「兄上、文房具借りていい?」
コピー用紙を何枚か手にしたまま、臙時は蒼葉に問いかけた。
「ええ、勿論。ですが、珍しいですね……アナログで絵を描くだなんて」
「ああー、バレてたかぁ。まあちょっと、衝動描き、みたいな? 本音をいうと、パソコンつけるのが面倒でね」
「まあ、気持ちは分かりますが……」
臙時は絵を描くことが趣味だった。
前までは毎日パソコンに向かい、一枚は何かしら描いていたのだが――そう出来なくなるきっかけがあった。
勿論、今でもパソコンで絵を描くことはあるが、頻度は明らかに減っていた。
だからこそ、誰にも気づかれることがなく、その場で描けるアナログで絵を描く……という選択を取った。
(頭の中に浮かぶ光景……内側にいる以蔵さん、その姿を描き起こして、いつか――)
臙時が見えている光景を、人物を描き始める。
穏やかな顔立ちと、長い下ろした髪――装飾のない着物。
その人物は穏やかに微笑みながら、何処か悲しげな表情をしていた。
『何か』が『辛い』のだ。
(今はまだ、僕には分からないけれど――誤解されたまま、は、きっととても辛い)
世間のイメージとかけ離れているであろう人物を、感情のみで描き進める。
内側――誰にも見せることのなかった側面。
そして、臙時の前世であり、臙時の半身。
ある種、臙時自身とも言えるのかもしれない。
そんな中描きたかったもの、表現したかったものは『心情』だった。
外見は臙時に見えているままの姿を描いたが、その奥にある『心情』を届けたかった。
辛い、という感情を抱いたままであることを、誰かに届いてほしかった。
(もう一枚……)
臙時は別の用紙にまたペンを走らせる。
それは、臙時が一番伝えたかったもの。
普段からよく見るその姿は――ただ、泣いていた。
静かに、ただ溢れるがままに涙を流す姿。
真っ暗な精神世界で、一人膝を抱えている姿を常に見ていた。
だからこそ、表情を切り取り、絵を描いた。
「……そちらの絵、以蔵さんですか?」
「あー……うん、よく分かったね」
「ええ、まあ。異なった印象ではありましたが、今の臙時が描く人物なんて、他に浮かびませんでしたから」
二枚の絵を眺めたあと、蒼葉は口を開いた。
「笑顔は、描かないのですか?」
「え、っと……まだ、見たことがないから……」
蒼葉は臙時の目をしっかりと見たあと、ため息を一つ吐き、続きを口にする。
「臙時、貴方は絵描きなのですから、笑顔を描いてあげなさい」
蒼葉の言葉には目的があった。
「『いつまでも泣いてないで、こんな風に笑った貴方も居たんだ』と、伝えるために」
困惑する臙時に、蒼葉は伝える。
「それが出来るのは、貴方だけでしょう」
「僕、だけ……そっか……」
「ええ、本人が描けば、あちらさんも何かを思い出すかもしれません」
「あちらさん、って……」
その言葉には笑顔を向け、蒼葉本人は『それが答えだ』と言わんばかりにはぐらかした。
「兄上……」
呆れたような視線を向けたあと、蒼葉に言われた言葉を思い返す。
『臙時にしかできないこと』
それは、夜月臙時もまた岡田以蔵の半身であるからこそ、出来ること。
前世を宿しつつ、現世の夜月臙時として生きているからこそ、伝えられる『絵』というメッセージ。
「うん、ありがとう兄上。あ、借りたもの、ここに置いておくね」
「どういたしまして。行ってらっしゃい」
自室へと向かう臙時に、蒼葉はそう言葉をかけた。
その背中を見つめながら、蒼葉も自分自身の作業へと戻るのだった。
自室に着いたあと、真っ先にパソコンを開く。
気分で選んだ曲を聞きながら、ヘッドホン身につけ、ペンを握った。
いつもの手順でペイントソフトを起動し、資料は敢えて出さなかった。
久しぶりのデジタル画材だが、案外描き方は覚えているものだ。
描きたい空気感の出せるブラシを選び、描き進める。
(笑顔……これは僕の想像だ。でも、だけれど――)
「貴方はね、こんな風に笑っていたんですよ」
そう、一人呟く。
「そんな瞬間も確かにあったんですよ、もう遠い記憶かもしれないけれど……僕には、そう感じます」
返事はない。
それは当然ではあるが、もどかしさを覚える。
笑顔、それは確かに臙時の想像だ。
見たことのない表情だが、確かに『笑っていた瞬間』があったはずだ、と臙時は信じ描き進めた。
実際、どう笑ったのか――今、どう感じているのか。
それは、臙時には想像することしかできない。
「きっと、こっちの方が似合うと思います」
いつか笑顔になってほしい、そんな願望が生み出した一枚の絵は、この世の何処にも出ることはない。
ただ、この瞬間のためだけの一枚だったからだ。
「……一旦寝よう」
そのまま、スリープモードに設定し、臙時は横になった。
臙時の独特な座り方――椅子の上に正座をする、というスタイルでは足が固まってしまったのだ。
それを伸ばす目的もあった。
「……おやすみなさい、以蔵さん」
そのまま、臙時は意識を手放し、眠りにつくのだった。