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№6 自殺者の思考

 前と同じように何かを書き付けた髪を、無花果さんは事務所の奥へと持っていった。『巣』というプレートの下がった部屋のドアの隙間から手だけが伸びてきて、その紙を受け取るとまた引っ込んでしまう。


 無花果さんはもうひと仕事終えたとばかりにソファに分ぞりかえり、のんびりとお茶を飲み始めた。


 しかし、僕には一抹の不安がある。


 無花果さんは、推理らしい推理をしない。


 ただ、死体を捨てた人物の思考をトレースすることで、死体の元までたどりつくのだ。


 僕のときは、兄を殺した恋人の思考をトレースし、見事に兄の死体を発見した。


 だが、今回は死者と投棄者は同一人物だ。


 つまり、無花果さんは自殺者の思考をトレースしている。


 ごく普通の僕にだって、自殺者の思考なんてとてもじゃないがたどれない。いわば、自殺者の気持ちになり切って考えるのだ。死に向かう人間のこころなんて覗くだけでも気が滅入るのに、それになりきるとなると……


 無花果さんは精神的なやまいを抱えている。


 その上で、自殺者の思考を追っているのだ。


 希死念慮のかたまりに触れて、無花果さんの精神状態が悪化しないか、それだけが心配だった。


「……大丈夫ですか?」


 ふんふんと鼻唄を歌っている様子はいつも通りのハイテンションだが、その内心はうかがえない。


 無花果さんはそのひと言で意図を察したらしく、大袈裟に肩を竦めて返答した。


「いーや! 大丈夫からは程遠い状態だね!」


 やっぱり……この死体探しはかなり無花果さんの精神的な負担になっている。ともすれば、このまま無花果さんも飲み込まれて……


「だからこその『創作活動』なのだよ! 『作品』にすべてをぶつけて昇華することによって、小生のこころの平穏は保たれるのだよ!」


 ああ、そうか。『創作活動』は無花果さんのやまいの治療の一環でもあるのだ。不安定なこころの内側をアウトプットすることによって、ようやくやまいは無花果さんから離れてくれる。


 異端のやまいを治すには、正攻法ではなんともならない。百万ボルトの電気治療よりもぶっ飛んだ治療法が必要なのだ。


 そうすることによって、無花果さんのこころが平静を保てるならそれでいい。


 しかし、深淵をのぞく時、深淵もまたこちらを見つめているのだ。これはかなり危険な行為だった。劇薬による治療だ、一歩間違えると死に至る。


 無花果さんは果たしてそれに耐えられるのか?


「おやおや、まひろくん! そんなに心配しなくてもよろしい! なにせ慣れっこなものでね!」


 僕の懸案をよそに、無花果さんはぎゃははと笑って見せた。そこには空元気や虚勢の類は見当たらない。


「慣れてるって……自殺者の死体ですよ?」


「それがどうした! だいたい、ここに来る依頼人の八割がたは自殺者の関係者だからね! 君の件の方がレアケースだったのだよ!」


 なるほど、たしかに『死体を探します』なんて探偵事務所、真っ先に飛びつくのは自殺者の関係者だ。遺書を残して失踪して、どこで死んでいるのかわからない、という依頼人が多いのもわかる。


 殺人事件にまで発展した僕の一件が特殊だったのだ。普通なら自殺体が相手になる。


 しかし、そのたびに無花果さんは自殺者の思考をトレースする。死にたい人間になり切って、死に場所を探すのだ。


 きっと、無花果さんはそうやって何度も自分のこころを傷つけてきたのだろう。いくら『創作活動』という発散方法があるとはいえ、しんどい思いをするのに違いはない。


 生を実感するために、死を想う。


 まるでリストカッターの自傷行為だ。


 諸刃の剣の治療法と言える。


 だが、無花果さんはそうすることでしか自分の中の闇と対峙することができない。死を想うことでしか、生きているという実感を得られないのだ。


 普通の人間は普通に肺呼吸をしているが、僕たちのようなモンスターはエラ呼吸しかできない。現実世界では息をするのもやっとなのだ。当たり前のように息を吸って吐くことができない。死という海原の深いふところの中でしか安らぐことができない。


