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№4 キャットファイト

「さあさあ! 早急に話を聞かせたまえ!」


 ぐいぐいリードを引っ張る犬の勢いで問いかけると、マダムは完全に開き直ったらしく、足を組んでソファにふんぞり返った。


「いいわよ。まったく、胸糞悪い話よ。あの男ホストだったんだけど、あたしにお金散々貢がせておいて、ある日遺書だけ残して失踪よ!」


 なるほど、ホストと客の関係だったのか。今回の死体はホストの自殺体らしい。自殺、という言葉を連想するだけで、胸にどんよりとしたもやもやが漂った。


 言い足りないマダムは更に言い募る。


「一体いくら貢いだと思ってんの!? 五千万よ五千万! 高級クラブだったけど、ナンバーワンには程遠い、ぱっとしない子だったわ!  それを育てていく快感みたいなものに投資してたのに、自殺ですって!? お金返してほしいくらいだわ!」


 マダムの口調はヒートアップの一途をたどった。余程腹に据えかねているらしい。


 まあ、わからなくもない。気に入って目をかけていたのに、ある日突然遺書を残して失踪だなんて裏切られたようなものだ。死体に向かってでも、文句のひとつも言ってやりたくなる気持ちも理解できる。


 しかし、そのためだけにわざわざこんな場末のあやしい探偵事務所に依頼をしに来るものだろうか? 女の執念はおそろしいとは聞いたことがあるけど、マダムはそのホストに少し入れこみすぎている気がした。


 もしかしたら、単なる憎しみだけではないのかもしれないな……


 そんな風に思っている僕をよそに、マダムはかんかんになって口角に泡をためている。


「あいつの死体なんて見つかったら、唾でも吐きかけてやるわ! 恩を仇で返すとはこのことよ! 散々かわいがってやったのに、はいサヨウナラだなんてムシが良すぎるわ! それも死に逃げよ! どうしようもないじゃない!」


「まあ、落ち着いてください」


「落ち着いていられるもんですか! お金だけ持ち逃げされたようなもんよ! 生きてるなら意地でも探し出してお金返してもらうのに、死んで逃げられたらなにもできないわよ! まんまとあいつの思うつぼだと思うと腹が立って仕方ないわ! こんなのってバカにしてるわよ!!」


 マダムの勢いは留まることを知らない。ついにテーブルを丸っこい拳で叩き始めた。頭に血をのぼらせて、怒りで真っ赤になっている。


「ぎゃははははは!!」


 そんな怒れるマダムを前にして、無花果さんは手を叩いて実に愉快そうに爆笑した。


「ホスト狂いの成金色キチババアとは、恐れ入ったね!」


 その発言に、場の空気が凍る。


 ……なんてことを言ってくれるんだ、このひとは……!


 無花果さんの失礼すぎる物言いに、マダムは一瞬真っ青になった。それから今度は顔を真っ赤にして、


「なんですって!?」


 テーブルを蹴立てて、すごい勢いで無花果さんに詰め寄った。当の無花果さんはへらへらしながら、


「ええー? 小生率直に事実を述べただけですけどォ?」


「なによ!! 何も知らないくせに!!」


「成金色キチババアのお気持ち表明なんて耳が腐るでござるよー!」


「きいいいいい! なによあんた!!」


 ブチ切れたマダムは、そのまま無花果さんと掴み合いを始めた。無花果さんも応戦する気満々で、たちまちキャットファイトが繰り広げられる。髪を引っ張ったり引っ掻いたり、両者一歩も譲らない。


 ……などとのんびり実況している場合ではない。


 さすがにこれは、人間として止めに入らねばならない。


 しかし、女同士の喧嘩の仲裁なんてしたことがない。下手をすると男同士の喧嘩よりも面倒だ。我を失った女というのは、発情期の猫と同じだという認識に間違いはないだろう。


 手をこまねいて見ている間にも、争いは激化している。罵声を交えた取っ組み合いになっており、マダムが無花果さんを引っ掻くと、無花果さんはマダムの整えられた髪をぐしゃぐしゃに引っ張って振り回す。どったんばったんと騒々しいことこの上ない。


