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№1 デートのお誘い

 無花果さんは結局、五日間事務所に出てこなかった。


 いつもは騒がしい事務所だけど、無花果さんがいないだけでずいぶんと静かだった。それがさみしいと思う僕もいるし、ほっとすると思う僕もいる。


 ともあれ、無花果さん不在の探偵事務所であっても、やることは雑用だ。お使いと掃除が僕の主な役割だった。


 いつも通りにお使いに行って事務所に帰ってくると、そこには当然のように、さっきからいましたよとばかりに、なにごともなかったかのように、無花果さんがソファで骨格標本と戯れていた。


「ほら、ジェーン・ドゥー! 猫は百万回生きたんだねえ、そして百万回死んだのだよ! かなしいねえ、美しいねえ、やさしいねえ! 小生この絵本が大好きさ!」


 なぜか骨格標本に絵本の読み聞かせをしている無花果さんがあまりに突然に帰ってきたので、僕はついお使いのコンビニのビニール袋を取り落としてしまった。


「無花果さん!?」


 その音でようやく僕に気づいたらしい無花果さんが、ぎらぎらした瞳でこちらを振り返る。


「おや! おやおやおや! まひろくんじゃないか! 久しいねえ!」


「お久しぶりです……じゃなくて! もう出てきて大丈夫なんですか?」


 落としたビニール袋を拾い上げながら問いかけると、無花果さんは呵呵大笑して、


「大丈夫なものか! ひとりでいたら首を吊りそうだったから出てきたまでのことだよ! 監視役がいなけりゃやらかしそうだったからね! そう、君だよ君!」


 思いっきり指さされて、僕はきょとんとしてしまった。


 それから、ひどく湿っぽい顔をしてしまう。


 前回、無花果さんは自殺者の思考をトレースした。もともとが精神的なやまいを抱えている無花果さんが、死へと向かうものの思いを深くまで追いかけたのだ、無事で済むはずがない。


 実際、ひどいありさまだ。本人はいつも通りに笑っているが、その目元にはいつも以上に濃いクマが浮かんでおり、その瞳は無理やり希死念慮に抗うようにいつも以上にぎらぎらしている。よく見れば指先は小刻みに震えているし、頬がこけているようにも見えた。


 やっぱり、消耗するんだ。


 僕なんかが図り知ることはできないけど、死者の考えをそのまま追いかけるということは、無花果さんにとって相当な負担になっている。


 ここへ来る依頼人の八割が自殺者の関係者だと言っていたが、毎回毎回こんなことになっていたら身が持たないだろう。それこそ、一ヶ月に一回でも死にそうになっているのだから、精神にかかる負荷はかなりのものだ。


 やつれた無花果さんは、それでも地面に突き立てられた一本のナイフのように鋭く、鋼質の輝きを放っていた。生と死の狭間のぎりぎりを行かなければ、無花果さんの『作品』は生まれない。


