を上げているマールに気が付き、彼の仕業だと分かったようだ。

 構ってほしいのかと判断し、くすぐる事でやり返す。思いの外くすぐりに弱かったようで、マールには効果抜群だった。

「あっ。や、やめっ……やめろバカ!」

「あははっ! 意外とくすぐったがりなんだなお前! ほらっ、こちょこちょ~」

 戯れる二人を、サフィラはうっかり目に映してしまった。

「っ――」

「せ、先生大丈夫ですか?」

「問題ありません。続きをいたしましょう」

 こちらもまた効果抜群だったようだ。さて、そんな事が起こりつつも念力魔法をはじめとする無属性の魔法に関しての授業を行い、今日の授業を終える。

 教室に戻ろうとしたが、そのレより先にサフィラに呼び止められた。

「あ。マール、パデラ。少しいいでしょうか?」

「ん、なんだ? 先生」

「授業についてなのですが、今の段階の授業は貴方達には少々つまらない内容でしょう。しかし、基礎を学として知る事で更なる実力を得てほしいと言った理由から、貴方達のような『感覚で出来る子』に対しても他の生徒と共に同じ授業を学んでいただいております」

 ほんの少し、説教のような前ぶりにパデラは少し身構える。授業中ふざけすぎたか? とは言え、他の生徒の勉強に害をなすまでの事はしていないはずだが……。

 そんな心配が顔に出ていたのだろう。サフィラは怒っていないと言いたげに微笑みを浮かべる。

「ご安心ください、貴方達の授業態度が悪いと叱りたい訳ではありません。寧ろ続けてください。実は、暗竜様よりお二人に特例の『課外学習』の提案がなされました」

 思っていなかったその続きに、マールは思わず問い返してしまう。

「課外学習?」

「えぇ、そうです」

「濁さずに言えば……暗竜様が一度お二人と会いたいとおっしゃっておりました。つきましては、お二人には自分達で森を進んでもらい、暗竜様のお城にまで行っていただきたいのです」

 サフィラの問いかけに、マールの目が輝いたように思えた。パデラは分かりやすく嬉しそうに笑みを咲かせ、「マール!」と相棒を呼び掛ける。

「あぁ。断る理由もありません。先生。是非、お願いしたいです」

 この時マールが見せた表情は、微かながらも口角が上がっていて、笑っていたのだ。

 これがどれ程の名誉で、どれ程喜ばしい事か、そんなのは計り知れない。喜ぶ二人に、サフィラは笑みを浮かべる。

「そうですか。では、そう伝えておきますね」

「課外学習ですので、一つ課題を設けます。森を進んだその間にやった事、魔法を使う事があればそれらの記録等、それと恐らく暗竜様より教えてもらう事もあるでしょう、それらについてのレポートを記入し提出してください。日報と言うと堅苦しいので、そうですね。日記のような形で構いません。形式は問いませんので、報告を上げていただけたらそれで結構です」

「詳細は後にお部屋にプリントを届けておきますね。話は以上ですので、質問等がなければもう帰っていいですよ。ゆっくりと休んでくださいね」

 サフィラからの話はこれで以上だ。質問はないようで、二人はサフィラに挨拶をして教室から去っていった。

「楽しみだなぁ!」

「あぁ。僕もだ」

 そんな会話が聞こえたのを最後に、教室にはサフィラのみとなった。誰もいないその場所で、サフィラはその上品な微笑みから一変しだらしなく頬を緩ませる。

「ふふっ。少年二人で森デート、何も起こらない訳がなく……うふふふふ……」

『サフィラ。かなり気色悪いわよ』

 今の一瞬にして現れた使い魔のエーベネは、そんな主に冷静にツッコミを入れ、『妄想は部屋でしなさい。誰かに見られたらどうするの』と注意する。主の本性が誰かにバレないように、エーベネはこうして気をきかせているのだ。

『はぁ……ほんと。貴女ってば顔は良いのに……いい加減彼氏でも彼女でも作って子孫を遺してくれないかしら? ワタシはルージュ家専属使い魔と言っても過言ではないのよ、分かってる?』

「はいはい、分かってるわよ。ルージュが途絶えたら貴女の仕える先がなくなるのでしょう? どうにかはするわ。そんな事よりエーベネ! 森デートよ森! これは、推しカプの進展がっ」

『部屋でたんまり聞いてあげるわ、ここでは止めなさい!』

 エーベネは咄嗟に人型に化け、容赦のない力で主の腕を引く。本当であれば頬を引っ叩きたい所だが、折角の美しい顔を腫らす訳にはいかない。美貌がサフィラの一番の武器なのだから。しかし、エーベネの努力の甲斐あって、彼女のこの一面は誰にも知られていない。実の母親以外には。だが、極論最も隠すべきである生徒相手にバレていなければいいのだ。実際、噂をされている当の二人はまさか教師に推しカプだとか言われているなど知らずにワクワクしている。

「なぁなぁピピル、ディータ! 俺達な、課外学習で暗竜様と会いに行く事になったんだ!」

 部屋に帰るや否や、パデラは嬉々として使い魔に報告した。それを聞いて、二匹も驚きで尻尾が大きく動かす。

『まじですっげぇ! え、それってもしかして、暗竜様からの呼び出しなん?!』

「聞く限り、そういう事だろうな」

『おぉ。主達は未だかつて見ない存在だと思っていたが、そこまでとはな。我は誇りに思うぞ』

『オレも思う~! マジですっげぇオレの主! 今度森に帰ったら自慢する!』

 二匹までも喜び、パデラはもっともっと嬉しい気持ちになった。

「楽しみだなぁ、マール。にしても、暗竜様は俺達になんか用があるって事だよな? なんなんだろ?」

「さぁな。思いつくものは、僕達の実力か、それか……」

 座った椅子の背にもたれ、マールは言葉を止める。

「それか?」

「いや。あると言ったらそれくらいだろ。そもそも、先生の話の切り出し方からして、そっち方面としか思えない」

「まぁそうだなぁ」

 彼の「それか」の続きが気になったが、触れないでおいた。パデラは小さく笑いながら答え、冷蔵庫の中身を確認する。今日の夕飯の献立を考える為だ。昼食として食べた給食はパンとトマトベースの肉入りスープが主とサラダの組み合わせだった、同じような物は避けたい所だが、冷蔵庫の中身をパッと見て思いついた献立はそれと近しい。

「マールぅ。夕飯、煮込んだもんと炒めたもんどっちがいい?」

「どっちでも。しいて言うなら、煮た方が食べやすい」

「お、そっかぁ。んじゃあ今日はジャガイモと牛肉の甘辛煮にすっか! トマト煮にも出来るけど、昼トマトスープだったもんな?」

「あぁ。甘辛で」

 予想通りの返答、マールは基本的に野菜が苦手なのだ。

 パデラは、彼の好き嫌いを何となく把握できていた。甘めの味付け卵料理が好きで、野菜系統は基本的にあまり好んでいないようだ。他と比べ大人びている彼の、如何にも子どもらしい味覚でギャップに可愛らしさを感じている。

 しかし、野菜を食べて貰えないのはパデラとしても頂けない。だから、母直伝の隠し野菜のレシピを使ったり味付けを一工夫したりしているのだが、子ども扱いしているのかと嫌な顔をされそうだから、それは内緒だ。

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