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№14 採用!

「ちょっと、暗くできる部屋があったらお借りしたいんですけど」


 とんこつラーメンを食べ終えた僕は、早速フィルムを現像しようとした。この熱が冷めないうちに、一刻も早く形にしたかったのだ。


「ああ、暗室ならあるよー。好きに使ってー」


 電子タバコを吹かしながら所長が奥の扉を指さした。暗室まで完備とは、どこまでも無花果さんの作品のためにあるような事務所だ。


 現像液なんかの道具は一式そろっているだろう。僕はフィルムの山を抱えて暗室に入った。


 赤い照明をともし、現像に取り掛かる。フィルムをぶら下げたりしながら、いろいろと考えることがあった。


 無花果さんのこと。その『作品』のこと。兄のこと。自分自身のこと。『死』と『生』のこと。芸術のこと。


 ……たっぷりと時間をかけて、写真は出来上がった。


 無花果さんの『作品』をおさめた、僕の『作品』だ。


 写真の山を抱えて暗室から出てくると、無花果さんが、わっとたかってきた。


「どんなあんばいだい!?」


「いや、興奮してたんで、露出とかピントとか構図とかめちゃくちゃになっちゃったんですけど……一応、できました」


 僕が告げるなり、無花果さんは山のてっぺんの写真を一葉手に取ると、目を細めて眺めた。世界的に有名なアーティストがどんな評価を下すのか、少しどきどきする。ここでこき下ろされたら落ち込むかもしれない。


 しかし、無花果さんは、ひゅう、と口笛をひとつ吹き、


「うん! なかなかクールでクレイジーな写真だ!」


「……それって、褒め言葉なんですか……?」


「やっぱりめんどくさい男だね君は! 褒めているに決まっているだろう! そうだな、まだまだ未熟で荒削りだが、小生のことを本当にこころから理解していなければ、こんな写真は撮れやしないだろうね! 完全に『作品』の意図を汲んでいる!」


 それは、無花果さんなりの手放しの賞賛なのだろう。ひょいひょいと写真を次から次へと手に取る無花果さんに、僕は軽く頭を下げた。


「……ありがとうございます」


「と・いうことで! 君、今日からここのバイトね!」


「…………はあ!?」


 思わず考える間ができてしまった。


 なにやら僕は、この探偵事務所にバイトとしてスカウトされているらしい。というか、もう決定事項のようだ。僕の意思はどうしてくれるんだ。なにが『と・いうわけで』だ。


 無花果さんは写真をぴらぴらさせながら、


「だってさあ、もう普通のフォトグラファーじゃ小生の『作品』がはみ出しちゃうんだよねえ! みんなすーぐ『くさいから』ってやめてくし!」


「ああ、その話ねー。そうそう、ちょうど新しいカメラマンが欲しかったところだったんだよー」


 横あいから顔を覗かせた所長は、僕の『作品』を一瞥すると『いいじゃん』とだけ言った。相変わらず自撮り棒は持っている。


「ぎゃはは! あと奴隷欲しかったんだよ! 奴隷!」


「奴隷!?」


「雑用ねー。簡単な事務とか、軽トラの運転とか、いちじくちゃんのお世話とか、掃除とか、まあなんかそういうもろもろの雑用係」


 現代の奴隷制度におののいていた僕に、所長がフォローを入れた。


 とたん、無花果さんが異様なまでに目をきらめかせながら僕に迫ってきた。


「これは君の宿命だよ! 君はここで働いて、小生の『作品』をカメラに収める! 君がこの事務所の扉を開いたときからすべては決まっていたのだよ! 大丈夫、最低賃金くらいは出すから!」


「もう、勝手に決めないでよー。所長は一応僕なんだからさー……君、鼻は鈍い方?」


「……はあ……」


 もうすっかり悪臭には慣れてしまった。この一日で、僕の鼻は完全にバカになってしまったのだ。もうちょっとやそっとのにおいでは驚かない……白米は、当分食べられないかもしれないけど、とんこつラーメンだって食べられた。


