食事が終わって、僕は早速暗室を借りて写真を現像した。個人的な感想だけど、やっぱり暗室の赤い光と薬剤のにおいは落ち着く。ここは死に満ちあふれた事務所からは隔絶された部屋だからだろうか。
出来た写真を抱えて出てくると、早速無花果さんが駆け寄ってきた。
「おつかれーい! さて、見せてもらおうか!」
「……どうぞ」
世界的な芸術家がどんな評価を下すのか、内心どきどきしながら一番上にあった一葉を手渡す。前回は合格点をもらえたけど、今回はどうだろうか?
無花果さんは『作品』の写真をしげしげと眺め、そしてぱっと顔を明るくした。
「うむ! やっぱり君は小生の意図を理解してるねえ! ほぼ完璧に汲み取っている! 技術的にはまだまだ未熟だけど、その洞察力と感受性には素直に感服するよ!」
これ以上ない褒め言葉だけど、あんな『作品』を前にしてこころを動かさないものなどいない。僕の反応は、ある意味『当たり前』の反応なのだ。
しかし無花果さんはそれ以上写真を見ることはなく、黙って手にした一葉を山の上に置いた。
そして困ったように苦笑いすると、
「もっと見たいのは山々なのだがね、小生そろそろおうちに帰らねばならないのだよ」
「なにか予定でもあるんですか?」
「そういうわけではないのだがね……少々、疲れた。腹も膨れたし、適当に男を咥えこんでから爆睡するよ」
考えてみれば当然だった。無花果さんは自殺者の思考をトレースしたのだ。死のぎりぎり間近まで接近して、引き返してきた。疲れるのもうなずける。
「……性病には気をつけてくださいね」
「セーフセックスはこころがけるよ」
そう言うと、無花果さんはそうそうに帰り支度をして事務所から出ていった。無花果さんのプライベートなどは知る由もないけど、無事に帰れるのだろうか。
「あー、これはまた長いお休みになるだろうねー」
電子タバコを吸っていた所長がそんなことを口にする。
「また、ってことは、これまでもこんなことが?」
「うん。聞いてると思うだろうけど、ウチ、ほとんどが自殺者の関係者からの依頼で動いてるから。こういうことは割とよくあることだよー」
「……無花果さんは、休んだらまた出てくるんですよね……?」
「いつもは、ねー。今回はどうなるかはわからないよー。まあ、毎回わかんないんだけどねー」
自撮り棒を掲げながらうそぶく所長。そういえば、無花果さんの後見人だとか言ってたけど、一体どういう関係なのだろうか。血縁者には見えないし、ただの雇い雇われというわけでもなさそうだ。
……その辺りは、おいおい本人たちの口から聞くことにしよう。無理に聞き出すようなことではない。
それにしても、無花果さんはやっぱり全然大丈夫じゃなかった。
死を想うということは、死を疑似体験するようなものだ。深淵を覗くものは、深淵からも覗かれている。
死はいつも、薄皮一枚隔てて無花果さんのとなりに居座っているのだ。
いつ死に魅入られてしまってもおかしくはない。僕には、そうならないことを願うことしかできない。
……たとえ、もう手遅れだったとしても。
それでも、無花果さんはまた『創作活動』をするだろう。『作品』を生み出すことをやめないはずだ。
そうすることでしかたましいを昇華できない、ひどくかわいそうなひとなのだから。
生きていく以上、決してそれからは逃れられない。
……それに、なんたって僕たちはモンスターだ。
深淵に覗き込まれた程度のことでどうにかなるような存在ではない。ハナっからぶっ壊れているのだ。みずから死に近づくようなクレイジーなマネ、狂っていなければできやしない。
無花果さんは、必ずまた死をモチーフに自己を表現するだろう。同じモンスターである僕には理解できる。絶対にやめられはしない。薬物中毒者が再び薬物に手を出すように、『創作活動』は無花果さんにとっての麻薬だ。
ぎりぎりのところで狂いきらずに生きていくためには、そうするより他ない。せいぜいおどりくるうことしかできないのだ。
つくづく因果な生き方をしている。一体どんな風に生きてきたら、あんな人間が出来上がるのだろうか。
他人の死を食らって生きていく、モンスター。
その姿は、ひたすらかわいそうで、そして美しい。
あがいてもがいて、水面からやっと顔を出して息をするような生き様は、ひとによっては無様に映るだろう。
しかし、僕は美しいと思ってしまうのだ。
そして、その美しい生き様をとなりで見ていたいとも。
僕は自分が撮影した写真を見下ろして、物思いにふけった。
あとどれだけ長い間、無花果さんのとなりでその『作品』を撮ることができるだろう。
何が起こるかわからないのが人生だ、死は僕のとなりにだって存在している。明日死ぬかもしれないし、なんなら今日家に帰るまでの間に死ぬかもしれない。
……生きたい。
生きて、あの『作品』をカメラに収め続けたい。
無花果さんのたましいの慟哭は、いつしかそんな形で僕の生きる糧にもなっていた。
生者への叫びは、たしかに僕の元にも届いていた。
「……DS、買っとこ」
自然とそんなつぶやきがくちびるからこぼれ、苦笑いを浮かべていた。
そうだ、生きることをやめない。
無花果さんは必ず帰ってくる。そしてまた、『作品』を生み出すのだ。
そんな日々を守るためなら、なんだってしよう。
無花果さんの『作品』にたましいをやられてしまったひとりとして。
……それにしても、今どきDSなんてどこに売ってるんだろう。それこそ、ハードオフくらいしか思いつかない。
でもまあ、無花果さんがよろこんでくれるなら探すのもいいか。今度はジャンク品ではない新品を買ってこよう。
くだらない日常がなぐさめになるなら、無花果さんを死の誘惑から引き戻してくれるなら、それでいい。
とりあえずは、この写真の山をなんとかしよう。
僕は写真を抱えて暗室へ戻ると、経費で購入してもらったキャビネットに一葉一葉整理して収めていった。自分の写真を目にする機会なんてこんなときしかないけど、我ながら生々しい写真を撮ってるなと思う。
それは決して僕の腕がいいからではなく、カメラ越しにでも伝わってくる『作品』の芸術的暴力のおかげだった。おそらくはまるっきりの素人がスマホで撮影したとしても、そのリアルは多少なりとも伝わるだろう。
それでも、無花果さんは僕の写真を褒めて、認めてくれた。だとしたら、無花果さんの『作品』を撮影するのは、もはや僕の使命と言っても差し支えないだろう。
元来『足るを知る』という性格だったはずなのに、とんだ強欲になってしまったものだ。
無花果さんには責任を取って、もっともっと『作品』を生み出してもらわなければならない。
それはきっと、僕を含め遺された生者たちの生き続ける糧になるだろうから。
もっともっと、生きていると泣き叫べ。
自分の中に浮き上がるほの暗い欲望にふたをするように、僕は写真をしまったキャビネットの引き出しを閉じた。
……さて、次の依頼は何ヶ月後になるのやら。
あんまり忙しくなるのも困りものだけど、新しい死体が現れるまでまた奴隷労働、もといお使いと掃除か。
それもいいだろう。それまで僕はただのお世話係の雑用で、無花果さんはニートの躁鬱病患者だ。それこそモンハンでもやってだらだらと過ごすのもやぶさかではない。
……正直、ああいう騒がしい日常も嫌いではないし。
「……無花果さん、いつ帰ってくるのかな……?」
ひとりつぶやきながら、僕は暗室を出て所長にあいさつをして、帰り支度をするのだった。