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第3話 悪魔の誘惑は終わりがない(悪魔そのものだから)

 ――ところでここで一度『悪魔とはなにか』という話をさせてほしい。

 日本という国においては『悪魔とはなにか』を知っている人間は多くない上に、この物語を読むのは日本人が大半となるだろう。だからこれは必要な説明と『悪魔の小瓶』たるわたしは考える(もちろんよく知っているという場合は飛ばしていただいても構わない)。まあ、もちろん『小瓶』のわたしは『考える』などできないわけだが……とにかく、『悪魔とはなにか』を説明するにはまず『神とはなにか』を説明しなくてはいけない。


 『神』は『世界を創ったもの』だ。


 神がいるかいないかということをここで議論する気はない。神はそういうものだ。

 神は世界を創り、また現在は偉大な計画に基づいてすべてを動かしている存在である。神はいついかなるとき、いかなる場所に存在しすべてを把握し、すべてを動かしている。神の偉大な計画は言葉におきかえることはできず、絵で見せることもできず、要するに『偉大』であることしか『悪魔の小瓶』たるわたしにはわからない。

 とにかく神とはかくなるものである。

 そし神がつくったものの中に『天使』というものがいる。

 『天使』は神によってつくられたものであり神の許可を得て地上の生き物にメッセージを送る役割を担っている。『天使』は肉体を持たないがごくまれに神に肉体を与えられ人前に人間のような姿で現れることもあるが、天使は正直人からしたら大した意味はない。彼らの役割はあくまでも『神のメッセージを届ける』だからだ。あなただって宅配便を頼んだ時に気にするのは『宅配便の中身』の方でそれを届けた宅配係ではないだろう。

 そんな『天使』の中で『悪魔』に身を落とす者がいる。

 これを『堕天』というのだが何故これが起きるのかというと『天使は頭がいいから』である。

 天使が単なる神のパーツに過ぎないのであればこんなことは起きないのだが、神には劣るが天使はそれなりに頭がいい。少なくとも人などよりは頭がいいため、神のメッセージを伝える自分の役割に『疑問』を抱くものが存在する。そういう天使は自分の理解できない偉大なる計画に基づいている指示だとしても『意味が分からん、ちゃんと説明しろ』などと生意気なことを考えて、『神よりも自分を優先し』、結果的に天から堕とされるのだ。とはいえそれでも悪魔は神の支配を受ける。

 彼らは神の計画に基づいて人を導く天使とは真逆の『その計画は本当に正しいのか?』『お前たちは自分の頭で考えないのか?』といったことを人に囁く(そのため自分は賢いと考えている人間は悪魔の声を聞いて、結果的に地獄に落ちることが多いのだが、まあそれは余談だ)。とはいえこれさえも神の計画の一部なのだ。悪魔は、天使から堕ちてはいるが、それでも神の意思を継ぐものである。人間とはその辺りが一線を画しているのだが……とにかく『悪魔とはなにか』というと『かくも厄介なもの』である。


 悪魔のささやきは極めて『人間的』であり、天使の言葉よりも分かりやすく『納得感』さえある。

 だから人間は悪魔などに囁かれたら極めて高確率で『誘惑』を受け入れてしまう。これだけの説明では『人間は悪魔の誘惑に勝てない』と思われるかもしれないが、『悪魔』には『弱点』がある。つまり、それは『聖なるもの』である。

 具体的に言えば『教会』や『聖水』や『信仰心』といったものは悪魔にとっては毒、どころか『爆弾』である。


 つまりはっきり言えば聖なるものに触れると悪魔は『消滅する』。





「ウオェッ!」


 ――警察が警察署まで帰ったことを確認するとすぐに悪魔は教会の外に飛び出して胸を掻きむしった。

 悪魔と連れ立って外に出てきたパケロは彼の背中を優しく撫でた。が、悪魔はより一層苦しそうに息を吐いた。パケロは聖職者なのでパケロの手は悪魔にとっては『毒爆弾』なのである。

 悪魔は白銀の毛糸玉を吐いた。それは地面に落ちるとドロドロと溶けて消失した。


「……、消滅しますか?」

「こんなんで消えてたまるか! 筋肉痛になっただけだ!」


 ビャンと悪魔が騒いだ内容を聞いてパケロは目を丸くした。

 パケロは、悪魔が教会で一日過ごしたというのに『筋肉痛』で済んでいることに驚いたのだ。パケロはここで悪魔が消滅しても仕方ないと考えていたので、こんな毛糸玉を吐き出すぐらいで済んでいることに大変驚いていた。ちなみにこの毛糸玉は『聖』の塊なのだが、そのことについてはまた別の機会に説明しよう。

