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№7 悪臭

 軽トラで高速をぶっ飛ばし、僕たちがたどり着いたのは伊豆だった。途中、ビビり散らして右車線をのろのろ走る僕を無花果さんがばんばん蹴り、いたし方なく最高速度まで出したのは余談だが。


 伊豆だ。これはまだわかる。兄と恋人の思い出の地だ、ここに死体を捨てたとしてもおかしくはない。


 しかし、一口に伊豆と言っても範囲が広すぎる。ゴミの投棄場なんて山ほどあるだろう。ひと気のない山中や海だってある。そのどこに兄の死体があるというのだろう。


 僕の予想を無視して、小鳥さんに印刷してもらった地図を見ながら、無花果さんは僕にナビをした。右へ曲がれだとか交差点を突っ切れだとか、細かく指示を出してくれる。


 おかしなことに、軽トラはどんどん市街地の方へと進んでいった。まわりには飲食店や商業施設がある大通りだ。ゴミの投棄場や海や山、そんなものはどこにも見当たらない。


 こんな街中に死体が転がっているというのか。だとしたら、とっくに通報されていてもおかしくないのに、兄の死体は発見されないままだ。一体どこに隠れているというのだろうか。


「ああ、そこのファミレスだよ!」


 ある程度市街地を流した後、無花果さんは唐突に一軒のファミレスを指さした。


 ファミレス? なぜこんなところに兄の死体があるんだ。ファミレスなんてひとの目だらけじゃないか。死体なんてあったら大騒ぎだ。


 もう営業を終了しているのだろう、店舗の明かりは消えていた。駐車場には他に車もない。


 早く早くと急かす無花果さんのせいで、ヤクザ停めをすることになった。ラインから盛大にはみ出した状態で軽トラを駐車し、外に出る。


 無花果さんはずかずかと店舗の前を通り過ぎると、裏手に回っていった。慌てて後を追いかける。


 急に止まったと思ったら、無花果さんは地面に設置された鉄の扉を指さして、


「さあ、開けたまえ! 小生あいにくフェミニストではないのでね、ちから仕事は男の役目だ!」


 たしかに、この扉を開けるのにはちからが要りそうだ。けっこう大きいし、鉄製とあって重そうだった。


 僕は黙ってしゃがみこむと、鉄の取っ手を握りしめて思い切り引っ張った。扉は意外と簡単に開いた。


 途端、ものすごい悪臭が鼻を貫く。腐敗臭、生ゴミのにおい、なにか甘ったるいにおいや発酵食品のにおい、吐瀉物のにおい。この世のありとあらゆる悪臭を取り揃えた見本市のような悪臭が鼻腔の奥を刺した。


 ……ここは、ファミレスの残飯を捨てるタンクだろうか。暗がりの中、ちらちらと腐った食べ物の残骸が見える。腐り具合から見て、一ヶ月は経っているようだった。あちこちにウジがたかり、ハエが飛び、ゴキブリが湧いている。


 地獄があるとしたら、きっとこんなところだ。


 そう思わせるくらいには、壮絶な光景だった。


 兄の死体は、この残飯タンクに捨てられているのだ。地獄で残飯にまみれて、ここにいる。


「ほら、見たまえよ! そこに腕らしきものが見えるね!」


 残飯の海から、たしかに一本の腕が突き出ていた。着衣は黄ばんでぼろぼろになり、手はしわくちゃのぶよぶよになっている。


 兄だ。


 兄の死体がある。


 僕はひるまずに残飯タンクの中に手を突っ込み、突き出ている腕を引っ張った。あまりの悪臭に生理的な涙が出てくるが、構いはしない。


 ずるん、と残飯の中から出てきたのは、腐敗しきった死体だった。めったに開けない場所なのだろう、相当に腐っている。死体中に見える点は、ハエが産み付けたウジだろうか、それとも残飯の米だろうか。ともかく、これで当分は白米が食べられなくなるだろう。


