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№3 マダム来訪

 そんなこんなでいつも通り過ごしていると、唐突に事務所のドアが開いた。メンバーはここに全員揃っているので、関係者以外が来訪したということになる。


 こんな場末の探偵事務所に用事があるなんて奇特な人物が現れたのだ。一瞬、事務所の中にぴりっとした緊張が走る。


 開いた扉の向こうにいたのは、毛皮をまとったふくよかな中年女性だった。赤いハイヒールを鳴らしながら事務所に踏み込んでくる。濃い化粧でごまかしているが、それなりの妙齢らしい。


 いかにもお金持ちのマダム、といった風情の女性は、事務所に入ってくるなり眉をひそめた。


「汚いわね、ここ。それに、なんだかくさいわ。どうにかならないの、これ?」


 たしかにここは汚いし、くさい。それはそうだろう、死体が頻繁に出入りするところなのだから。オマケにボロくて古くて治安が悪く、不衛生で悪い意味で目立っている。


「やあやあ、ようこそ! お客さんだね! 一ヶ月ぶりの依頼人だね! まあ座りたまえよ!」


 色めき立った無花果さんが早速マダムにソファを勧めた。マダムは毛皮の汚れを気にしながら渋々といったていで腰を下ろす。おかしいな、ちゃんと掃除はしてあるんだけど。


「小鳥ちゃん、お茶を頼むよ! あっついやつ!」


「結構よ。どうせ粗茶でしょ。あたし、玉露しか飲まないから」


「たはー! こりゃまた失敬!」


 すげなく断られた無花果さんは、額に手を当てて笑った。


 ……ちょっと待てよ?


 依頼人が来た、それはいいことだ。


 しかし、このメンツでマトモに応対ができる常識人は僕しかいない。無花果さんなんかに任せていたら、せっかくの依頼もぱあだ。所長も知らんぷりをしているし、明らかに僕に丸投げされている。


 依頼をしてもらえるかどうかの瀬戸際だ。そのすべては僕にかかっていると言っても過言ではない。


 ……やるしかない。


 お給料をもらう(予定)以上、それなりの働きはしなくてはならない。お使いと掃除ばかりしていても仕方がないのだ。


 むすくれた顔でふんぞり返るマダムに向かって、僕はおそるおそる問いを投げた。


「あの、ここへ来たってことは、あなたも死体を探しに……?」


 どうやらマダムも僕が窓口であると認識したらしく、憮然としながらも答えてくれた。


「そうよ。じゃなきゃ、誰がこんなところ来るもんですか」


 やはり依頼人か。実に一ヶ月ぶりの、探偵事務所としての仕事だ。


「ひゃっほーい! 死体だー! 死体が来た来たキタコレ!」


 伸びあがってバンザイをする無花果さんを、マダムは珍獣でも見るかのような顔をして指さした。


「……なに、この子?」


「……すいません。それ、ウチの探偵です……」


「……これが?」


「……はい、残念ながら……」


 恐縮しきりでこうべを垂れると、マダムは不安そうな表情で僕に尋ねてきた。


「……大丈夫なの、これ……?」


 ああ、依頼人としてここへ来たときの僕と同じことを考えている。不安になるのも大いにうなずけた。それでも依頼をした僕の方がおかしいのだ。普通はこの辺で逃げ出すだろう。


