とりあえず、僕たちはボックス席に収まることにした。
もりもりの飲み物を持って席についた無花果さんは、ストローに口をつけないまま、対面に座ってキャラメルフラペチーノを飲む僕に向かって、開口一番問いかけた。
「それで、そろそろ童貞は卒業したのかい?」
ぶばっ!と飲み物を吹き出してしまった。飲み物が気道に入って激しくむせる。ごほごほとあえぎながら、僕は飛び散った飲み物をペーパーナプキンで拭い、
「……なんで今ここでそういう話するんですか……!?」
非難がましい視線を向けると、無花果さんは相変わらずにやにやと肘を着いて笑っていた。
「だってさあ、こういう場面でもなければ改めて聞けないだろう? それとも、事務所のみんながいる前で堂々と聞けば良かったかね? ん? まひろくんはそういうのがお好みかい?」
「……オッサンか……!」
セクハラだ。これは訴えたら勝てるやつだ。
とはいえ、僕は法廷で無花果さんとまみえる気はない。これはあくまで無花果さんなりの世間話なのだ。デートに世間話はつきもの、話題のない僕に話を振ってくれているのだと考えれば、これは親切だ。
ものすごく前向きに考えることにすると、僕は口の周りをぬぐってひと息つき、飲み物を飲む。
「……そもそも、なんで僕が童貞だって断言できるんですか……?」
「ぎゃはは! そりゃあそうだろう! 反応からして童貞じゃないか! 小生もダテにセックスしまくっているわけではないのだよ!」
「……大声でセックスとか言わないでくださいよ……!」
周りが聞き耳を立てている気配を察知して、僕は声を潜めた。しかし、無花果さんは止まらない。やっぱり飲み物には手をつけずに、
「小生はいつだってあけすけさ! そういうキャラなのだよ! 逆に『お……おせっせ……』とか恥ずかしそうにしている小生の方がおかしいじゃないか! んん? むしろそっちの方がウケるのかね? まひろくんはむっつりドスケベ女子が好みなのかい!?」
「……だから、声が大きい……!」
「声? 小生は喘ぎ声も派手だよ! じゃなきゃセックスしてる感がないじゃないかもったいない! あんあん喘ぎまくって腰振りまくるわけだよ!」
どんどんひとびとの耳聞が集まってくる。隣のカップルが意味深な視線を向けてくすくす笑っている。僕の自意識過剰なんかではないはずだ。
信じられない。
こんな公共の場で下品な話を大声でするなんて。
これが深夜の居酒屋ならまだわかる。しかしここは真昼間のスタバであって、そういう話をする場ではない。
……というか、本来なら無花果さんはそういう話を振られて恥じらう側なのでは……?
年若い娘ではなく、オッサンを相手にしているような気分になった。
残念だ。
ただひたすらに、残念だった。
「それで、結局君はまだ童貞なのかね?」
「……童貞であることは認めます。ですが、センシティブな話題なので、これ以上の発言は控えさせていただきます」
「なぁんだい、そのかしこまった政治家みたいな返答は! 君ってば本当につまんない男だねえ! これだから君は童貞なのだよ! 雰囲気だけイケメンでも童貞なのだよ!」
「……ですから、大声で童貞童貞言わないでください……!」
「処女の恥じらいはおもむきがあるけどね、童貞の恥じらいなどファックオフなのだよ! ゲロうんこ茶漬けなのだよ! はあー、うんこうんこ!」
「少し落ち着いてくださいお願いですから」
「ちょいとそこのおふたりさん、これからイッパツ致すんでござるよねえ? この童貞も混ぜてやっちゃくれませんかねえ?」
おいおいおい。
ちょっと待て。
隣のカップルに絡み始めたぞ。
好奇の視線を向けていたカップルは、いざ水が向けられると途端に目を白黒させた。それはそうだろう、異様に目がぎらついているシスターにいきなりシモの話を振られたのだから、戸惑って当たり前だ。
無花果さんは構わずカップルに執拗に絡み続ける。