 悪臭の中心にあったのは、人体が腐っていくにおいだった。酷い死臭と兄の死体の状態を見て、頭を殴られたようなショックがあった。


 吐きそうになる。けど、たしかめなければならない。


 腐敗はかなり進んでいるが、着衣や背格好から見て兄であることはほぼ確実だ。だいたい、こんなところに見知らぬ人間の死体があるはずがない。無花果さんが推理した通りなら、これは兄の死体だ。


 ウジにまみれ、ハエがたかり、ゴキブリが這いずっている。ところどころ腐敗した肉が崩れて骨が露出していた。頭の髪の毛は一本も残っていない。


「あーくっさ! 目がしぱしぱするね!」


 愕然としている僕に、無花果さんが陽気な声をかけてきた。場違いすぎる声色に、一拍遅れて振り返る。


 無花果さんは鼻をつまみながら残飯タンクの中を指し、


「ほら、ウジがわいている! かなり腐ってるね! これは持ち帰るのが大変そうだ!」


 そんなことよりも、僕は無花果さんに聞いておかなければならないことが山ほどあった。


 吐き気をこらえながら、


「……なぜここがわかったんですか?」


 そう問いかけると、無花果さんは大義そうに片方の肩をすくめて、


「灰は灰に、塵は塵に、残飯は残飯に、ってことさ!」


「……意味が、わからないんですけど」


 クリスチャンの言葉であることは知っているが、なぜここでそれが出てくるのかはわかりかねた。


 あんな茶飲み話のような質問で、どうしてここを突き止められたのか。断片的で突拍子もないな情報で、なぜここにたどり着くことができたのか。


 僕にはそれを知る権利がある。


 それを理解しなければ、こんな惨状納得できない。


 無花果さんは不満そうに頬を膨らませて、


「えー、説明すんの? めんどっちいでござる! ここはひとつ、どんしんふぃーるで片付けない?」


「僕は事の顛末を聞き届ける義務があります、権利もあります」


「見つかったんだからいいじゃん! 四の五の言わない!」


「納得できません、ちゃんと説明してください」


 僕はできる限り強い視線で無花果さんを射抜いた。


「じゃなきゃ、死体は素材として提供できません」


「おやおや、こっちには契約書があるのだよ?」


「死体をどうこうする契約書に法的拘束力があるとは思えませんが」


「おっと、痛いところを突くね! たしかにあんなものは取るに足らない紙っ切れだ! 案外かしこいね、君!」


 褒められても引くつもりはない。死体を見つけてくれた恩義はあるけど、ここでなんの説明もないのはおかしいと思う。


 無花果さんには説明責任を果たしてもらいたい。これこれこういうわけでこうでござい、と得意げにぺらぺら解説する、それが探偵というものだろう。


 無花果さんははぐらかすかもしれない。煙に巻いてごまかすかもしれない。けど、僕は兄の死の真相を知らなければならなかった。


 納得して兄の死を受け入れるために、乗り越えるために。


 じっと見つめていると、無花果さんは観念したように盛大なため息をついた。


「あーもうまったく、めんどくさい男だね、君は! よく言われない?」


「言われたことはありませんね」


「ならばこれを機に自覚するといい! めんどくさい男はモテないぞ!」


「そんなことより、ちゃんと話してください。そうすれば、この死体はあなたのものです」


 伝家の宝刀を抜くここちでそう告げると、無花果さんは大げさに口を尖らせた。


「わかったよう! 説明する! いろいろハショるけど、それでいいなら小生の推理、恋人の思考のトレースを君に伝えよう!」


 なんとか説得されてくれたようだ。


 僕はひと息ついて、無花果さんに向き合った。しばらく兄の死体からは目を離す。


「よろしくお願いします」


 軽く頭を下げて頼み込む。今日は頭を下げることが多い日だ。死体探しをお願いするのだからいたし方ないことなのだが。


 ひどい悪臭地獄の中、無花果さんはその推理、恋人の行動パターンをどうやって分析したかを解説し始めた。

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