「……どうして、ここがわかったんですか?」
ようやく我に返って問いかけると、無花果さんは犬の糞を踏んだような顔をして声を上げた。
「まぁた種明かしかい!? めんどっち!」
「無花果さんひとりが納得したって仕方ないでしょう。僕にも教えてください、無花果さんの思考の道筋を」
真剣に頼み込むと、さしもの無花果さんも断りきれない。がしがしと頭を掻きながら、
「ああもう! つくづくめんどくさい男だね君は! 仕方がない、説明しよう!」
降参、とばかりに両手を上げて、無花果さんは渋々と語り始めた。
「まずはネクタイの件だ。潜在意識的に、首を締め付けることに抵抗感がない。加えて、飲酒をしていたということは、精神科等の薬を服薬していた可能性は低い。よって、大量服薬のセンは捨てる。となると、思い当たるのは首吊りだ」
「飛び降りや飛び込みなんかの可能性はなかったんですか?」
「そうなったら真っ先に死体は見つかるだろう、君も物分りの悪い男だな! できるだけ苦痛を感じることなく死に至るための方法、それは首吊りだ。特に、頚椎を骨折するほどの勢いで吊れば一瞬で意識はなくなる。高所から飛び降りて吊るのが楽だという結論に至るのは当然のことだ」
たしかに、自殺というと真っ先に思いつくのは首吊りか大量服薬だ。そういうイメージが自殺者の中にあってもおかしくはない。
酒は強かったのか、という質問には、大量服薬のセンを消す意図があったのだ。
「だったら、どこで首を吊るかという話になる。質問を通して自殺者の思考をトレースした結果が、ここだ」
そう言って、無花果さんはまっすぐに天に向かって人差し指を掲げた。周りに高い建物はなく、その指先には月だけが輝いている。
「てっぺんだ。ホストでてっぺんを取れなかったから、最後くらいは物理的にてっぺんを取ろうとしたのだろうね。この大好きな街が一望できる特等席さ。子供のころに憧れていた重機もあるしね。身長が低いことをコンプレックスに思っていたのなら、最後くらいはみんなを見下ろして死にたかった、そういうことさ」
点と点が次々繋がっていく。一見するとまったく関係のないように思えた質問は、すべてここへたどり着くために必要なものだったのだ。
自殺者の思考のトレース……死者が一体なにを考えていたのか。
それを辿った無花果さんには、ここに死体があることは自明の理だった。
「じゃあ、この街のてっぺんはどこかという話になるのだけれども、ただ単に高い建物を調べるだけではまだまだ足りない。建設中のビルも含めなければね。更には、クレーン車の高さも加味しなければならない。建設中の高層ビルで、クレーン車も含めてこの街でもっとも高い場所。それがここさ。小鳥ちゃんに調べてもらったんだ、まず間違いはない」
なるほど、小鳥さんに渡した書きつけにはそんなことが書かれていたのか。クレーン車の高さまで含めて、となるとかなり詳しい情報が必要だっただろう。そこまで深く調べられる小鳥さんも、只者ではない。
口上を終えた無花果さんは、ぱん!と両手を叩き、
「と・いうことで! この場所に死体がある可能性が極めて高いと踏んだわけさ! いやあ、日曜の夜でよかったよかった! 明日になって見つかってしまえば大騒ぎだっただろうね! とてもじゃないけど、『素材』として迎えることは叶わなかっただろう!」
「……それも、自殺者の思考をトレースしてたどり着いた結論……ですか?」
「あたぼうよ!」
「……大丈夫ですか、無花果さん?」
心配になって声をかけると、無花果さんはぎゃはぎゃは笑いながら、
「全然大丈夫じゃないね! 今すぐにでも『作品』にぶつけないと、釣られて首を吊りそうさ!」
そんな心境なのに、なんで笑ってるんだこのひとは……呆れ混じり、感嘆混じりのため息をつくと、僕は改めて死体を見上げた。
