目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第2話 悪魔の嘘は崩壊を招く(それが仕事だから)

 天使は悪魔を見た。悪魔も天使を見た。


 ところで天使は悪魔を嫌悪している。悪魔は罪を犯した天使だからだ。要するにエリートが落ちこぼれを見て『ゴミだな』と思う嫌悪である。人間であればそう思う方が『性格が悪い』となるが、悪魔を嫌悪し悪魔になることを恐れることは天使の仕事なので、天使にとってこの嫌悪は仕方がないと言える。

 そして悪魔もまた天使を嫌悪している。何故なら過去の自分だからだ。それは過去の自分を見て『若い自分恥ずかしいな』と思う嫌悪である。人間でもよくある類の嫌悪である。とにかくそんな風に嫌悪し合う天使と悪魔が岡山県の北区にある教会で向かい合った。


 最初に口を開いたのは天使である。


「悪魔め! なにをしにここに来た!」


 悪魔はこの時に様々なことを考えていた。考えて、そうして『嘘を吐くことにした。何故なら嘘は悪魔の仕事だからである。

 彼はさっきまで泣いていたことの方が嘘であるかのように、厭らしい卑しい笑みを浮かべた。


「遅かったな、天使。お前が迎えようと思っていたやつは地獄に落ちた」

「なんだって⁉」


 天使は驚いた。

 何故なら天使が迎えに来たものは預言者の魂だった。預言者が地獄に落ちることはそうそうない。ましてや今回の預言者が最後の最後まで罪を犯さなかったことはすでに天界で確認されていた。

 要するに槙島は生前に最後の審判が終わっており槙島の魂はすでに天界の物だった。なのにそれが『地獄にかっさらわれた』と悪魔が言うのだ。ありえないと天使が鼻を鳴らし、悪魔はにんまりと笑った。


「探してみろ。天使様御自慢のその目で」


 天使の目は天界が預かるものすべてを見ることができた。つまりこの世界の全ての命、魂、肉体、物質を見ることができる。

 ――しかし悪魔の小瓶は『永遠』であり、つまりそれは天界が預かるものではない。そのため悪魔の小瓶のことを天使は察することも関与することもできない。悪魔はそのことをよく知っていた。要するに天使は『悪魔の小瓶』――わたしのことを知ることはできないのだ。

 事実、このとき、悪魔の嘘を天使が把握することはできなかった。

 天使はすべてを見ることができるはずのご自慢の目を使って槙島の魂を探したが、どこにも見つけることができなかった。

 天使は慄いた。


「なんてことを! 神の審判を裏切るなんて、……この悪魔! 『赦されることではない』!」

「悪魔は赦されない。それが仕事だ」


 悪魔は笑いながら立ち上がり、天使に向かって中指を立てた。


「だが奴の体は残っているぞ。持っていったらどうだ、天使め」

「魂なき肉体などただの『ナマモノ』だ! 役には立たない!」

「そうか? ……もし後で魂が見つかったらどうする? 肉体がなければ天界で生き返らせられないぞ?」

「構うものか!」


 天使は自分の仕事が悪魔に邪魔されたことが不愉快で仕方なかった。悪魔はそんな天使を笑いながらも焦っていた。

 このまま天使に槙島の肉体を回収してもらえなかったら槙島は天界で復活することができなくなる。それは槙島の、つまるところ悪魔にとって唯一の友人の望みを裏切ることではないだろうか、と怯えていた。

 しかし悪魔はそれでも天使に中指を立てた。それが悪魔の仕事だからだ。


「なら帰れ! 仕事のできないくそ天使! 二度と現れるな! 預言者の魂も肉体も……この先の全てこのオレのものだ!」


 と、いうことにしたのだ。

 悪魔は欲しがるのが仕事なので、これもまた彼の仕事だった。天使は彼に様々な、天使が言える限りの罵倒を述べて去っていった。

 悪魔はずっと中指を立てていたが天使の光が完全に見えなくなると、よろよろとそこに膝をついた。


「アア、なんてこと……オレはなんてことを……」


 悪魔は懐から小瓶を取り出し、その青々と光る炎を見つめ、しかし、なにも言うことはなくその小瓶をジャケットの内側に仕舞い直した。彼は立ち上がり、そこでようやく彼はパケロの存在に気が付いた。




