扉を開けると、そこは薄暗い広大な倉庫のようになっていた。がらんどうの空間にはランプの灯りがともっており、静寂が満ちている。
そんな世界の真っ只中で、無花果さんはひざまずいて祈りを捧げていた。
クリスチャンだとは言っていたが、たしかにその姿は聖職者のそれだった。
いつもの振り切れたハイな様子とは打って変わって、静かにひざをつく無花果さんなりの、これはコンセントレーションなのだろう。
これから始まる創作にすべてをぶつけるための儀式として、メンタルをフラットに整えているのだ。ロッカールームのボクサーにも似ている。
今、無花果さんの頭の中にはさまざまなことが渦巻いている。それは『どういう作品を作ろう』だとか、そういうことではなく、ただただ荒れ狂う感情を、感性をひとまとめにしているのだ。
その姿を見て、僕はアーティストとしての無花果さんの一部を理解した。これから、なにもかもをさらけ出すのだ。頭の中身を、無花果さんという人間のすべてを。芸術とは、そういう意味では自己の発露だ。
ふいに、無花果さんが顔を上げた。そして、呪文を唱える。
「……As I do will, so mote it be.」
そうあれかし、と魔法をかける。
どうやら、整ったらしい。
スイッチが切り替わり、無花果さんは猛然とブルーシートを取り払った。そこには、残飯にまみれ腐った兄の死体がある。においが酷くなり、鼻の奥が痛むほどだった。
小鳥さんが用意してくれたらしい資材は、大量の食品サンプルだった。ナポリタン、オムライス、ハンバーグ、ラーメン、ステーキ、ケーキ、パフェ……どれもファミレスにあるようなものばかりだ。
百はありそうな食品サンプルの一部を抱えて、無花果さんはそれらを思いっきり死体の周りにばらまいた。がらがらと騒音が鳴り響く。
もうひと抱え、さらにもうひと抱え。
死体はたちまち食品サンプルの山に埋もれてしまった。
無花果さんは構わず素手で死体を引っ張り出すと、ウジと残飯だらけのそれに軽く圧をかけてガスを抜いた。そうして扱いやすくした死体に太い針金を通して、固定して座るような格好にさせる。
がしゃんがしゃんと食品サンプルを積み上げ、玉座を作ると、そこに死体を据え置いた。垂れ流しになった腐汁がしたたり落ちる。無花果さんもその腐った液体にまみれていた。
乱暴、粗雑とも言っていいほど勢いのある動きとは裏腹に、そこには情動があった。感性があった。
背中しか見えなくてもわかる。
鬼気迫る制作風景だ。
鬼や悪魔、悪霊が降りてきたと言われても納得できる。
いつの間にか、僕は一眼レフを構えていた。そして、シャッターを切る。無花果さんが躍動する度に、何度も、何度も。
割れ知らず、胸が高鳴った。まるで無花果さんと一体になったような気分になる。
間違いなく、ここは偉大なる作品が生まれる場所だ。僕はそんな瞬間に立ち会っている。すべてをフィルムに納めなければ気が済まなかった。
無花果さんは別の素材に手をつけた。バケツ一杯分はありそうな、大量のケチャップとマヨネーズだ。
それを、躊躇なく死体にぶっかける。
辺りは腐敗臭と食べ物のにおいが混じって、ひどい空気になっていた。腐汁とケチャップとマヨネーズで、死体の足元には大きな水たまりができている。
僕はシャッターを切り続けた。
無花果さんは、決して作品を『見せよう』とはしていない。見るもののことは一切考えていないのだ。
それはただの自己表現でしかなく、感性の発露でしかなかった。そうしなければ、行き場を失った無花果さんの中身は、きっと暴走して破裂してしまう。
しかし、無花果さんは死体でもってしか自己表現をするすべを持ち合わせていない。
なんと業の深いことか!
なんと孤独なことか!
その作品にたまたま意味を見いだした誰かがいただけで、その本質はだれにも理解できない。たとえ評価されなかったとしても、無花果さんはこの創作活動を続けていただろう。評価など、実際のところはなんの問題でもないのだ。
そういう意味で、無花果さんは真のアーティストだ。死体を使ったアートでしか自己を表現できないモンスターだ。異端者だ。
だれに届くとも知れない作品で自己表現をして、その本質を理解されずに、より孤独の深みへと潜っていく。無花果さんの深淵には、だれも底を見出せない。
そこはモンスターのねぐらだ。底なしの闇の中で、無花果さんはたったひとりで自分の中のモンスターを育んでいるのだ。
……しかし。
僕は無我夢中でシャッターを切りながら、たしかに無花果さんと一体感を感じていた。
手に取るようにわかる。
激情、孤独、懊悩、虚無、そして、いのち。
それはたましいの叫びだった。無花果さんは声を枯らして絶叫している。
ここにるのだと、生きているのだと。
そうすることでしか、存在することの意味を表すことができない。そして、自分を納得させて、明日からまた息をしていくことができない。
呼吸困難になりそうな人生の中で、ただひとつ、死体を使ったアートこそが、無花果さんという人間に意味をもたらす手段だった。
死でもってしか、生をたしかめることができない。
なんとも因果な芸術家、それが無花果さんだ。
さぞかし苦しだろう。さぞかし生きづらいだろう。
しかし、それは無花果さんが抱えた病であり、才能だった。オリジナリティであり、アイデンティティだった。
この闇があるからこそ、無花果さんという人間はユニークで魅力的なのだ。
僕にも、ようやくわかった。
無花果さんは、『そういう人間』なのだ。
かなしいくらいに孤高で、だからこそひとを惹き付けてやまない、そんな人間。
今はまだぼんやりとしているが、たしかに僕は無花果さんという人間を理解した。
そうすると、僕も同じくモンスターということになってしまうが、構いやしない。
この瞬間、無花果さんを理解できたことは、身に余る光栄だった。誇らしいとさえ思った。
こんな人間がいるのだと、言語化できない主張を全世界にばらまきたかった。
他のだれもわかりはしないだろう。
わかっているのは僕だけでいい。僕だけが無花果さんを理解していればいい。
むき出しになった独占欲がそう告げる。
無花果さんという存在は、僕だけのものだ。
……ああ、無花果さん。
同じモンスターに成り果てたって構わない。
僕はあなたを、狂おしいほど理解する。
その本質を、余すところなく理解する。
……フィルムを三度替えたところで、無花果さんの創作は完成したようだった。
ファインダー越しに見た無花果さんは、たしかに神に仕える神職者の顔をしていた。創作とは、祈りを捧げる行為と似ている。もしもこの作品をだれかに届けようとしているのなら、それは他ならぬ神そのひとなのだろう。
生きていくために必要な生贄が、この死体を使った『作品』なのだ。神に捧げる供物であり、原罪への贖罪なのだ。
かくして生贄は完成し、無花果さんは聖職者としての役目を果たした。
その横顔には、ひとときだけの安らぎが浮かんでいるように見えた。
僕は最後に残ったフィルムでその横顔を撮影する。
乳飲み子を見下ろす慈母にも似た、神聖なる表情。ランプの明かりに照らされたそれは、決して笑みなどではなかった。が、たしかに安らぎを示す顔をしていた。
こうして、無花果さんは明日も生きていくのだ。
生きていくことを、神に、おのれに許されるのだ。
……かわいそうに。
そんな言葉が思い浮かんだ僕の顔は、しかしはっきりといとおしげな笑みをたたえているのだった。