「あくまでもノーマルなプレイでお願いしますぜ? 3Pってだけでも童貞には刺激が強いってのに、ハードコアなプレイなんてもう頭ぐっしゃぐしゃに犯されちゃって変な性癖に目覚めちゃいますからね! それともおふたりはそういうご関係で? 小生にもご指南願いたいですなあ!」
「無花果さん! ハウス! ほらもう僕飲み終わりましたから! もう行きましょう勘弁してください!」
「えー、いくじなし!」
「いくじなしで結構です! ほら、立って!」
唖然とするカップルを置き去りに、僕と無花果さんは席を立った。結局無花果さんはひと口も飲み物を飲んでいなかったが、仕方がない。
頼むだけ頼んだ呪文ドリンクを、無花果さんは帰り際に店員さんに手渡した。
「口はつけていないのでね、捨てるもの忍びないから仕事の合間にでも飲んでくれたまえ!」
そう言い残して、僕たちはスタバを後にした。
店の外でぜえはあと呼吸を整えていると、しらっとした顔をした無花果さんが肩をすくめる。
「まったく! 茶ぁシバきまへんか?なんて言ったと思ったら速攻で出ていくし、君ってば本当に意味がわからないね!」
「あなたが言わないでください!」
「えー、小生が悪いのぉ?」
不服そうな顔をしているが、無花果さんが悪いに決まっている。
心配なんてするんじゃなかった。妙な仏心を出した僕がバカだったのだ。そもそもなんで僕が無花果さんを心配しなきゃならないんだ。保護者じゃないんだぞ。
とにかく、会話にならない。
一方的にまくし立てて、ところ構わず大声で騒いで、うるさくて……
……いつも通りだ。
いつも通りの無花果さんだ。
……本当に、心配なんて要らぬお節介だった。
考えてみれば、無花果さんは僕なんかより『こういう事態』に慣れているのだ。当然、そういうときの対処法も心得ている。だからこそ、無理をしてでも事務所にやって来たのだ。
それを僕は、親切めかして気分転換にお茶に誘うだなんて愚行を犯してしまった。
我ながら、とことん底の浅い男だ。
ぎゃははと笑う無花果さんを前にして自己嫌悪に陥っていると、無花果さんは大きく伸びをして爽快な声を上げた。
「あー、楽しかった!」
それは決してフォローや慰めではなく、こころからティータイムを楽しんだものの言葉だった。誰が聞いてもそう思うだろう。
……完全に、僕の方が一本取られてしまった。
だいたい、この無花果さん相手に心配だとか、おこがましいにもほどがある。
だからこそ、このひとは春原無花果なのだ。
今更そこに疑問を差し挟む余地もない。
僕はつい苦笑いしてため息をついていた。
……今僕は、ほっとしているのか?
無花果さんがいつも通りなことに、安堵しているのだろうか?
もしかしたら、不安になっていたのは僕だけだったのかもしれない。
だとしたら、とんだ道化がいたものだ。
「……まったく、カッコの悪い……」
つぶやいていると、無花果さんが僕の背中をばんばん叩いて言った。
「ぎゃはは! 君がカッコ悪いのはいつものことだろう! だからこそ、小生は君のことを好ましく思っているのだけれどね!」
「……無花果さん、男の趣味悪いって言われるでしょう?」
「おや、心外だね! 単なる棒ならいざ知らず、小生見る目はあるつもりだよ?」
「……それにしたって、無花果さんに釣り合うような男はいませんよ……」
「それ褒め言葉だよね? ぎゃはは! 小生規格外だからなあ! 照れちゃうなあ!」
半分悪口で半分はたしかに褒め言葉だったのだけど、悔しいのでそれは口にはしなかった。
肩を落として嘆息してから、僕は苦笑いした。
「……帰りましょっか」
「うん!」
元気いっぱいに返事をすると、無花果さんは僕の手を引いて事務所への帰路を辿った。
もしかしたら、このひとは僕が認識している以上に大物なのかもしれない。タダモノではないとは知っていたけど、ここまでとは。
無花果さんの新たな側面を見つけて、僕たちは昼下がりの道を事務所目指して歩き出すのだった。