 しかし、逃がすわけにはいかない。これを逃したら次はいつ依頼人が来るか知れないのだ。


 ……それに、無花果さんはこんなんでも『ホンモノ』だ。死体のためならばどんな手段もいとわない、優秀な探偵だ。


 今回の依頼も、きっときちんとやり遂げてくれるだろう。


 僕はできる限りしっかりとマダムの目を見つめ、


「大丈夫です。きっと見つけ出してみせますから、安心してください」


「……そうなの?」


「はい、もちろんです!」


 声を張って真剣に答えると、マダムもいくぶんかハラが決まったらしい。不承不承ながらも席を立つことはなかった。


 これはチャンスだと僕はソファの対面に腰を下ろして本格的に依頼の話をすることにした。


「ご存知かと思いますが、ここは『死体専門』の探偵事務所です」


「知ってるわよ、ネットで見たわ」


 その点は問題ないらしい。より問題なのは、この事務所の『システム』だ。これが第二関門となる。


 慎重に話を進めなければならないと、僕はひと呼吸おいて、


「では、この事務所の『やり方』については知っていますか?」


 単なる探偵事務所とは違う『システム』。これに納得してもらわなければ話は進まない。


 マダムは眉根を寄せて、


「そこまでは知らないわ。なに? お金ならいくらでも払うわよ?」


「……いえ、それが……要らないんです、お金」


「はあ?」


 マダムの顔色が気色ばむ。理不尽なことに腹を立てているひとの顔だ。それはそうだろう、こんな常識外のこと言われても戸惑う。僕も戸惑った。


 しかし、これからもっと理不尽なことを、僕は言わなければならない。


「……その代わり。見つけ出した死体を、現代アートの素材にさせてください」


「はあ??」


 予想通り、余計に混乱させてしまったか。もはや目を剥いているマダムに向かって、僕はフォローをつけ加えた。


「戸惑う気持ちも分かります。でも、それがこの事務所の『ルール』なんです。どうかその点をご理解ください」


 懇切丁寧に語りかけると、マダムはようやく落ち着いてくれた。話せばわかる辺り、このマダムも『普通の』ひとなのだろう。


「……現代アートって、あの……?」


 怪訝そうな表情でマダムが問いかける。うさんくささMAXなのは分かっているけど、きちんと説明しなければならない。


「はい。この無花果さんが世界的に有名なアーティストでして……その素材になるのが、死体なんです」


「なんなのそのあやしいアングラカルチャーは……?」


 その通り。アングラもアングラだ。自分で言っててもあやしすぎると思う。実際に、僕が初めて聞いた時もうさんくささで死にそうになった。


 しかし、その芸術の意味を理解してしまった僕は、もう『こっち側』の人間だ。今更人間の尊厳がうんぬんなんて言っていられない。


「ともかく、芸術の糧となってくださるのなら、この依頼はお受けいたします。事務所から提示する条件はこれだけです。あとはあなたがうなずいて、契約書にサインをするだけで交渉は成立します」


 ここは攻め時だと、僕は身を乗り出してマダムに迫った。少し気圧された様子のマダムはつぶらな瞳をまばたかせ、顔をしかめて、ため息をついた。


「……わかったわ。その条件、飲む。そうよ、あんなやつ、見世物にでもなっちまえばいいのよ!」


 まさか了承してもらえるとは思わず、今度は僕がきょとんとする番だった。


 ……どうも、事情があるらしい。


 この言い草を聞くに、マダムは死体を憎んでいる。それこそ、死体をさらしものにされてしまえと思うくらいには。


 そうやって憎んでいるはずの死体を、なぜ探そうとしているのか。そもそも、どういう人間の死体なのかもまだ聞いていない。


 果たして、マダムと死体の関係とはなんなのか?


 それはこれからしっかりと聞かなければならない。


「話は終わったかね?」


 珍しくおとなしくしていた無花果さんが、にんまりと犬歯を見せびらかすように笑っている。


「ええ。三笠木さん、契約書お願いします」


「わかりました。契約書を出力します」


 いつも通りに三笠木さんはパソコンを操作してプリンターの前に立つ。僕に説明責任をなすりつけてきた所長も、どれどれと様子を見に歩み寄ってきている。


 契約書にサインすれば、これで死体は僕たちのものだ。


 役者はそろった。


 それでは、ショウダウンと参りましょうか。


「さあ、ご婦人! 話を聞かせてもらおうじゃないか!」


 僕の隣のソファに腰を下ろした無花果さんが、わくわくを隠そうともせずにマダムに言った。


 さて、鬼が出るか蛇が出るか……

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