結局、所長になだめられて落ち着いたマダムは、三笠木さんに死後の手続き等を依頼して帰っていった。
帰り際、マダムは泣き腫らした目で、葬式は自分一人で上げるので写真を送ってくれ、とだけ言い残して去っていった。あの威勢はどこへやら、すっかり憔悴した様子だった。
……やりきれない。
死は平等だけど、それと同じくらい遺されたものたちのかなしみも平等だ。残酷なくらいに。
僕が依頼をしたときだってそうだった。あの虚無感は今でも胸の奥底に居座っている。きっと一生、こころの内側に巣食い続けるのだろう。
遺されたものたちはそうやって生き続けることしか出来ないのだ。死んだものの分も、なんておこがましいことは考えていない。ただ、あのひとたちは死んで、僕たちは生きている。その決定的な違いには意味があるのだと信じたかった。
……すべてが終わったあと、例によって三笠木さんに『くさいです』と言われた僕たちはシャワーを浴びることにした。今回はふたりまとめて押し込められるようなことはなかったので、僕ひとりで頭のてっぺんからつま先までを洗い流す。
シャンプーの泡といっしょに、まとわりついた死臭が排水溝に渦を巻いて吸い込まれていった。
この事務所に来てからというもの、すっかりこのにおいにも慣れてしまった。常にとなりにあるにおいだ。ひとが死んでいくにおい。
いやが応にも『死を想って』しまう。
シャワーを浴びてからだを拭いて、前もって常備しておいた服に着替える。それでも死臭が消えてくれないように感じるのは気のせいだろうか。
「まーひろくん!」
事務所に戻ってくると、先にシャワーを浴びていた無花果さんが飛びついてきた。おっぱいを押し付けてくる無花果さんは、スイッチが切り替わったようにいつも通りの様子で笑い、
「セックスをしよう!」
「……またですか」
「当の然! 『創作活動』のあとは、やっぱりセックスと……」
「とんこつラーメンなら、小鳥さんがもうUberで注文してくれてますよ」
「ヤッタネ! まだ到着しないなら、食べる前にセックスをしようじゃないか!」
「しませんからね?」
「ちぇー。やっぱつまんない男だね君は! ファッキンバーカ!!」
くちびるを尖らせて罵声を吐くと、無花果さんはソファにどっかりと腰を下ろしてしまった。おそらくは、また棒はよそでつかまえてくるとか言い出すのだろう。
……無花果さんは美人だ。スタイルもいいし、ワンナイトを楽しみたい男は山ほどいるだろう。
しかし、僕は絶対にいやだった。
たしかに、僕は人間としての無花果さんに惹かれている。それは認めよう。同じモンスターとして共鳴して、理解して、その内側に興味を抱いている。
アーティストとしても尊敬している。あんな『作品』を作れるのは、人類史上後にも先にも無花果さんくらいのものだろう。それだけの偉業を成し遂げた芸術家なのだ、同じアーティストの端くれとして、本気でリスペクトしている。
……けど、ひとりの異性として見るならば、話は別だ。
ぜっっっっっっっったいに、女としては見られない。
恋愛関係や肉体関係になったとしたら、破滅するのが目に見えている。ここまでよく見える地雷も珍しいものだ。踏んだが最後、あとはサヨウナラ。
もしも僕が無花果さんをひとりの女性として見たときは、だれか僕の頭をスレッジハンマーで殴りつけてほしい。脳漿を撒き散らす羽目になってもいいから、ぜひとも。
まだ見ぬ地獄に戦々恐々としていると、とんこつラーメンが届いた。人数分の湯気を立てる濃厚なスープには、いつも通り極厚のチャーシューと山ほどの野菜が乗っている。
「おおー、これこれ!」
「ほら、いちじくちゃん、やけどするよー。それじゃあ、みなさん声をそろえてー」
『いただきます』
