薄茶の小生意気は、悪魔だった。
それも、小悪魔なんて可愛いもんじゃない。
大悪魔だ。
見上げる瞳に冷気を滾らせて、薄茶の大悪魔は屍状態のわたしに、さらなる弾丸をあびせてきた。
「レイジンがあなたを丁重に扱うのは、あなたが大事な鍵の力の器だからです。鍵の力を本来の持ち主に返すまでの、器。運搬役。中身を取り出してしまえば、あなたは、ただの空箱。不用品なのです」
う…………くっ………。
ひ、ひどい。
そりゃ、失……恋…………は、確定……なのかも、しれないけど。
でも、不用品呼ばわりはあんまりだ!
あの焦がれるような熱は、わたしじゃなくて、鍵の力に向けられたものだったんだろうけれど。
でも。レイジンは、わたしのことだって、認めてくれた。
救星主だって、言ってくれた。
地球
そう言ってくれた。
あれは、わたしに。
ちゃんと、生活の保障も、してくれるって。
まあ、レイジン個人がじゃなくて、星導教会が、なんだけど。
でも、手続きは、してくれるって……。
そう…………手続き……。
手続き…………。
ぐ、ぐぅっ…………!
喉の奥に込み上げてくる熱いものを飲み下していたら、大悪魔は、大悪魔らしい仕事をしてきた。
なんて職務に忠実な。
「レイジンがあなたを丁重に扱うのは、それが任務だからです。鍵の力を無事持ち帰るまでが、今回の任務。中身を安全に持ち帰るためには、器も丁重に扱わなくてはなりません。つまり、そういうことなんですよ。任務だから。仕事だから。そう、つまりは、接待なのです。くれぐれも、勘違いしないことですね?」
任務。仕事。接待。
え? つまり?
レイジンがわたしに言ってくれたことは、わたしをその気にさせるための……甘言ってヤツ?
ハニトラってこと?
でも、ハニトラって、女スパイが男に仕掛けるイメージ。
男性が女性に仕掛けるヤツは、別の言い方があるのかな?
よく知らないけど。
えっと。ハニトラは、ハニートラップの略だよね?
ハニー……蜂蜜の対語っていうと、熊?
クマトラ? それとも、ベアトラ?
わたしは、レイジンにベアトラされたの?
失恋確定を分からせられた時とは、また違う苦しさがあった。
でっかい氷塊に押しつぶされたみたいな苦しさ。
勘違い失恋だって痛くて苦しいのに。
でも、その勘違いすら誘導されたものだったなんて。
絨毯に穴が空いてストンと宇宙の海に落っこちて。
永遠に孤独な漂流者になったみたい。
世界も星界も遠ざかって行って、虚無みたいな宇宙だけがそこにある。
ああ、そう言えば、ここの宇宙は
わたしってば、宇宙の海のステラになっちゃたんだ。
わたしは、百均で手に入る安物の器で。
鍵の力は、高級フカヒレスープ。
レイジンが求めていたのは、高級フカヒレスープの方だった。
高価な器に入っていたフカヒレスープは、なんでか知らないけど、たぶん何か事故があって、やっすい器に入れ替えられてしまった。
フカヒレスープを、その高級さに相応しい高価で豪奢な器に戻すことがレイジンの任務で悲願。
相応しい器に収まったフカヒレスープ。
それこそが、レイジンが真に求めるもの。求める者。
入れ替えが終わるまでは、大事な中身が零れたりしないように、安物の器も大事に扱ってもらえる。
でも、入れ替えが終わったら、百均で買った安物の器なんて、もういらないよね?
レイジンの人生にとっては、不用品…………。
わたしは、ポイ捨てされちゃうってことだ。
『異星界恋愛ファンタジーのヒロインになれたと思ったら、異星界ポイ捨てファンタジーのヒロインだった件について』
ラノベのタイトル風に要約すると、そういうことだよね?
ああ……。
薄茶の大悪魔のお望み通り、全身が砕けて宇宙の海の塵になりそう。
喉の奥に熱い塊がつかえている。
視界が熱く滲んでいく。
「ステラ?」
「ちょっと、エイリン! あなた、この子に何を言ったのよ?」
「別に。現実を教えてあげただけです」
気遣うような声が聞こえてきて、肩から手が剥がれていった。
薄茶は、エイリンというらしい。
エイリンは、ルーシアさんによってわたしから引き剥がされていった。
そして、目の前に。
背の高い影が立つ。
気遣うような声に、心が揺らぐ。
溶けたり凍ったりと、行ったり来たり、揺らいでいる。
それは、本心から?
