「……順を追ってお話します……実は僕、睡眠障害がありまして……」
順を追って、と言う割にはよく分からない方向へ話が転がり出した。とりあえず僕は、その話に乗ってみることにする。
「睡眠障害って、眠れないとか寝つきが悪いとか、すぐに目が覚めるとか、そういう?」
一般的な睡眠障害を想像して質問すると、タブンくんは首をひねってうなった。
「……そういうわけではなくて……むしろ、よく眠れるんですよ……朝まで起きないくらいに……」
「それのどこが睡眠障害なんですか?」
早くもいらいらしてきて語調が荒くなるのを抑えていると、タブンくんはたっぷり言葉に悩んでから、
「……なんというか……『夢遊病』って言うんですかね……?……寝ている間に、いつの間にかなにかしているという……そういう睡眠障害です……」
夢遊病……思わず目が点になってしまった。
よくフィクションで描かれることがある病気だが、まさか実際にそういうひとに出会うことになるとは思わなかった。
「……朝起きたら、知らないレシートがそこらじゅうに散らばってたり……いつの間にか連れて帰ってきていたらしい猫は、今でも飼ってます……覚えのない生傷が絶えませんし、警察のお世話になったこともあります……身に覚えが無かったんですけど、『たぶん』僕がやりました、ということになって……」
「……はあ……」
なんとも厄介な話になってきた。つらつらと語るタブンくんにじっとりとした視線を向けながら、僕はこの件がかなり込み入ったことになるのを予感して、気が重くなった。
「……それである日、朝起きてみたら……血まみれだったんです……こう、べったりとまだ新鮮な血が部屋着についてて……自分に怪我は無いし、愛用してた五寸釘のペーパーナイフを手に握ってて……」
「物的証拠って、そのことだったんですね」
「……はい……出血量からして、犬や猫ではないです……ひとだとしても、あの量だったら死んでると思います……『たぶん』……」
なるほど、それで自分がひとを殺したと思ったのか。ようやく納得のいく答えが聞けてほっとした。
タブンくんは懐から小さな細長い箱を取り出すと、
「……これです、五寸釘のペーパーナイフ……」
開いた箱の中には、べったりと血に塗れたナイフが収まっていた。ペーパーナイフにしてはずいぶんと鋭そうなやいばが、赤錆びた色に染まっている。タブンくんの言う通り、五寸釘を打って作ったものなのだろう、長さも丁度そのくらいだ。
箱をテーブルの上に置くと、タブンくんは少しうつむいて、
「……けど、僕には覚えがありませんし……どれだけ探しても死体は見つからないし……警察にも問い合せたんです、けどどこにもなかった……そんなときに、この事務所のウワサを聞いて……」
「それで、ここへ死体を探しにやって来たと」
「……はい……やっちゃったのは確実なんですけど、死体だけが見つからないっていうのが、どうしても気持ち悪くて……せめて死体を見つけて、すっきりしたいなって……」
すっきりしたい。それがタブンくんの願いだ。
決して罪をあがないたいだとか、自分のやったことを自覚したいだとか、そういう殊勝なこころがけではない。
ただ、気持ち悪いからすっきりしたい。
そういう了見で死体を探したいと思っている。
これは、死者への冒涜だ。とびきりひどい愚弄だ。
なにもかも手前の都合でひとひとりのいのちを奪っておいて、その自覚もなく、『死』の重みも知らないまま、自分勝手にすべてを片付けてしまおうとしている。
そう思うと、途端にタブンくんのきょとんとした表情がとてつもなく邪悪に見えてきた。
真の邪悪とは、子供のような澄んだ無知の色をしているのかもしれない。
しかし、それを咎める義務も権利も理由も、僕たちにはない。僕たちだって死体を『作品』にしようとしているひとでなしのモンスターだ。タブンくんの邪悪を糾弾する資格はない。