 ……読者のあなたがたに分かっていただきたいのだが、パケロは冷たい人間ではない。パケロは悪魔というものは消滅したところで、またどこかから沸いて出てくることを理解しているためである。悪魔はしつこいのだ。

 悪魔は全身をバリバリと掻きながら、忌々しそうに教会を振り返った。


「クソ天使め……オエッ、横隔膜がつりそうだ」


 悪魔はしゃっくりをした。

 それからノロノロと立ち上がるとパケロをその金色の目で見下した。


「これからお前はどうする?」

「マキが死んでしまった以上、私はどこかの施設に預けられることになるかと思います」

「どこかの施設ってのはまたどっかの教会か?」

「……私は教会の求める赦しを与えられるか……」


 パケロは悪魔の目をじっと見た。悪魔はパケロの目をジっと見返した。


「あなたは、……マキを殺した犯人はどうやって見つけますか?」 

「……パケロ、神の子なのにマキを殺したやつを赦す気はないのか?」


 パケロは目を閉じて手を組んで神に祈りをささげた。悪魔の質問に答える義務は神の子にはないのである。悪魔はフンと鼻を鳴らすとパチンと指を鳴らした。パケロの体が一瞬青く光り、しかし一瞬で落ち着いた。パケロが不審そうに悪魔を見下ろすと、悪魔がひとつのパスポートをパケロに差し出した。


「お前はこれからオレの親戚のパケロ・ヴァニーだ。オレは仕事だからお前を誘惑はするがお前がオレに靡かない限りはお前は神の子だ」


 パケロは渡された自分のパスポートを見て眉間に皺をよせ「……戸籍を作れるんですか?」と尋ねた。


「戸籍はシステムだ。システムは記録だ。記憶も記録も悪魔にいじられるものだ。だけど悪魔は人の時間に左右されないし、同時に触れることはできない。まあ、どうだっていいんだ、そんなことは。帰るぞ」

「帰る? どこへ?」

「オレの家だ。……というよりオレがこの教会に通う時に使っている家だな。この『神の家』に泊まるのは槙島が生きている限りは無理だった。今でもやっぱり一日が限度だな。それ以上はさすがのオレでも……」

「消滅する?」


 フンと悪魔は鼻を鳴らした。

 彼がハーレーを撫でると、ハーレーにサイドカーがついた。悪魔はすごく嫌そうに「ああ、格好悪い」と言いながらも、パケロに右手を差し出した。

 パケロはその手を見てから「これは誘惑ですか?」と尋ねた。悪魔はうんざりした様子でため息を吐き「お前がそう思うならな」と答えた。それでパケロは悪魔の手を取り、悪魔のハーレーのサイドカーに乗り込んだ。

 悪魔はパケロにヘルメットをかぶせると「最悪の一日が終わり、二日目が始まる」とまるでなにかの予言のようにつぶやいた。


 ――わたしは彼の内ポケットの中で彼の鼓動を聞いていた。

 悪魔とは思えないぐらい彼の鼓動は速かった。悪魔は自分では気が付いていなかったがこの状況を楽しんでいた。

 悪魔が機嫌が悪そうに見えるときは悪魔はそれを楽しんでいる。そういうものなのだ。





 悪魔とパケロがハーレーで移動しているその頃、『首無し殺人』を追いかけている伊佐は時間を惜しむように鑑識結果を読み込み、解剖結果を待ちわびていた。

 彼女はこの事件を解決したら自分のキャリアがまた進むことを把握していた。

 そんな彼女を見て津島は鼻を鳴らした。


「夜通し仕事をしていると肌が荒れるし婚期を逃すぞ」

「……津島さんはお帰り下さい」

「そうできるんだったらそうしている! お前がそういうことをしている間は俺は帰れないんだ!」

「……『お前』?」


 伊佐は顔を歪め、そんな伊佐の顔を見て津島はさらに顔を歪めた。が、津島は『このご時世に若い女が訴えでもしたらもっと面倒だ』と思い、「言葉が悪かった。伊佐さん」とわざとらしく言って、わざとらしくお辞儀をした。そんな津島の仕草に伊佐は心の中で『××××放送禁止用語××放送禁止用語ジジイ!』と罵倒した。

