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第6話 通学鞄と塩氷柱

 星の海と空き地映像の境目は、曖昧で揺らいで滲んでいた。

 波のように、引いたり押し寄せたりしている。

 陣地を取り合っているようにも見えた。


 どちらかがどちらかに呑まれる?

 それとも、融合する?


 吞まれると、どうなっちゃうの?

 融合すると、どうなっちゃうの?

 空き地映像の真上で揺らいでいる怒れるお地蔵さんは、何と闘っているの?


 今そこにある、海の代わりに広がる宇宙と、地面のチャックを開いたその中でなみなみしていた宇宙が脳内でコラボした。


 やっぱり、チャックを!

 チャックを閉めないといけないんだよ!

 地球のチャックを閉めないと!

 中から宇宙が溢れちゃう!


 地球が水の惑星じゃなくて、宇宙の惑星になっちゃう!


 海が星の海に成り変わっちゃうのだってマズいけど、地表まで全部宇宙で覆われちゃったりしたら、本当にアウトじゃない?

 そうなったら、宇宙と宇宙の間に大気圏が存在する感じになるの?

 え? それって、その場合…………。


 地球は存続してるってみなされるの?

 それとも、やっぱり滅亡しちゃってるの?

 いや、でもだよ?

 どっちにしろ、人類はアウトだよね?

 宇宙空間に適応した謎生物に進化するとか、宇宙と宇宙の間の大気圏で生存できる生態とか文明とか手に入れないと、アウトだよね?


「お、お地蔵さま、地球の…………」


 神頼みをしかけて、わたしは途中で言葉を止めた。

 星の海に投影された空き地に取り残された鞄が改めて目に入って、心象風景的にはそこが、そこだけがものすごくクローズアップされて、言葉が出て来なくなった。


 だって、チャックが閉じちゃったら、わたしはどうなるの…………?


 通学途中の女子高生が行方不明。

 謎の失踪。

 拉致?

 手掛かりなし。

 捜索打ち切り。


 不吉な単語が脳内を乱舞し、すっかり憔悴した両親の姿が思い浮かぶ。

 このままチャックが閉じたら、きっとそういうことになる。


 そういうことになるんだ。


 恋に浮かれて逆上せ上がっていた気持ちは、冷たい波にさらわれていった。

 考えに考えた末の、覚悟の上の駆け落ちなわけじゃない。

 恋愛回路が昂り過ぎてショートした結果の勢い任せ成り行き任せの突発的駆け落ちなのだ。

 書置きすら、残していない。

 残せていない。

 そう、せめて。

 自分の意志で異世界(異星?)駆け落ちしましたって、伝えることが出来たなら。

 同じ心配でも、少しはマシだっただろう。

 犯罪に巻き込まれんじゃないかって心配させるよりは、ずっとマシだったはずだ。


 自分が帰れないことは、いい。

 それでも、彼と一緒に生きていきたいって気持ちの方が勝るから、いい。

 だけど、そのせいで家族に心配をかけるのは、それは、いやだ。

 だって、『心配』なんて一言じゃ済まないレベルの『心配』だよ?

 地球の平和が守られても、わたしの家族は平和じゃなくなっちゃう。

 それは、そんなのは、無理。ダメ。イヤだ。

 想像するだけでツライ。

 胸が苦しくなる。

 彼に射抜かれた時の甘さを含んだ苦しさとは違う。

 塩をまぶした氷柱を胸の奥まで差し込まれたみたいな苦しさ。

 言葉を繋げられないまま、瞳を揺らしていると、肩に手を置かれた。

 不意の温もりを喜んでしまったことが、後ろめたい。


「オジゾウサマというのは、君の星界せかいの神のことか? チキュウというのは、君の星界せかいの名前か?」

「…………え? は…………い。そう……です?」


 彼の声が聞こえてきて発生した謎により、後ろめたさは心の片隅に追いやられた。

 せ、星界せかい? 今、星界って言った?

 世界じゃなくて?

 あと、あれ?

 知らない言葉だけど意味が分かるんじゃなくて、なんか、日本語で話してない?

 彼が、日本語で話してくれてるの?

 それ……とも…………?

 混乱しながらもわたしは、ギクシャクと頷いた。

 内容的には、まあ、そんな感じで大体あってるし。

 お地蔵様が厳密な意味で神様なのかは、よく分かんないけど。

 まあ、祀られてはいるんだし、似たようなものだろう。

 とりあえず、今は、地球の守り神になってくれそうではあるし。

 そう、きっとお地蔵さんは防壁の役目をしてくれているのだ。

 地球に宇宙が溢れてしまわないように、栓じゃなくて、防壁の役目をしてくれているのだ。

 地球のためを思うなら、お地蔵さんを応援すべきなんだろう。

 だけど…………。

 存在を忘れていた塩氷柱が、また自己主張を始めた。

 地球の平和あっての家族の平和だってことは分かってる。

 分かってるけど、わたしがこのまま行方不明になったら、家族の平和は壊れちゃうってことも分かってるのに、それを承知でお地蔵さんを応援するのは、やっぱり無理だよ!


 なのに、彼は、わたしの肩にのせた手にぐっと力を込めて。

 乱暴な感じじゃなくて、力づけるように力を込めて。


「君は、君の星界の星の護り手ラピチュリン…………いや、鍵の御子なんだな。だから、鍵の力は、君を選んだのか」

「え……?」


 なにかファンタジーなことを言った。

 どういう意味だろうって、お地蔵さんから目を離し、そっと見上げる。

 目は、合わなかった。

 彼は、お地蔵さんを見つめている。

 やっぱりこれは、危機的状況ってヤツなんだろう。

 険しい表情をしている。

 けれど、お地蔵さんを見つめる瞳からは、畏敬の念が読み取れた。


 星の護り手ラピチュリン

 鍵の御子。


 てっきり、わたしのことを言っているんだと思ったんだけど、もしかして勘違い?

 お地蔵様のことを言ってる?

 戸惑っていると、彼が、わたしに視線を向けた。


「レイジンだ」

「…………星灯愛すてらです」


 震えた。

 塩氷柱はシロップたっぷりのかき氷になった。

 脳が溶ける。

 ジンと甘く痺れて溶ける。


 見つめ合って名乗り合っただけなのに。

 なんという破壊力。

 これが恋の力。

 彼以外のすべてが遠ざかっていく。


「ステラ。君を手に入れるために、少々無茶をした。このままでは、君の星界も、俺の星界も危険だ」

「…………う、うん」

「異なる星界を繋げるために生じた揺らぎを塞がなくてはならない」

「うん」


 揺らぎを塞ぐと聞いて、地球に開いたチャックを閉める映像が浮かんだ。

 たぶん、そういうことのはず。


「揺らぎを塞いだら、君の星界との繋がりは断たれてしまうかもしれない。そうしたら、君はもう元の星界には戻れない」

「……………………っ」


 ああ、やっぱり。そうなんだ。

 わたしは、彼を見上げたまま、息を呑んだ。

 予想はしていたけれど、はっきり言われると、クるものがある。


 取り残された通学鞄。


 胸を満たしていた甘い液体が、また凍り付いていく。

 塩をまとっていく。


 だけど。


 その塩氷柱が、わたしの胸を貫くことはなかった。

 わたしを見つめる彼の……レイジンの瞳に熱がこもっていく。


 そして、彼は――――。


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