 パケロは黒檀の瞳で悪魔を見つめていた。真っ直ぐに見詰められたことで悪魔は首をかしげた。普通、悪魔は人の目には映らないからだ。もちろん見られるようにすることもできるが、このとき悪魔は見られないようにしていたので悪魔は驚いた。


「……オレが見えるのか? ならお前も預言者か?」

「わたくしは悪魔の娘です」


 パケロはそう名乗った。悪魔はさらに驚いた。


「お前はどう見たって人の子だ。それにお前を見ると目がかゆくなる。つまりお前は聖職者、神の子じゃないか。どう転んだって悪魔の子ではないぞ。オレに悪魔の道に落ちるように誘惑してほしいのか?」

「いいえ。マキがそう言いましたからわたくしは悪魔の娘です」

「マキ?」

「槙島神父です」

「槙島? ……槙島は嘘を吐かないぞ。じゃあお前、マジで悪魔から産まれたのか? でも誰だよ。出産『呪』いなんてしばらく贈ってねえぞ……ベルゼブブか? アザゼル? まさかサタンとは言わないよな?」


 悪魔は困惑していた。パケロもまた困惑していた。パケロのその困惑した瞳を見て悪魔はさらに困惑した。


「なんだよその目は……まさか『オレ』か⁉ え、『オレ』⁉」

「……違うのですか?」

「違うに決まっているだろ! 子どもを作るなんてオレの仕事じゃない!」


 悪魔は大変困惑した。そんな困惑した悪魔を見てパケロも大変困惑した。しかし悪魔は「ア」と声を上げた。


「そんなことはどうでもいい! 槙島!」


 悪魔は叫ぶと走り出した。パケロの脇を通り過ぎて教会の奥の扉をくぐると階段を駆けのぼり、槙島の寝室に駆け込んだ。

 そこにはベッドの上で永遠の眠りにつく老人の遺体があった。悪魔はその遺体を見て「アア」と嘆き、その場に膝をついた。


「お前というやつは……何故そう言わない! このっ……大馬鹿野郎!」


 その老人の遺体には『首がなかった』。首があったであろう場所は赤黒い血に染まっていた。こぼれた血が床にまで広がっていた。槙島は抵抗をしたのか壁や天井にまで血痕があった。つまりそれは凄惨な『殺害現場』だった。一目で苦しみの中に死んだことが分かるその光景に悪魔は嘆いた。


「せめて犯人を言ってから死ね! そいつに永遠の苦しみを与えてやったのに! お前は! お前というやつはなにもかもを赦すつもりか! なんという馬鹿だ! ウウウ……」


 パケロは悪魔を追ってその現場に入り、そしてその恐ろしい姿と化した遺体を見た。悪魔の慟哭が響く凄惨な現場に、「アア」と悪魔と同じように嘆き、悪魔の隣に彼女は膝をついた。


「マキ……マキが……どうしてマキがこんな……」

「『殺された』! 槙島が……オレの友人が……ウァア……」


 悪魔は頭を掻きむしるとその髪があっという間に燃え上がった。赤黒い炎と化したその髪の下で爛々と輝く宝石のような瞳からぼろぼろと星に似た涙を落とす。その口からのぞく舌は紫色になりその両手からは恐ろしい鉤爪が生え、そうして恐ろしい尾が生えた。その尾がバンバンと床を叩く。

