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第5話 対策

羊子と霧原が保護した黒河朱莉を連れて宵ヶ沼中学校の旧校舎の出入り口から外に出た時、時刻はすでに午前5時30分にさしかかっていた。空は夜の暗さが晴れ、日が昇る前の濃い水色に染まっている。


「はあ……やっと外に出られた」


羊子は夜明けの校庭に出て両手を上に突き出して思いきり伸びをする。とたんにぐう、と腹の虫がないた。そういえば昨日は夜から何も食べていない。


「あ、そうだ霧原さん支部に戻る前にどこかで朝ごはん食べていきません?」


羊子が後ろを向き、霧原に声をかける。旧校舎にいた時は中が暗くてほとんど気がつかなかったが、この距離だと髪と瞳、肌の色も変化していることがよくわかる。特に髪は染めたか、コスプレ用のウィッグかと思うくらいに鮮やかな緑色だ。


「あっでも……その見た目でお店に入ったら目立ちますよね」

『……羨ましいくらいにマイペースだな君は。これなら問題ない、そろそろ解ける』


顎に片手をあてて考えこむポーズをした羊子に、霧原は自分の耳元から垂れた髪を一房つまんでゆすってみせる。そうしている間に空が明るくなり、校庭にゆっくりと日が差してくる。


「そろそろって、それどういうこと……」


羊子は顔を上げてそこまで言いかけて固まる。霧原の鮮やかな緑色の髪がまるで魔法か何かのように、ほぼ一瞬で元の暗い緑色に戻ったからである。顔色や爬虫類じみた手も同じように太陽の光を浴びた部分から縮んで元々の人の皮膚に戻ってゆく。


「いや、なんですか……それ」


羊子は唖然としてしまい、それしか言えなかった。これではまるで呪いにかけられた外国のお伽話の主人公のようだ。自分の目が信じられなくて、羊子は目をこすってから霧原を二度見する。


「……何って、ああ君にはまだ言ってなかったか。私がパラサイトになれるのは月が赤い日の夜の間だけなんだよ」

『そうそう、それおいらも初耳だった』


途中から呑気な声が会話に割りこんでくる。霧原の白衣の裾ポケットからパラサイトくんがちょこん、とパラサイト課のマークが入った黒い帽子を被った頭を出していた。


「あー……そういえば忘れてだけど君もパラサイトよね? 君は元の姿には戻らないの?」

『うーん……そうだなあ。おいらはこのマスコットフィギュアが基本だから、戻るっていっても大人しくして動かないようにしてることくらいしかできないと思う』

「なるほど。……そうよね、だって急にマスコットフィギュアが動きだしたら皆びっくりするものね」


羊子はパラサイトくんの言葉に何度もうなずいて、自分を納得させているようだ。


『ね〜キリハラー、おいらもお腹空いたよう。後から何か食べさせてくれるって約束しただろ?』

「……ああ、わかった。でも君は人間の食べ物は口にできないだろう?」

『むう〜、そういうキリハラだって無理なんじゃないの?』

「私は別だ、味覚は人と少し違うがな」

『え〜そんなのずるい〜おいらも食べたい〜‼︎』


2人のやり取りが次第に小さな子ども同士の喧嘩みたいになってきたので、羊子は間にはいって止めることにした。


「ちょっと2人とも、こんなところで喧嘩してる場合じゃないですよ。この後早く支部に戻らなくちゃいけないんですから!」

「それと霧原さん。あなた、もういい歳したおじさんなんですから喧嘩する前にどこかおススメのカフェとか教えてください……開いているか今から電話するので」



霧原に教えられた喫茶店「赤いろうそく」は宵ヶ沼中学校から歩いて20分ほどのところにある小さな店だった。羊子たちが店内に入ると早朝のせいか2、3人ほど客がいるだけだ。


「えっと席は……あ、あそこにしましょう」


羊子は店の奥の隅の席を指差す。すぐそばに外の景色が見える窓があり陽光が入ってきて明るくて、テーブルに置かれた水色や青のガラスで作られたステンドグラスのランプが気に入ったからだ。


「うーん……どのメニューも美味しそうですね。霧原さん、おススメあります?」


羊子は席につくなり、テーブルに置かれたメニュー表を開いてページを次々にめくっていく。霧原は道中は血の痕が目立つので裏返しにして着ていた白衣を脱ぎながらその様子を見ていたが、やがて「私のおススメは卵サンドとコーヒーだ」と言った。


