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№6 異端者たち

 そうこうしていると、無花果さんはなにかを紙に書き出し始めた。なにを書いているのかはわからないが、おそらくは推理の結果がそこに記されているのだろう。


「うん、でーきた!」


 夏休みの工作を仕上げた小学生のように顔を輝かせた無花果さんは、その紙を持ってソファを立つ。


 そしてそのまま事務所の奥に行くと、『巣』というプレートがかかった開かずの扉をノックする。


「ことりちゃーん、いいかい?」


 そう呼びかけると、扉がわずかに開く。隙間からは、やはり軍手に包まれた小さな手が伸びていた。


 手はその紙を受け取ると、そのまま扉の奥に引っ込んでいく。あとは扉が閉じて、それっきりだ。


 無花果さんはひと仕事済ませた顔でため息をつくと、そのままソファに戻って冷めたお茶をすすり始めた。


 ……すっかりくつろぎモードだ。おいしそうにお茶を飲んでのほほんとしている。


「……さっきので、なにがわかったんですか?」


 どうしてもその思考回路がわからない僕は、そんな愚かしい質問を無花果さんに投げかけた。


 無花果さんはその愚鈍さを笑うでもなく、ゆっくりしながら答えた。


「そりゃあわかるよ、おおむねね! 今、その若干の微調整をことりちゃんに頼んだんだ! 結果が出るまでお茶でも飲みなされ!」


 ほれほれ、と湯のみを差し出す無花果さんだったが、冷めたお茶など今さら飲む気にはなれない。かといって、これ以上愚かな質問を繰り返すつもりもない。


 室内には三笠木さんがかたかたとキーボードを叩く音だけが響き、言語の類は一切存在しなかった。


 ……気まずい。


 さすがの僕も、ほぼ初対面の相手を前にして無言のまま時間を空費することには気が引けた。


 結果、ない頭を絞ってなんとか言葉を絞り出す。


「……本当に、兄の死体は見つかるんですか?」


 不安を露呈するだけの愚問だった。


 しかし無花果さんは嘲笑するでもなく自信満々に答えてくれる。


「見つかるとも! 異端は異端を理解するものだよ! 逆説的に言えば、異端者のことは異端者にしか理解できないのだよ!」


 無花果さんは同じモンスターであるからこそ、ひとの死体を捨てたモンスターの考えをトレースすることができる。そう言いたいらしい。


「聞いたところ、お兄さんも恋人も一種の精神的なモンスターだ! ああ、小生とおそろいだねえ!」


「……無花果さんは、モンスターなんですか?」


「ああ、そうだろうね! 小生はモンスターの自覚がある、だからこそ死体専門の探偵事務所の探偵などできるのだよ! まさに天職! 実際のところ、小生と恋人の違いなんて、自覚があるかないか、それだけのことだ!」


 モンスターを理解できるのは、モンスターだけか。


 ……待てよ。


 じゃあ、モンスターである兄の理解者である自分もまた、モンスターなのだろうか?


 ……いや、僕は普通だ。平々凡々が唯一の特徴だったはずじゃないか。無花果さんのような特別な才能もない、ただのユメミガチなワカモノのはずだ。


 僕は、おかしくなんていない。


 そのはずだ。


 だが、現にモンスターである兄のことを完璧に理解している。同じモンスター同士でしか理解が成り立たないというのならば、必然的に僕もまた同じモンスターであるということになる。


