「それじゃあ、いろいろ聞かせてもらうね!」
無花果さんは振り切れた笑顔でそう言うと、初っ端からわけのわからない質問をしてきた。
「恋人の信仰していた宗教はなに?」
宗教? そんなこと、一体この件になんの関係があるというんだろうか?
戸惑いながらも、僕は無花果さんには必要なことなのだと自分に言い聞かせて答えた。
「……たしか、クリスチャンだったと思います」
「ほほう、小生といっしょだね! 見ての通り、小生シスターだからさ!」
この口ぶりからすると、別に趣味のコスプレというわけではないらしい。本職なのかどうかは疑問だが、無花果さんもクリスチャンなのだ。
「じゃあ次! 好きな食べ物は?」
「……和食を中心に食べていたと思います」
「いいねいいね! じゃあビーガンだとか、特定の食に関する思想はあったかい?」
「……ビーガンまでは行かないですけど、割と自然志向だったと思います」
「ていねいなくらしというやつだねえ! なにか資格を持ってた?」
「……栄養士とか自動車免許とかそういうのですね」
「なるほど、やはり食には関心があったということだ! 体力はあったかい?」
「……それなりには。女性の割に体格がよかったですから」
さっきから、一体なにを聞かれているのかわからない。とても推理に必要なことだとは思えなかった。
しかし、探偵である無花果さんの質問には真剣に答えなければならない。もしかしたら、僕なんかが知る由もない特別な推理をしているのかもしれない。
無花果さんがどういったタイプの探偵なのかはわからないが、この情報をもとに兄の死体を探してくれるというのなら、僕には答える義務がある。
なおも質問は続いた。
「今度はお兄さんについてだ! 殺し合いを提案したのは、お兄さんだね?」
「……はい」
「お兄さんは嫌いなものはあった?」
「……潔癖性でしたね。汚いのは嫌いでした」
「おほー、来た来た! じゃあごみ当番は恋人との持ち回りだった?」
「……いえ、兄はゴミに触るのも嫌がったので、恋人が」
「そんなに潔癖だと生きるのに苦労するねえ! 小生、ただの躁うつ病でよかった! プロポーズなんかはしてたのかな?」
「……いえ、それはまだ」
「じゃあ、付き合ってくれと言ったのは言ったのだね?」
「……はい、兄から言ったそうです。恋人ができたとうれしそうに話してきましたから」
「それはこの近所で言ったのかい?」
「……いえ、旅行先の伊豆で」
「おお、ロマンティックだねえ! じゃあ次! お兄さんは普通体型だった?」
「……鶏ガラみたいに痩せてました」
「潔癖症の上に鶏ガラとは! まるで明治の文豪の亡霊だね! 肉付きはよくなかった、と! 煮込めばさぞかし良い出汁が取れそうだ!」
亡霊だとか出汁だとか、散々な言われようだ。推定死人に対して思いやりの気持ちはないらしい。
質問はこれで終わりだろうか?
ひと息つこうとしていた僕に対して、無花果さんはふいに真剣な顔をして問いかけた。
「最後に!……ふたりは、本当に好きあっていたのかい?」
それもまた、戯言じみた質問ではあった。
が、僕は考え込む。
兄のことは、おそらく僕にしか理解できないだろう。殺し合いの件だって、僕以外の誰かが知っていたら必死になって止めていたはずだ。
それに応じた恋人も、一見すると兄のことを理解していたように思える。
しかし、根底の部分で兄の意図を理解できたのは僕だけだと断言できる。確たる証拠はなにもないが、そうであると僕は確信していた。
ならば、理解できないモンスターを真の意味で愛せるか?
