バレンタインデー。好きな人に想いを伝えることの出来る日。普段伝える勇気の出ない言葉も、チョコレートに込めてしまえば怖くはないのだ。
あたし、小森 夢もその魔法の力を借りたかったのだが……失念していた。
このバレンタインデー、受験生には最も忙しい二月半ばにありやがるのだ。
あたくし、夢ちゃんは高校三年生。受験勉強に夢中になるあまりすっかりこの日のことを忘れてしまっていた。
そしてチョコレート。
肝心のチョコレートは手作りと相場が決まっているのだが……生憎もうチョコレートを作るどころか材料を用意する時間すらない。
バレンタインデーの告白はチョコレートを渡すことが対価となる。つまりはチョコレートが用意できないあたしには想いを伝える権利はないのだ。
うん、でもよく考えたらチョコレートを渡す勇気も告白する勇気もないよね。という開き直った結論を出して登校する。
今日は二月十四日。バレンタインデー。
もうどうにでもなれ。
昇降口は朝から賑わっていた。そこには薄い板切れみたいなのを持った男子を囲むように数人の生徒たちが群がっていた。
「おいおい、お前それおいおい!」
「チョコだろ! な! な!」
「開けろよ! 開けてみろよ!」
はい、うるさい。
もうなんなの?
そんなさ、履物を入れる靴箱にチョコ入れるなんて衛生的に良くないじゃん?
それでその手紙には、放課後お返事待ってます♡なぁんて書いてあって? 教室で会っても意識しちゃって? あー! むかつく! あたしもやりたかった!
あたしはなるべく視線を向けないように昇降口を通り抜けて教室に向かった。
暖房の効いた教室は寒い廊下とは違い冷えきったあたしを優しく迎え入れてくれた。
「よいしょっ」
自分の席につき一息つく。
「よっ」
すると真横から声をかけられる。その声の主は……長崎 陽斗!
「なぁなぁ~お前チョコもってない? 義理でもいいからさぁ~ちょーだい?」
「な……なっ!」
唐突に言われた言葉に頭が真っ白になってしまった。
「みんな朝からチョコもらってやがってさぁ。お前ならもしかしたら持ってるかと思って」
あたしが悩んでるのも知らないでふざけたように笑うから、なんだかバカにされてるような気になってムッとしてしまった。
「そんなの……ないし」
「ふぅん」
「な……なによ」
「……お前さ、誰かにチョコあげんの?」
そうきいてきた陽斗はさっきまでと違って少し真面目な顔をしていた。
「……そんなの、あたしの勝手じゃん」
意地を張ってしまったあたしはつい突っぱねた風に言ってしまうのだった。
「……そうかよ。確かにそうだな」
そう言うと陽斗は自分の席に戻っていった。
「なんなのよ……もう……」
そう。そうです。彼があたしの好きな人。
高校1年の時から同じクラスで、仲の良い男子って感じだったんだけど……本当はずっと好きだった。
来年こそはって思っていっつもチョコ渡せなかったけど……そっかぁ。今年、最後じゃん。
このまま伝えられずに卒業して、離れ離れになっちゃう?……そんなの、やだよ。
その日はずっと下を向いていた。
冷たい態度を取ってしまった彼と、そこらじゅうで行われているチョコ授与式を見たくなかったから。
そうしてもう放課後がやって来た。
陽斗はカバンを背負って帰ろうとしている。
「あっ……」
追いかけなきゃ。せめてさっきのことだけでも謝りたい……。
あたしは急いでカバンに教科書を詰めて教室を出た。
やっと陽斗に追いついたのは校門を出てからだった。
「…………っ!」
追いついたのに、かける言葉が出てこない。代わりに、涙が出てきた。
「……えっ! 夢!? どしたの? 泣いてる?」
そんなあたしに気づいた陽斗が駆け寄ってきた。
陽斗はあたしの背中をさすりながら隣を歩いてくれた。
「あっ……あたし……あ、朝のこと……憶えてる?」
「朝?……あぁ、憶えてるよ」
「あたし……ひどいこと言っちゃったから……」
「別にそんなことなかったって」
「あるのぉ! だって……別に陽斗悪くなかったし……あたしが勝手に反発して……」
平然とした陽斗に逆に腹が立ってつい声を荒らげてしまった。沸き立った感情が波のように押し寄せあたしは陽斗が悪くないと言いつつも陽斗を責めるかのように泣きじゃくった。
「まぁその……俺がお前にチョコなんてねだったのが悪かったよ」
ばつが悪そうに陽斗は頭を搔く。
「そんなこと……」
ふたりの間に気まずい沈黙が流れた。
「……送るよ」
「……うん」
あたしたちは何も言わないまま並んで歩いた。
「もうすぐさ、卒業……だよね」
気まずさを紛らわすためにやっと開いた口からは、自分でも考えたくなかった事実が飛び出してきた。
「……そうだな」
沈黙の続いていた状況でそんなことを切り出されたからか、少し慎重そうに肯定の言葉が返ってくる。
「陽斗はさぁ……進学しないんだっけ?」
「うん。そう」
「じゃあ…………」
もう会えないね、って言いかけて気づいた。
……なんで、あたしは自分から終わらせようとしているの?
