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第2話 掴み、取り戻したその人は

 舞台を両部観終わった頃、蒼葉は相当体力を消耗していた様子でぐったりと、机に突っ伏していた。

「兄上、大丈夫……?」

「まあ、こうなるとは思っていたので……」

 かくいう臙時も、初めて舞台を観たときと違い、蒼葉ほどではないが体力を消耗している。

 それは舞台を観終えた際に起こる体力消耗とは違う、ということは両者とも理解していた。


「舞台として面白かったのは確かですから、後悔はしていませんけれど……」

「でしょ、面白かったよね!」

 臙時としては大変好みの話だったため、少し前のめりになる。

 蒼葉も同じく、前世が影響しなければまた観たい、と思う程の舞台だった。

 しかし、記憶がある分、蒼葉は記憶に引っ張られやすい。

 そのため、臙時よりもずっと体力を消耗していたのだ。


「これほどの完成度ならば、臙時が呼び覚まされかけているのも納得です」

「呼び覚ます、ってどういうこと?」

「前世が気になっているのでしょう? そういう話です」

「なる、ほど……?」

 首を傾げている臙時に、蒼葉は一つ指摘をする。

「癖として根付いてるものも、実はヒントだったりするのですよ」

「癖……」

「……そうですねぇ、例えば――臙時は執拗なほど念入りに手を洗いますよね」

 蒼葉はそれだけ言い残すと、覚束ない足取りで部屋へと戻る。

「あ、あぁ……兄上! えっと、気を付けて戻ってね」

 蒼葉を不安げに見送った後、自身の手をじっと眺める。


(そういえば、小さい頃も兄上に指摘されたっけ……)

 物心ついた頃には、念入りに手を洗うようになっていた。

 潔癖でもないのに、だ。


「これが、ヒント……?」

 そう思った瞬間、動悸が少し早まったのを感じた。

(不安なんだ。でも、何が?)

 感情と思考がリンクしない。

(調べる、こと――か?)

 妙に惹かれた役、その史実を調べようとスマホを触ろうとすると、動悸が激しくなった。

(怖い、なんでか分からないけれど――すごく、怖い)


 逃げるように自身も部屋に戻ろうとしたとき、蒼葉ならこの感情が分かるかもしれないと想い至った。

「はあ、『調べるのが怖い』ですか……そこまで不安に思うことは無いと思いますが」

 訪れたのは、蒼葉の部屋だった。


「そう、だよね」

「ええ、知ることは恐ろしいことではありませんよ」

 蒼葉は微笑むと、そのまま再び横になった。

「ああ、ごめん兄上。体調悪いのに……」

 若干の罪悪感を覚えながらも、蒼葉の言葉を胸の奥で反芻する。

「少し休めば大丈夫なので……少し寝ると思いますが、何かあればメッセージをください」

「大丈夫、最悪叩き起こしに来るから」

「勘弁していただきたいですねぇ」

 そんな会話を残し、臙時は自身の部屋へと戻る。


「『不安に思うことはない』だから、大丈夫……大丈夫……」

 そう言い聞かせるも、動悸はどんどんと増していく一方。

 激しい頭痛に襲われながら、不安から吐き気まで症状として出始めたのだ。

「怖く、怖くない……」

 何故自身が此処まで執着しているのかは、分からなかった。

 体調不良を少しでも抑えるため、横になる。

 そのまま、スマホで資料サイトを開き、妙に惹かれた人物――武市半平太の名前を入力したのだ。


 暫くの読み込み時間を待った後、表示された資料。

 ただ、目に入った二文字――たったの二文字で、頭はショートした。

 内容は全く頭に入らないが、スクロールする指は止まらなかった。

「ちがう……ちがう、ちがう……そんな、そんなんじゃ……」

 ただうわ言とのように、口からこぼれ出る言葉は、とても小さくか細い。

『ちがう』ただその感情だけが湧き上がり、何を否定しているのかは自分でも理解していない。

 理解できるほど、理性は働いていなかった。


 ただただ、上手く呼吸すら出来ず過呼吸と化し、尋常じゃないほどの吐き気を抑えながら、頭痛で思考が鈍る。

(このままじゃ不味い――)

