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猿三郎編おまけ 『超和菓子職人』

 暗闇の中、なにかを一生懸命に捏ねている老人の姿があった。


「……よし、仕込みはこれで完璧じゃ」


 額の汗を逞しい腕で拭うと、平べったい陶器の皿に、毒々しく黒ずんだ生豆をザラザラと流し込む。


「ほれ、餌じゃ」


「グルルルルッ!!」


 生豆がこんもりと山盛りになった皿を見て、柴犬は唸り声を上げる。


「今日は“カリカリ”なのに不満なのか?」


「グルルルルッ!!」


 そりゃそうだ。“カリカリ”ってのは生豆って意味じゃない。

 そもそも、ワンコに“生の豆”は、消化不良を起こす危険性があるので与えるべきじゃない。


「明日は大事な撮影じゃ。静かにしておるんじゃぞい」


「グルルルルッ!!」


 柴犬はずっと唸っていたが、老人はそんなことお構いなしに親指を立てて見せた。




★★★




 ある説によれば、紀元前より昔から、残された記録からしても少なくとも4000年(自称)は続く、伝統の和菓子屋こと『蔵菊堂くらきくどう』。 


 無形文化財に指定された超絶技法もさることながら、店の入り口をショーウィンドウにして“魅せる販売”も行う、温故知新を具現化したような老舗である。


 その古き和式旅館のような入口に、沿岸地帯の工場のような外観がミスマッチしていた。

 いや、違う。訂正しよう。工場に無理やり和風建築の出入口を取って付けたかのようだったのだ。

 波型スレート屋根からは、場違いなほど巨大な煙突が飛び出ており、ECOやSDGsを嘲笑うかのように、1960年代の工業黎明期じゃねぇのかってぐらいの黒煙をモウモウと立ち込めさせている。



「さーて。今日はぁ、この活き活き山里商店街の老舗和菓子屋さんに来ていまぁす♡」


 そんな店の入口をバックにして、司会者と思わしき中年男性と、ゲストと思わしきキャピキャピしたアイドルがカメラの前で決め顔をする。


「いやー。楽しみだねぇー。“ユンコリン”」


「アンコの良い香りがここまできてますねぇ。“ヒートたけちよ”さん」


 ヒートたけちよ……お笑い界に君臨する帝王。今では自らが手掛けた絵画の個展なども開く文化人としての側面も持つ多才な男。


 ユンコリン……今もっとも売れている歌も踊りも演技もなんでもこなす万能アイドル。最近ではニュース番組でコメンテーターとしても活躍中。


 テレビの二大巨頭の夢の共演である。


「さ、早くお店の中にお邪魔しちゃいましょう♡ 楽しみぃ!」


「お、いるねぇ。あちらに。店のご主人が仕込みをされてるのが見えるねぇ〜」


 ショーウィンドウ越しに、アンコを練っている老人がいた。


 天井まで届かんばかりのコック帽。そこからはみ出したモジャ毛は、モミアゲを通ってヒゲと一体化している。なんなら鼻毛まで混じってそうなぐらいの剛毛だ。


 ピッチピッチのコック服の両袖からは、黒光りしたムッキムキの筋肉がはみ出ている。


「えーと、なんか洋食のコックさんみたいな格好をされていますが、この方が蔵菊堂の店主、黒皮くろがわ 餡憎あんぞうさんでーす」


「…“マーマレード”」


 ユンコリンが紹介するのに、店主…黒皮がギロッと睨んで言う。


「え?」


「ワシのことは“マーマレード”と呼べ…」


「あ。はい。えっと、“マーマレード”…さん?」


「“マーマレードじいさん”、だ…」


「は、はぁ…」


 まったくもって台本にない台詞だ。


 しかし、黒皮の迫力に圧倒され、言われたままヒートたけちよとユンコリンは苦笑いして頷く。


「黒皮…でなくて、マーマレードおじいさんは、長年に渡って伝統ある和菓子職人をされているんですよね?」


「……違う」


「え?」


 またもや台本に無かった回答に、2人は硬直する。


 背中に冷や汗が伝う。


 これって放送事故…?


