このままでは話にならない。
まったく事情が読み取れないのだ。こんな状態ではいくらなんでも死体なんて探し出せやしない。
すべてがあやふやで、現実感がなかった。タブンくんも、殺人者とは思えないぽかんとした表情でお茶を飲んでいる。とてもこの人物がひとひとりを殺したとは思えない。
しかし、さっきたしかに聞いたのだ。
ひとを殺した、と。
それがウソや妄想でなければ、死体は必ずどこかにある。だとしたら、僕たちの出番だ。死体を探し出して、『作品』を作る。そのためにこの探偵事務所は存在しているのだから。
「……ええと……どうしてさっきからはっきりしないんですか?」
手始めに、僕はタブンくんに問いかけてみた。
やはりきょとんとした顔を上げると、
「……殺した記憶がなくて……」
「殺人ですよ? なんでそんなショッキングな出来事の記憶がないんですか? あなたの人生にも関わることなんですよ?」
「……そう言われましても……記憶にないうちに殺してしまったらしくて……恐縮です……」
どうも要領を得ない。質問を変えよう。
「けど、たしかにやったっていう証拠があるって言ってましたよね?」
「……それは、一応……血がべったりついた凶器らしきものを手に持っていましたから……」
それは決定的だ。世間的な推理小説だったら、ここで実はタブンくんは殺人者ではないという展開になりそうだけど、残念ながら現実は世知辛い。
タブンくんはやったのだろう……『たぶん』。
それにしても雲を掴むような話だ。殺人の記憶はなく、凶器だけがある。死体はどこにもない。ウソをつくメリットもないし、物的証拠がある以上妄想というセンも薄い。
ということは、死体はどこかにある。
問題は、記憶もなにもかもがあいまいなタブンくんから引き出した情報で、どうやって探し出すかだ。
「そもそも、どうしてひとなんて殺したんですか?」
当然、こういう疑問だってある。
しかしやはりタブンくんはタブンくんだった。
「……ええと……むしゃくしゃして……『たぶん』……」
動機さえあやふやなのか。よほどのことがなければひとなんて殺さないだろうに、よりによって『むしゃくしゃしてやった』だ。小中学生でもあるまいに、こんな適当な理由があっていいものか。
……ダメだ、だんだんバカにされてるような気分になってきた。
内心のいらいらを抑えつつ、僕は別方向に会話の舵を切ることにした。
「この事務所のシステムはご存知ですか?」
「……システム……?……ごめんなさい、そんな大金持ちではないので、できれば低予算でお願いしたいのですが……」
「そこは安心してください。この探偵事務所は捜索に関する費用は一切いただいてませんので」
「……それは、安心ですね……」
「その代わり」
僕は、ずい、と身を乗り出してタブンくんの間抜け面を覗き込んだ。ここで伝え方を間違えると、せっかくの依頼が水の泡だ。キメなければならない。
僕は精一杯神妙な顔をしながら、
「探し出した死体を、そこの無花果さんの『作品』……現代アートの素材として使わせていただきたいんです。もちろん死体に深刻な損傷は加えません。あくまでも、死体をモチーフにした『作品』の素材として扱いますので、骨は拾えます」
「……現代アートの……素材……?」
タブンくんの表情に怪訝の色が加わった。それはそうだろう、僕もそうだったんだから。
ここで不信感を抱かせてはいけない。僕はつとめて真剣に言葉を重ねた。
「無花果さんは、死体からしか『作品』を作れません。そして、その『作品』は世界中から評価されています。ご遺族の方々も今まで納得されてきました……どうでしょう?」
「……ああ、そういうことでしたら……いいですよ、『たぶん』……」
あまりにもあっけなくOKが返ってきたので、僕は拍子抜けしてしまった。加速をつけようとしていたところで急にガス欠を起こしたような状況だ。
やり場のない勢いだけを抱え、僕はもう一度タブンくんに問いかけた。
「本当にいいんですか? ご遺族の方への説明とか、警察への自首とか……どうするんですか?」
「……それは、あとから考えます……とにかく、今は死体を探し出したいんです……やっちゃったことはやっちゃったことですから……けど、死体がないってことがなんだかこわくて……」
タブンくんも、この曖昧模糊とした状況にもやもやを感じているらしい。
……らしい、が……
どうしても、他人事のように聞こえてしまう。死体を見つけ出したいのだって、自分の罪と向き合うためではない。ただただ、自分で自分がわからないという不気味さを感じているだけなのだ。
見つかったら見つかったで、なんとなく遺族に謝罪をして、なんとなく警察に自首して、なんとなく裁判の判決を受けて、なんとなく刑務所で暮らして、なんとなく残りの人生を生きていくのだろう。
ひとひとり殺した代償としては軽すぎる。
こんな『なんとなく』のために、死体を探さなければならないのだ。気が重くなる。
「……死体をどうこうするかについては、『たぶん』大丈夫だと思います……見つかったら、それで満足ですので……」
「ああああああああああああああ!!」
脇にどけておいたはずの無花果さんが、我慢しきれずに咆哮した。髪を掻きむしって、
「さっきからなんだい『たぶん』『たぶん』と! 小うるさい寝言だね! もう少しはっきりしたまえよ!」
「……はあ、恐縮です……ただ、どうしても『たぶん』なんですよ……なにせ記憶がないもので……」
そもそも、なぜ記憶がなくなっているのかもわからない。
わからないことだらけのあやふやな状況だけど、死体があるなら僕たちは動く。
無花果さんに『作品』を創造してもらう、そのために。
……正直、またあの『作品』が見られると思うと、胸が躍って仕方がなかった。
ただのわくわくとは違う、禁足地に踏み込むときのような、畏敬の念と憧憬、法悦じみたものへの期待。
そんなさまざまな感情がないまぜになって、僕は無花果さんの『作品』に触れたかった。
触れて、このカメラに収めたかった。
ひとの『死』でしか自己表現ができないやまいを抱えた、モンスターの慟哭を。いのちのきらめきを。圧倒的な暴力体験を。
この麻薬中毒者じみた渇望は、さながら解けない呪いのよに僕のこころをとらえて離さなかった。
この際、タブンくんにどんな事情があっても構わない。
死体を見つけて、『作品』の素材にする。
それだけが、僕の願いだった。
……不謹慎と言いたければ言えばいい。
僕もまた、ひとの『死』でしか得られない情動を知ってしまったモンスターなのだから。
「……本当に、いいんですね? 今ならまだ引き返せますよ? 死体が見つからない以上、殺人の決定的な証拠はない。なんとでも言い逃れできますよ?」
生唾を飲み込んで最終確認をすると、タブンくんはあっさりと首を縦に振った。
「……そういうつもりはないです……やっちゃったのは事実なんで……警察につかまるのも仕方ないですし……それよりも、やっちゃったのに死体が見つからないっていう状況がイヤなんです……だから、お願いします……」
タブンくんの意思確認はした。
だったらもう、この依頼は成立している。
僕はパソコンに向かってこっちに一瞥もくれない三笠木さんのところへ向かい、契約書を出力してもらうよう言った。
プリンターから出てきた契約書を手にすると、なにかのノベルティらしいかわいくもないキャラクターが描かれたボールペンといっしょにタブンくんの前に置く。
「では、契約書をよく読んで、サインを」
「……はい……」
タブンくんは契約書の文言をろくすっぽ読まずにさらさらとサインをしてしまった。こういうひとが詐欺なんかに引っかかるんだろうなと思ってしまう。
ともあれ、これで契約成立だ。
契約書をキャビネットにしまうと、僕は改めてタブンくんに向き直った。
「それじゃあ、詳しい話を聞かせてください」