「じゃあ……それじゃあ……」
また、泣いてしまう。
「なんだよ? じゃあって……って、お前また泣いてる!?」
言葉を言い切る前にいきなり泣き出したあたしを見て陽斗は驚いた声を上げる。
「それじゃあさぁっ! ……ちょっと、寄り道してこ」
「は?……まぁ、いいけど」
困惑もするだろう。寄り道しようって言うために泣いたみたいになってるんだもの。
無理やりな軌道修正だったが、結果的に寄り道の口実になった。それだけでも今は良しとしよう……。
「ごめん……なんでもないから……」
涙を拭い、息を整えながら陽斗の袖を引く。
そうしてよく2人で買い食いしながら過ごしたコンビニにやってきた。
「なんだよ。結局いつもんとこかよ」
「……」
「まぁここが1番落ち着くよなぁ。なんでもあるし」
陽斗は先にコンビニに入っていく。
「やっぱよぉ、学校帰りに食うチキンは最高なんだよなぁ」
そんなことを言いながらもうレジに向かっていた。
あたしは陽斗に見つからないように冷凍庫からチョコアイスを2つ取り出して買った。
コンビニを出ると、もう陽斗は既にチキンにかぶりついていた。
「あー、やっぱこれ。これなんですわ」
チキンの旨味を噛み締めるように目を閉じている陽斗の隙を突きアイスを首筋に当てた。
「うわぁっ! 何!?」
彼はいきなり急所に当てられた冷たい感触に驚き飛び上がる。
「……これ。あげる」
軽く目を逸らしながら、一言呟く。
「はっ? え? ……あ、チョコアイス?」
首に手を当てながらあたしに差し出されたものを見てやっとその正体を認識したようだ。
「……うん」
「あれ、もしかしてこれ……」
「か、勘違いしないで!……ほら、あたしも買ってるし」
気恥ずかしくて言い訳するために買った2本目を早速使ってしまった。
違う。ほんとは、伝えなきゃいけないのに。
「……」
結局あげたチョコに想いを乗せることはできなかった。
ふたりで氷菓を齧る。
チョコとアイスが溶けだし、苦味と甘味の絶妙なコントラストが口いっぱいに広がる。
まるでそれは今のあたしみたい。この幸せな時間がほろ苦い。君といられる時間も、もう少しで溶けてしまう。
……伝えなきゃ、いけないんだ。
「……チョコ、好き?」
「好き。奢ってくれてありがとな」
「う、うん。……で、さ」
「ん?」
「あたしのこと……好き?」
言ってしまった。
もうもはや告白でもなんでもない。
なんで質問してる?
めちゃくちゃ上から目線みたいじゃん。
だめだ、終わった。いくらなんでもこんなこと唐突に言われて……。
「うん。好き」
陽斗は、まっすぐにあたしを見つめて言った。
「は……はっ?」
「は、じゃなくて。お前自分から聞いたくせにそりゃねえだろ」
頭が回らない。
そんなあっさりと返ってくるはずがない。
何と勘違いした?
そんな、そんなことが……。
「あ、あぁ、あ、うん。あれね、こんなふうに一緒に帰ってるしね! 友達、だもんね、あたしたち!」
「違ぇよばか! ……そんなんじゃねぇ。この日にチョコもらってそんなこと言われりゃ違ぇに決まってるよな?」
「あ…あぅ……」
今更になって恥ずかしさが上ってきて頭が真っ白になる。
「それで?聞いてないんだけど?」
陽斗はムスッとした顔であたしに問いかける。
「え、え?」
「お前の気持ち」
そうだった。あたしは何故か質問しちゃってたんだった……。
え、今から言うの?何?なんて言う?
「陽斗が……その……あたし、ずっと……ずっと、好きだった! バレンタインだってもっと前の年から渡したかった! でも、自信なかったから……だから、ずっと勇気出せなかった。今日だって……もう最後なのに、だめだと思ってたのに……」
「また泣く?」
あたしの言葉が詰まったところで、陽斗が笑いながら茶化してきた。
「泣かないっ! ばか!」
そう言って否定したけれど、あたしはもう既に視界も潤んでいるし鼻をすすることも耐えられていない。
「ははっ! 別にいいのに。……でも、俺もそう。ずっと前から好きだった。でもやっぱ中々言えなかったんだよな……勇気出してくれてありがとう。俺、お前が言ってくれなかったら絶対後悔してたわ……」
「陽斗……」
陽斗の声はちょっと震えてた。
そっか、陽斗もやっぱり……同じこと思ってたんだね。
「あ、アイス溶ける!」
「あぁっ!ヤバい!」
途端に慌て出したあたしたちは、顔を見合わせて笑った。
「もう、大人になっちゃうんだよね」
アイスを食べ終えたあたしがぽつりと呟く。
「こんな日が、ずっと続けば良かったのに」
そう言うと陽斗があたしの方を見て、にっと笑った。
「お前といれば、いつまでも続くさ」
そうか……そうだ。あたしはまた勘違いしてた。
もう終わってしまうんじゃなかった。
今から始まるんだ。
「大人になってもさ、今日のことは忘れない。むしろ、アイスを食べる度に思い出すだろうね。誰かのおかげでさ」
馬鹿にしたように言いつつ陽斗は続けた。
「でもやっぱ、一緒にアイス食いながらゆったり過ごすのはお前とがいい。落ち込んでても忙しくても、今日のこと思い出したら絶対楽しくなれるもんな」
「なにそれ」
笑いながらそう答える。
冷たく苦い思い出に終わるはずだったバレンタインデーは、甘く柔らかな幸福に包まれた。
そうしてそれは今日だけでなく、いつまでもいつまでも続くに違いないのだ。