 漸く理解した頃、急いでブラウザを閉じたが、一度出た症状は治まらない。

 ただ、布団の中で丸まって何かを否定し続けた。

「ちがう、ちがう……」

 勝手に口から出てくる否定の言葉に、感情も理性も働かず、理解できないままだった。

 ――理解しようという余裕すら無かった。


 暫く呟き続け漸く落ち着いてきた頃、思考を逸らそうとイヤホンを両耳につけ、状況と正反対なポップな曲を流した。

 過呼吸を抑えるため、意識的にゆっくりと呼吸をする。

 最早息切れのようになっていた中だった。

「――っ!」

 確かに――何かに見られた。

 否、何かと目があった。

 忘れがたいほど冷たい目、狂気と本心――そして失望。

 そんな目で、臙時――いや、臙時のずっと内側にいるただ一人を、見ていた。

「どうして、そんな目で……」

 その言葉は勝手に口から出た物。

 言葉が口からこぼれた瞬間、抑えきれないほど強い絶望感と吐き気に襲われた。

 吐く一歩手前で理性を取り戻し、落ち着くために深呼吸を繰り返した。

 仰向けの体勢から、右向きに横になった。

 眠ろうとしたのだ。


 ただ――それは許されなかった。

 心臓に、強い衝撃が走る。

 外部から何かされたわけでもないというのに、その衝撃から仰向けの体勢に戻されたほどだった。

(ああ、きっと――もう取り返しのつかない所まで来たんだ)

 そう悟った臙時は、半ば諦めにも似た感情でただ一つを伝えようと、思考の方向を変えた。

(もう、僕が寝てる間は好きに使っていていいよ――僕の体を)

 次の瞬間、臙時は意識を手放した。


 それから数時間、痛みと共に臙時は目を覚ました。

 意識を手放したときから、全く姿勢を変えていなかったようだ。

「いてて……体バッキバキだ……」

 少しばかりの疲労感を抱え、自身の症状を振り返る。

(サラッと主導権渡しちゃったけれど、さっきまでのことって……放置しないほうがいいよな)

 そう判断した臙時は蒼葉の部屋を訪ねる。


「兄上! 起きて!」

 部屋の扉を乱暴に開けた臙時は、蒼葉の返事を待たずに部屋へと入り込む。

「なんですか……吃驚した……」

「大変だったんだよ! 聞いてくれる?」

「まあ、聞きましょう」

 寝起きで少し不服そうな蒼葉は姿勢を起こし、聞く体制に入った。

「実は――」

 部屋で別れた後起きたこと、一から説明した。

 ――主導権を渡したことだけを伏せて。


「ふむ、なるほど……」

 蒼葉は少し考え込んだ後、臙時と目を合わせる。

「今から幾つか質問をします。貴方はそれに答えてください」

「あ、うん……」

「そうですね、海……その場所へ帰りたいと思いますか? それとも、帰りたくない?」

 突飛な質問に疑問符が浮かびかけた時だった。

 胸が苦しい。

 呼吸ではなく、精神面だ。

「それか――帰れない? 帰りたいけれど、帰れない」

 臙時はただその言葉に頷く。

「砂浜の色は? 白、それかグレー」

 白い砂浜は見たことがない。

 ならばきっと、グレーなのだろう。

「砂浜は広い? 狭い?」

 普通くらいじゃないだろうか、と考えた。

 何故なら視界から見える範囲は、それほど開けた場所では無かったから。


 「朝焼けの、海岸……」

 ポツリ、と臙時は言葉をこぼした。

 それに対し蒼葉は一枚の画像を見せた。

「……それは例えば、こんな感じの?」

 その海岸、いや――その場所は。

「そう、こんな感じの場所で――ここら辺から見た感じで」

 蒼葉が見せた写真は、桂浜の朝焼けの海岸だった。

 それを見たことのある場所のように、語る臙時に蒼葉は答えを得ていた。


「間違いない、貴方は――」

「兄上?」

 真剣な声色で、蒼葉は真実を告げる。

 臙時の前世――その答えを。


「貴方は――岡田以蔵、その生まれ変わりです」

「……へ?」

 その言葉で、この時間までに起きた感情の起伏や症状に合点がいってしまった。

「ああ――そう、なんだ」

「しかし、面白い。ワタシが強引に引っ張り上げたのもありますが……貴方がたは共存を選ぶのですね」

 蒼葉は臙時の右目をしっかりと見た。

 そこには臙時の感情とは別の、違う色の感情が浮かんでいたのだった。


 その後、夜も更けてきたため、部屋へと送り返された臙時は、眠る前に幾つか言葉をかけてみようとした。

「多分……最後に見たかった、んですよね。あの光景が……」

 目を瞑って見えたのは、一般的に想像される姿とは異なった人物だった。

 着物の男性であることは間違いないが、その髪は長く伸ばされていた。

 しかしその髪も長過ぎるほどではなかった、結っていないだけだ。


 静かに此方を見ている男性は、穏やかで静かな目線を向けていた。

「……したかったわけじゃ、無いんですよね」

 その言葉になにか返答があるわけでは無いけれど、感情だけは伝わっていた。

「似た者同士ですね、僕らの人生」

 心がすっかり折れきった二人の人間は、一つの体を半分で分け合い、生きていくことを決めたのだ。

 半身、互いが互いの半分である。

 臙時は密かに二度とその手を離さないことを心に決め、眠りについた。


 ――まさか、その思考が筒抜けとは知らずに。

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