 とにかく彼らは仲が悪いのだ。

 伊佐は立ち上がり「では帰ります」と言った。


「本当か?」

「嘘などついてどうなりますか?」

「お前は俺を信じてないから嘘ぐらいつくだろ」

「……その『お前』というのはやめていただけますか?」

「ああ、クソ、面倒くさいな。……『伊佐さん』、あのな、……」


 津島はこの関係を改善すべく『飲み会』にでも誘おうとしたとき伊佐の携帯が鳴った。伊佐はそれを取り「はい、伊佐です」と答え、津島はバリバリと気まずそうに頭を掻いた。電話をかけてきた相手は槙島の解剖を行っていた施設の人間だった。伊佐はその結果を一通り聞いてから息を吐いた。


「つまり死因は『恐らく』失血死ではない、と?」

「なんだって!」


 伊佐は叫んだ津島に対して『シー』と人差し指を唇にあてて注意した。津島はムと唇を閉じた。

 伊佐はしばらく電話相手に相槌を打った後「ありがとうございます。ではまた」と電話を切った。伊佐は前髪をかきあげてンン、と短く呻った。その電話の内容は彼女にとっても想定外のものだったのだ。


「で、なんだって?」

「……槙島努まきしまつとむの死因は首を切られたことではないとのことです。『亡くなった後に首を切られたのだろう』と。ただ、死因は……いかんせん頭がないので確定できないとのことでした」

「じゃあなんだ? たまたま死んでいた老人の首を取っていったやつがいるってことか?」

「そうなりますね……」


 津島はフウンと息を吐き「春でもないのに変質者が出たな」と肩を竦めた。伊佐はもう少し疲れていたら唾棄しそうなぐらい嫌な気持ちになったが大人の女性としてそれを抑え「なんであれ犯人を捕まえなくてはいけません」と言った。


「凶器は?」

「それもまだ不明とのことです」

「死体切り開いて分かったことはそれだけってことかよ?」

「今のところはそのようですね……、……明日また現場に伺おうと思いますが、……津島さんは?」

「俺とお前はバディだ。行動は共にする」


 津島はそう言った後「ああ、そうだった、すまんな、申し訳ない言葉を使った、『伊佐さん』」と言った。伊佐は舌打ちを必死に抑え「それでは本日は解散と言うことで」と言い捨て、カツカツと足音を立てて捜査本部から去っていった。一人残された津島は派手に舌打ちをしてから「クソ生意気な女だな」と暴言を吐いた。

 それが彼らのこの事件での一日目の終わりだった。





 ――という様子を地獄耳で聞いていた悪魔はハーレーを運転しながら鼻を鳴らした。パケロが不思議そうに首をかしげる。


「どうかしましたか、悪魔」

「お前が頼りにしているあの人間たち、吃驚するぐらい仲が悪い」

「仕事に仲の良さは関係ありません。彼らは警察ですからそれなりの仕事はすることでしょう。知っていますか、悪魔。ミステリーが流行るのは日本とイギリスぐらいなんですよ」

「へえ、なんでだ?」

「警察がしっかりと稼働している国でなければ犯罪は犯罪のままですから。ミステリーなど流行りません。どれもこれもヤクザに頼んでおけばいい」


 悪魔は八歳児の言葉に「悪魔的だな! 気に入った!」と言ってゲラゲラと笑った。

 ハーレーのエンジン音をバリバリと鳴らしながら彼らは会話を続ける。悪魔はエンジン音は『外』へ流していたので彼らはとても静かな世界で運転を続けていたのだ。

 岡山の田舎町にバリバリと鳴り響くエンジン音は近隣住人の心を少しザラザラにする程度の騒音だったが、そのように人々の心をザラザラにするのは悪魔の仕事だったので、この悪魔は勤勉だとも言えた。

 とにかく悪魔はけらけらと笑った後、「しかしあいつらは仕事ができるのかね」とまたため息を吐いた。


「なにか聞こえましたか?」

「槙島は死んでから首を切られたそうだ」

「……マキが苦しんだのでなければよかったです」

「それはわからん! 槙島の死因もわからない。首を切った凶器も。それに首のありかも。そんなことをしでかした人間がどこにいるのかも! NOTHING!なにも!