 僕は兄の理解者だった。


 しかし、僕はモンスターではない。


 その矛盾は葛藤となって僕の胸に去来した。


 これは死んだ兄を拒絶するのか、みずからがモンスターであることを受け入れるか、そういった問題だ。


 そんなもやもやに頭を悩ませていると、事務所の奥の扉がまた開いた。隙間から出てきた小さな手が、無花果さんの書付とは別の紙をひらひらさせている。


「おお、さすがことりちゃん! しごでき!」


 ひょこひょこと浮ついた足取りで紙を受け取り、戻ってきた無花果さんの手元には、ごく普通のGoogleマップを印刷したものがあった。


 もうなにがなんだかわからない。


 混乱する僕をよそ目に、無花果さんは地図を片手に僕の方を叩いた。


「じゃ、いこっか!」


「どこへ行くっていうんですか?」


「決まってる、死体のある場所さ!」


 きっぱり言い放つと、無花果さんは僕の腕を引いて外へ出ようとした。まるでリードを引っ張る駄犬だ。けっこうちからが強い。


「ま、待ってくださいよ! あの質問で一体なにがわかったっていうんですか!?」


 そのちからに反抗しながら、僕はまたしても意味のない質問を投げかけていた。


 無花果さんはそれを意にも介さず、ぐいぐい僕を引きずろうとしている。


「これだけ聞けばおおむねわかる! 99.999999%、十中九九九九九九九はそこで決まりだ! さあ行くぞ! やれ行くぞ!」


 もう何を言っても無駄らしかった。せめて発奮を収めようと、僕はぽんぽんと無花果さんの腕を叩きながら、


「行きます! 行きますってば!」


「良いこころがけだ! さあさあ、車を運転したまえ! 死体回収用の軽トラがある! 社用車だから多少ぶつけても平気さ! 君も運転免許証を持っていただろう!」


「ペーパーですけど……」


「それでよし! 免許があればおまわりさんにつかまっても大丈夫だ! 水戸黄門の印籠みたいなものだね! ちなみに小生は運動神経が壊滅的なので持っていないよ! 運転するのは君の役目だ!」


「軽トラくらいならたぶん大丈夫だと思いますけど……」


「ならばさあ出かけよう! いざゆかん、我らが死体の待つ場所へ!」


「わかりましたって、だからそんなに引っ張らないでください! 死体は逃げませんから!」


「ぎゃはは! 君もなかなか冗談が上手だね! たしかに死体は逃げない! 逃げようがない! だがね、小生のはやるこころは誰にも止められないバーニングハートなのさ!」


「ちょっとは落ち着いてくださいよ!」


「てやんでい、これが落ち着けるかってえの! なにせ三ヶ月も待ちわびた素材があるというんだ! 小生よろこびで小便を漏らしそうさ!」


 本当に、餌を前にヨダレを垂らしてリードを引っ張る駄犬だった。


 とうとう観念した僕は、せめて上着を着ようとしたが、それすら許されなかった。上着を引っ掴んで事務所を飛び出す羽目になる。


 軽トラか、免許がオートマ限定だから、マニュアルじゃないといいんだけど……


 勇み足の無花果さんに引きずられて後にした事務所の奥で、扉の隙間からひらひらと手が振られているのが見えた。


 三笠木さんは一瞥もくれずに機械のようにパソコンに向かい、見送りの言葉ひとつない。


 どうやら、僕はなんのこころの準備もないまま、これから兄の死体と対面しなければならないらしい。


 望んでいたことのはずなのに、いざ死体が見つかったとなると躊躇してしまう。


 死体を見つけるということは、兄の死を理解し、受け入れるということだからだ。


 ひとひとりの死を受容するには、本来なら時間が必要だった。


 が、それを許してくれる無花果さんではない。


 ……僕はこれから、兄の死に直面する。


 きっとその衝撃は予想以上のものだろう。


 しかし、受け入れなければならない。


 受け入れて、いまださまよう兄の亡霊を葬らなければならない。そうでなければ、僕は前には進めない。一歩も動けないままでいるのはイヤだった。


 それこそ、兄に顔向けができない。


 兄の死を乗り越えて、前進する。それだけが、残された生者の僕にできることだった。


 腹を決めた僕は、無花果さんに導かれるままに雑居ビルの汚い階段を下っていった。


 ぐねぐねと曲がりくねった階段は、まるで地獄への螺旋階段のようだった。


 ……いいだろう、地獄へ行こう。


 僕はシスターに導かれ、兄が待っている地獄へと突き進むのだった。

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