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犬次郎編おまけ 『不死鳥ちゃんこ鍋』 

 古びた狭い室内。


 そこでは、荒い息づかいと共に、組み合う2人の巨躯の姿があった。


 片方はグラサン、赤パンのマッチョ。


 もう片方は大銀杏に、ピンク色のまわしの巨漢。


 互いのパンツ、まわしを掴み合い、がっぷりと組み合っていた。


「のこったのこった!」


 行司はいない。だから、グラサンと赤パンの男がさっきからそう言っていた。


「まだまだぁ!」


 実力は拮抗していた。


 フリーハンドで雑に描いた土俵のど真ん中で、行ったり来たり、回ったりを繰り返す。それは社交ダンスのようにも見えたのでシャル・ウィ・ダンス♫


 グラサンの方は、力を入れすぎたせいなのか、はたまた股間にキツく食い込む赤パンが気持ちいいせいなのか、頬が上気していた。


 そして、決着の時が訪れた。


 巨漢が後ずさった時に右膝が揺れたのを見て、グラサンの奥の目がカッと開く。


「もらった!!」


 グラサンはサッと屈むと後ろに回り込み、僧帽筋が大きく盛り上がったと思いきや、なんと巨漢の身体が持ち上げ、そのまま後方へ投げっぱなしジャーマンを決める!


「ぬわーースッ!!」


 巨漢はなぜか直立不動の姿勢のまま、超高速縦回転で壁に突っ込む! ボロ家の漆喰壁が吹っ飛んだ!!


 決まり手『ホイップ式ジャーマン・スープレックス』……いや、そんなものは相撲にはない。

 強いて言うなれば、形が似ている『櫓投やぐらなげ』か『うっちゃり』だろう。


「このゴッデム! かつて武神と崇め祀られていた俺を、まさかここまで苦戦させるとはな!」


 グラサン…ゴッデムは、尻の割れ目に激しく食い込んだ赤パンをいそいそと直しながら言う。


「さすが、お相撲さんだ! いい勝負だった! 感動した! 大爆嵐関よ!」


「…ど、どうもでゴワス」


 瓦礫の山から出てきた巨漢…大爆嵐関は無傷だった。


 無傷なのは当然だ。彼の身体は皮下脂肪に覆われており、それらがすべての衝撃を吸収して分散させてしまったのである。


 彼はお相撲さんだ。彼がやっている超大相撲は鍛え方がハンパない。あれやこれやそれやどれや、常人には想像もつかない稽古の末に、彼の巨体は脂肪ばかりではなく、その下にはとんでもねぇ分厚い筋肉の塊が隠されているのである。


 ダンプカーに轢かれれば、ダンプカーの方が大破し、北米国にいるクマ科の大型動物グリズリーベアー(ハイイログマ)を張り手の一撃で爆散させてしまい、某国の大統領に核兵器の使用まで検討させた、そんな超日本が生み出した超武闘派最強生物こと、人類の最終兵器こそが、まさにお相撲さんなのである(個人の見解です)。