「……まあ、そういうことでしたら……ちょうど僕もフリーターやってますし……」


「じゃあ決まりだ! わーいヤッタネ! 小生の奴隷ゲット! ついでにカメラマンもゲット!」


 ついでかよ。そうツッコミかけたが、そうだ、この事務所にはツッコミ役が必要なのだ。僕のような常識人が求められているのだ。でなければ、この吹き溜まりはますますカオスになってしまう。


 まさかこんなことになってしまうとは……無花果さんの言う通り、すべてはこの僕がこの探偵事務所の扉を開いたところから始まっていたということか。


 だったら、もう観念するしかない。


 ため息をついて苦笑する僕に向けて、無花果さんが両手を開いた。


「安土探偵事務所へようこそ! 歓迎するよ、まひろくん!」


 思えば、無花果さんが僕の名前をマトモに呼んだのはこれが初めてかもしれない。忘れられているとさえ思っていたのに。


「しっかし、改めて『日下部まひろ』だなんて、AV女優かエロゲのヒロインみたいな名前だね!」


 そんな覚え方かよ。仮にもひと様の親が付けてくれた名前になんてこと言うんだこのひとは。全国の日下部まひろさんに謝れ。


「紹介するねー。僕は所長の安土笑太郎。そこでキーボード叩き続けてるのが三笠木国治くん、奥の『巣』に引きこもってるのが小鳥遊小鳥ちゃん、そして……」


「春原無花果でえっす! ヨロシクゥ!」


 そう言うと、無花果さんはアヘ顔ダブルピースをして見せた。


「……日下部まひろです。今日からよろしくお願いします」


 下げた頭を、無花果さんはなぜかぽんぽんと叩いた。その腕にはまっている古い時計が目に入ったが、


「……時計、電池切れてますよ」


「ああ、これね! これは止まったままでいいのさ!」


 そう笑い飛ばすと、無花果さんはなおも僕の頭を叩いた。


 ……なんなんだ、この女。


 いや、メンバー全員がどうかしている。


『死体装飾家』の探偵シスター、四六時中ライブ配信をしているメンソール中毒の所長、機械のように動き機械のようにしゃべり無花果さんの喧嘩相手であるAI男。手だけしか見たことのないヒキコモリのエンジニア。


 ……つくづく、イカれた職場だ。


 しかし、そんなみんなに興味を持っている自分もいる。それは僕が同じモンスターだからなのか、モンスターゆえの魅力に取り憑かれたからなのかわからないけど、このメンバーと深く関わっていきたいと感じている。


 それにつけても、あの『作品』だ。


 こころを直接ぶん殴るようなあのアートに、僕のこころは鷲掴みにされてしまった。共鳴してしまったのだ。


 そして、その『作品』の造り手である無花果さん。


 ひとの『死』でしか自己表現ができない、孤独な人間。


 天才の孤独というものを、もっと近くで見たい。


 そして、このカメラに収めたい。余すところなく、存分に。


 それこそ、写真家冥利に尽きるというものだ。


 僕は足るを知っている。僕は無花果さんの添え物でしかない。


 それでも、少しでも自分の『作品』が実になるのならば、そこに意味を見いだしてくれるだれかがいるのならば、こんなに光栄なことはない。


 ……そういうわけで、僕は兄の死体と対面したその夜のうちに、安土探偵事務所の雑用兼カメラマンとしてバイトをすることになった。


 ああ、今までのバイト先になんと言って断ろうか。急に辞められたら困ると引き止められるかもしれない。


 そんな懸念もわくわくに変わった。


 そう、僕は今、わくわくしているのだ。


 なにか、壮大な物語がここから始まるような予感があった。


 その登場人物のひとりになれるのだ、それはわくわくもするだろう。


 無花果さん。所長。三笠木さん。小鳥さん。


 そして僕、日下部まひろ。


 今日から僕は、このめちゃくちゃな探偵事務所のメンバーになる。


 その実感がじわじわと湧いてきて、僕はついへらりと笑ってしまうのだった。

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