……答えは、否だ。
恋人にも、兄を理解しようとする姿勢はあったと思われる。かなり近いところまで肉薄していたことも想像できる。興味を持ち、寄り添おうとしていたことは確実だ。
だがそれは、珍獣相手の好奇心でしかなかった。自分の理解の範疇外にある存在を観察し、その思考を読み解こうとしていた。恋人にはそういった研究者じみた傾向があったように思える。
それが恋だというのならば、そうなのだろう。興味を持ち、理解しようとする。なにも間違ってはいない。兄が言うように、恋人同士だったのだ。
しかし、僕は無花果さんに向かって告げた。
「……いえ、愛し合ってはいなかったと思います。むしろ忌まわしいと思っていたはずです」
そう、『忌まわしい』。恋人のこころが離れたのも、兄に対する忌避感が生じたからだ。その忌避感を肌で感じ取って、兄のこころも離れていった。そうして、お互いに遠ざけ合った結果がこれだ。
決して触れてはならないモンスターの核心に近づきすぎて、『忌まわしい』と思ったはずだ。ひとは、理解できないものを排除しようとする。異物として処理しようとする。いつだって異端者は苛烈に迫害されるものだ。
僕という理解者はいたが、兄はとうとう恋人に理解されることはなかった。そして、殺されてしまったのだ。
「ぎゃはは! そんな人間と恋人でいたのかい! 傑作だ!」
無花果さんは僕の回答に手を叩いて大笑いした。
それはそうだろう。無花果さんに兄のことは理解できないし、僕には理解できる。たったそれだけの違いは、些細だが決定的だ。
その決定的な違いは、兄と恋人の間にもあった。それだけの話だ。
ひとしきり笑ったあと、指先で目尻の涙を拭いながら、無花果さんは、ふう、とため息をついた。
「ああ、笑った笑った!……ともあれだいたいの事情はわかったよ! おおむね理解!」
今までの質問で、なにかがわかったという。僕には及びつかない思考の果てに、無花果さんはなにかにたどりついたようだ。
「……こんな質疑応答で、なにがわかるんですか?」
矢継ぎ早に質問されたが、そのどれもが死体のありかとは直接関係なさそうなものばかりだった。宗教? 食への関心? そんなものがこの件にどう関わってくるのだろうか?
いぶかしげな僕の視線に、無花果さんは満面の笑みを浮かべて、
「おおむね、さ! 君から引き出せた情報で、恋人の思考はおおむねトレースできた!」
「……思考を、トレース……?」
意味の取れない言葉にさらにいぶかしげな顔をすると、無花果さんは愉快そうにくすくす笑った。
「そうさ! 小生はね、他人の思考をトレースすることに特化してるのさ! そのひとがなにを考え、どういう結論に至ったのか! それをそっくりそのまま、この紫の脳細胞に書き写すってわけさ!」
つまりは、死体を捨てた人間の考えたことをたどったということか。思考のトレースとはそういうことだろう。
しかし、相手は死体を遺棄するようなひとでなしだ。人間の倫理観から外れた人物の思考といえば、もうモンスターのそれと言って差し支えない。
そんな異常者の考えることが、わかったというのだ。
理解したと、そういうのだ。
その行動パターンをなぞることができる無花果さんもまた、同じようなモンスターなのだろう。
常人にはわからない化け物の考え方は、同じ化け物にしかわからない。
そう考えると、無花果さんもまた、決して他人には理解されない人種だ。ただの躁うつ病患者の思考ならばまだわかる。僕にも理解できる。
が、無花果さんは死体を素材にした現代アートを創造する『死体装飾家』なのだ。その感性は到底常人の理解が及ぶものではなく、だからこそ世界中のひとが惹かれる。
いつの世も、天才とは孤独なものだ。突出したものがあるがゆえに、他人とは分かり合えない。無花果さんは、そんな孤独を抱えて創作活動に挑んでいるのだ。
それはかなしいながらも、実に美しい姿だった。
芸術家として、そこまで突き抜けてしまえばそれはもはや才能だ。凡人が至ることのできない境地だ。
『死体装飾家』は、そんな孤独と共にある天才だ。