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第19話 星界を閉じる鍵

 オレンジの手袋は、悪戦苦闘していた。


 滅びの揺らぎに侵食されつつある星界せかいのシリアスは、もはや完全にコミカルに侵食されてしまっている。

 素人が素手でウナギを捕まえようとしているみたいなコミカルさが、そこにはあった。

 星界の滅びと戦っている光景には、見えない。

 どこからどう見ても。


 はう! ちょわ! とう!


 ――――みたいな擬音が見えてきそうな動きで、うねる龍を捕まえようとするオレンジ手袋と、うにょりぬるりと身をくねらせオレンジの魔手から踊るように逃げ回る水晶龍。


 遊んでいるようにしか、見えないんですが?


「くっ。なかなか、やりますねっ! ですが、次は、逃しませんっ!」


 エイリンが不敵に笑って吠えた。

 手袋がかつてない猛攻を開始する。

 ――――が、ことごとく躱され、オレンジ手袋は、宙のあちこちで、握りこぶしの花を咲かせている。

 もうちょっとのところまでは、いくんだけどね。

 あ、ほら、また。

 スレスレのところで躱されて、手袋からは空気が零れてグーの形になる。

 パーとグーだけのじゃんけん祭りをしているようだ…………あ!


 あ! ああ!


 つ、ついに、やった!

 グーから逃れた水晶龍の体は、突然現れた第三の手袋に捕らえられてしまった!

 龍の軌道を読んでいたのか、龍自ら手袋の体を委ねに行ったように見えた。

 ああー、でも、お願い!

 あんまり、手荒にしないで上げてー!


「はっ! そうです! 手袋よ! そのまま、ヘビさんの体をマッサージするのです! 体がほぐれれば、気持ちもほぐれてくるでしょう! さあ! 絶妙な指さばきで、ヘビさんを天国へ送って差し上げなさい!」


 あっ……。いや……。んん…………。

 い、いや、声には出してないけど、わたしも願ったし。

 水晶龍への配慮には、全面的に賛成なんだけど。

 エイリン……! エイリンよ…………!

 そういう発想、嫌いじゃない。嫌いじゃないけどっ。

 …………あれ? いや、でも、待って?

 もしかして、それって。

 巨地蔵さんに水晶龍を「よしよし」してもらおうとしたわたしと発想の方向性が被ってたり、する……?


 ……………………脳内に発生した宇宙砂嵐の中で、に宇宙ネコがくつろぎだした……。


 黄昏ながらも、わたしは行く末を見守った。

 水晶龍は、三つの手袋に体を揉みしだかれ、うねっていた体をピンと伸ばした。

 天に向けた口を大きく開き、透き通る叫びを放つ。


 シャラ シャラ シャラーン


 生き物の咆哮とは思えない高く澄んだ音色が、翳りを帯び始めてきた蒼穹の彼方に吸い込まれていく。

 空の輝きを照り返す長い体を揉みしだくオレンジがなければ、もの悲しくも感じられる幻想的な光景だった。


「ふっ。効いているようですね」


 エイリンのドヤ声が聞こえてくる。

 エイリンの言う通り、水晶龍は、オレンジに身を委ねているっぽい。

 水晶の体が、本当に揉みほぐされているのかは分かんないけど。

 揉みほぐす指の動きに、時折体を痙攣させつつも、大人しくされるがままになっている。

 でも、この後どうするつも……。


「このまま、ヘビさんを眠らせて、揺らぎの調律に戻れば、なんとか治められそうですね」


 あ、なるほど。

 え? でも、それ。

 眠らせた水晶龍は、どうするの?

 はみ出してもいいから、デカ絨毯にのせちゃう感じ?

 それとも、宇宙の海に揺蕩わせちゃうの?

 それは、大丈夫なの?


 指の動きは、揉みから撫でに変わっていった。

 本格的に寝かしつけに入ったのだ。

 水晶龍は、ビクンビクンと体を震わせ始める。

 あれは、授業中にガクってなっちゃう時みたいなアレなの?

 それとも…………?


 ――――――――!


 それとも、の方だった!

 水晶龍の尻尾側。一番下のオレンジ手袋の下から、何か……。


 何か出て来た!


 え? あれってば、もしかして、うん……。

 す、水晶龍は便秘で苦しんでいたの!?

 神様級の力を持つ水晶龍が、ひどい便秘になって、苦しさのあまり暴れていたら、水晶世界と絨毯星界が繋がっちゃって、揺らいじゃって、滅んじゃうかも状態になっちゃったってこと!?

 そ、それが、エイリンのオレンジ手袋マッサージで促されて、スムーズなおトイレが、今?


 あ、丸い玉が!

 丸い玉が、シュポンって!

 出てきて、え? 

 こっちに向かって、ふよふよ飛んでくる?

 飛んできた!

 水晶の玉!

 スイカくらいの大きさ!

 え? どういうこと?

 なんで、こっちに来るの?

 宇宙のトイレに流しちゃってよ!

 水晶だから、汚くないのかもだけど、なんか嫌だ!


 けれど。

 水晶玉は、わたしたちの頭上を飛び越え、デカ絨毯に着地した。

 玉の軌跡を追いかけて後ろを向いたまま唖然としていたら、エイリンの感極まったような声が聞こえてきた。


「出産間際の神が、滅びから卵を守るために……!」


 え? しゅ、出産? た、卵?

 おトイレじゃ、なかった…………?


 デカ絨毯の上で、コロンってしているアレは、卵だったの?


 呆然とスイカ大の水晶玉を見つめていたら、またシャラシャラが聞こえてきた。

 ハッと首を前に戻すと、オレンジの手袋が、消えていた。

 代わりにオレンジの鍵が、元いた場所、宇宙面スレスレの、揺らぎの瀬戸際で、光を放っている。

 そして、龍は揺らぎの中に身を横たえ……というか、渦を巻いて、揺らぎに蓋をした……?

 手前にいた青と赤の鍵が、水晶プレートになった龍を回りこんで奥側へ向かった。

 水晶龍プレートの周りに、鍵のトライアングルが出来上がる。

 号令も合図も何もなかったはずなのに、息ピッタリだった。


 青・赤・オレンジの三つの鍵から、水晶龍に力が注がれていくのを感じた。

 水晶龍が荒ぶっていたのは、陣痛のせいだったのかもしれない。

 無事、出産を終えた龍は、今。


 荒ぶる神から、守り神となった。

 卵を守るために。

 卵を託したこの星界を守るために。


 シャラァ シャラシャラ シャララァ……――――


 水晶の音色が、遠く高く鳴り響く。


 そうして、音色が完全に途絶えると。

 龍の体は、完全なる一枚の板となった。

 世界と星界を塞ぐための、水晶プレート。


 微妙に半透明なプレートの向こうに、水晶世界は見えなかった。

 宇宙に渦巻く星々の光が、鈍く写り込んでいるだけだ。


 龍は、世界と星界を塞ぎ切り離し閉ざすための…………“鍵”そのものになったのだ。


 そうか。

 便秘でも陣痛でもなくて。

 滅びゆく世界から、我が子だけでも助けたかったんだね?

 滅びの定めから、我が子だけでも、逃したかったんだ。


 それが、あなたのしたかった事なんだね。


「お疲れさまでした。ゆっくりと、お眠りください」


 わたしは、手を合わせ、そっと目を閉じた。



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