事務所の奥の『巣』にこもった小鳥さんも、パソコン作業を中断した三笠木さんも、相変わらず自撮り棒を携えている所長も、みんなそろって一斉に割り箸を割る。
僕もまた、ふうふうと熱いとんこつラーメンに息をふきかけながら麺をすすった。事務所お墨付きの店だけあって、やっぱりおいしい。
「いやあ、今回もなんとかなったねえ! 小生に任せておけば豪華客船に乗ったようなもんよ!」
「いつものあなたと比較して、今日は仕事をしたと私は思います」
「なんだよそれ!? まるで小生が普段ニートしてるみたいじゃないか!」
「私はこの状態を呼ぶにあたってニートという言葉以外を知りません」
「ニートって言ったな!? 今ニートって言った! ねえ所長聞いた!? このクソAI、小生のことニートだって!!」
「そうだねー、比較的ニートだねー」
「むしろ自覚なかったんですか?」
「言い方の問題だよ! もっとこう、高等遊民とかさ! プロレタリアートとかさ! 無産主義者とかさ!」
「ああ、私はひとつだけ知っています」
「言うてみ!」
「それは『穀潰し』です」
「うっは、なんら変わってなァい!! やっぱり殴っていいかな!? 積年の恨みアンパンチしていいかな!?!?」
「アンパンマンはそんな邪悪な攻撃しませんよ」
「やだァァァァァ! 小生お気持ち表明肉体言語を叩き込みたいの!」
「あなたの悪い癖は言論による歩み寄りではなく暴力による征服を望むところです」
「知ったようなクチききやがって! お前に小生の何がわかるってんだ!?」
「あははー、そういうのは中学生までにしておきなねー」
「小生小卒だから! やって来なかった青春くらい取り戻させて!」
「私は幼卒だと思っていました」
「僕もです」
「まひろくん!? なんかこの人工無能に毒されてない!? ねえねえ、まひろくんは小生の味方だよねえ!?」
「なんで味方だと思えるのか不思議でしょうがないです」
「うっわ、辛辣ゥ! 小生まひろくんにはやさしぃくしてるよね!?」
「奴隷として、ですか?」
「ぎゃはは! めちゃくちゃ根に持ってる!」
「幼卒と奴隷、いいコンビじゃないー」
「……所長も今、奴隷って言いましたね?」
「おっと、こころにもない言葉が勝手に口から出てきたー」
「ヤバいよ所長! だれかに乗っ取られてるでござる! 今すぐ頭にアルミホイルを巻きたまえ!」
「私はその措置が必要なのはあなただと思っています」
「小生躁鬱なだけで電波じゃないもーん! やーいクソバカー!」
「あなたの罵倒から察するにあなたの語彙力は欠如しています」
「Google翻訳野郎に言われたかねえな!」
やいのやいのといつもの口喧嘩を繰り広げながら、とんこつラーメンが消費されていく。僕もそろそろ具も麺も平らげて、あとはスープを飲み干すだけになった。
ぬるくなったスープを見下ろしながら思う。
こうやってみんなと他愛のない話をすることは、無花果さんが『彼岸』から『此岸』に帰ってくるためには必要なことなんだ。
あっちにいったままでは、無花果さんはいつか死んでしまう。こうして、だれかが引き止めておかなければならないのだ。
それは所長であり、三笠木さんであり、小鳥さんであり、そしてこの僕だ。
モンスター同士の傷の舐め合いだと笑わば笑え。
こうして互助関係を築いておかなければ、僕たちは生きていけない。
それがモンスターとしてのさだめだ。
みんながとんこつラーメンを食べ終わると、小鳥さんがお茶を出してくれた。さっきまでの『創作活動』のプレッシャーがウソのように、かろやかになごやかに、時は過ぎていく。
こうやって、僕たちはなんとか生きている。
他人の死で利益を得る『Grave Dancers』として、今日も踊るだけ踊り明かすのだった。