部屋に戻ったマールは、待っていた使い魔の出迎えを受けながらはぁと息を吐き、自身の椅子に座る。
「もーマール! ひどいぜ置いてくなんて!」
後からすっ飛んできたパデラが頬を膨らませながら訴えかけてきたが、面倒だから無視をした。
「無視かよぉもう!」
したところで、彼が黙る訳がないのだが。マールはあからさまに鬱陶しそうで、微かに眉を顰める。そんな彼の反応を見たパデラは、小さな笑みを浮かべる。
「まぁいいや。マール、今日の夕飯はなにがいいか?」
「なんでも」
「ははっ、やっぱそう来るかぁ。んー、じゃあなににしよっかなぁ……」
わざとらしく悩んでみせるが、そこで一緒に考えてくれる優しさはマールに存在しないようだ。
「どうでもいい。僕は出かける」
一人立ち上がると、すたすたと外に向かって足を進める。
『主よ、それなら我もお供する』
「好きにしろ」
ディータもその後を追い、パデラとピピルはそんな彼等を見送った。
何所に出かけていたのかは知らないが、マールは丁度夕飯が出来上がった所で戻って来た。
「お、マール! ご飯できた所だぜ、手洗ったら座れーぃ」
上機嫌に言いながら、エプロンを外し先に自分の席に着くパデラ。
今日のメインおかずは、母直伝のお手製タルタルソースのチキン南蛮だ。マールが好きそうな味付けをし、満足のいく仕上がりになったが、さて当の本人はどんな版をぅをしてくれるか。パデラのそんな期待の眼差しを感じたマールだが、気にせずに蛇口をひねる。
使い魔二匹の分は床のランチマットの上に並べられ、今にも食らいつこうとしているピピルを、ディータが尻尾の先で止めていた。そんな頃にマールも椅子に座り、いただきますをする。
『うんめぇー! このタルタルソース、肉にめちゃあうー!』
『うむ。確かに美味しい。パデラ、やはりお前には料理の才があるな』
口の周りを汚しながらも尻尾をぶんぶんと振るピピルと、上品に一切れずつ魔力で宙に浮かせて口まで運んで食すディータは、見ていて気持ちがよい程に対照的だ。
「ははっ、褒めてもなんもでねーぞー?」
パデラは、そう言いながらも褒められてとても嬉しそうだった。
そうしながら、パデラはちらりとマールに視線を向ける。彼は相変わらず何も言わずに、小さめの一口で肉の切れ端を食む。その手の速さから、嫌いではない事は伝わったが、美味しいと思っているかどうかは不明だ。
しかし、表情が一切変わらない訳ではない。よく観察してみれば、次の肉にタルタルソースを多めに乗っけているし、その時は少しだけ頬が緩んでいる。
――いい、パデラ? 食事は素晴らしいモノなのよ。胃袋をつかめれば、その人の心を掴んだも当然。だからね、仲良くなりたいお友達がいるなら、美味しい料理をふるまってあげなさい。そしたら、どんな氷のような子だって仲良くなれるのよ。
まだ小さい頃、母はそう言って料理を教えてくれた。今、それが役になっている実感がある。
何せマールは、母の言う「氷のような子」そのものだっただろう。それでこそ、最初は「心情氷結」を疑ったくらいだ。
心情氷結は文字通り心を凍らせる魔法。勿論、心を凍らせた者は感情を持たず、美味しいとも思えない。
「……何だ?」
視線がいい加減鬱陶しくなったのだろう。あまり表情の変化を見せない顔を上げ、パデラに問う。
「いや、安心しただけだぜ?」
「何を」
「だってよ、ワンチャン、『心情氷結』とかありえるなぁって思ってたからさ」
パデラはへらっと笑う。まさに安堵した表情で、その心がとても温かく感じてしまった。
マールは何も口にせず、目を背ける。
「なぜ、そう思った」
ぽつりと一つだけ問うと、パデラは何を感じ取ったのか慌てて声を上げた。
「あっ、今の割と失礼だったよな! ごめんっ!」
「別にいい。理由を言え」
「ぅえ? いや、純粋によ、お前無表情だったじゃん。俺が脅かしても驚かねぇし……しっかり感情が機能してるように思えなかったんだ。無い、とまでは行かないけどよ」
パデラは若干の苦笑を浮かべる。
ただ希薄な奴だと言えば簡単に説明は付くが、何だかそれとは違う気がしていた。魔力から感じたのだろうか、何故そう思えたのかは分からない。ただパデラは、「そう」思ってしまったのだ。