 隣にいた青年がそんな恐ろしい変貌を遂げたがパケロは全く気にしなかった。彼女もまたその真っ黒な瞳からぼろぼろと涙を落としていた。


「マキィ……うわあああ……」

「ウワアア……アアア……なんてやつだ……なんてやつなんだ……」


 パケロと悪魔は自然と手を取り合って、お互いにお互いの肩に瞼を押し付けて、ワンワン泣いた。それはとても自然なことだ。お互いにお互いの最も大事な人を失った爆発的な喪失感と悲しみに耐えることで精いっぱいで、お互いが『なにか』など『どうでもよかった』のである。ふたりはワンワン泣いた。



 ――わたしはこのふたりの涙を見ながら自分というものが産まれたことを理解した。

 悪魔のジャケットの内側から彼らがワンワン泣くのを聞きながら、自分が『槙島』という人間の魂をベースに、しかし全く違う意思を持ったものとして存在していることを自覚した。もっというのであればわたしの中に『槙島』という考えがあり、また『悪魔』の考えもあり、そうして『パケロ』の考えもあり、『天使』の考えも存在していた。それは『わたしが産まれたあの瞬間』に、そこに関わっていたすべての思考が混ざり合って――『悪魔の小瓶』の中に永遠に囚われたためである。そしてそれはもはやそれらすべてとは異なる別の意思となり、――つまりそれがわたしだった。

 わたしは彼らが泣くのを見ながら『なんてかわいそうなのだろう』と思った。

 そうして――なんとかなぐさめてやりたい――と思った。

 それがわたしの初めての感情だった。

 そして、わたしは初めて動いた。つまり――悪魔のジャケットの中から出てきて、彼らの額に触れたのだ。


「ヘ?」

「……なんですか、これは?」


 彼らからしたらそれは、青く輝き宙に浮く小瓶が自分たちの額をコツン、コツン、と小突くということだった。彼らはひどく困惑したが涙を止めた。わたしはひとまずその結果に満足し、彼らの額をコツン、コツン、とまた小突いた。

 しかし今度は、悪魔は「槙島ァ!」と泣きだし、それを見たパケロも「マキ! マキなんですか!!」と泣いた。

 彼らは結局昼まで泣いた。わたしは『だめだったか』とため息を吐きたい気持ちになった。が、もちろんわたしは『小瓶』なのでため息は吐けない。


「槙島、槙島、なんで死んだんだよぉ、誰がお前を殺したんだ!」

「マキ、ひどいです、死んでしまうなんて、ひどいですよ、マキ……」

「そうだ、ひどい、ひどいやつだ……ウエッウエエエ……」

「ウワアアアッ……」


 ――そういうわけでこの部屋に警察が来たのはその日の夕方になったのである。

 ちなみに警察を呼んだのはパケロである。悪魔はそのときはまだ泣いていたし、警察がやってくるギリギリになってようやく人の姿に戻れるぐらいには嘆き続けており、幼女にしがみついて泣く悪魔などという宗教画でもなかなか見ない構図だったことは、ここでは余談である。





 パケロの通報を受けてやってきた警察官は伊佐いさという若い女性と津島つしまという中年の男性だった。

 彼らはバディを組んでからまだ一カ月も経っていなかったが、すでに伊佐は津島のことが苦手であり津島も伊佐のことが苦手であった。そういった天使と悪魔に似た関係(お互いにお互いを嫌悪する関係)に至った理由は津島は自分若い女性に対してできることが『若い女の子はすぐ怒るからなあ』と揶揄うことや『若い女の子がちょっと泣けば許されるじゃねえか』と侮ることだけだったからである。

 自分よりも若い女性対して行動選択肢が少ない中年男性はこの地球上にたくさんいる。そして同時にそういった中年男性は若い女性から好まれない場合が多いのだ。特に伊佐は津島の部下というわけではなくバディであり、超エリート組の人間だった。そのようなふるまいを受ける謂れも経験もなく、『この××放送禁止用語ジジイ!』と彼女は何度も津島を罵倒した……もちろん心の中だけの話である。伊佐はそのあたりの選択肢を多く持つ令和の働く女性だったからである。