 他人の死でしか生きている実感がわかない。つくづく業の深いことだ。


 わざわざ死に触れることで、やっと生きていると確認できる。それはまさに、思春期の自傷行為に似ていた。


 無花果さんの精神は、きっと実年齢よりもずっと未熟で幼稚なのだろう。やまいとはそういうものだ。


 しかし、だからこそ大人には及びつかないほどの感受性を発揮することができる。それはそのまま、『作品』に反映されていた。


 未発達だからこそ、あの『作品』はあんなにもこころを打つのだ。


 ……そうこうしているうちに、事務所の奥のドアが開いた。手だけが出てきて、紙をひらひらさせている。


「おお、小鳥ちゃん! さすが仕事が早い! 愛してるよ!」


 すぐさまその紙を受け取った無花果さんは、紙に印刷されているGoogleマップの印を見つめながら納得したようにうなずいた。


「ふむふむ、なるほど……」


 そして、その紙をじっと見つめたまま、しばらく黙り込んで動かなくなってしまった。


「……無花果さん……?」


 呼びかけるとはっとして顔を上げ、無花果さんは僕に詰め寄ってきた。


「まひろくん、今日は何曜日だい!?」


「今は日曜日の夜ですけど……」


 日々ニートをやっている無花果さんには曜日感覚がない。そして、僕は休日であるにも関わらずバイトをしているのだ。


 それについては文句を言いたかったが、続く言葉に遮られた。


「マズい! 急ぐぞ! さあ飛ばせ!!」


 ずかずかと事務所の出口へと早足で向かう無花果さんに慌ててついて行き、


「なんだっていうんですか!?」


 急なことに動転していると、事務所から飛び出した無花果さんは狭く汚い階段を駆け足で降りながら口早に答えた。


「今夜中にケリをつけなくてはならないのだよ! 明日まで待っていられない! さあ急げ、やれ急げ、ハリアップ!」


「だから、なんでそんなに急いで……」


「説明する間も惜しい! いいから奴隷は車を飛ばせ! なに、近所だ、今回は高速に乗る必要はない! オンボロ軽トラを出発進行させるのだ!」


「奴隷呼ばわりはやめてください! 近所!? この辺に自殺体があるんですか!?」


「チンタラ説明している暇はない、とにかく飛ばせ! でないと無情にも夜が明けてしまうぞ!」


 どうやら、夜明けまで待っていてはいけない案件らしい。ホストの自殺体がどこにあるのか僕には見当もつかないけど、今はただ、無花果さんの指示に従って車を出すことしかできない。


 階段を降りきって、エントランスの扉を開く。三寒四温の季節とはいえ、今夜は寒の日だ。いきなりのことだったので上着を持ってくるのを忘れた。


 後悔しながら、僕は裏に停めてある軽トラの運転席のドアを開く。無花果さんが助手席に乗り込んだのを確認してから、イグニッションキーを回した。


 さすがはボロのポンコツだけあって、なかなかエンジンがかからない。しばらくきゅるきゅると鳴いていると、無花果さんは苛立たしげにグローブボックスを蹴りつけた。


「ボイコットとはいい度胸だ! 新車に乗り換えてやるからな!?」


「それって、事務所の経費で落ちるんですかね……?」


「いざとなったら小生のポケットマネーが火を吹くぜ! ともかく、とっとと動けこのポンコツ!!」


 再度グローブボックスを蹴りつけると、観念したように軽トラはエンジンのうなりを上げた。アクセルを踏み込み、ハンドルを切って駐車場から車を出す。


「宇宙の彼方に、さあ行くぞー!」


 はいはい、といなしながら、僕は小鳥さんが出力してくれたマップの場所へと軽トラを飛ばすのだった。

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