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第3話 曖昧な存在

 夜月臙時は曖昧な存在である。


「以蔵さんのペースでいいんですけれど、記憶とか、よかったら見せてください」

 目の前の男性は答えることはなく、ただただ臙時を見つめていた。

「僕、歴史は詳しくないんですよねー」

 そう告げても尚、表情は変わらない。

「あ、えっと……方言、とかも教えてもらえたりしません? って言っても、どう教えろって感じかもですけど」

「……」

 返ってこない返事を待ちながら、眠れるまで会話をした。

「それじゃあ、おやすみなさい」

 疲れ果てていた初日だが、眠りに落ちる頃には朝になっていた。

 会話として成立していたわけでは無かったが、臙時にとっては有意義な時間だった。


 夜月臙時は曖昧な存在である、この会話――自分が何を話しかけたかも、起きた頃には忘れている。

 記憶がこぼれる、それが臙時だった。

 どれだけ大切なことも、どうでもいいことも、数分もすればこぼれ落ちたように忘れていってしまう。

 記憶のキャパシティが狭く、選定が早いのだ。

 物忘れが激しい、と言ってしまえばその通りなのだが、これにより臙時は幼少の頃の記憶が殆ど存在しない。

 成人した今でさえ、印象に残っているものは少ないのだ。

 故に、臙時は自身をこう称する――『曖昧な存在』と。


「おはようございま――あれ、泣いてる?」

 目を覚ました臙時は、右目から涙が零れていることに気がついた。

 体はあいも変わらず疲れた様子だった。

 それよりも気になったことが、頭痛だった。


 まるで泣き腫らした後のような頭痛。

 言葉は交わせない状況だったが、臙時はその痛みに寄り添おうとしたのだ。

「苦しい、ですよね」

 感情……いや、臙時が感じた想いを口にする。

「現代のイメージとはかけ離れた人ですね。こんなにも優しくて――だからこそ、泣いているんじゃないんですか?」

 臙時はゲームの印象、そして舞台でしか以蔵を知らない。

 だからこそ、自身の傍にいる本人の印象が全く異なることを、不思議に思わなかった。

『史実と解釈』を元にできたものなのであれば、そうなるだろう、と軽い認識だった。


 そんな中でも、舞台で観た『岡田以蔵』はよく理解されたものだ、と思った。

 妙に解釈が一致する感覚。

 きっと、生前はあのように振る舞っていたのかもしれない、などと空想に浸る。

 とは言え、ゲームのセリフも偶に確信を突くような物があるのも確かだった。

 そう感じるようになったのは、臙時が自身の前世に気づいたこと。

 そして何より、半身として本人が傍にいるからなのであろう。


 膝を抱え心を閉ざし、閉じ籠もった様子の内側にいる以蔵本人へどう言葉をかけるべきか、臙時は分からなかった。

 それでも、臙時が感じた印象は『穏やかで繊細な人』だった。

 この頭痛が止む日がいつ訪れるかは分からないが、心の底から笑ってほしい。

 笑顔になってほしいと、今は祈ることしか出来なかった。


 ハッキリ言うのならば、臙時自身は自我がなくなってもいいと思っていた。

 それほどの覚悟で前世と向き合い、取り戻した。

 そんな臙時が疑問に思ったのは、記憶が全く蘇らないことだった。


(けれど、これは――以蔵さんの優しさだ)


 勿論、本人のペースでいいと言ったのは臙時だ。

 それに加え、記憶を共有することの恐怖も、きっとあるのだろう。

 しかし、一番はキャパシティの狭い臙時の記憶領域への負荷――それこそ、自我がなくなるなどの最悪のケースを考えた上での行動なのだろう、と臙時は解釈した。

 それだけではなく、どの様な時代をどう生きたか……それを知った時、多大なショックや精神的負担は免れないと判断したのだろう。

 思い出さなくていいことまで思い出してしまう恐れを、きっと考えて共有していないのだ。


 それだけ此方に気を使ってくれる、優しい人物に何か――心が和らぐ何かをできれば、と考えた。

 冷え切った空間を少しでも暖かくしたい、そう思った臙時は、蒼葉の部屋を訪ねた。


「兄上、おはよう」

「おはようございます、臙時。丁度良かった」

「な、何が?」

 蒼葉からの予想外の言葉に動揺するも、その答えはインターホンによって遮られた。

「ああ、リビングで少し待っていてください」

「え、あ、ちょっと兄上!」

 一先ず言われた通り、リビングへと向かった。


 リビングのテーブルの一人突っ伏し、言葉が零れる。

「兄弟間で舞台の再現しなくていいよぉ……」

 それは蒼葉の前世を知っているから出てきた言葉。

 臙時が観た舞台は、主に二人の人物にスポットが当たっていた。


 その内の一人であり、蒼葉の前世。

 その人物こそが――沖田総司だった。


 蒼葉は共存型ではなく、一体型だった。

 だからこそ、前世の記憶は『蒼葉の記憶』でもある。

 前世と現世の境界線が曖昧な人物こそが――夜月蒼葉なのだった。


「お待たせしました、臙時。朝ご飯です、肉が食べたいかと思いまして――牛丼です」

「……あ、出前取ってたの?」

「ええ、ですから『丁度良かった』と言ったのです」

「あの、ネギ……玉ねぎは……」

「ネギ抜きのものを頼んであります。玉ねぎはワタシの方へ移していただいて構いません。メインは肉ですので」

「あ、ありがとう……」

 蒼葉がどうしてそこまでして肉を食べさせたいのか、臙時には分からなかった。

 というのも、蒼葉は臙時が牛丼を好まないことを知っているからだ。

 肉も好まず、ネギ全般が苦手な臙時とは相性が悪い料理であり、普段は蒼葉も食していない。


 そんな蒼葉が、何を思って肉を食べさせようとしているのか、臙時には疑問だった。


「いただきます」

「いただきます……ふっ」

「兄上?」

「ああ、いえ。こんな小さな玉ねぎも食べられ――おっとと、失礼しましたー」

「……何?」

 訝しげな目線を送る臙時に蒼葉は苦笑しつつ答える。

「ちょっと以蔵さんを誂っただけです」

「本当になにしてんの?」

 舞台で観たような『友情』というものより、猫の喧嘩のような雰囲気を感じ取り、臙時は頭を抱えるのだった。

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