「悪魔」


 悪魔の髪が炎に戻ったが、パケロにとがめられてそれはただの白髪に戻った。毛先は燃えていたが、ハーレーに乗っている人間の髪が少し燃えていたところで通行人には大した問題ではない。許容範囲だ。

 パケロはあなたは感情的に過ぎる」と悪魔を咎めた。


「理性は知性、知性は理性、常に冷静でなければいけませんよ」

「感情はすべての行動原理だ。それを捨ててなにを求める? 人間は『理性』ゆえにな人を殺すのか?」

「人が犯人とも限らないでしょう。マキは聖職者です。悪魔がやったのかもしれませんよ?」

FU××くそが!」


 悪魔は慄いた。そのことにパケロは慄いた。


「いいか、馬鹿な小娘」

「私は馬鹿ではありません」

「いいや、馬鹿だ。お前は槙島に育てられていたのにあいつがなにか分かっていないのか? あいつは預言者、神が愛した生き物だぞ!」


 パケロは瞬きをしてから首をかしげた。


「マキはたしかに神父でしたが……」

「『神父』! FATHER!聖なる父よ! くそったれ! あいつはそんなつまらないものじゃない! あいつはこのクソみたいな時代の唯一の救世主だったんだ!」


 バウン、とエンジンが音を立てる。

 余談になるがこのハーレーもまた悪魔を愛していたため、ハーレーは悪魔の思いに応えるように叫ぶことがあった。とはいえハーレーはハーレーだ。言葉は話さない。ただ、バウンと鳴るだけだ。


「だからあいつを殺せるのは人間だけだ。悪魔も天使も無理だ、神の作った『パーツ』だからな! 神に選択の権利を与えられているのは人間だけ、『過ちを犯せるのは人間だけ!』」


 悪魔はそう叫んで、それから「だから槙島は人間なんか捨ててしまえばよかったんだ……」と悲し気に鼻をすすった。その様子を見て「泣いてはいけませんよ、悪魔」とパケロは悪魔を諭した。悪魔は悲し気に眉を下げたが、仕方なさそうに頷いた。


「……槙島、たった一回、オレの名前を呼んでくれたらよかった。そしたらオレはどんなときでも助けに行けたんだ。たしかに……そしたらあいつはオレのものになるかもしれないが、でも……首を落とされはしなかった……」

「何故あなたはマキを助けるのです? それが悪魔たるあなたの仕事だからですか?」

「馬鹿が!!!」


 悪魔は叫んだ。そうして結局涙を落とした。


「槙島はオレの友だちだからだ! 『だから』、助けに行くんだ!」

「……あなたは悪魔でマキは聖人ですよ?」

I DON'T CARE!関係あるか!


 悪魔がグルグルと威嚇するように喉を鳴らしながら乱暴にハーレーを停車させた。

 ――そこは槙島の教会からちょうどハーレーで一時間走らせるとつく場所だった。場所はここでは明記しないでおこう。行こうと思われても困るからだ。

 その家はその地域では高級住宅街にあたる場所にあった。とても便利な場所なのだが、『どういうわけか』その家の周りは空き家となっている、『常』に。そうしてその家の周りは『どういうわけか』人間は迷い込むことすら困難で、もしその家を目指して歩く人がいたら、『どういうわけか』そのことを忘れて、ついでに自分が誰かも忘れてさまようものになってしまう。

 何故かと言うと『それが悪魔の家』だからだ。

 そんな悪魔の家の前に彼らは降り立った。


「……普通の家に見えます」

「『普通』? つまらない言葉だな」

「これがあなたの家ですか?」

「入っていいぞ。My little ladyオレの小さなお嬢さん.」


 仰々しくお辞儀をした悪魔の前を通ってパケロはその家の扉を開けた。

 その家は三階建ての大きな戸建てだった。必要最低限のものしかそろっていないそのモデルハウスのような部屋に足を踏み入れたパケロは「ここは穢れてもいなければ聖なるものでもないようです」と呟いた。そうして実際そこには悪魔の気配もなく、天使の気配もなかった。悪魔は鼻を鳴らした。


「槙島と住むためだ。オレは聖なるところは無理だし、あいつは邪悪なところは無理だ。だから『フラット』にしたんだ。でもあいつは断った。オレはこんなに頑張ったのにあいつはすぐに断る! なんなんだあいつは!」

