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第3話 時間稼ぎ

浅木のいつもの間延びした声に、羊子はそう返して通話を切った。すぐに霧原を探して今の会話内容を伝えないことには、何も始まらない。ああもう、どうしてこんな時にかぎってこういう事態になるのだろう。


(一度旧校舎に戻ってみよう……もしかするとそっちに行っているかもしれない)


羊子は懐中電灯を手に、保健室の外に出て廊下を新校舎の出入り口へ向かって歩き出した。



一方その頃。霧原は旧校舎に先に入り、青の件で中断されていたパラサイトの探索を再開していた。


1階、2階と階段や廊下を探りながら歩く彼の数歩先を先導して行くのは、パラサイト課のマスコットキャラクター・パラサイトくんのフィギュアの中を棲み家とする寄生生物パラサイトである。


『どうかね、パラサイトは見つかりそうか?』

『うーん……ニオイがだんだん強くなってきてるから、多分この先にいると思うけど』


3階の廊下を右へ左へ蛇行しながら、犬のようにフィギュアについた逆三角の小さな鼻をひくつかせるパラサイトくん。彼の外見はほぼプラスチックの作り物なのだが、妙にその動作が生々しいのは中身が同調してきているからだろう。


『……うむ。君の言う通りかもしれない……かなり酷い臭いだ』


パラサイトに戻った霧原の鼻にも生ゴミが腐ったような……パラサイトが発する特有の臭いが届いている。それが廊下を一歩進むたびに強さを増しているあたり、この先の教室にまとまって潜んでいるに違いない。


『あ、キリハラここ‼︎ この教室からのニオイが1番強いよ』


廊下の真ん中で立ち止まったマスコットフィギュアが小さな指(はないので手)でさしたのは「3年4組」というプレートが下げられた教室だった。


「……霧原さん、いますか?」


不意に霧原の背後から羊子が自分を呼んでいる声がした。まさか、そんなはずがない。彼女には確かに自分があの坂咲青という少年を支部に送り届けるように指示を出したのだ……この場所に戻ってきているわけがない。


『キリハラあれって、さっき旧校舎で一緒にいたお姉さんの声じゃない? 出ていかなくていいの?』

『……何言ってるんだお前、こんな姿で出て行けるわけがないだろう!』


パラサイトくんにそう尋ねられた霧原は、内心で焦りを感じて少し声を荒くする。先ほど新校舎の保健室で自分が脱皮のため剥がした皮膚は、すぐに再生する訳ではない。変化した髪も顔も瞳も、元に戻るにはそれなりに時間が必要なのだ。


『じゃあその腕とか髪とか、ささっとなんとかならないの?』

『……そんなことが可能ならとっくにやってる。夜明けまで時間があれば少しは再生できると思うが……今はダメだ』


パラサイトくんからの全くの考えなしの発言に、霧原は彼を今すぐに蹴り飛ばしてやりたい衝動にかられる。


『なら……お前が時間を稼げ。柴崎くんを引きつけろ』

『え⁉︎ じゃあパラサイトの保護はどうするの?』

『……今夜みたいに赤い満月の夜なら、太陽が昇るまでこの状態が保てるから私がやっておく。いいからさっさと行け‼︎』


霧原はキッ、とマスコットフィギュアを睨みつけると、そう言い残して3年4組の教室にドアを開けて勢いよく中に入って行ってしまった。


『ま〜たそんなこと言って……おいらにも出来ることと出来ないことがあるんだからな‼︎』


そんな霧原の後ろ姿を見送りながら、マスコットフィギュアの中のパラサイトは叫んだ。もちろん小さな声でだ。


「霧原さん、いないんですか⁈」


廊下の奥からする声が、少しずつこちらに近づいてくる。さて……一体なんと言って誘導すればいいのだろう。

キリハラは夜明けまで時間を稼げと指示してきたが、ちょっと前に見た窓の外はまだ妖しい赤い月の光と暗闇に包まれていた。


残りの時間が後どれくらいあるのかは検討もつかない。それから今はとにかく3年4組の教室に彼がいるということを、あの柴崎という女に勘づかれないようにしなければならない……。


「あれ君、さっき道案内してくれたうちのマスコットくん……よね?ねえ霧原さん見なかった?急いで伝えなきゃいけないことがあって探してるんだけど……」


そんなことをあれやこれやと考えていたら、あちらから声をかけられたのでパラサイトくんは羊子を見上げる。


(……キリハラのやつ、後できっちり食事代を請求してやるからな)