「へ〜そうなんですね。じゃあそれ2セット頼みましょう。あ、すみません注文いいですか?」


羊子は他のテーブルのそばにいた水色のエプロンをつけた店員らしき女性を呼ぶ。


「あ……はい、今うかがいます!」


小柄な店員がそれに気づき、急いで羊子たちのテーブルに走りよってくる。


「えっと……ご注文はなんでしょう?」

「卵サンドとコーヒーのセットを2つ、お願いできますか?」


女性店員は羊子からの注文を手にした縦長のメモボードに書きこむと、またあわてて店の入り口のカウンターのあたりに走り去ってゆく。


「……知らない顔だな」

「え、そうなんですか?」


さっきの店員が厨房の入り口あたりで中に消えた時、霧原がぼそっとそう言った。


「いや……私も最近はここに来てないからね。知らないことだってあるさ」


霧原はそう言いつつ、白衣の裾ポケットからパラサイトくんを取り出してテーブルのランプの隣に置く。


「料理が来るまでまだかかるから、今のうちに少し話し合いをしておこう」

「まず、この黒河朱莉くんをどうするかだが……」


霧原は小声で続け、ちらりと自分の席の左隣に寝かせた黒河朱莉のほうに顔を向ける。彼女の白くなっていた髪や顔色、スカートからのぞいていた尾はなくなり普通の中学生となんら変わらない見た目になっていた。


「彼女は偶然パラサイトに適合できたからいいものの、これからは赤い月の夜ごとに変化するのは避けられないだろうね……。だからといって、人を襲うとはかぎらない」

「……そこで、しばらくうちの支部で様子を見るというのはどうだろう」

「それは……うーん、どうなんですかね。もし本部に処分するはずの旧校舎のパラサイトを匿っているって知れたら……うちの支部危なくないですか?」

「そんなもの、隠していることが明るみにでなければいいだけだろう。それに彼女は今、支部で治療中の坂咲青くんの友人だ」

「それは確かにそうですけど」


羊子がそこまで言いかかったところで注文した料理の皿を手に、さっきの女性店員がやってきた。


「卵サンドとコーヒーのセット、お待たせしました。

あ、あの……こんなことを言うのは大変失礼かもしれませんが、そちらの方の服……大丈夫ですか?」


女性店員は霧原の着ている黒のワイシャツ、ベスト、スラックス中に空いた握りこぶしほどの穴を見つめながら困惑した様子で言った。


「ああ、これはその……ここに来る間に近所の野良猫に引っ掻かれただけなのでどうぞご心配なく」


霧原はさらりと嘘をついたが、ぜんぜん誤魔化しきれてない。女性店員は霧原の言葉に一応笑ってみせたがその後、微妙な表情で客から次の注文を取りに去って行った。


『今のはちょっと、嘘としてどうかと思うキリハラ』

「……うん、私も」


水色のステンドグラスのランプのそばに置かれたパラサイトくんが目だけ動かして霧原を見る。口は動いていないが声はする。見るからに呆れた表情だ。羊子もそれには同意したい気持ちでいっぱいだった。



霧原おススメのメニューであるこんがりトーストされたパンに挟まれた卵サンドと特製ブレンドのコーヒーを食べ終わった羊子は手を合わせて「ごちそうさま」をすると、先ほどの話し合いで気になったことを再び声をひそめて聞いてみる。


「……そういえば霧原さん、なんかさっき言ってましたけど、パラサイトって適合できるとかできないとかあるんですか。仮にできないとどうなるんです?」

「まず確実に寄生された人間が死ぬ。仮に適合できたとしても……馴染めるかは人それぞれだ」

「それじゃ霧原さんや黒河さん、あとパラサイトくんは特別ってことですか?」

「あまり深く考えたことはないが、そうってことでいいんじゃないか。君、そういえば急いで支部に戻るとか言ってなかったかね」


霧原は羊子の質問攻めにいちいち答えていたが、やがて面倒くさくなってきたのか話題を逸らした。羊子はその言葉に「あっ!」と口に手をあてる。


「そうでした、すみません……急いでお会計すませてきます!」

「ああ、そうしたまえ」


あわただしく会計をしに席を立つ羊子を見送りながら、霧原はステンドグラスのランプのそばのパラサイトくんをつかんで裾ポケットに入れ、また裏返しにした白衣を着直す。これだけ汚れたり、ぼろぼろになってしまえば買い替えるしかないだろう。


『ね、キリハラ。さっきから気になってたんだけど、あれって何?』


内側になった裾ポケットからパラサイトくんが顔をのぞかせ、淡い水色を基調とした店内のあちこちに貼られた古くなり、黄ばんだようにわざと加工された原稿用紙を見ている。今2人の見ている紙にはこう書かれていた。


【人魚は、南の方の海にばかり棲んでいるのではありません。北の海にも棲んでいたのであります。】


「ああこれは……小川未明という作家が1921年に書いた赤い蝋燭と人魚という童話の最初の一文だよ」

「……この店の主人が随分なファンでね。店の名前にするほど好きらしい」

『なるほど〜。じゃあキリハラはその本読んだことあるの?』

「ああ。ここに通うたびに主人から熱心に勧められたからね、帰り道に書店でこの話が収録された童話集を買って読んだよ。内容は……」


内容は。「赤い蝋燭と人魚」の結末は。目を閉じて必死に思い出そうとして、霧原はその記憶が自分の頭からすっぽりと抜け落ちていることに気づいた。童話集を読んだ、ということはたしかに覚えているのに。


『おーいキリハラ、大丈夫か?』

「あ、ああ。なんでもない」


しばらく思考が停止していたらしい。パラサイトくんの声で我にかえった霧原のところに、会計を済ませた羊子が戻ってきた。


「お待たせしました、霧原さん!さ、帰りましょう」

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