「僕は……今の僕は、『そう』思えないのか」
「だって、食べて美味しそうな顔できる奴が、心凍ってるワケねぇだろ?」
パデラの笑顔は、彼の言う事が嘘ではない事を顕著に示している。
マールは何も言わなかった。否、正確に言えば、言えなかった。発しようとした言葉は口元を小さく震わせるのみで、丁度よいモノさえ頭に無かった。
「……そうかよ」
その一言が、彼の精一杯だった。
「ごちそうさま」
料理はまだ半分以上残っている。小食なのであろうマールに合わせて少なめに盛っているのに、食べきれなかったようだ。
「なんだ、あんま食欲なかったのか? だったら言ってくれたら少なめに作っ……って、マール? だいじょぶか?」
その事に対して、特別違和感はなかった。しかし、目に映った相棒の様子は、どこか可笑しく感じた。
釣られて立ち上がろうとすると、マールの冷たい瞳に睨まれる。
「何でもないから、今は構うな」
一言、そう言い捨てると、彼は転移の魔法で姿を消してしまう。
あまり、放っておける雰囲気ではなかった。
『マール、どしたんだろ……この肉、めちゃうめぇのに……』
『そういう問題ではないであろう。パデラよ、どこにいるかは我が探そう。使い魔は主の魔力はよく感知できるモノだ、心配せずとも直ぐに見つかる』
使い魔として、主の魔力の在処はよく感じられる。感覚を集中させる為に目を瞑ると、ピピルも空気を読んで口を噤む。
『……大丈夫だ。そう遠くには行ってない、学園内だ。我が話しに行ってくる、パデラはピピルと待っていろ』
「俺も行く」
『ダメだ。今は、お前が顔を見せたら逆効果かもしれない。我に一つ思い当たる節がある、任せてくれ』
ディータはそう告げると、主の下へと飛んだ。
どんな強固な氷でも、太陽を前にすれば融けてしまう。それは当然の摂理だ。何せ、太陽は熱すぎて、これだけ距離があるというのに温かい。
校舎裏。基本的に、寄る者はいない。
「よりによって、アイツが……」
『「太陽の光」、だったのだな』
言葉の続きを告げ、のそのそと歩み寄って来る使い魔。マールは彼に見つけられるとは思っていなかったようで、驚いたように身を引く。
「ディータ。何で、ここに」
『主の魔力を感じ、その居場所を把握出来るのは使い魔の基本だ。意外だな、知らなかったか?』
「知らない」
『うむ、そうか。まぁ我等の界隈での話だ、あまり知られてないのかもしれない』
そんな会話を一通りすると、ディータは息を吐き本題に入る。
『心情氷結は、一度発動したら取り消せない魔法だ。主も知っているだろ。これは、かつてクリエルの人間が造術で作り出した「永久魔法」だ。凍った心は二度と融けずに、今後一生、何も感じられなくなる』
『「私」も愚かだった。心が無ければ、全てが楽になると思っていたんだ。ただ、そんな事は無かった。本来あったはずの感情が、一瞬にして全て無になって……最初こそ、良かったのだ。だが、やりようはもっと他にあったと、気が付いた頃には遅かったんだ』
『その点、主は恵まれている。過ちを正してくれる光が傍にいたのだ。きっと、暗竜様の導きだな』
ディータは微笑んだ。爬虫類の表情は分かりづらいが、確かにそう見えた。
「暗竜様を出せば、まるみこめると思うなよ……僕は、納得してない」
無意識的に漏らされた魔力からは、明確な冷気を感じられた。彼の魔力は氷特化なのだから、当たり前だ。しかしその冷気は、決して凍える真冬の夜更けを感じさせる寒さではない。
『認めたくない……それも立派な、感情であるぞ。主よ』
ディータの言葉に、マールは目を見開く。澄んだ彼の両瞳は青さだけが静かな水面のように揺れていた。
「僕は、本当に……」
「いた! マールっ!」
マールが口を開いた時、横から飛び込んでくるようにパデラがやってくる。それはあまりにも不意打ちで、マールは大声をあげて驚いた。
「って、そんなに驚かなくたっていいじゃないかよぉ……心配したんだぜ、突然どっか行っちゃうから」
パデラはあははと誤魔化すように笑い、頭を掻く。待っていろと言われたのにも拘らず追ってしまった事に、少なからず悪い気があったのだろう。
しかし、パデラは自身の行動を間違いだとは思っていなかった。