それとも、ベアトラの一環なの?
わたしに向けられた言葉が全部嘘だったなんて、わたしだって思いたくない。
思いたくないけど、でも信じるのも怖い。
信じて裏切られるのが、怖い。
「ステラ……」
戸惑いと気遣いが入り混じった声で名前を呼んで、レイジンは。
一歩、わたしに近づいた。
でも、あの時みたいに抱きしめては、くれない。
星界と世界が揺らいでいた時みたいな、緊急事態じゃないから?
わたしの涙なんて、レイジンにとっての緊急事態じゃないから?
問いは声にはならない。
かわりに、雫となって頬を伝い落ちた。
息を呑む音が聞こえて、影が腕を伸ばしてきた。
だけど、触れる直前で、その手は止まる。
触れることを、ためらっている。
温もりは得られなかったけれど、腕は匂いを運んできた。
甘くて爽やかでスパイシィな匂い。
大好きな匂い。
好き。好き。好き……。
ベアトラでもいいから。
心臓が爆発してもいいから。
もう一度、抱きしめて欲しかった。
その匂いで満たされたかった。
腕は、止まったまま、動かない。
かわりに、言葉が送られた。
「ステラ。涙の訳を教えて欲しい。俺で力になれることなら、力になろう」
「……………………っ」
涙の訳なんて、決まってる。
あなたが。
レイジンが好きだから。
あなたにしか、どうにかできない。
ベアトラでもいい。
今は、まだ。
ベアトラでもいい。
わたし。
わたしは。
あなたにポイ捨てされたくない。
あなたにだけは、ポイ捨てされたくない。
あなたの中に、わたしという存在を刻み込みたい。
わたしは、わたしの両肩の上で所在なさげに浮いている彼の手に、自分の手を合わせ、指を絡み合わせ、恋人繋ぎに持ち込んだ。
レイジンは、それを振り払わなかった。
滲む視界のまま、レイジンを見上げる。
表情が分からないことが、より一層わたしを大胆にさせた。
ここで言わなければ、きっと、ずっと言えないままだ。
ここで仕掛けなければ、わたしはポイ捨てヒロインで終わってしまう。
それだけは、イヤだった。
それくらいなら、いっそ――――と。
わたしは、一世一代の花火を打ち上げた。
繋いだ手に、キュッと力を込める。
ためらいがちに、力を込め返された。
それだけで、喜びの波紋が胸いっぱいに広がっていった。
ベアトラ云々は、忘れていた。
言葉にするために、思い切り息を吸う。
彼の匂いが鼻腔を通り、肺を満たしていく。
ああ…………。
「あなたの匂いが好きです。結婚してください」
「…………っ、に、にお……い? ん…………わ、分かった」
………………………………ん? あれ?
わたし、今、何を、言った……?
レイジンの手が、スルンと逃げていった。
一人で勝手に混乱中のわたしは、その手を追いかけることも出来ず、「がおー」のポーズで固まる。
パチッと瞬きを一つすると、視界を覆っていた膜が流れて、少し視界がクリアになった。
クリアになった視界に、頬を染め、口元に手を当て、デカ絨毯の端へと逃げていく姿が映る。
もしかしなくても、わたし、今。
仕出かした…………?
…………仕出かしたよね?
ぜ、前半っ。
前半のアレがなければ、あんな顔して意外と初心なレイジンが結婚の了承はしたけれど照れていたたまれずにこの場を逃げ出したと受け取れないこともないけれど、でも。
これは、あれだよね?
むしろ、前半に反応して…………るよね?
あの「分かった」は、「分かった。結婚しよう」の「分かった」じゃなくて。
「君の性癖は理解した」の「分かった」…………ぽいよね?
え?
わたしの一世一代の大花火、不発?
てゆーか、これって、もしかしてハラスメント?
わたし、ハラスメント・プロポーズしちゃった?
ど、どうしよう。
ポイ捨てどころの話じゃ、ないかもしれない……。