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第4話 現実と理想

「兄上、文房具借りていい?」

 コピー用紙を何枚か手にしたまま、臙時は蒼葉に問いかけた。

「ええ、勿論。ですが、珍しいですね……アナログで絵を描くだなんて」

「ああー、バレてたかぁ。まあちょっと、衝動描き、みたいな? 本音をいうと、パソコンつけるのが面倒でね」

「まあ、気持ちは分かりますが……」

 臙時は絵を描くことが趣味だった。

 前までは毎日パソコンに向かい、一枚は何かしら描いていたのだが――そう出来なくなるきっかけがあった。

 勿論、今でもパソコンで絵を描くことはあるが、頻度は明らかに減っていた。

 だからこそ、誰にも気づかれることがなく、その場で描けるアナログで絵を描く……という選択を取った。


(頭の中に浮かぶ光景……内側にいる以蔵さん、その姿を描き起こして、いつか――)

 臙時が見えている光景を、人物を描き始める。

 穏やかな顔立ちと、長い下ろした髪――装飾のない着物。

 その人物は穏やかに微笑みながら、何処か悲しげな表情をしていた。

『何か』が『辛い』のだ。

(今はまだ、僕には分からないけれど――誤解されたまま、は、きっととても辛い)


 世間のイメージとかけ離れているであろう人物を、感情のみで描き進める。

 内側――誰にも見せることのなかった側面。

 そして、臙時の前世であり、臙時の半身。

 ある種、臙時自身とも言えるのかもしれない。


 そんな中描きたかったもの、表現したかったものは『心情』だった。

 外見は臙時に見えているままの姿を描いたが、その奥にある『心情』を届けたかった。

 辛い、という感情を抱いたままであることを、誰かに届いてほしかった。


(もう一枚……)

 臙時は別の用紙にまたペンを走らせる。

 それは、臙時が一番伝えたかったもの。

 普段からよく見るその姿は――ただ、泣いていた。

 静かに、ただ溢れるがままに涙を流す姿。

 真っ暗な精神世界で、一人膝を抱えている姿を常に見ていた。

 だからこそ、表情を切り取り、絵を描いた。


「……そちらの絵、以蔵さんですか?」

「あー……うん、よく分かったね」

「ええ、まあ。異なった印象ではありましたが、今の臙時が描く人物なんて、他に浮かびませんでしたから」

 二枚の絵を眺めたあと、蒼葉は口を開いた。

「笑顔は、描かないのですか?」

「え、っと……まだ、見たことがないから……」


 蒼葉は臙時の目をしっかりと見たあと、ため息を一つ吐き、続きを口にする。

「臙時、貴方は絵描きなのですから、笑顔を描いてあげなさい」

 蒼葉の言葉には目的があった。


 「『いつまでも泣いてないで、こんな風に笑った貴方も居たんだ』と、伝えるために」


 困惑する臙時に、蒼葉は伝える。

「それが出来るのは、貴方だけでしょう」

「僕、だけ……そっか……」

「ええ、本人が描けば、あちらさんも何かを思い出すかもしれません」

「あちらさん、って……」

 その言葉には笑顔を向け、蒼葉本人は『それが答えだ』と言わんばかりにはぐらかした。

「兄上……」

 呆れたような視線を向けたあと、蒼葉に言われた言葉を思い返す。

『臙時にしかできないこと』

 それは、夜月臙時もまた岡田以蔵の半身であるからこそ、出来ること。

 前世を宿しつつ、現世の夜月臙時として生きているからこそ、伝えられる『絵』というメッセージ。


「うん、ありがとう兄上。あ、借りたもの、ここに置いておくね」

「どういたしまして。行ってらっしゃい」

 自室へと向かう臙時に、蒼葉はそう言葉をかけた。

 その背中を見つめながら、蒼葉も自分自身の作業へと戻るのだった。


 自室に着いたあと、真っ先にパソコンを開く。

 気分で選んだ曲を聞きながら、ヘッドホン身につけ、ペンを握った。

 いつもの手順でペイントソフトを起動し、資料は敢えて出さなかった。


 久しぶりのデジタル画材だが、案外描き方は覚えているものだ。

 描きたい空気感の出せるブラシを選び、描き進める。

(笑顔……これは僕の想像だ。でも、だけれど――)

「貴方はね、こんな風に笑っていたんですよ」

 そう、一人呟く。

「そんな瞬間も確かにあったんですよ、もう遠い記憶かもしれないけれど……僕には、そう感じます」

 返事はない。

 それは当然ではあるが、もどかしさを覚える。


 笑顔、それは確かに臙時の想像だ。

 見たことのない表情だが、確かに『笑っていた瞬間』があったはずだ、と臙時は信じ描き進めた。

 実際、どう笑ったのか――今、どう感じているのか。

 それは、臙時には想像することしかできない。


「きっと、こっちの方が似合うと思います」

 いつか笑顔になってほしい、そんな願望が生み出した一枚の絵は、この世の何処にも出ることはない。

 ただ、この瞬間のためだけの一枚だったからだ。


「……一旦寝よう」

 そのまま、スリープモードに設定し、臙時は横になった。

 臙時の独特な座り方――椅子の上に正座をする、というスタイルでは足が固まってしまったのだ。

 それを伸ばす目的もあった。


「……おやすみなさい、以蔵さん」

 そのまま、臙時は意識を手放し、眠りにつくのだった。

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