「マール。帰ろうぜ? 夜中ではないとは言え、もうこんな夜だ、俺達はもう家にいなきゃいけない時間だぜ!」
既に日は暮れ、夜に差し掛かろうとしている。子どもが外で遊んでいいのは太陽が出ている間だけだと教えられてきたパデラは、それを理由にマールの手を引く。
パデラは、一目で分かる程に必死だった。
「お前……」
「ほーらっ、いいから帰るの!」
マールの発言を待たずに魔法を発動する。まさに有無言わさずに連れ戻されたのだ。
難なくマールとディータを巻き込んで部屋まで飛ぶと、パデラはそこで握っていた手を離し、安堵の息を吐く。
「ふー、よかったよかった! あのままお前一人にしてたら、ぜってぇよくない事になってたからな」
「何を根拠に……」
「俺の勘!」
呆れたような相棒にパッと笑うと、ディータの前でしゃがんで申し訳なさそうに謝る。
「ごめんな、ディータ。来るなって言われたのに行っちゃって。だけど俺、放っておけなくて」
『構わない』
一つ頷いて返答する。元より分かっていた事だ、パデラは待てが出来るような奴ではないと。しかし、寧ろ好都合だったと、ディータは主の浮かべた表情を目にそう思えた。
「ほらマール。歯みがいてないだろ? 早く歯ぁみがいて来いよ! 風呂入るのはそれからにしろよ、絶対忘れるから!」
「分かった分かった。うるさい奴だな……」
いつも以上にグイグイとくるパデラを押し返し、洗面台に向かう。こういう時は、言う事を聞いてやるのが一番手っ取り早いのだ。
洗面台の前に経つと、鏡には嫌でも自分の姿が映る。そのせいで嫌でも、解ってしまう。
恨み言の一つでも吐き出したかったが、それもまた認めた事になってしまう気がした。しかし、「認めたくない」と張られた意地が、何よりの証明だ。
己の使い魔に言われた言葉が脳に過った。
「ははっ……八方塞がりだな、こりゃ」
最早、思考に逃げ道はなかった。鏡面に手を付いて彼は微かに嘲る。
間違いはない。確かに氷は、融けていた。
夜の事、パデラは、今日はマールの布団に入らなかった。いつも通り一足早く寝た彼から唸り声が聞こえなかったから、大丈夫だろうと判断したのだ。
しかし、夜中になった時、パデラは魔力で引っ張られた気がして目を覚ました。
魔力は目視出来るモノでは無いが、確かに感じる。意図的に発せられた魔力が、来いと言わんばかりに腕を引いていた。
「マールか?」
呼びかけても返答はない。しかし、魔力の動きはどう考えても眠っている奴のものではなかった。
布団を捲ると、マールは布団の中で丸まって、ほんの少しだけ震えている。寒さ、ではないだろう。気温調整魔法がかけられているこの部屋は、過ごしやすい温度になっている。
唸っていなかったが、それだけだったようだ。
「はは、まぁた怖い夢見ちゃったのかぁ? 今日も一緒に寝てやろうか。な、マール?」
「黙って入れ、バカ」
パデラは吐き捨てられた言葉に笑みを浮かべ、「はいはい」と同じ布団に入った。そうすれば、多少冷えて感じる彼の身体に熱が伝う。そうして満ちるぬくもりは、悪夢の余韻を消すのには最適だっただろう。
「なぁマール。具体的にはどんな夢見てるんだ? 怖い夢つっても色々あるだろ?」
「知りたいのなら、自分で覗け……僕は、もう寝るぞ……」
うとうとしながらも返答だけはしてくれた。見ると、もう眠ったようだ。
マールは、温かさを求めるように相手に体を寄せた。寝ている以上、これは無意識の行動だろうが。
(やっぱ、赤ちゃんみてぇ……)
ほっぺを触りたかったが、流石に今起こすと不機嫌になるだろう。今はやらない事にして、パデラも一緒に眠りについた。
その日、パデラは珍しく夢を見た。同じようなベッドの中、同じように誰かと一緒に眠っている。腕の中にいるのは、自分達より幾分か大人に近しく、それでもってどこかマールに似た、金髪の少年だった。
少年は目を開ける。マールよりか幾分か色素が薄い瞳は、青空を映しているかのようだ。
彼は小さく笑うと、口を開く。しかし、何を話しているかは聞き取れなかった。たった一言だったのだろう。それでも何だか胸の内が嬉しさでいっぱいになって、また目を閉じた彼の頭をそっと撫でた、そんな夢だった。