 そんなテレビに決してあってはならない単語が頭をよぎる。


「……ワシは和菓子職人などではない。あんな物と一緒にするでない」


「え? じゃあ、いったい…」


「“超”和菓子職人…だ」


 真顔でそう言うマーマレードに、作った笑顔もさらに引きつる。


「ちょ、超和菓子職人…な、なるほど! さ、さすが長年やっていらっしゃるだけあって肩書きもスゴイ!」


「そ、そうですね! まったく! 普通の和菓子職人のレベルを超越しているってことですもんね!」


 2人はプロである。


 どんな状況でも取り乱さず、上手く話をまとめる自信があった。


 撮影を止めなかった判断が正しかったことに、撮影スタッフたちはホッと胸をなでおろす。


「……ええーと、今はなにをされてるんで?」


 “さらに質問を”という合図をアシが出したので、ユンコリンが話しかける。


「見りゃ解るじゃろ。アンコを練っておる」


「え? あの、素手で…?」


 黒皮は、湯気がたっている熱々のはずのアンコを叩きつけてはコネ回す。普通は木ベラを使うはずだ。


「……ここまでできるようになるのに50年じゃ」


「は、はあ。す、スゴいですねぇ。ホント、これが熟練の技ってやつなんですね!」


「でも、これって小豆…なんですか?」


 黒皮が練っていたのは、色こそ黒いが何やらテカテカしていた。


「…アズキ、だと?」


 黒皮がゲジゲジのような太い眉を寄せる。


「ええ。小豆を使ったアンコなんで…すよね

?」


「…知らん。裏庭で取れた天然素材だ」


「て、天然素材…?」


「……砂糖さえ入れれば何でもアンコになるもんじゃ[※]」 


[※あくまで個人の見解です]


 ヒートたけちよはゴクリと喉を鳴らす。


 どうみても泥か土……


 いや、ぶっちゃけ、ドブ川の汚いヘドロのようにしか見えなかったからだ。


「で、でも、ホント。アンコを手でこねるなんて知らなかったー♫」


「おー、ユンコリンは甘いもの好きなのかな?」


「うん。とっても好きでぇす! 甘いのに目がなくてー。特に和菓子なんて大・大・大好物ぅ♡」


「おお、なら今日はうってつけだねぇ。何が好きなんだぁーい?」


「どら焼き、みたらし団子、おはぎに桜餅…うーん、ユンコリン決められなーい!」


「アハハ。ここのお勧めは…」


 持ち前のトーク力でその場を乗り切ろうとした、ヒートたけちよの顔が凍り付く。


 黒皮がアンコを練っていた容器は鍋ではなかった。なぜか、洋式便器を使っていたのだ。


 洋式便器を脇に抱え、その中にヘドロの塊を叩き入れてはコネくり回す。


「そ、それはいったい…」


「この形状が、一番、練りやすいんじゃ…。超和菓子職人ならば常識じゃ[※]」


[※…あくまで個人の意見です]