「やーい! 貢いだホストに逃げられババアー!」


「なによ!! あんたみたいな小娘ごときがいい気になってんじゃないわよ!!」


 ……これは、無花果さん、明らかに喧嘩を楽しんでるな……煽りに煽っている。


 その挑発に乗ったマダムは、ぼろぼろになりながらも無花果さんに爪を立てようとしている。


 ここらで止めなければならない。


「お、落ち着いてください! ふたりとも、暴力はいけませんよ! とりあえず座ってくださ」


『お前はすっこんでろ!!』


 ふたりの声が重なって、僕は思わずひゅっと縮み上がった。二匹の女鬼にすごまれては、どんな男もからだをすくませるというものだ。


 しかし、ここで引いてはいけない。


 掴み合いを続けるふたりの間に割り込んで、とにかく物理的な距離を開けようとこころみた。


 間に入るということは、ふたり分の攻撃を受けるということだ。僕はたちまち引っかかれ、髪や服を引っ張られ、蹴られ、揉みくちゃにされた。


「いたっ! ちょっ、やめてくださ……痛いですって!」


「邪魔をするなまひろくん!」


「この女、絶対痛い目みせてやるわ!」


 ……散々だ。なんで僕がこんな目に……!


 涙目になった僕は、やぶれかぶれで叫んだ。


「この無花果さんが探偵なんですよ!? こんなんじゃ話も聞けないじゃないですか! 無花果さんも、死体が手に入るんですよ!? ちゃんと仕事してください!!」


 僕の言葉に、ふたりははっと我に返った。どうやら、やっと当初の目的を思い出したようだ。


「いのち拾いしたな、クソババア!」


 無花果さんはその場に唾を吐き捨ててマダムから離れた。


「それはこっちのセリフよ、クソメスガキ!」


 マダムも罵倒の言葉を口にすると、乱れた衣服や髪を直してソファに座り直してくれた。


 ……この争いになにか意味はあったのか……僕だけひたすらやられ損な気がするんだけど……?


 ふたり以上にぼろぼろになった僕は、満身創痍のままソファでため息をついた。ひとまずは落ち着いた。いろいろと腑に落ちないところもあるけど。


 女同士の喧嘩はこわいと、身をもって実感してしまった……男同士なら殴りあってすっきり、だろうけど、女同士の場合はもっとどろどろしたものが渦巻いていて攻撃も陰湿だ。女性はちからがないから当たり前なんだけど、いざ仲裁に入るとなるとかなり消耗する。


 ……やっぱり、僕だけ貧乏くじを引いているような気がしてきたぞ……


 しかし、相手は依頼人だ。ここでこころ変わりされてしまっては死体が手に入らなくなってしまう。


 僕はなんとか軌道修正をしようとした。


「とにかく。これからこの無花果さんがいろいろと質問しますから、それに残らず答えてください。突飛な質問もあるかもしれませんが、全部正直にお願いしますよ」


「わかったわよ! 答えりゃいいんでしょ!」


「そうそう! ものわかりのいい依頼人は小生だぁいすきだよ!」


「あんたなんかに好かれたってうれしくないわ!」


「おっ、まだやるか? おおん?」


 あごをしゃくって半笑いで挑発する無花果さんの頭頂部に、僕は無言でチョップをお見舞いした。


「……無花果さん……!」


 勘弁してくれ……!という思いが眼差しで伝わったのか、頭を押さえた無花果さんは肩をすくめて、


「ひぇー、まひろくんに怒られるからやめとこー! 小生イイコだからね!」


「頼みますからちゃんと死体探してくださいよ……!?」


「合点承知之助!」


 腕まくりをして請け負う無花果さんには、やっぱり一抹の不安が尽きないけど、やってもらうしかない。


 ……そういうわけで、安楽椅子探偵の意味不明な質問タイムが始まるのだった。

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