 彼らがこの教会に現れた理由は彼らが担当している案件が『首無し連続殺人』だったからである。

 実はここ十年ほど、北は北海道、南は沖縄まで、日本中で『首無し死体』が発見されていた。これらの死体は特徴として『首がねじ切られていた』。その凶器は様々だが、とにかく首がとられている死体が発見されるのである。だが、その死体の発見場所が全国に飛び散っているために情報が連携されておらず、警察内部では都市伝説的に『首無し殺人が流行っているらしいぞ』という程度になっていた。警察は無能と思うかもしれないが、これにはいくつかの理由がある。

 まずその首無し殺人は『三カ月に一件程度』であり、なおかつ発見されるのは『半年に一回』もないのである。だから『優先順位が低い』のだ。とはいえこの三年で発見された首無し遺体が『7件』となったので警視庁も『さすがに探すか』ということになった。そんな案件の担当にさせられたのがエリート組の『伊佐』だった。伊佐はまずここ二十年の事件をすべて洗った。そしておそらく最初の事件が発生したのが『岡山県北区』だということを突き止めた。また初期の頃の首無し遺体は中部地方で多く見つかっていることに気が付いた。

 そこで伊佐は広島警察に協力を求めた。広島警察は警視庁からの要請に渋々ではあったが腰をあげた。その結果、広島には『仁義なき戦い』という有名な作品があるが、その大元になったあるヤクザの組までも腰をあげた。伊佐は彼らの協力を得て、『どうも犯人の地元は広島ではなく岡山のようだ』というところまで突き止めた。それで伊佐は今度は岡山の警察に協力を求め、そうしてバディを組むことになった相手が津島だったのである。彼らは一カ月で過去の事件を洗い直し(ちなみにこの作業自体を津島はひどく馬鹿にしていた)、そうして『北区』にまで範囲を絞り込んでいた。

 そこでこの『槙島首無し殺人』が発生したのである。伊佐は『起きないでほしいと思っていたことが起きてしまった』と考え、津島は『渡りに船じゃねえか』と考えながらパトカーを運転して現場にやってきた。


 ――なんであれ、とにかく教会のステンドグラスに夕日が落ちる時間に彼らはこの場所にやってきた。


 彼らはその凄惨な現場を見て少し目を細めたが、すぐに鑑識に状況を聞いた。

 津島はもちろん伊佐のことをあなどり「若い子にはこんな現場はきついだろう」と軽口を叩くことは忘れなかった。津島の刑事経験でこんな悲惨な現場を見たことはないというのにだ。伊佐は学生時代に内紛地区でのボランティア活動を経験していたため「いいえ、慣れています」と答えた。そういうあたりが津島にとっては可愛げがなく見えて、津島はまた伊佐が苦手になった。しかし伊佐にとってしたら『うるせえ黙ってろジジイ仕事しろ』なのである。

 彼らはまだ互いのことを理解していなかった。根本的に互いに敬意を持っていないという事実に辿り着いていなかったのである。そんな噛み合わない彼らは、しかし、第一発見者である『悪魔』と『悪魔の娘』に話を聞くことにした。『悪魔』と『悪魔の娘』はどちらも泣きはらした顔をしており、ふたりしてとても大切そうに『小瓶』――つまりわたしを持っていた。

 わたしは彼らにとってはすっかり『槙島』になっていた。違うと思いはしたが、わたしは『小瓶』だ。言葉は持たない。なので大人しく彼らの手の中に納まっていた。彼らは決してわたしを離さないと決めているようだった。


「お話しを伺ってもよろしいでしょうか」


 そのように丁寧な口調でわたしたちに声をかけたのは伊佐だった。彼女はわたしたちに目線を合わせ、警察手帳を見せた後、特にパケロには気遣うように優しい微笑みを浮かべた。


