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№3 安土探偵事務所

「……日下部まひろくん、か」


 僕の免許証と僕の顔を見比べながら所長がつぶやいた。なんだか値踏みされているようで尻の据わりが悪い。


 ついそわそわしてしまう僕の顔をじいっと見つめてから、なにかしらに納得したらしい所長は免許証へと視線を戻した。


「19歳……未成年のお客さんは初めてだねー」


「ねえねえ、チェリー? チェリーボーイ?」


「いちじくちゃんはちょっと黙ってようねー……ええと、学生さん?」


「いえ、今のところはただのフリーターでして……」


「『今のところは』、ってことは、なにか就職のアテでもあるの?」


 答えに窮して息を飲んでいると、所長はとりなすように付け加えた。


「ああ、さっき言った通り、ウチはお金発生しないから、そんなにかしこまらなくても大丈夫だよー。君がいかに赤貧でも、依頼は依頼だ」


 そういうことじゃないんだけどな……と黙りこくっていると、今度は所長の視線が僕の胸元に向けられた。


「それ、一眼レフ?」


「……はい」


「もしかして、フォトグラファー志望?」


「……はい、一応目指しては、います」


 あまり夢を語るタイプではないので気恥ずかしかったが、僕はそう答えた。


 所長はにっこり笑って手を打ち、


「夢を追うワカモノってわけだ。いやあ、まぶしいねー」


「そんな大それたものじゃないですよ」


「いやいや、胸を張りなよ。いちじくちゃんと同じアーティストだ」


「そんな、世界的に評価されてるひとと比較するのもおこがましいです……」


 そう、僕は身の程を知っている。大言壮語を吐くだけの度胸がないとも言える。


 好きなカメラで細々と食べていけたらいいな、とか、その程度だ。世界的に認められたいだとか、あの賞を取りたいだとか、そういった野心はまったくなかった。


 足るを知る。きれいにまとめてしまえばそんな風に言える。


 とても無花果さんのような世界的なアーティストになろうとは思わない。


 ……しかし、死体を素材にした現代アート、か。


 そんなものは見たことも聞いたこともない。


 それもそうか、死体なんてそうそう簡単に手に入るはずがない。ここはあくまで法治国家日本だ、その辺に死体が転がっていたら現代アートどころではない、警察がすぐにやってくる。


 ……そう考えると、やっぱりこの依頼、ヤバいのかもしれない。ヘタをすると犯罪の片棒を担ぐことになるのだ。


「あ、考えたねー?」


 僕の内心を見透かして、所長がくすくすしながらうなずきかけてくる。


「そう、倫理的にも法的にもヤバい。一歩間違えると前科者になっちゃう、ぎりぎりのタイトロープだ。けど、だからこそのこの事務所があるんだよ」


 意味がわからなかった。探偵事務所のなにが関係あるのだろうか?


 無言で答えをうながすと、所長は出来の悪い生徒を見る先生のような困った笑顔で追加した。


「つまり、いちじくちゃんのために素材を用意する。そのためだけにこの事務所は存在してるんだよー。死体なんてそうそう簡単に手に入らないからね、死体専門の探偵事務所って看板を掲げてれば向こうから死体がやってくる。死体が歩くなんてゾンビみたいだよねー、笑っちゃう」


 なるほど、そういうことか。察しの悪い僕にも理解できた。


 探偵事務所とはあくまで体裁でしかなく、実際のところ、できるだけ合法的に死体を集めるための場所。それがこの安土探偵事務所だ。


 アーティストである無花果さんのためだけに存在し、その素材を集めることを第一目標とする。だから料金は発生しない。なにせ、死体そのものが対価なのだから。


 死体の第一発見者となれば、通報しない限りはすべてを隠蔽できる。素材として使ったあとは、ただの事故死や病死として依頼人の手元に骨だけが返ってくる。よくできたシステムだ。


