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第5話 防壁の巨地蔵さん

 そら宇宙そらの間に挟まれていた。


 頭上には、雲一つない、透き通るような蒼穹。

 足元には………………………………星の海。

 海じゃなくて、星の海。

 そう、宇宙が満ちている。


 ゾッとするほどに、美しい光景だった。

 見ているだけで、見下ろしているだけで、魂ごと吸い込まれそうになる。


 そこにあるのは。

 畏れだった。

 魂が震えている。

 美しさに震え、慄いている。



 とはいえ。

 絨毯上陸直後は、別の意味でそれどころじゃなかった。

 わたしは、初めて成就した恋(とこの時は思っていた)に打ち震えていた。

 酔いしれていた。

 甘くて爽やかでスパイシィな彼の匂いが好み過ぎて、ちょっとどころじゃなく脳がマヒした。

 なすがママ、されるもママで、うっとり借りてきたマタタビ猫状態だった。

 状況把握どころじゃなかった。


 だけど。


 確かに触れるのに、ユラリと揺らいで視覚的には不確かだった彼のその存在が、しっかり実体を持ち始めたのだ。

 ユラユラしている間は、幽霊みが強くて現実みがないせいで、ただうっとりしていられた。

 けれど、その幽霊が確かにそこにある生身の体を手に入れたのだ。

 匂いと感触がある幽霊だった彼が、視覚的にも実在を主張し始めたのを見たら、唐突に我に返った。


 あ、わたし、今。

 知らない男の人の胸の中で、ギュッてされているんだ。


 ――――って、唐突に我に返ってしまった。

 そしたら、もう。途端に恥ずかしくなってきて。

 ほとんど脊髄反射で、腕から逃れようともがいた。

 でも、がっちりホールドされていて、逃れられない。

 視界の暴力から逃れなれない。

 それはもう、本当に視界の破廉恥暴力だった。

 だって、こんな目の前! 真ん前に! 至近距離に!

 大胆に胸元が開いているアラビアン衣装の隙間から覗く胸元とか、胸元とか、胸元とか!


 視界の暴力だった。

 こんな間近で直視できない!

 ガチムチじゃないけど結構鍛えてある胸筋なんて、直視できない!

 こちとら、初心者なんだよ!

 弟が一人いるから、年下の男子ならば、耐性があるんだけどさ!

 年上の、男子っていうよりは男性って感じの人とは、あんまり接点がなかったから、一対一でお話しするだけでも緊張ものなのに!

 いろいろすっ飛ばして、こんな…………こんな!

 匂いまで堪能させていただいちゃったし!

 好みの匂いすぎて反則だし!

 混乱の極みで、とにかくせめて視線だけでも逸らそうとして、逸らしたその先で。

 逸らしたその先が、その先で…………。


 さっきまでとは、違った方向へ脳はぶっ飛んだ。


 うん。

 なんていうの?

 空は、いい。

 普通に空。

 だけど、足元!

 絨毯の下がさ!


 海の水が全部干上がったので、空いたところに宇宙を流し込んでみました☆


 みたいなことになってるんだよ。

 なってるんだよ!

 いや、宇宙なんて、本物は見たことないけどさ?

 テレビとか映画とか図鑑とかで見たことある、アレがさぁ!

 ひったひたに満ち満ちてるの!

 土星みたいに輪っかのついた星もあるし、星雲……っていうんだっけ? なんか、光がもやーんとしているところもある。

 まさしく、宇宙。


 巨人さんもびっくりな巨大床スクリーンいっぱいに宇宙の映像映してみました♡


 ――――ばりに宇宙!

 おまけにここは星の海原のど真ん中っぽくて、陸影とか島影とかが見当たらない。

 とりあえず、横目で見える左右両範囲には見当たらない。

 雰囲気的に、前と後ろも同じなんじゃないかなー…………って感じがしている。


 これ、落ちたら、どうなるの?

 泳げるの?

 イヤ、ダメだ!

 宇宙遊泳には宇宙服が必要だよね?

