「まず、車は乗れたりするのかい?」
無花果さんは意外と普通のセンから攻めてきた。今回はジャブはなしらしい。タブンくんのことだから、こちらをあざむいたり言い淀んだりはしないと踏んだのだろう。
タブンくんは首を横に振って、
「……免許はありますけどペーパーです……だいたい、夢遊病のふらふらした状態で、自転車すらマトモに乗れません……」
「ふむ。その日の天気はどうだった?」
「……たしか雨でした、朝になったら晴れてましたけど……現に、血まみれの服も湿ってました……」
「いいね! ところで、最近ムカついたことはあるかい?」
「……コンビニの店員にぞんざいに扱われて……少しムッとしました……けど、こらえました」
「偉いねえ! 小生だったら殴ってたね!」
「……はあ、恐縮です……」
「なにかアレルギーはあるあい?」
「……正確に検査したことがないからわかりませんけど……細い路地なんかに行くと、なぜかくしゃみが止まらなくなることはあります……」
「警察のお世話になったことが何度かあったと言ってたけど、どういう状況だったんだい?」
「……自販機をめちゃくちゃに壊したそうで……防犯カメラに僕が映ってました……あとは道行く人に怒鳴り散らしてたり……あとは、そうですね……小学校の窓ガラスという窓ガラスを割ったこともありました……」
「ヒュー! やりやがったなあ! 尾崎の世界だ!」
「……それも覚えてなかったんですけどね……」
「けどまあ、それで警察にも捕まったわけだ! そういえば、五寸釘のペーパーナイフなんてなんともオサレだね! 風情のある逸品だね!」
「……ええ、お気に入りでした……オーダーして作ってもらって、よく切れるし重宝してたんですけど……あれ以来使ってません……」
「そりゃあ殺人の凶器で手紙なんて開けたくないよねえ! ああ、NHKの請求書なら開けてもいいかな!」
「……僕、NHKの受信料はちゃんと払ってます……」
「はっきりしない割には律儀な男だね君は! で、しかもゲームはコンプリートするまでやめられないだろう?」
「……よく分かりましたね……完璧じゃないと落ち着かなくて……どうしても隠し要素まで見たくて、やめどきのわからなくなったゲームが山ほどあります……」
「マニアだねえ! 小生ついこの間モンハン投げたところさ! まああれはDSが悪かったんだけれどもね! パジャマには着替えてるのかい?」
「……いえ、部屋着のスウェットのまま寝てます……災害の時とかに、すぐに外に出られるように……メガネも靴も用意してあります……」
「いいじゃないか! 防災意識高い系だねえ! それじゃあ、最後にもうひとつ!」
質問攻めを終えようとしている無花果さんは、ぬ、とタブンくんの顔を覗き込んで表情を消した。のっぺりとした顔でタブンくんの目の奥を観察しながら、ウソみたいに静かな声音で問いかける。
「君の中には、殺人を犯したかもしれないという認識はあるかい?」
昆虫の複眼のような目で見つめられたタブンくんは、それでもやっぱりぽかんとした顔をして首をひねった。うーん、とうなってしばらく動かなくなる。
この質問は事件の本質を問いただすものだとわかったのだろう、言葉を選んでいた。
やがてひねった首を元に戻したタブンくんは、それでもなお寝ぼけたような表情のまま、
「……まだ、イマイチ実感がわかないんです……僕じゃない誰かがやったというか……テレビ越しの出来事みたいで……それこそ、悪い夢を見てるみたいで……被害者の方に申し訳ないという気持ちはあるんですが……そもそも、どこの誰かもわかりませんし……お詫びのしようがないと言いますか……」
「つまり、『自分は殺人を犯していない』という認識でいるのかい?」
「……いえ、ひとを殺したことは事実です……『たぶん』……ただ、どうしても現実味がないというか……もちろん、警察には自首する気もありますし、遺族の方に謝罪する気もあります……ただ、僕がやったって自覚がまったくわかないんです……」
「なるほど」
うなずいた無花果さんの目に、いつものぎらぎらした光が戻ってきた。にんまりとくちびるを歪めると、ぽん、と手を叩き、
「よぉし、小生、おおむね理解!」
いつもの文句で質問攻めを締めくくった。
相変わらず、さっきの質問でなにをどう理解したのかは判然としない。
しかし、無花果さんはたしかに『無意識下で行われた殺人』の加害者の思考をトレースしたのだ。
無花果さんが理解したと言えば、もう死体の場所はわかったも同然だ。あとはわからないところを小鳥さんに調べてもらって、正確な位置を掴んだら、僕の出番。
今度はどこへ軽トラを飛ばすことになるんだろう……?
あまり重労働にならなければいいんだけど。
「……あの……」
「なんだい、タブンくん!?」
コピー用紙になにかを書き付けている無花果さんが、おずおずと掛けられた声に返答する。タブンくんは怪訝そうな顔をしながら、
「……さっきのでなにがわかったんですか……?」
当然の疑問だった。僕でさえ、なにをどう理解したのかわからないのだ。さっきこの事務所に飛び込んできたタブンくんにはわかるはずもない。
無花果さんは必死になにかを書き連ねながら、犬を追い払うような仕草でタブンくんを制し、
「ああもう、うるさいな! おおむね、だよ!」
「……こんなので、本当に死体が見つかるんですか……?」
「今そのための調べ物をしてもらうから、ちょっとは待ちたまえよ! 早漏粗チン野郎め!」
散々な罵倒を投げかけ、それっきり無花果さんは返答することをやめた。
「……なんなんですか、このひと……?」
無花果さんを指さして不思議そうな顔をするタブンくんに、僕は肩をすくめて苦笑いして見せた。
「うちの優秀な探偵ですよ」
「……探偵……このひとが……?」
そりゃあ、ぱっと見はただの頭のおかしいシスターもどきにしか思えないだろう。
けど、無花果さんはやると言ったらやる。
理解したと言ったら、理解したのだ。
「それよりも、死体を素材にする契約、忘れないでくださいね」
「……はい、それはもちろん……僕には『たぶん』関わりのないひとでしょうし……」
「関わりがなくても、あなたが殺した死体ですよ。次に会うときは『作品』になってからです。無花果さんの『作品』は強烈ですから、今のうちから覚悟しておいてください」
「……はあ……」
まだ『作品』がどんなものなのか知らないタブンくんは、半信半疑といったていでまばたきをした。
いいだろう。
あの鮮烈な芸術的暴力に触れて、せいぜい度肝を抜かれるといい。なんなら、卒倒してくれたってかまわない。
果たして、おのれの罪に、『死』に直面したタブンくんがどんな反応をするのか。
それはすべてが終わってからわかることだ。
「……見つかるといいですね……」
依頼者のくせにどこまでも他人事のように語るタブンくんに、ぜひとも『作品』を突きつけてやりたい。
あっと言わせてやりたいのだ。
……いつしか僕は、すっかり『無花果さんの側』に立っていた。同じモンスターとして、芸術に昇華された『死』のカタルシスを望んでいるのだ。
それもこれも、あの『作品』を、そして無花果さんというニンゲンを理解してしまったあの日から始まったことだ。
祈り、『死』を想う。メメント・モリの精神が、僕の中に深く根を張っていた。
……あの作品に触れたものならば、当たり前のことか。
そんなことを思いながら、僕はタブンくんといっしょに無花果さんがなにかを書き殴っている姿を眺めているのだった。