「えっと、イメージ的には悪いけど…もちろん新品を」


「……3度洗った。問題ない」


 ヒートたけちよとユンコリンは青い顔をしていたが、それでもカメラの前とあって平静を装っていた。


「う、うぉえええ!」


 だが、スタッフの一人はたまらず嘔吐する。


「ま、まあ、ちゃんと洗って…るなら」


「うん。そ、そうですね」


 そんなわけねぇだろと思いつつも、一応フォローするのはプロ根性がなせる技と言えるだろう。


「えっと、アンコを作る上で秘訣とかは…」


「あ。私知っている。お塩ちょっと入れると甘み増すんですよね!」


「お。ユンコリン、よく知ってるねー。もしかして料理得意だったりするする?」


「えへへ。たまーにやるだけですってぇ♫」


「おほほ。でも、ユンコリンが家庭的である一面が見えましたねぇ」


「……入れん」


「は?」


「塩なんか入れん」


 どこまでも空気が読めない黒皮が答える。


「え? 塩いれないんですか?」


 驚いた顔でユンコリンが訪ねると、黒皮はコクリと頷く。そして肘を大きく掲げた。


 毛むくじゃらの腋の下から、ダラダラと垂れる汗が、容赦なく便器の中に注がれている。


「これがあるからな」


「う、うぉえええ!」


 2人目のスタッフが嘔吐した。


 さすがのヒートたけちよとユンコリンも半分白目を剥いている。


「えー、あー、と、とりあえず。制作風景はこの辺で。えっと、では、できあがったものは…」


「……完成品がこれじゃ」


 黒皮は棚から、割れた皿に乗ったマンジュウを取り出した。ブッと勢いよく息を吹きかけ、上にかかったホコリを吹き飛ばす。


 もはや硬直してしまった作り笑顔を浮かべつつ、2人がのぞき込む。


「な、なんで顔が描かれて…?」


 なぜか茶色い表面に、リアルな人面が描かれていた。それも、今にも動き出しそうなくらいで、血の叫びをあげている絵面だ。

 もはやわざと食欲を失わせるために描いているとしか思えない。


「ワシが望むのが、“生きたパン”ならぬ、“究極の生きたマンジュウ”だからだ…」


「生きたマンジュウ? ったって、なにも人面にしなくても……」


 さしものヒートたけちよもツッコミを入れてしまう。


「いや。ワシの和菓子や人生を揺さぶるようなある出来事が昔にあってな…」


 しみじみと勝手に語り出す黒皮である。


 もちろん、誰も割り込むこともできない声量と雰囲気による圧力をかけてのことだ。なんとなしに全部聞かねばならない感じになる。


「かつて、ワシが夕方にふとテレビを見ておったときのことだ。ある児童向けのアニメがやっておってな。それを見たとき、“やられた!”と思ったよ。何を見たか解るか?」


「さ、さあ…」


 何の脈絡もなく尋ねられても解るはずもない。


 そもそもその話題に興味を惹かれすらしないのだから当然だ。


「なんとな。そのアニメの主人公は、“パン”だったんじゃ! 生きたパンのヒーローじゃよ! 解るか!? 同じアンコを使った職人として、これは負けたと思ったわい!! ワシの予想通り、翌週からパン屋はバカ売れよ! そりゃ笑いが止まらんじゃろ! パン屋が起こしたテロじゃ! 企業テロじゃ!!」


 ヒートアップした黒皮のツバが、ビシャビシャッとヒートたけちよに滝の如くかかる。


「それって、もしかしてアンパ…」


「その名を口にするんじゃなぁいッッッ!!!!」


 怒り狂う黒皮に、ヒィッとユンコリンが身をすくませる。


「さあ、話は終わりだ…。食せ。ワシの魂の込められた“生きたマンジュウ”をな!」


 黒皮がマンジュウを掲げると、ビュッと目鼻口の部分からからアンコが飛び出す。そして、それらが触手のようにビチビチと蠢いていた。まるで、本当に生きているかのようだ!


「な、なにこれェッ?!」


「さあ、食え! 食うんじゃ!!」


 ガシッと太い腕で2人を掴む。


 両手がふさがっているのにどうやって食べさせるのかと疑問だろうか?


 そんなことは簡単である。黒皮が生きたマンジュウを口にくわえ、口移しで食べさせようと試みてるのだ!!


「ギャアアアア!」


「ヒィイイイイ!」


「さふぁ、くふぇ! くふぇんだ!」




★★★




 柴犬……犬次郎は、テレビで飼い主がマスメディアに囲まれているのを見る。


『なぜこんなことをしただと!? クソ保健所と、クソ超日本和菓子屋連盟とやらが、ワシの仕事の邪魔をするからだ! マスメディアを通して、ワシの正しさを見せつける必要があった!』


『彼奴ら、無実のワシを“チョウリシメンキョ”とやらを持ってないというだけで責め立て、“エイギョウキョカ”がないだの、“ショクヒンエイセイホウ”違反がなんたらという訳分からん呪文のような言葉を繰り返し、この4000年の歴史(自称)ある超和菓子屋をブッ潰そうとしておるのだッ!! 断じて許せん!!!』


 そんな意味不明な供述を繰り返し、挙句の果てにはインタビューしてきた記者の脚を掴んでジャイアント・スイングで薙ぎ倒し、撮っていたカメラが倒れてヒビが入る。


 それでも柴犬には関係ない。


 犬次郎は狂犬病注射を嫌がり、元の飼い主の一家を圧倒的暴力によって始末してしまった。


 今際の際に犬次郎を託されたこの新しい飼い主は、世界で唯一、同格の圧倒的暴力にして、捕獲&拘束して注射を受けさせることができる存在である。


 そんな新・飼い主だったが、今やパトカーや自衛隊の装甲車に取り囲まれていた。


『アンコに群がるような鬱陶しいハエどもめ! ワシは国家権力などに屈しはせんぞ!! 超和菓子職人を舐めるなぁ! 舐めるのはワシのアンコだけにしろぉッッッ!!!』


 徹甲弾や催涙弾をモノともせず、老人が雄叫びを上げて機動隊に突貫するところで映像がプツンと終わる。


 どうやら逮捕されるようだが、それでも関係なく、即日にでも脱獄してくるに違いない。


 そう。明日も明後日も、アンコや生豆を出され、犬次郎が激怒するという日常になんの変化もないのであーーった!!!

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