 そして、そうやって自己表現をしなければ生きていけないのだ。


 つくづく因果なモンスターだ。


 ……それでも、わざわざキャッチャーインザライとして僕を選んだ無花果さんを心配しないわけにもいかない。


 買ってきたものを全員に渡すと、僕は骨格標本に絵本を読み聞かせている無花果さんの前に立ちはだかった。


「なんだい、まひろくん?」


 にやにや笑いながら挑発的に僕を見上げる無花果さんに、意を決して誘いの言葉をかける。


「無花果さん……ちょっとお茶にでも行きませんか?」


 ここにいたって骨格標本と遊ぶくらいしか娯楽がない。だったら、少し気分を変えて出かけてみるのもアリではないか。


 僕ができる精一杯のいたわりとして思いついたのが、それだった。我ながらつまらない男だ。


 しかし、無花果さんはたちまち骨格標本を放り出して瞳を輝かせ、


「なんだい!? 君ってば、小生とデートをしようというのかい!?」


「……あー、いや、まあ……そういうことになりますね」


 改めて言われると小っ恥ずかしい。頬をかきながら、僕は柄にもないことを言ってしまったと後悔していた。


 だが、聞かなかったことにしてくれる無花果さんではない。すぐさまソファから立ち上がり、


「小生、望むところだよ! わあい、デートだ! お出かけだ! まひろくんとお出かけだ! 所長、ちょっと行ってくるでござる!」


 メンソールの電子タバコを吸って恍惚としていた所長は、ひらりと手を振って僕らを見送った。


「うん、気をつけてねー」


「ガッテン! さあ行こう、まひろくん!」


「ちょ、行きますから、引っ張らないでください!」


 相変わらずリードを引っ張る駄犬の勢いで僕の腕を引く無花果さんに、少し遅れてついていく。駆け足になっているのを引き止めて、なんとか早足くらいにした。


 それにしても、シスター服のまま街中に出るのか……?


 どかどかと古びたモルタルの階段を下りながら、僕は一抹の不安を感じて、それからその不安に蓋をするのだった。




 やって来たのは最寄りのスタバだった。


 ちょっとは洒落た喫茶店など知っていればいいのに、本当に僕という男はつまらない。自分でもイヤになるくらいスタンダードだ。


 だが、無花果さんは特に不平不満を言うでもなく、むしろわくわくした表情でレジの列に並んだ。やはり周りの目は気になったけど、この際どうでもいい。気にしたら負けだ。


 列はすぐに短くなって、僕らの番になった。季節の限定商品やら何やらに目を引かれはしたけど、やっぱり僕はスタンダードな男だ。


「キャラメルフラペチーノ、普通のサイズでお願いします。無花果さんはどうしま」


「イートインパーソナルリストレットベンティツーパーセントアドエクストラソイエクストラチョコレートエクストラホワイトモカエクストラバニラエクストラキャラメルエクストラヘーゼルナッツエクストラクラシックエクストラチャイエクストラチョコレートソースエクストラキャラメルソースエクストラパウダーエクストラチョコレートチップエクストラローストエクストラアイスエクストラホイップエクストラトッピングダークモカチップクリームフラペチーノ!」


 …………なんだ、今の呪文は?


 それが無花果さんのオーダーであると脳が理解するまでに、数秒を要した。さっきの詠唱は、なにかおいしい飲み物を召喚するための呪文だったらしい。


 一言一句噛むことなく正確に詠唱できたことに満足しているらしい無花果さんに、店員さんも同じ呪文を慣れた調子で繰り返す。


 なんだ、この世界線は。僕が知っている喫茶店とはなにかが違う。


 まるで異世界に迷い込んだような気分になって、僕は改めてキャラメルフラペチーノなんて標準的なものを注文してしまったおのれのつまらなさを恥じた。


 僕はバーコード決済で無花果さんの分も支払いを済ませてしまうと、受け取りの待機列に並ぶ。店員さんたちはこなれた仕草でミキサーを回し、次々と注文の品を錬成していた。


「いやあ、小生スタバなんて久々でね! 小鳥ちゃんに頼めばすぐにUberしてくれるとはわかっているのだけれど、やっぱり現地でオーダーするのが一番気持ちいいね!」


 いやまあ、わからなくもないけど。


 あれだけ派手な詠唱なら、わからなくもないけど。


 しかし、単なるキャラメルフラペチーノなんかを頼んでしまった僕のやるせない気持ちも理解してもらいたい。


 程なくして、受け取りの待機列もなくなって僕らの番になった。一体どんな化け物が出てくるのかと戦々恐々とする。


 まずは僕のキャラメルフラペチーノ。普通だ。あっけないくらい普通だった。


 そして、無花果さんが召喚した飲み物がやって来る。


 ……ものすごくもりもりな点に目を瞑れば、普通の飲み物だった。なにか触手のようなものが入っているだとか、脱法ハーブ的なものが入っていそうだとか、そういう気配はなかった。


「おっ、これこれ! この爆弾処理のためにスタバ来てるとこあるあるゥ!」


 山盛りになったソースやクリームを落とさないように気をつけながら、無花果さんはカップを持ち上げた。重そうだ。


 出鼻をくじかれた僕は、単なるキャラメルフラペチーノを手に、所在なさげに立ち尽くすことしかできないのだった。

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