「現場の状況と、最近あった変なことと、あと被害者に恨みがあるやつがいないかを教えてくれ」


 逆にそのように、わたしたちに声をかけてきたのは津島だった。

 彼は『悪魔』を疑っているらしく、特に『悪魔』を睨みながらそう言った。そんな津島のことを『本気かこのクソジジイ』という顔で伊佐は見上げたが津島は気にも留めなかった。そして悪魔はそんな津島の疑いに気が付いていない様子で「現場の状況……」と呟いてからパケロを見た。


「現場の状況ってのは、今のまんまだ。オレたちはなにも触ってない。だよな?」

「……ええ、わたしたちはここでずっと泣いていたので……マキは、……槙島神父は誰かから恨みを買うような人ではありません」

「そうだ! あいつはそれに誰かを恨むなんてこともできねえし……チクショウ! 誰が槙島を殺したんだよ! ウワアアァ……」

「泣いちゃ駄目です! あなたが泣いたら、また、私も……ウエエエエエン……」


 悪魔が急に泣き出し、それにつられてパケロも泣いた。彼らは全くまだ槙島の死を受け止め切れていなかったのだ。

 そんな風に彼らが泣いてしまったので、伊佐は津島を睨み、津島は不審そうに悪魔を睨んだ。

 ――悪魔はまだなんとか『人間』の形を保っていた。つまり槙島が死ぬ前にしていた白髪にインナーと毛先だけ青色に染めた髪型で、輝く金色の瞳で、やせ型で、高いブランドの服(しかもどれも百年近く着ている)を着ている青年の姿をしていた。そんな青年はこの令和の時代とは言え、岡山の若干田舎に位置する街にはあまりいなかった。要するに、この教会に住んでいる子どもとして『パケロ』は警察からも把握されていたが、『パケロと一緒に泣いているヤンキー』については誰も把握していなかったのだ。

 そこで伊佐は泣いている悪魔の肩を優しく撫でながら「ところで、あなたのお名前は?」と尋ねた。

 悪魔はその優しい手つきになんとか涙をおさめ、鼻をすすりながら「お前は伊佐だよな。伊佐 柚香。二十七歳、東京出身、お前の寿命は八十年後だ。お前ぐらい槙島も長生きすると思っていた」と喋った。これは人間を見たら『その名前』『その寿命』が見える悪魔の台詞としては普通なのだが、人間としては普通の台詞ではなかった。なので伊佐は驚き、しかし『そういえばさっき警察手帳を見せた』と思い出し「たしかに私は二十七歳です」と答えた。要するに彼女は年だけ当てたのだろうと考えた。だとしたら出身はわからないはずなのだが伊佐はそこまでは気が付かなかった。

 伊佐はもう一度「あなたのお名前は?」と悪魔をうながした。悪魔はジャケットの袖で涙をぬぐってから口を開いた。


Volney Vid Varleyヴォルニー・ヴィド・ヴァーリー


 もちろん偽名である。

 他の悪魔も含め悪魔というものはたくさんの偽名を持っているのだが、この悪魔の場合はこの偽名をこよなく愛しておりここ六百年ぐらいはこの名前だけを使っている。意味は特にないが、Vの音を気に入っている。槙島も彼の事を名前で呼ばなくてはいけない場面では『Mr.VVさん』だとか『My dear V俺の親愛なるV』だとか呼びかけていた。悪魔はその呼び方も気に入っており、特に『My V俺のV!!』と呼びかけられた時は喜びのあまり温泉を掘り起こしたのだが、ここでは余談である。

 伊佐は悪魔の偽名を聞き、すこし言葉を選んでから口を開いた。


「ヴァーリーさん、どちらのご出身でしょうか?」

「スコットランドはまだあるよな?」

「え、はい、ありますが……」

「ならスコットランドだ。オレはグレートブリテンに家を持っている。海が見える家だ。槙島もあの家だけは気に入ってくれていたな……」

「……あなたは今ご旅行中ですか?」

「旅行? オレは槙島に会いに来たんだ。ハーレーに乗って……なんでそんなことを聞く?」

「状況の整理のために……」

「状況の整理?」


 伊佐は悪魔の顔をじっと見た。悪魔もまた伊佐の顔をじっと見た。

 じっと見て悪魔は『なんだ?』と考えた。考えてそうして『もしかしてオレが槙島を殺した犯人と疑われているのか?』ということにようやく思い至った。思い至り、そして彼は――激怒した。


Ass×ole!くそったれ! ×astard!なんたる無能!