 わたしのセーラー服には、宇宙遊泳機能はついていないもん。

 落ちたら……………………死?


 さすがに血の気が下がって、恋に浮かれていた熱もスッと下がった。

 な、生身で宇宙に出たら、どうなるんだっけ?

 いや、死んじゃうことは、わたしにも分かるよ?

 そうじゃなくて、どういう死に方をするのかな?

 分かっても怖いけど、分かんないのも怖い。

 宇宙の海が、わたしに対して悪意を抱いているわけじゃない。

 ただ、美しく果てしなくそこに在るだけ。

 だけど、それが怖い。

 だからこそ、怖い。

 綺麗すぎて、孤独を感じさせる。

 あそこに落ちたら、ただ死ぬんじゃなくて、永遠の孤独が待っている。

 そんな、怖ろしさがある。

 凍えるように震えていたら、ズズズズズイッと絨毯が動いた。

 わたし目線だと前進で、彼目線だと後退。


「揺り戻しが来たか。しっかり掴まっていろ」

「は、はひ!」


 舌が悴んだみたいに噛んだ!

 急に動いて落下の恐怖がクライマックスしちゃったせいもあるけど、ちょっぴりトクンとときめいたせいでもある。

 でも、言われた通りにしがみついたのは、恐怖心からです。

 だって、よくよく見降ろしてみれば、この絨毯。

 お一人様なサイズなんだもん。

 しっかりとしがみついてないと、急発進・急ブレーキ及び急カーブの際に振り落とされそう。

 とはいえ、この時仕事をしたのは恐怖心だけじゃなかったりする。

 好奇心がにょにょっと頭を出してきたのだ。

 いや、だって。「揺り戻し」って何のことなのか、気になり過ぎる。

 わたしは、彼の服の裾をギュギュっと握りしめ、身を捩るようにして後ろへ顔を向ける。

 見ちゃダメな案件じゃないらしく、彼は絨毯を少し回転させて、限界まで身を捩らなくても「揺り戻し」とやらが見えるようにしてくれた。

 おかげで、首を痛めることなく、まるっとすべてがよく見えた。


 たぶん。

 たぶんだけど。

 さっきまで、絨毯があったと思われる地帯にだけ、星の海とは別の映像が映っていた。

 そこだけ、映像を切り替えましたみたいに、別の映像が映し出されていた。

 お地蔵さんが祀られている空き地がまるっと。

 しめ縄大木も、祠も、お地蔵さんも。

 たぶん、等倍サイズのスクリーンだと思われます。たぶんだけど。

 お地蔵さんの手前には、わたしの通学鞄も落ちていた。

 落とし物が目に入った時、ほんの一瞬だけ、なぜか胸に痛みが走った。

 何かの象徴のように感じられて。

 それが、胸を抉った。

 ほんの。

 ほんの一瞬だけ。

 一瞬なのは、感傷を切り捨てたってことじゃない。

 メインはそっちじゃないって、すぐに分かっちゃったから、だ。

 揺り戻しの本体は、そっちじゃない。

 感傷に浸っている場合じゃない。


 空き地スクリーンの中には、いつも通りの顔つきのお地蔵さんが見えた。

 なのに。


 空き地スクリーンの真上に、怒り心頭般若顔の巨大なお地蔵さんがユラリンとユラユラしているのだ。

 怪獣ほどの巨大さじゃない。

 何メートル級なのかは、分からない。

 でも、たぶん。

 二階建て級くらいは、あると思う。


「防壁の……巨地蔵さん…………」


 スルッと言葉が転がり落ちた。

 地球の平和を願った時みたいに。

 だって、分っちゃったから。

 お地蔵さんは、怒っているんじゃないって、分っちゃったから。

 お地蔵さんは、今。

 闘っている。

 闘っているんだ。

 地球を守るために――――!


 お地蔵さん……巨地蔵さんは、地球を守る防波堤の役目をしてくれているのだ。

 地球を守る防波堤となるべく、闘ってくれているのだ。

 そう。

 地球の存在を揺るがす、なんだか分からない何かと――――!


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