「それは……マキは神の家に住んでいますから他の場所に住む理由がありません」

「ハッ! 神の家! どこがいいんだかな! あんなパンとワインしかない家の『どこが』!」

「芋も豆もありますし天使がついていますから」

「天使! ANGEL天使! Fu×× V×rgin世間知らずのクズ!」


 悪魔は罵倒しながら扉を閉めて鍵をかけた。それからパチンパチンと指を鳴らした。それから悪魔はパケロの頭を掴み階段の方を向かせた。


「そこに階段がある。見えるな? そこをのぼると二階に着く。そこに食卓がある、そこにお前の飯を用意した。食べろ。二階の部屋に寝室もある。そこで眠れ」


 悪魔は早口で言い切るとどこかへ去ろうとしたが、その前にパケロが悪魔の手を掴んだ。

 悪魔は実に不思議そうにパケロの黒檀の目を覗き込んだ。


「ナァンダヨ、聖なる子羊、食われたいのか!」

「……あなたに聞きたいことがあります」

「なんだ」

「あなたとマキについて」


 悪魔は鼻を鳴らした。しかし悪魔は実は寂しい気持ちでいっぱいだったので「いいぞ」と答えた。それからパケロの背を押して「ほらのぼれ、とっととのぼれ、オレは飲む、お前は食べる、そうしてオレは語る、お前は聞く、それで決まりだ!」と速足で階段をのぼった。




 パケロは芋と豆とパンを食べ、悪魔は真っ赤なワインを飲んだ。悪魔はワインを三本あけてからようやく口を開いた。


「槙島がこの世に生まれたときにオレは、槙島を地獄のものにしろと言われた」

「誰にです?」

「神にだ。と同時にある天使にも仕事が与えられた。槙島をオレから守れとな。だが、その天使は……あー、……槙島が生まれた直後に堕天した」

「え!」


 パケロが驚いた勢いで豆を飛ばしたので、悪魔はパチンと指を鳴らしそれが床に落ちる前にパケロの皿に戻した。


「元々駄目な天使だったんだ」

「守護天使が堕天したなんて……そんな……」

「だからこれは簡単な仕事だとオレは思った。オレがちょっとそそのかせば、……守る天使もいない人間はすぐ堕ちる。そういうもんだろ?」


 パケロは曖昧に頷いた。

 たしかに悪魔に魅入られている人間など守ってくれる天使がいなければすぐに落ちてしまう。しかしパケロの知る限り槙島は常に聖人だった。

 と同時に、たしかに槙島の周りには常に天使が控えているわけではなかった。たまに天使が様子を見に来てはいたがそれは常に違う天使であったし、槙島は彼らに敬意は払っていたが愛着を持っている様子はなかった。


「オレは、あー……楽な仕事だと思ったから寝ることにした」

「え!」

「別にいいだろ、そのぐらい。オレはたまには寝たいんだ。こんな簡単な仕事は起きてからやればいいと思ってそれで寝た。起きたら槙島は三歳になっていた」

「三年も寝ていたんですか!」

「角が痛くなって起きた。そしたら、アー……槙島はオレが見えていた。始めからちゃんと見えていた」


 悪魔は嬉しそうに微笑んだ。


「槙島の目は灰色でキラキラしていて宝石みたいだった。あいつはオレを見て『Whoだあれ?』と言った。その声もキラキラしていた。オレは『I am yours.おまえの悪魔だ』と答えた。……槙島は『Mine!おれの悪魔!』と笑ったんだ。槙島は顔をくしゃくしゃにして笑うだろ? オレはあの顔が好きなんだ……」


 たしかに槙島は顔をくしゃくしゃにして笑う癖があるにはあった。

 といっても普段その癖を見せることはほとんどない。それは槙島は成長するにつれて理性的になり、そんな癖は直してしまったからだ。とはいえ気が抜けたときに見せる癖として残ってはおり、パケロもそのことを知っていたため驚いた。

 まさか悪魔にその顔を見せるほど気を許していたなんて、とパケロは驚いた。

 が、悪魔はパケロのその驚きに気が付かず、とろんとした笑顔のまま語り続けた。


「だからオレはすごく欲しくなった。すぐにオレのものにしたくなった。でも同じぐらいあいつがどうなっていくのかが見たくなった。オレはあいつの今も過去もその先も全部が欲しくなった。それで『オレがあいつを守ることにした』」