『あっ、そっそうです!さっきはいきなり動いてびっくりさせてすみませんでした。おいらもキリハラさんとはぐれちゃって今から探しに行こうと思ってたところです』


精一杯の言い訳と嘘がすらすらと口から流れ出て、パラサイトくんは思わず自分でも驚く。


「え、そうなの? じゃあえっと君、一緒に探してくれないかな?」

『はい……もちろんです!この階はおいらがもう調べたので、下のほうを探しましょう』


(よし、引っかかった! こんなに簡単に今の話を信じてくれるなんて……こいつはよっぽど人がいいのか、それともただの馬鹿なのか)


それからマスコットフィギュアである自分が普通に会話をしているというこの状況に、彼女はもう違和感を感じていないようだ。


「いいわ。じゃあ下の階に早く行きましょう」


羊子は自分を先に立って廊下をもと来た方向に走ってゆくパラサイトくんの後を追って、下の階に通じる階段へ向かうことにした。



3年4組の教室の中は、一面緑色の液体で塗りつぶされていた。窓や床、天井にいたるまでべったりと飛んだそれが、黒板の前にある教卓付近に折り重なるようにして倒れているパラサイトたちの血液だと気づいたのは霧原が入ってすぐのことだった。


一歩前に踏み出した黒い革靴がぱしゃっ、と水を踏んだ時のような音をたて、霧原の着ている白衣や黒のベストやスラックスに緑色の液体が点々と飛ぶ。


(これは……。一体中で何があった)


霧原は自分の服が緑色の血で汚れるのも構わずに、教卓に歩み寄る。初老の恰幅のいい教師だと思われる男性を中心に、数名の制服を着た男女がそれぞれに手や足を投げだして横たわっている。霧原が警戒しながら近づいてみると、彼らの口元や腕、肩、足などに複数の肉をかじりとった後に似た歯形がついているのに気がついた。


(……なるほど、パラサイトに成りたての者同士で共食いをしたのか。この出血量なら……もう、すでに絶命しているだろう)


霧原はそう判断し、念のためにパラサイトの死体に名前を示すものがついていないか確認することにした。


間宮俊樹


佐藤麻希


原稔はらみのり


山岡潤也


脇谷美月


黒河朱莉くろかわあかり


(黒河。そういえばあの右目に怪我をした少年がクラスメイトにそんな名前の生徒がいる、と言っていたが……まさかこの子がそうなのか)


霧原は生徒たちの制服に付けられた名札のプレートに刻まれた名前を1つずつ確認していて、ふとその話を思い出した。


黒河朱莉は肩、腕、足の一部を噛まれており、二重線の入った黒いセーラー服の襟や赤色のスカーフ、ひだの入ったスカートが緑色に染まっている。髪はおそらく赤い鮮やかな色だったであろうものが抜け落ち、白にかぎりなく近い薄桃色になっていた。


(彼と約束はしたが……私は君を保護できなかった)


すまないという後悔の気持ちから、霧原は黒河朱莉の髪に触れようと歪に変化した右手を伸ばすが、その手は瞬きすらしないうちに床に払い落とされた。手に少し遅れて鈍い痛みが後からじわじわと広がってくるのを感じ、霧原は頭の処理が追いつかないままに一体何事かと黒河の死体を見直す。


『そのままにしておいてくれればよかったのに……そうすればアタシ死ねたのに』


ふらり、とその場に立ち上がった黒河がつぶやく。そして次の瞬間には、霧原の払い落とされた右手を黒河の人の背骨のような形状の尾が差し貫いていた。



「何、今の音」


ドンッ、という何か上から勢いよく物を落としたような大きな物音がして、パラサイトくんと一緒に2階の端の教室のうちのひとつを調べていた羊子は耳をすませる。


『どうかしました?』

「……いえ、今何か上の階から物音がしたような気がして」

『気のせいじゃないですか? ほら、夜の学校ってなんか出そうな雰囲気ありますし』


さっきの音の正体はもちろん、上の階にいるキリハラだ。


(あいつったら一体3年4組の教室で何やってるんだ……。このままだと彼女がすぐに気づいちゃうだろうが‼︎)


「そう?でも、もしかすると上の階にまだ誰かいるかもしれないから……もう一度見に行ったほうが––––」

『そっ……それはおいといて先に1階見に行きましょう!まだ調べてないですから、ね!』


ともかくキリハラのいる3階に彼女を入れないために、今は必死で話題をそらす。これで少しは時間を稼げるはずだ。


「……そうね、わかった。じゃあ1階を調べてから3階に戻りましょう。君、また道案内してくれる?」

『はい、それならおいらにお任せください!』


(キリハラ、頼むから変なことしないでくれよ……。この責任全部、後からおいらにまわってくるんだから)

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