僕たちにできることは、ただ事実を追って死体を見つけることだけだ。
「……つまりは、殺人を犯したのかどうかもわからない、死体も本当にあるのかどうかわからない、誰の死体でどこにあるのかもわからない、と」
改めて問いかけると、タブンくんはやっぱりまだ寝ぼけているような顔をしながらうなずいた。
「……はい……新聞を見ても、ネットニュースを見ても、事件になっている様子もないし……警察もうちに来てないし、できる限り探したんですけど、肝心の死体がどこにもなくて……それで、ここへ来て話を聞いてもらおうと思いまして……」
よほど途方に暮れていたのだろう、とうとうこんなところまで訪れてしまったというわけだ。経験者だから、僕もよくわかる。
それにしても、曖昧すぎる話だ。
殺人の証拠は血痕と凶器だけ。タブンくんの夢遊病のことを知っている人間が罪をなすりつけようとした、と説明することだってできる。人間じゃないかもしれない。一匹だけじゃなくて、大量の猫を殺戮したのかもしれない。
警察に出頭して事情を話せば、何らかの捜査はしてもらえるかもしれない。それこそ、こんな場末の探偵事務所とは桁違いの人員と技術と時間を割いて。
だが、それで警察が動くとも思えない。『自分はひとを殺した』なんて主張する狂人の相手を毎日のようにしているのだ、これもまた単なる妄想として無視される可能性が高い。
だとしたら、やはりこの事務所しか宛はなかったのだ。藁にもすがる思いでアヤシゲな探偵を頼る、タブンくんにはそうするより他なかった。
それに、警察に駆け込まれてしまったらもうそれは事件だ。死体を素材にした『作品』を作るなんてことは言っていられない。そういう意味では、僕たちにとって警察機構は不倶戴天の天敵だ。
警察が動くより先に、僕たちが死体を見つけだす。
そして、無花果さんがその死体を素材にした『作品』を作る。
この安土探偵事務所は、そのためだけに存在している。すべては無花果さんの『創作活動』のためにあるのだ。
だとしたら、なにがなんでも死体を見つけ出さなければならない。死体がなければなにも始まらないし、終わらない。
この眠れる森の殺人にエンドマークを打つためにも、僕たちは今一度タブンくんの話を聞かなければならないのだ。
「あー、こんなにふんにゃりした話はこのご時世そうそう見かけないよ! ご老人のちんこくらいふんにゃりしてるよ! ふんにゃりふにゃふにゃで小生眠たくなってきちゃったよ!」
だん、だん、とテーブルを拳で叩きながら、無花果さんが吐き捨てた。相当いら立っているらしい。笑みを浮かべる口元が歪んでいる。
「とにもかくにもはっきりしない! 動機もはっきりしない、被害者もはっきりしない、事件が起こったのかどうかもはっきりしない、そもそもタブンくん、君が一番もはっきりしない男だよ! いつまでも寝ぼけた顔をしてるんじゃないよ!」
「……はあ、恐縮です……」
無花果さんに発破をかけられても暖簾に腕押しだ。風に吹かれる柳の木の枝のように、のらりくらりと掴みどころがない。
要するに、得体が知れないのだ、このタブンくんという人間は。
ヘタをすると、僕たちなんかよりもよっぽど醜悪なモンスターなのかもしれない。
しかし、死体のためならモンスターだろうが死神だろうが相手にする。僕たちはそんな因果な星の元に生まれてきたのだ。
「仕方がない! はっきりしないことをはっきりさせるためにも、これから小生の質問にがんがん答えてもらうよ!」
またあの質問攻めが始まるのか。
無花果さんは一見すると意味不明な質問から死体を遺棄した人間の思考をトレースして、死体の元へとたどりつく。そういった稀有な才能を持ったひとだった。
今回もうまくいくといいんだけど、なにせ相手には記憶がない。そんな条件で、果たしてどれだけ正確に死体の行方を追えるのだろうか。
そうしている間にも、無花果さんの怒涛の質問ラッシュが始まった。