「しかし、引退とはもったいないな。その原因は右膝に抱えた爆弾か⋯」


 ゴッデムは、大爆嵐関が右膝のサポーターを痛々しそうに見やる。


「……仕方なきことでゴワス。もっとグルコサミンやコンドロイチンを常日頃、摂ってさえおけばこんなことには」


 大爆嵐関は自嘲気味にそう言って、ゴッデムの前に正座で座る(膝が悪い時に正座は厳禁だ)。


 そう。超大相撲は超過酷なのだ。土俵に上がったら最後、壊すか壊されるのどちらかの未来しか残っていないのである(個人の見解です)。


「それで、世界転移を希望したと?」


「……んです。超相撲協会にも居場所はなく、もうオイドンは現世に未練はないでゴワス」


 ピンク色の浴衣に袖を通し、大爆嵐関は覚悟を決めた漢の顔で言う。


「⋯しかし、だ。ウチもボランティアではない。商売でやっているからな。金はかかるぞ」


「無論。解ってゴワス」


「⋯⋯しかし、膝の治療に、今までの稼ぎをほとんど使い果たしてしまったという話ではなかったか?」


「確かに金はないでゴワス」


「お相撲さんは大好きだが、さすがに無償で異動させるのは⋯⋯」


 ゴッデムが渋い顔で言うと、大爆嵐関は頷いて一抱えはありそうな風呂敷を取り出す。


 そして、包まれた中から出てきたのは業務用ポットジャーであった。


「引退してからは、これだけが特技でもうした⋯」


 大爆嵐関は、ポットジャーの上に載せてあったお椀と玉杓子を取る。


「こ、これは⋯!」


 フタを開くと、そこから食欲をそそる、よい塩梅に加熱された味噌の芳醇な香りが、ゴッデムの鼻腔をくすぐった。


 大爆関嵐が湯気立つ汁の中に玉杓子を入れ、おもむろに中身を掬い上げると、これまた見ただけでわかるほどに、いい感じに煮えた肉団子、コンニャク、油揚げ、しいたけ、大根、人参、豆腐…そんな具材たちが黄金色のスープの中で、「俺が先に食べてもらうんだ!」「いや、私よ!」などと、ワチャワチャと互いに押し合い圧し合いしていた。まるでさっきまで相撲を取っていたゴッデムと大爆嵐関のように!


「ちゃんこ鍋…か?」


 グラサンの表面が湯気でほんのり白くなったゴッデムが、ゴクリと喉仏を動かす。


「……どうぞ。一杯召し上がってつかぁさい」


 ゴッデムは大爆嵐関からお椀と箸を受け取る。そして口をすぼめ、お椀に口を付け、恐る恐るスープを口腔内に入れた瞬間に、高圧電流にでも撃たれたかのような衝撃を受けた。


(う、美味い…ッ! なんだこれは! 美味すぎるぞッ!!! 白味噌と赤味噌によるスタンダードな合わせ味噌だが、鶏ガラをベースにしつつ、カツオと昆布による出汁の完璧な配合、そして寸分も狂いのない計算され尽くした丁寧な煮炊きにより、具材の旨味が凝縮され、渾然一体と俺の口の中で混ざり合い調和ハーモニーを奏でているッッッ!!!)


「お味の方はいかがでゴワショウ?」


「あ、ああ…」


 ゴッデムは意識が大宇宙の彼方に逝きそうになって、呼びかけられて慌てて還って来る。


「……そうだな。この、ちゃんこ鍋は栄養素が完璧だ。完璧すぎる」


 ゴッデムは自分の手の平を見やって小さくそう呟く。


 それを美味しくなかった意味だと感じ取った大爆嵐関は一瞬だけ顔を上げ、それから落ち込んだように俯いた。


「……ダメでゴワしたか。“こんな物”で世界転移させて貰おうなどとは、むしのよい話でゴワした」


 大爆嵐関は浴衣の懐から、裁ちバサミを取り出す。


「責任はこうやって取らさせて貰いモスッ!!!」


 大爆嵐関は左手で大銀杏を握り、右手の裁ちバサミでおもむろに切り落とそうとした。


 それをゴッデムが腕を掴んで止める。


「は、離してくっさい!」


「勘違いするな。味が悪いと言ったのではない。それ以上の着目点があったのだ」


「……え?」


 ゴッデムはお椀に入った汁を、具ごと一気に自身の口の中に放り込むと咀嚼し一気に飲み込んだ。


「やはりそうか…」


「な、なにを…?」


「これは“霊薬”だ」


「れ、れいやく…?」


「別名、エリクサーとも言う」


 ゴッデムは口元をナプキンで拭うと、フウと熱い息を吐く。


「いわゆる万能薬だ。不老不死になるのは当然、HPエッチポイントSPサドポイントMPマゾポイントの完全回復のみならず、毒状態、石化状態、ED、AGA、少子高齢化、失われた年金問題、物価高騰、自然環境問題、この小説が書籍化しない問題、そして隣の奥さんに告白する勇気が出ない…等々、諸々のすべてを解決する奇跡の薬だ」


 大爆嵐関の小さな目が驚きに開かれる。


「しかもそれだけではない。これは人間も甦らせるかも知れん。霊薬…いや、究極霊薬ウルトラエリクサーと呼んでもいい代物だ!!」


 ゴッデムはスープジャーを指差して叫ぶ。飛び散った唾液がスープの中に容赦なく注ぎ込まれた。


「な、なぜそんなことに? お、オイドンは普通にちゃんこを作っただけなのに…」


「ラノベの主人公的な展開ならよくあることだ。あまりに極められすぎた調理工程が、偶然にエリクサーの精製過程に繋がってしまったのだ。ちゃんこ鍋こそが錬成の秘密だったとは、錬金術者ではまず気づけまい」