 ちなみにこのような罵倒語を使うことは『悪魔の小瓶』としては読者たるあなた方にお勧めできない。しかし悪魔はそういう言葉を選ぶのが仕事なので、これは悪魔にとっては正しい言葉遣いだった。

 とにかく悪魔は激怒した。


「Your job is to find the KILLER!お前の仕事は犯人を見つけることだろうが!


 悪魔は激怒したのでその髪は再び燃え上がり、その目は爛々と輝き、その両手には鱗がはえ、その指は恐ろしいカギ爪となった。彼は口を大きく開くとその恐ろしい牙を見せつけて「You said I killed Makishima!お前はオレが槙島を殺したって言うのか! You said!言ったのか⁉」と伊佐を怒鳴った。

 ――が、もちろん怒鳴った先の伊佐は意識を失っていた。聖なる神の子ではない人間は悪魔を見ると意識を失うものである。よってその場にいた人間はみんな意識を失っていた。

 ただひとりの、その場にいる聖職者『パケロ』を除いてみなが倒れた。そのためひとり起きていたパケロは悪魔の姿に戻った悪魔の尾につかまった。彼女は悪魔を止めなくてはいけないと考えた。少なくとも現場が荒らされることは避けなくてはいけないと分かっていた。


「あなた、いけません! 悪魔の姿になっては……」

How dare you!なんてひどいことを!

「あなた! こちらを見なさい!」

What a fu××!なんだ!


 悪魔は尾につかまったパケロを睨んだ。パケロは悪魔を見上げて「落ち着きなさい。深呼吸をするのです」と言った。その物言いは槙島のものによく似ていて、とても穏やかだった。なので悪魔は深呼吸をして、「ウン」と呻った。


「……すまん」

「いいんですよ。とにかく元に戻ってください」

「元がこれだ」

「でしたら人の姿に化けてください」

「……わかった」


 悪魔はパチン、パチン、パチン、と指を鳴らして青年の姿に戻った。パケロはため息を吐き、悪魔の手を握った。悪魔の手は冷たく、パケロの手は温かく湿っていた。


「地上にいるのであれば人間の姿を失ってはいけません、悪魔」

「……それ、前にも槙島に言われた」

「でしょうね。ここは教会です。あなたのような悪魔が出入りしていい場所ではありません。マキはあなたのことをきっととても困った悪魔だと思っていたでしょう」


 ぐうの音も出ないのか悪魔は「ギュウ」と呻いた。


「悪魔、あなたはマキを殺した犯人が分かりますか?」

「分かっていたら泣いてない……」

「マキの首がどこにあるかは?」

「分かっていたら泣いていない!」

「なら、探さなくてはいけません。そうでしょう?」


 悪魔は床に膝をつきパケロと目を合わせて「ウン」と頷いた。

 悪魔にはいくつか人智を越えた力があるが過去にあったものを探すことはできないし、命のないものを探すこともできないのだ。だから悪魔は槙島を殺した犯人も分からないし、槙島の首を探すこともできないのだ。悪魔は恐ろしい異形の瞳からぽろぽろと涙を落とした。それは不甲斐なさ故でもあり、やはり槙島が死んでしまった事実を受け止め切れていなかったためでもある。パケロは冷たい悪魔の手を彼女のできるかぎりの力で握った。


「人を探すのであれば警察に頼るのが人間の常とう手段です。ですから私たちは警察と協力しなくてはいけません。彼らはきっとマキの首を見つけてくれます。ですからこのように気を失わせていけません」