これから、この死体が現代アートの『素材』になるのだ。『自殺』という現実を、無花果さんはどうやって表現するのだろうか。このろくろ首みたいな死体を『素材』として、どんな風に自殺者の『死を想う』のだろうか。
「……じゃあ、早く死体を持ち帰らないと……」
「ほいきた! 小生、クレーン車のアームを下ろすよ! 重機の操作だいしゅき! ぶいんぶいーん!」
のりものだいすき男子みたいなことを言い出して、無花果さんは早々とクレーン車を操作し始めた。当然ながら免許は持っていない。だが、どこで操作法を覚えたのか、クレーン車のアームは意外と静かに降りてきた。
どさ、とぶら下がっていた死体がようやく着地する。長すぎる首をのた打たせ、もう動かない死体が僕の目の前にやってきた。
……兄のときほどではないけど、死臭というか、腐敗臭がひどい。死ぬということは、腐っていくということだ。動くことをやめた人体は、自然に抗うことなく風化していく。
クレーン車から降りてきた無花果さんは、ぽん、と僕の肩を叩くと満面の笑みを浮かべた。
「例によって、事件にはしたくないのでね! 頼んだよ!」
「……まさか、あのこころもとない鉄骨の足場を、この死体を背負って降りろと……?」
真っ青になってせめてもの質問をしたけど、返ってきた答えは予想通りのものだった。
「ご存知の通り、小生か弱いからね! なあに、のぼるよりは楽ちんさ!」
「他人事だと思って……!」
「ふふふ、なにせ君はうちで雇っている奴隷なのだからね! 奴隷は奴隷らしく奴隷労働をしたまえ!」
「奴隷扱いはやめてくれませんか?」
「ともかく、観念してとっとと動くといい! ハリアップ、ハリアップ!」
鬼軍曹の勢いで、無花果さんは僕を死体にけしかけた。長く深いため息をついてから、僕は粛々と死体を担ぐことになった。
長く伸びた首の頭の部分は、後ろをゆく無花果さんが抱えている。そうでもしないと『素材』が損傷しそうだった。
……たしかに、体力的にはのぼるよりは楽だった。けど、下りるという行為は恐怖をより助長させた。足を踏み外してしまうのではないか。そんな不安が胸に張り付いたように離れない。
しかも、ひとひとりの死体を背負いながら、だ。いつバランスを崩してしまうかひやひやした。
何度も恐怖で失神しそうになりながらも、僕たちはようやく再び地面に両足をつけることができた。安堵でその場にへたりこみそうになるけど、今度はこの死体を軽トラに載せて運ばなければならない。
長い首を苦労して折りたたんで軽トラの荷台に載せると、ブルーシートを掛けてゴムバンドで固定する。
兄のときは特殊な条件が重なってかなり腐敗が進んでいたけど、今回はさほどひどい腐り方はしていない。腐汁も垂れていないし、肉が崩壊する様子もない。
しかし、死体は死体だ。どうしても死にまつわるにおいは厳然としてある。
人体が朽ちていくときのにおいだ。
そんな死臭を吸い込まないように、できるだけ口呼吸をしていた。恐怖と疲れもあいまって、もう口の中はからからだった。
疲労困憊で運転席に座ると、助手席の無花果さんは目をぎらつかせながら景気づけにとグローブボックスをまた蹴りつけた。
「さあ、帰ろう! 『素材』は手に入った! あとは『創作活動』に徹するばかりだぞ! さあさあ、飛ばせ、奴隷!」
「……だから、奴隷扱いはしないでください……ここは基本的人権が認められた法治国家なんですから……」
「小生、しょんにゃにょしらにゃあい!」
「かわいこぶってもダメですからね」
「ちぇー、君はめんどくさい上につまんない男だね!」
「ともかく、出しますよ」
アクセルを踏み込んで、ハンドルを操作すると、死体を載せた軽トラが発進する。
死体は無事に見つかった。
あとは、この『素材』で無花果さんがどんな『作品』を作り上げるか、だ。
密かに期待しながら、僕は深夜の街に軽トラを走らせるのだった。