 所長は理解が及んだ僕に向かって、軽く笑って見せた。


「そうそう。だからお金いらないの。僕は配信のスパチャで稼いでるからお金は腐るほどあるし、いちじくちゃんのアートなんて億単位の評価がされてるし。三笠木くんやことりちゃんにはお給料払ってるけど、それも各種手続きの手間賃で充分まかなえるし。だから、お金はいらないの」


 このひとたち、一体どれだけ稼いでいるのだろうか……? 具体的な額を聞いてしまったら人間の業の深さに触れてしまう気がして、それ以上は聞けなかった。


 けど、おかげで仕組みが理解できた。


 死体専門の探偵事務所、とぶち上げておけば、その案件が向こうからやってくる。言い方は悪いが、カモがネギを背負ってやってくるようなものだ。


 そして見事第一発見者として死体を見つけたら、あとは無花果さんがその死体を素材にしたアートを創造する。ぎりぎり法には触れない。倫理的には完全にアウトだが。


「ともかく、そのための探偵事務所だよー。君がそれを理解するなら、この依頼は成立する。どう? 契約書にサインしてないから、まだ引き返せるよー?」


 試すように、あるいは挑発するように所長が尋ねてきた。


 たしかに、倫理的にも法的にもぎりぎりだ。ぎりぎりアウトだ。少しでもひとのこころを持っているなら、こんなイカれた連中に関わるべきではない。堅実を旨としている僕にしてみれば、ここは鬼門でしかなかった。


 ……しかし、しかしだ。


 僕はどうしようもなく気になってしまう。


 無花果さんがどんな『作品』を作るのか。


 死体を使ったアートとはどういうものか。


 世界に評価されている芸術がいかばかりのものなのか。


 同じアーティストの端くれとして、興味はあった。いや、興味なんてものじゃない、これは知的好奇心だ。僕だって将来は写真家になりたい。そのために努力している。


 だったら、こんなにすごいアーティストの作品を間近で見る機会、逃す手はないんじゃないか?


 自分の表現方法を見直すいい機会なんじゃないか?


 言ってしまえば、『勉強になる』んじゃないか?


 ……そう考えてしまう辺り、僕もたいがいひとでなしなのかもしれない。


 いいさ、人間性くらい軽々しく捨ててやる。


 とにかく、僕は無花果さんの『作品』がどんなものなのか見たくて仕方なかった。


「……もう腹は決まってます。今さら引き返すつもりもありません。改めて、よろしくお願いします」


 そう答えると、僕は再び深々と頭を下げた。


「うん、いいお返事。じゃあ、この契約書を読んでサインしてねー」


 差し出された契約書は、スマホショップ並に細かい字で小難しいことが羅列されていた。これは契約者に読ませる気のない契約書だ。


 僕はさっさと解読をあきらめて、添えられたボールペンで住所と氏名を記入した。


 その契約書を受け取った所長はしげしげと僕の字を眺め、


「よし、これで晴れて正式契約! 君が探してる死体は必ず僕らが見つけるよー。その代わり、死体は装飾させてねー」


 ……なんだか、ものすごくいけない契約を交わしてしまったような気がする。悪魔との契約はたぶんこんな感じだ。


 もう引き返せない。だったら、覚悟を決めるしかない。


 人非人と笑わば笑え。


 それでも僕は、『死体装飾家』・無花果さんの仕事を見てみたくなったのだ。


 骨さえあれば葬式は出せるだろう。周りも納得する。


 たとえどんな装飾をされたとしても、見るのは僕だけだ。


「ヤッタネいちじくちゃん! 三ヶ月ぶりに死体が手に入るよ!」


「ワーイ! 小生、歓喜のあまり嬉ションしそうでござる!」


「その前に、あなたは仕事をするべきです穀潰し」


「どこまでも癇に障るヤローだぜ! 小生は仕事終わったら絶対にこいつ殴るぜ!」


「はいはい、全部済んでから考えようねー」


 ……本当にこれでよかったのか?


 またも胸をよぎる不安に折れそうになるけど、ここまできたら肝を据えなければならない。


 信じろ、まひろ。


 おのれをそう叱咤激励して、僕は改めて話をするべく事務所の面々に向き直るのだった。

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