「……だって、こいつが……オレを疑うから……」

「それでもです。マキを殺した犯人を私たちは知らなくてはいけません。マキの首を取り返さなくてはいけません。私たちはマキが大好きだから。……違いますか?」

「……そうだ。オレは、……槙島を取り返す」

「でしたら落ち着いてください。警察の手を借りるために、あなたは人にならなくては……」


 悪魔はパケロの手を握り返し「わかった」と小さく頷いた。


「やり直す」

「ええ、そうしましょう」


 それで悪魔はパチンパチンと指を鳴らし、一度『すべてをやり直す』ことにした。要するに警察連中全員の記憶を消し、彼らがこの家から訪れるところから、彼らの記憶をやり直したのである。悪魔は時は戻せないが人間の記憶程度はいじれるのである。






「ご協力感謝いたします」

「ああ……とにかく犯人を見つけてくれ」

「ええ、もちろん」


 二度目なのでさすがに悪魔も伊佐と津島の追及に『人間らしく』答え、一部不明瞭なところはあるにはあったが、伊佐と津島も悪魔を第一容疑者として見なくなった。パケロはその結果にほっと息を吐き、悪魔はそれでも彼らを「あいつらは『悪魔』寄りだ。その内地獄に落ちるオレたちのものになるだろうな」と呪った。警察関係者は九割九分地獄に落ちるものなのでその呪いはある意味では無意味といえた。


「ご遺体は解剖に回します」

「……マキ、……」

「槙島、……丁寧に扱ってくれよ」

「ええ、もちろん」


 悪魔は槙島の遺体の手に額を当て、パケロも同じようにした。悪魔と悪魔の娘の祝福を受けた遺体は警察関係の施設に送られた。そして警察もある程度の調査を終えると帰っていった。悪魔は地獄耳を持っているので警察連中が『犯人』も『槙島の首』も『凶器』も見つけられていないことを把握していた。ただ恐らく死亡推定時刻は悪魔が教会に訪れる三十分ほど前だということはわかった。


「……オレがもう少し早く起きていれば……」

「過去を振り返っても仕方ありません。それにすべては神の定めたことです」

「槙島が殺されることさえもか?」

「ええ、それさえも……神の偉大なる計画の一部にすぎないのです」


 悪魔は唾棄し、パケロは神に祈りをささげた。


「ところで悪魔、あなたの名前はなんというのです」


 悪魔は鼻を鳴らした。悪魔が名前を知られるということは消滅させられるということである。しかし同時に悪魔は本名を呼ばれることでどこからでもその場所に現れることができる。


「オレの名前は槙島しか知らない。あいつは最後の最後までオレを呼びはしなかった。オレの名前を使うときは追い出すときだけだ」

「……そうですか」


 パケロは、そりゃマキは悪魔などには頼らない、と思ったが同時に、それはこの悪魔にとってはとても悲しいことだったろうと悪魔にわずかな同情を抱いた。とはいえパケロは聖職者なので「あなたの名前を知っていながら消滅させなかったのはマキの落ち度ですね」と自分の育ての親の非を責めた。悪魔は顔を歪めて「お前はマキに似ていない」と拗ねた。


「……ところで、『悪魔の娘』、名前はなんていうんだ?」

「パケロです」

「パケロ? 誰がつけた名前だ」

「マキがそう名乗るようにと」

「ふうん……まあいいか。よろしくな、パケロ」


 悪魔が差し出した手をパケロは小さな手でつかんだ。


「ええ、よろしくお願いします。マキを取り戻すまで」

「……どういう意味だ?」

「私は悪魔の娘ではありますが聖職者ですので、マキを取り戻した後にあなたを消滅させます」

「えっ⁉」


 彼らはそれでも手を取った。

 これが始まりの一日目だった。


 ――鉄臭い部屋から警察の元へ移された槙島の死体はこのあと人の手によって捌かれて調査されて、そうして後に聖なる遺体としてバチカンにおさめられることになるのが、この時点ではまだ誰も知らなかった。








この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?