 ゴッデムは、世界中の錬金術師がハンカチを噛んで悔しそうにしているところを思い浮かべる。


「これを食い続ければ、大爆嵐関。お前の足も…」


「な、治ると?」


 大爆嵐関は目を丸くするが、ゴッデムは首を横に振った。


「いや、ダメだ。足りん」


「た、足りん? 具材でゴワスか!? な、ならすぐにでも買って来て……」


「そういうことじゃないのだ。この世界は魔力が薄い。従って、普通にお相撲さんがいくら作ったとしても、ちゃんこ鍋本来の力は完璧には発揮できないだろう。魔力がなければ、素敵な奇跡は起きない」


「そ、そんな」


「……だが、異世界であれば別だ。大爆嵐関よ。お前が異世界に行き、魔力を得ればあるいは…」


「魔力…」


「そうだ。お前は“回復系力士”になれる! 世界転移させてやろう! 今日からは、コンドロイチンは……なんか語呂が悪いから、グルコサミン・大爆嵐関と名乗るがいい!!」


 こうして、グルコサミン・大爆嵐関は異世界へ旅立ったのであーーった!!!




──




「しまった」


 犬次郎は、頭がカチ割られてドス黒い血をダラダラと垂れ流して倒れている神父を見下ろす。


「ついコイツまで殺してしまった」


 あまりに神父が「オーマイゴッド」を壊れたスピーカーみたいに連呼するので、イラッとした犬次郎は勢い余って鉄球で殴り殺してしまったのだ。


「コイツがいないと町の人間を蘇生できんな」


 血の惨状となった死体だらけの町を見やり、犬次郎はため息をつく。


「あと、もう1周はしたかったんだが困ったな」


 口で言うほど深刻ではなさそうに、犬次郎は頭をかく。


「まあ、やってしまったのは仕方ない」


 犬次郎は神父の死体を蹴り飛ばして水路へと落とす。特に意味はないが、邪魔だったから蹴ったのだ。


「苦戦するとしても、今のレベルならなんとか…ん?」


 ふと、犬次郎の目に、大銀杏をした巨漢が、倒れた町人を抱きかかえているのが飛び込んでくる。


「まだ生き残りがいたのか。強そうだな。ちょうどいい。俺のレベルアップの糧に……何をしている?」


 その巨漢は、死体の口にお椀からスープを飲ませていた。


 なかなか美味そうな香りに、犬次郎の鼻がヒクヒクする。


「死体に飯など食わせるな。もったいない。それなら俺に食わせ……」


「うんまーッッッ!!!」


 死んでいた町人がむくりと起き上がり、自らの手にお椀を取ってガツガツと食い始める。


「な、なんだと? ソイツは間違いなく死んでいたはず。何をした?」


「オイドンの作った“不死鳥フェニックスちゃんこ鍋”でゴワス!」


「“フェミニストちゃんこ鍋”? なんだかよくわからんが、それを食うと生き返るのか?」


 巨漢はニコッと笑う。


「オイドンは回復系力士でゴワス! 怪我・死亡の治療は任せてつかぁさい!」


「回復系力士? ……まあ、なんでもいい。お前が甦らせることができるなら、俺のレベルアップに役立ちそうだな」


 巨漢はサムズアップする。


「お前の名前は?」


「グルコサミン・大爆嵐関でゴワス!」


「そうか。今日からはお前も下僕なかまだ」


「あざまーす!!」


「よし。まずは町の人間を全員生き返らせろ。そうしたら、俺がすぐに始末する」


「かしこまりー!!」



 そう! これこそが、グルコサミン・大爆嵐関が仲間になった経緯である!


 さて、なんでまたこんな素直に畜生の仲間になったかと言えば、回復系力士という“癒し系”を目指すがあまり、心が浄化され幼子のようになり、グルコサミン・大爆嵐関は“他人を疑う”ということを忘れてしまったので、あっさりと犬次郎の暴虐の手下となってしまったのだ!


 ツギーの町の阿鼻叫喚は、犬次郎が満足いくレベルになるまで繰り返されることとなるのであーーーったッ!!!




─完─

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