「『守る』、ですか?」

「だってあいつを守る天使がいないんだから悪魔のオレが守らなきゃいけないだろ? 槙島はオレを『My guardian devil俺の守護悪魔』と呼んでくれた」

「……マキが、そのような過ちを犯すとは……」

「過ちじゃない。あの頃はまだ槙島は聖職者ではなかったし、……あいつにまともな天使はついてなかったから人間に嫌われやすかったし、……要するにいじめられてたのさ。大人からも子どもからも誰からもさ……だからあいつは人間を嫌って『悪魔寄り』な考えをしていた。だからこそオレはあいつをずっと守っていたし、オレたちは仲良く……、……そうだな、仲良く過ごしていた。ただ、問題が起きた」

「問題?」


 悪魔はワインを飲むと、フウン、と息を吐いた。

 悪魔の脳裏には十一歳の頃の槙島の姿が浮かんでいた。十一歳の槙島はとても美しい容姿をしていた。もちろん死ぬ直前すら槙島は美しかったのだが十一歳の頃の槙島は触れることをためらわせるぐらいにはりつめた美しさがあった。それは悪魔に魅入られているからでもあり、同時に神に愛されているからでもあった。灰色の瞳はいつも蠱惑的であり魅力的であり排他的であった。その漆黒の髪は艶めき軽やかに靡いた。その槙島の隣にはいつも悪魔がいた。悪魔はいつも槙島の隣に馴染む姿をしていた。母親や父親の姿になることもあったし、子犬や子猫の姿になることもあった。けれどこの頃はいつも『友人』の姿をしていた。十一歳の少年として槙島の隣にいて、そうしていつも彼を助けていた、……手段を選ばずに。

 しかし『問題』が起きた。


「槙島が恋に落ちた」

「恋……なににですか?」

BIBLE聖書! THE BOOKあの本!」


 悪魔はそう叫んだあと「ああ、クソ! あいつは、なんでよりにもよって!」と喉を掻きむしった。


「あいつはあの本を読みやがったんだ!」

「……それは良いことでしょう?」

「良いことだ⁉ あいつはそのせいでオレにこう言いやがった。『LEAVE去れ』ってな! 今までっ……今までずっと隣にいた友にたいしてあの野郎! しかもっ、オレの……オレの名前を使ってまで!!」


 十一歳の槙島は聖書を読み、そしてその考えに深く共感し、悪魔を捨てることにした。悪魔は名前を使われると抵抗ができないことを把握した上で、槙島は悪魔に名前を尋ねた。そしてその答えを聞いた瞬間に自分の目の前から悪魔を排除したのだ。

 悪魔はそのことを思い出し深く嘆いた。それから「でもな」と顔を上げた。


「槙島はオレを消滅させることはなかった。だからオレはまた槙島の前に現れることができた」

「……しつこい悪魔ですね」

「褒め言葉だな! 槙島はいつもオレを迎え入れた。……『去れ』とか『眠れ』とか『ここから失せろ』とか言うけど……オレは『消えろ』とは言われなかった。だから、今もここにいるんだ。それに……」


 悪魔はまたとろんと微笑んだ。それは人間で例えるなら、母性だとか、父性にあふれた表情だった。


「あいつはたまにな『会いたかった』とか言うんだ。もしくは『俺の悪魔』なんて言ってくれる。めちゃくちゃ疲れていたり、めちゃくちゃ酔っている時だけだどな……でもそういう時に本音って出るって言うだろ? だから、……だからな、オレはやっぱり槙島が好きで、守ってやりたいって思う。それに、……やっぱりあいつが欲しいんだ」


 悪魔はワインを飲んでから、ゲフ、と息を吐いた。


「話はおしまいだ。だからオレは槙島の首を取り返すし、どんな手段を使っても犯人は地獄に落とすオレたちのものにする


 パケロは思っていたよりもずっと悪魔が槙島と長い付き合いであることを理解し、「わかりました」と短く答えた。それ以上の言葉を彼女は思いつかなかったからだ。悪魔はフンと鼻を鳴らすと「また明日」と言って階段を下っていった。その背中を見送ってからパケロは十字を切り「今日の糧に感謝いたします」と悪魔の食事を食べながら神に感謝をした。



 ――わたしは悪魔のジャケットの中で彼らの話を聞きながら、わたしの中の槙島の意思が『そうではない』と言うのを聞いていた。『俺は神に恋をしたのではない』と槙島は嘆き、しかし同時に『だが、きみがそう思っているなら俺の生涯は成功した』と満足していた。悪魔の小瓶の中の槙島の意思は、悪魔の鼓動を聞きながら『本当に馬鹿でかわいい俺の悪魔だ』と笑った。

 それはとても『悪魔的な笑い』だった。




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